うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語ります。【ネタバレ前提です。注意してください】

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「運命に対する無力さ」を描く「親なるもの断崖」は、男性に残酷な物語なのかも。

 

この記事からの派生話題です。引き続き主語デカい系の話です。

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この話の中で「無力感や無能感に対する耐性の低さ」「無力であることは悪である」という考えは男性特有のものであり、「運命に対して受け身で無力になったときの耐性」のようなものが、よく言われる「男性にはない女性の強さ」につながっているのではないか、ということを書きました。

 

あえて言うと

「運命(敵)に立ち向かう」ときに強さを発揮するのが男性で、「運命(敵)に耐える」ときに強さを発揮するのが女性なのではないかと。

 

「親なるもの断崖」は、自分ではどうすることもできない、立ち向かうことも難しい運命に男女問わず、主要登場人物ほぼ全員が翻弄される物語です。

主な男性キャラである大河内、直吉、聡一は、梅の運命や世の中を何とか変えようと頑張るけれど、それが果たせずに無力なまま表舞台から消えていきます。

武子が死に損なった梅に言う「自分の生きざまで世に問え。おなごの深さ、強さを見せつけてやれ」は、男が死に損なうと難しいんだなと感じます。

 

「親なるもの断崖」は、女性である梅だからこそ過酷な運命に対して無力であっても「決して母を不幸と思うな」と言われるような人生を送ったわけで、聡一が梅の前から姿を消した点を見ても、無力感というのは男にとっては致命的なんだな、と思いました。

梅が道生の前から姿を消した理由と、聡一が梅の前から姿を消した理由の違いにそれがよく表れている気がしてなりません。

 

「女の人一人幸せにできなかった男のくやしさは、道生の悲しみの百倍はあるぞ」

「家族を残して死んでしまった親父の気持ち、おれ、同じ男だから分かるんだ」

女性向けだと、こういうことも言葉にしないと「道生と梅、かわいそう」「茂世、何やってんだよ」で終わりそうだからかな。

そういう意味では男性視点もきちんとフォローしている点は好感が持てます。「こういうことはあえて説明されるほうが辛い」ような気もしますけれど。

 

道生は茂世に「お父さんだって、お母さんを幸せにできなかったくせに」って八つ当たりできるけれど、茂世は誰にも言えないし。

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(引用元:「親なるもの断崖」曽根富美子 小学館)

こういう「運命に立ち向かったけれど、どうすることもできなくて、その悔しさも自分のせいにして、一人で耐えなければいけない」という無力感と罪悪感の強烈なコンボを味合わせる、というのは男にとっては割と酷なシュチュエーションだなあと思います。 

 

登場人物に運命を変える力があると、「運命に対して受け身で無力になる」という状況にならないので仕方がないのかもしれないけれど、過酷な運命下の女性の強さを描くということは、同時にそういう状況下の男性の無力さを描くことになるんだなと。

 

「運命に破れた無力な存在になるか」「ゲヒゲヒ言うだけのモブになるか」の二者択一を迫るこの漫画は、男性にとってこそ、残酷な物語なのかもしれないなと思いました。

 

「魔法少女まどか☆マギカ」と「ベルセルク」の類似について考えた。

 

この記事の続きです。

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相変わらず主語デカい系の話なので、苦手なかたはブラウザバックをお願いします。

前回少し書いた「まどマギ」と「ベルセルク(黄金時代)」はすごく似ているという話です。

 

「まどマギ」と「ベルセルク(黄金時代)」が似ていると思う点

自分は何の役にも立たないという認識が基点(他者評価関係なし)→自分はこれで生きていくと決める→同じ志を持つ仲間に出会う→主人公の存在を自分の存在基盤におく人が出てくる(グリフィス・ほむら)

 

「ガッツは元々、他者評価も役立たずだった」などの細かい違いはありますが、基本的な物語の構造は似ています。

あと「自分が執着するものが足かせになる」という点では、使徒と魔女はよく似ています。(執着によって魔(法少)女化する、執着を捧げないと使徒にはなれない。)

 

あくまで自分の考えですが、

「他者評価に左右されない自己完結した世界で、惑わせる執着(味方であれ、敵であれ)を乗り越えて、自分の道を貫き、自分が理想とする自分になる」という発想が、究極の男の美学なのかなあと思いました。

「ベルセルク」と「まどマギ」は、この世界観を体現した物語だなと思います。

 

「強くなくてはいけない」という呪いからの解放

ただ、その世界観をあえて「少女」という本来、男性から見たら「弱い存在」に背負わせたことが、かなり画期的なことなのではないかと思っています。

「ベルセルク」では弱さをキャスカという女性キャラに背負わせて、「自分=男」から切り離していますが、「まどマギ」では強さも弱さも同一の存在(少女)に表現させている。

これは昨今よく話に出る「男は強くなくてはならない」という呪いからの解放の過程じゃないかなと思います。

 

マミさんみたいに、「強くて優しくて頼りになる先輩」に見えて、内面は寂しさや孤独などの弱さを抱えている。それで当たり前だし、そういう面を見せることは別に悪いことではない。

むしろそういう誰にでもある当たり前の弱さを受け入れたほうが、もっと強くなれるんじゃないのか? 

物語の構造は従来の少年漫画的精神を踏襲しているけれど、あえて登場人物を少女にすることで「強さのみを良しとしない」ところがいいです。

 

心折れてもいいんだよ。

瞳をうるうるさせて上目遣いで手を握って「本当に一緒に戦ってくれるの?」って言ってもいいんだよ。 

男だって(女でも)そういう自分の弱い面をダメなものと思わなくていいんだよ。

 

その後、マミったり病みさんになったりするのも、まあそれでいいんじゃないかと。(たぶん)

 

ほむらとグリフィスは似ている。

 一番初めに「まどマギ」と「ベルセルク」は似ているなと感じたのは、ほむらを見ていて唐突にグリフィスを思い出したからです。

「自分」という存在の基盤のすべてが、たった一人の他人に依存している点でこの二人はよく似ています。

 

「グリフィスがなぜ使徒になったのか?」については意見が分かれると思いますが、ある同人誌で見た「ガッツと対等でいたかったから」という意見が一番しっくりきました。

 

あの時点でグリフィスは、それまでの人生の全てを賭けてきた夢を、ガッツのために忘れてしまっています。

「幼いころからの夢以上に、ガッツと対等でいることが大事。守られるだけの無力な存在であることに耐えられない」

この辺りも「まどかに守られる私じゃなくて、守る私になりたい」というほむらと通ずるものがあります。

 

無力感や無能感に対する耐性の低さ、「無力であることは悪である」という考えは男性特有のもののような気がします。グリフィスのように「無力な存在でい続けるくらいなら、仲間を全部捧げる」という発想は極端ですけれど、「分からないこともない」という人もいるのでは、と予想しています。

逆にこういう「運命に対して受け身で無力になったときの耐性」みたいなものが、よく言われる「男性にはない女性の強さ」につながっているのではないかと個人的には思います。(「運命に対して受け身で無力になったときの、女性特有の強さ」が主題の代表的なものが「親なるもの断崖」)

 

女性の中には、グリフィスのガッツに対する感情が恋愛感情に見える人がいるようです。ほむらのまどかに対する感情も、恋愛のように見えないこともない。 

この辺りの男性と女性の恋愛感情の違いから、グリフィスのガッツに対する感情を読み解くという試みを「ベルセルクフリークス」という同人誌でやっていました。

「男性は友人が迷惑をかけていい存在だが、女性にとって迷惑をかけていいのは恋人や配偶者で、友人は迷惑をかけてはいけない存在」

「男性にとっては相手に迷惑をかけるのが信頼で、女性にとっては迷惑をかけないのが礼儀」

「信頼と迷惑というキーワードで関係性を解釈すると、グリフィスの態度を恋愛感情と誤認する女性もいるのではないか」

なるほどな~~、と思って読みました。

同人誌なのに作者との対談なども載っていて、すごい豪華な本だったのですが、もう手に入らないのかな。

 

男性にとっての「強く生きるという美学」の中に「弱さや脆さ」を否定することなく混ぜ込んだ「まどマギ」は、現代的な物語だと思います。

社会的に「弱さを見せてはいけない」という抑圧を受けやすいけれど、同時に強さのみで生きることが難しい今の時代で、「ベルセルク」から「まどマギ」に、「自分の弱さや脆さを受け入れて生きていく」「男も自分の弱さを良しとしていい」という風に前進したのかな、だといいな、と思いました。

 

もう誰にも頼らない

もう誰にも頼らない

 

 

「面白さ史上主義」に対抗する「真っ当さ」の物語。ゆうきまさみ「機動警察パトレイバー」

 

21世紀の新型悪役像「内海課長」

togetter.com

このまとめ記事を読んで、頷く部分が多かった。

YouTuberに限らず、「内海課長的悪」「面白ければいいじゃん主義」というのはネットで見かけるし、確実に増えていると思う。

 

自分が欲しいもの、面白いと思うことのためならば、笑顔で法を犯し、人を傷つける内海課長。

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(引用元:「機動警察パトレイバー」22巻 ゆうきまさみ 集英社)

まぁ内海課長の画期的なところ、面白さ至上主義というよりも何を面白がるかというところにある気はするよね。

あれが単に人が苦しんでるところを見るのを面白がる人だったら面白さ至上主義でも単なるサディスト扱いなわけだし

要するに「アニメみたいなロボットが対決するの面白いやん?」という共感しやすい面白さを標榜してるからこそのアレなわけだよね

秀逸だなあと思ったのは、まとめの中のこの文言。

内海課長の目的自体は、多くの人が「面白いそう」「やってみたいな」と思うことだと思う。

従来の悪役のように「人を殺したい、傷つけたい」という目的だと反発が先に立つけれど、内海課長みたいに「最強のロボットを作って、最強のロボット同士で戦わせたら面白そうじゃん」というのは、多くの人が「確かに面白そう」と感じそうだ。

少なくとも自分はそう思うし、シャフトで働いたら楽しそうだな~とも思う。

 

問題なのはその面白さのためならば、法を破ろうが人を傷つけようがおかまいなしのところだ。

人身売買で手に入れた子供をレイバーのパイロットにするために、社会性や道徳を無視した教育をする。

当のバドも幸せで楽しそうなので、一体それの何が悪いのか、ということがすごく分かりにくい仕組みになっている。

内海はまだしも法を犯しているから「悪として可視化しやすい」けれど、これが法律のグレイゾーンでやられると「みんなが面白くて楽しいのに、一体何がいけないのか」ということが非常に分かりにくくなる。

「何がどう悪いのかを指摘しづらい」から、一定の支持を集めやすい点が、この種の人の怖いところだ。

 

こういう「悪を目的としていない悪」「悪と自認していない悪」は、パトレイバーが連載していたときは漫画の中の絵空事だったけれど、ネットを見ているとそういうものがこれからどんどん増えていくんだろうなあと思わされる。

 

善悪の評価軸を持たない、結果論としての「悪」

「悪と自認していない悪」は、そもそも物事の良し悪しの判断の基準が「面白さ」など従来のものと違うものになっているから、理解し合う術がない。

「パトレイバー」の最後の野明とバドの会話には、それがよく表れている。

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(引用元:「機動警察パトレイバー」22巻 ゆうきまさみ 集英社)

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(引用元:「機動警察パトレイバー」22巻 ゆうきまさみ 集英社)


こういう会話がまさに現実のものになりつつある、のが怖い。

それと同時にこういう存在が世の中に出てくるだろうと予見していた「パトレイバー」は、やっぱりすごい物語だなと思う。

 

このまとめ記事を読んで、自分がなぜ、「パトレイバー」がすごい好きなのかということが分かった気がした。

 

「面白さ至上主義」は可視化しづらい悪ゆえに、それの何が悪いのかということを指摘することが非常に困難だ。

まとめ記事でも書かれている通り、

銀河英雄伝説のトリューニヒトなんかもその眷属でしょうか。すなわち、ドラマツルギーにのっとると倒すための筋道がなく、キャラクターの怒りやこだわりによってのみ打ち倒される。

その時代の価値観の内側から出てくるため、善悪の評価軸で精査されづらく、すごく支持されやすい。

それの何が悪いかを指摘すると「時代遅れ」とか「ダサい」とか「空気が読めない」という言葉で封じ込まれやすいと思う。

「面白い面白い」「空気読め空気読め」と煽られたり抑圧されたりして、そういうものに対して多くの人が支持に回ると、トリューニヒトがルドルフになるのだと思っている。

 これをトリューニヒトのように合法的なシステムの枠内でやられると、どうにも対抗手段がない。

 

「パトレイバー」は「悪を目的としない悪」に対抗する物語。

そういう近い未来に必ず出てくるだろう愉快犯的悪=内海への、対抗手段としての物語が「パトレイバー」だ。

こういうものに対抗するには、言葉でも理屈でもより強い力でもなく、一人一人が真っ当な生き方をすることによって、そういうものに容易く与さない社会を作っていくしかない。「地道に生きる平凡な人の力を信じる」そういうメッセージ性がたまらなく好きだ。

 

「真っ当さ」って何だろう? と考えたときに、言葉では説明できないけれど、「パトレイバー」を読むとすぐに分かる。

「特車二課」の面々は、愉快犯的悪=内海に対峙するものとして、すごく「真っ当に」生きている。

 

「真っ当さ」というのは、「正しさ」とも違う。「常識」とも違う。

「道徳」が近いかもしれないが、自分の中ではやはり違う。「真っ当さ」としか言いようがない。

 

人身売買の犠牲者であるバドを探すことにのめりこむ野明を、遊馬や後藤隊長はたしなめる。

後藤隊長が言う「俺たちの仕事は本質的には手遅れなんだ」という言葉や、遊馬が言う「お前のやっていることは自己満足で偽善だ」という言葉は、圧倒的に正しい。

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(引用元:「機動警察パトレイバー」18巻 ゆうきまさみ 集英社)

人身売買の犠牲者の中で、自分がたまたま知りあった子供だけを、仕事の合間の休日に探している野明の行動は、どう考えても自己満足だ。

 

人身売買の捜査に取り組む捜査員のことに思いをはせたり、「自分たちの仕事は本質的には手遅れだ。それでも覚悟とプライドを持って仕事をする」後藤隊長や、「自分の目から見ると、お前のやっていることは偽善にすぎない」とはっきり指摘する遊馬は、すごく真っ当な人だと思う。

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(引用元:「機動警察パトレイバー」18巻 ゆうきまさみ 集英社)

 

でもそう言われてなお「立派な偽善ができるような立派な大人になればいいんだ」と返す野明も、すごく真っ当だ。

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(引用元:「機動警察パトレイバー」18巻 ゆうきまさみ 集英社)

このセリフすごい好き。

 

間違えても困難にぶつかっても、社会のシステムの不合理さを飲み込まれ、ときにはそういう不合理さの一部にならなくてはならないとしても、その中で自分にとって正しいと思えることを、自分のできる範囲で成し遂げようとする。

特車二課の面々の、そういう泥臭くてダサくて地味で特に英雄的でも面白くもない生き方にこそ、たぶん「真っ当さ」というものは宿るのだと思う。

 

野明は「立派な大人」である「お父さんとお母さんに育てられて、杉浦先生に救われて、後藤隊長に働き口を与えられて」今日までこれた。

それは内海から「面白さや楽しさ」しか与えられなかった、バドとの対比に思える。

「立派な大人」というのは、「子どもを幸せにできる人だ」と言う。それが「真っ当な大人」なんだ、と野明は言う。

 

言葉だけならば「でも、バドだって内海といて幸せそうだけれど?」「幸せって人それぞれじゃない?」といくらでも反論が思い浮かぶ。

「真っ当さ」というのは言葉で説明するのが難しい。

だから「真っ当さ」でしか対抗することができない「悪を目的としない悪」は、指摘するのは難しいのだ。

 

言葉で説明するのが難しい、言葉の世界では反論によって簡単に消え失せてしまう「真っ当さ」が、「パトレイバー」ではしっかり描かれている。

 

「パトレイバー」を読むと「面白さ至上主義=内海」というのは、余りに魅力的だ。「真っ当さ」なんてどうでもよくなって、面白いこと、楽しいことを生み出す内海を支持したくなる。

それに対して警察機構というのは、いかにも地味だ。

敵が出るまで何時間も待機して、新機が入るときも癒着があったのではないかとおろおろして、内輪もめやいざこざもしょっちゅうだ。

地味でつまらない「本質的には手遅れなこと」を、それでも自分が負った責任として必死で果たす、そんな「真っ当さ」を身をもって教えてくれるところが好きだ。

これからの時代に多くなるだろう、内海課長のような悪に相対するものとして、「パトレイバー」のような物語が残って欲しいなと思う。

「パトレイバー」は、最初に読んだときは、まったく面白いと思わなかった。「企業がどうの、研究がどうの地味で面白くない話だな」 と思っていたけれど、大人になってからいっき読みしてようやく面白さに気づいた。

内海を見ていると、「自分は面白さ至上主義なんて支持しない」とは言い切れない。

「新しい悪の形」として内海というキャラを生み出したのもすごいけれど、それ以上にそれに対抗する手段をきっちり描いている点が「パトレイバー」のすごさだと個人的には思う。

 

ネットは「面白さ至上主義」や「分かりやすさ至上主義」との親和性が非常に高い。情報が多いので、パッと見で分かりやすく面白いものにどうしても惹かれてしまいがちだ。

「面白さ」「分かりやすさ」以外の評価軸を手放さないことが、今後の社会ですごく大事になるんじゃないかなと思う。

難しいことだけれど。

 

続き。 

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【ネタバレ注意】「モンキーピーク」を三巻まで読んだ時点で、「田中さん=猿説」を検証してみた。

 

本記事は、志名坂高次原作/粂田晃宏作画の漫画「モンキーピーク」の三巻までの検証記事です。

未読の方はご注意ください。

[まとめ買い] モンキーピーク

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読んでいない方は読んでみてください♪♪

極限状態の密室劇好きのかたに、特におすすめです。

 

 

「田中さん=猿説」

この記事では、ちらほら目につく「田中さん=猿説」を中心に考えていきたい。

ちなみにこの記事では、あくまで「三巻までのみ」の情報で検証している。

 

再会直後の田中さん。

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(引用元:「モンキーピーク」3巻 志名坂高次/粂田晃宏 日本文芸社)

見たところ相当大柄で、人間離れした能力を持つ「猿」の中身が田中さん、というのはかなり意外だが、人は見かけによらない。「猿」の着ぐるみが大きければ、体型は誤魔化せるので、体型や能力で「違う」とは言い切れない。

 

三巻までの「猿」の登場シーン。

三巻までの時点で、「猿」が登場した場面は以下の通り。

 

①一泊目のキャンプ場で、鈴村さんを含む四名を殺害。(生き残り36名)

②二日目の「矢ノ口落とし」で四名殺害、及び六名が転落死。(生き残り26名)

③「矢ノ口落とし」に残った11名のメンバーを襲う。8名が死亡。(生き残り18名。田中さん行方不明)

④二泊目の岩場で、辻の死体発見直後。(生き残り17名)

⑤三日目、中岳小屋で馬場、寺内を弓矢で殺害。社長を狙撃、後に死亡(生き残り14名)

⑥三泊目、中岳小屋の裏窓。早乙女と一緒に崖から転落。(このあと早乙女が田中さんと合流)

⑦四日目、八木が持ってきた衛星電話を壊す。

⑧四日目、鎖場で宮田たちを襲う。

 

「猿」登場シーンの田中さんの動き。

①では、早乙女が猿が去っていくのを確認した直後、反対側から悲鳴が上がり、遺体を発見する。

このときに田中さんは画面内にいるので、この時点ですでに「田中さん=猿説」には無理がある。もちろん、複数犯の可能性はあるが。

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 (引用元:「モンキーピーク」1巻 志名坂高次/粂田晃宏 日本文芸社)

 

②の場面で、早乙女が押しのけたのが田中さん。

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 (引用元:「モンキーピーク」1巻 志名坂高次/粂田晃宏 日本文芸社)

 

少し間があくが、墜落した後のシーンでもいる。

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(引用元:「モンキーピーク」1巻 志名坂高次/粂田晃宏 日本文芸社)

早乙女に押しのけられたあと、上に戻り、みんなの背後に回って、猿の衣装を着てみんなを襲い、みんなが転落したあと、猿の衣装を脱いで崖側から合流。

いくらパニック状態とはいえ、バレないはずがないと思う。

この場面でも「田中さん=猿」ではない。

 

③「矢ノ口落とし」に残ったのは11名だが、6名の遺体の他にきちんと11名描写されている。一名なんで遺体と一緒に寝ているのかは分からないが、動かせなかったのかもしれない。

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(引用元:「モンキーピーク」1巻 志名坂高次/粂田晃宏 日本文芸社)

どれが田中さんなのかは分からないが、とりあえず人数的には合っている。

このあと、田中さんは行方不明になるため、「④⑤⑥」のシーンについては、「猿」の可能性はある。

 

⑦の「猿」が衛星電話を壊したシーンでは、田中さんと早乙女が既に出会っているので、この「猿」は田中さんではない。

⑧中岳山頂の宮田の足跡に、猿の血がついている。仮に田中さんが猿だとしたら、胸の傷をアウターで隠しているにしても、この血をどうやってたらしたのかが説明がつかない。

宮田が中岳山頂に到着したときから、早乙女が宮田の靴跡とそこについた猿の血を発見するまで、田中さんはずっと早乙女と一緒にいたからだ。

少なくとも宮田の靴跡についていた血は、田中さんのものではない。

 

⑧の鎖場に現れた猿が田中さんではないとは言い切れない。ただそれならば早乙女と二人きりのときに不意打ちで殺せばいいのではないか、という疑問もわくので、やはり田中さんは猿ではないとは思う。

協力者の可能性は捨てきれないけれど。

 

「猿」が内部の人間だと考えるのは難しい。

「猿」は内部の人間ではないと思う。

田中さんは④⑤⑥ならば「猿」であることが可能だが、他の人間は④⑤⑥も猿であることは不可能だ。

ただ内部の人間が相当数協力している場合は、できないこともないかもしれない。例えば⑧は部長の長谷川の可能性もある。さすがにないかなと思うけれど。

 

その他の疑問。

 (1)なぜ、辻さんは殺されたのか?

今までのところ、唯一、「猿」ではなく内部の人間に殺されたらしい辻さん。「猿」であれば皆殺しの一環と考えられるが、内部の人間の犯行となると、辻さん自身が狙われた可能性も出てくる。

辻さんの部署が経理であることも関係しているのかもしれない。

 

(2)氷室はなぜ裏口を開けたのか?

氷室に関しては、分からないことが多すぎる。

足の指二本切られても何も言わないということは、本当に何も知らない可能性もある。

なぜ「早乙女が猿の仲間だ」などとウソをついたのか? 誰かにそう信じこまされているのか?

拷問されるような環境よりも、警察を恐れるのは何故なのか?

人体実験とかそういう方面の話か? とも思うけれど、氷室は営業部長だし。横領程度なら、拷問よりは警察のほうがマシだろうという気がするけど。

 

(3)「猿」が社長たちの遺体のブルーシートをめくったのは何故なのか?

皆殺しが目的に見えて、明確な標的がいるのか?と考えた。

そうすると内部の人間と常時連絡がとれるわけではないのかもしれない。

それとも他に目的があるのか。

 

(4)早乙女が感じた「腕に残ったこの感触。猿の謎」とは何なのか。

これを考えると、やっぱり内部犯なのか?とも思える。

ただ早乙女が「猿」につけた「胸の傷」が誰にもないし。

 

結論としては「田中さん=猿説」には無理がある。

何人かが組んでやるならば、できないこともないが、それでも内部犯のみだと難しいと思う。誰かが死んだふりをしていた、とかはさすがに苦しいか。

 

続刊でも謎が続くようなら、引き続き考えたい。

 

関連記事

3巻までの感想も書きました。

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【ネタバレあり】陸の孤島で正体不明の殺人鬼と戦う。「モンキーピーク」が面白すぎる。

 

原作志名坂高次、作画粂田晃宏の「モンキーピーク」を読んだ。現在、既刊は三巻までで連載中だ。

余りに面白くて、三巻いっき読みしてしまった。

続きが待ち遠しくて仕方がない。

 

「モンキーピーク」は、自分が大好きな要素だけを集めたような漫画で、ここまで自分の好みにぴったりな漫画があるのか、ということにまず驚いた。

正体不明の殺人鬼に追いかけられるサバイバルホラー。

閉鎖空間に閉じ込められることによりむき出しになる人間の心理。

内部の協力者は誰なのか、殺人鬼の真の狙いは何なのかというミステリー要素。

ようやく表れた救助者が、むしろ殺人鬼より怖そうという謎が謎を呼ぶ展開。

「山」という過酷な自然をどう乗り越えるのか。

 

絵は昔の青年漫画風味なので好みが分かれると思うけれど、「絵が好みではないから」という理由で読まないのはもったいないと思う。

上記に上げた要素でひとつでも心惹かれるものがあれば、ぜひ読んでみて欲しい。

 

「モンキーピーク」あらすじ

薬害疑惑を起こした藤ケ谷製薬は、経営陣を一新して一から出直すことになる。

結束を高めるためのレクリエーションとして、社員40名で登山を行う。

無事に頂上に辿りついたその日の夜、社員たちが泊まるテントに巨大な猿が表れ、社員四名を惨殺する。

恐怖に震えながら一夜を明かした社員たちは、夜が明けるとすぐに下山しようとする。

しかし罠にはまり、どんどん山奥に誘い込まれる。

水や食料が尽きるなか、内部の人間による殺人も起き、社員たちはお互いを疑心暗鬼の目で見るようになる。

 

正体不明の殺人鬼「猿」が怖い。

強烈な殺意を持ち、何のためらいもなく、社員たちを次々と殺していく「猿」。

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(引用元:「モンキーピーク」1巻 志名坂高次/粂田晃宏 日本文芸社)

みんな「猿」「猿」と呼んでいるけれど、鉈をふるったり、弓を使ったり、水を捨てたりしているので中身は明らかに人間だ。

この「猿」が、殺戮以外の一切の意思表示をしないことが怖い。

一体、なぜ藤ケ谷製薬の社員を皆殺しにしようとしているのか、恐らく薬害疑惑にかかわる復讐か利害関係なのだろうけれど、それにしても恨み言のひとつも言わない。言わないどころか、「猿」のお面?をかぶっているため、表情すら分からない。

感情や表情など、自分の言い分を一切明かすことなく、淡々と殺戮を続ける非人間性が怖い。

 

「猿」の造形が上手くできているので、ミステリー部分もすごく面白いそうなのだけれど、犯人が人間ではない超常現象ホラーパターンも見てみたくなる。

 

極限状態の「人間」が怖い。

最初の晩に四人が殺害されて、それ以降、三十六人の社員たちが山の中で「猿」から逃げることになる。

この群像劇がすごく面白い。

 

自分の利益のために平気で他人を陥れる氷室や南、飯塚などの人間がいる一方で、瀕死の重傷を負っても社員のことを考える社長や、常に部下のことを第一に考える部長のような人間もいる。

また普段は沈着冷静なのに友達が殺された口惜しさから拷問を容認する遠野や、責任感があって公平な判断ができるけれど、正しさばかりでもない佐藤、気の弱さから卑怯な行いに加担してしまう藤柴など白黒はっきりしない人たちの描写もいい。

宮田のように、真っ当な正義感と感覚が山ではかえって仇となってしまう場合もある。

 

一番、度肝を抜かれたのは、「猿」にも対抗できるような強さと正しさを持った安斎の豹変ぶりだ。

「仲間の遺体を運ぶために、殺人鬼がいるかもしれない場所を四往復する」ような強さと正しさが、「猿の仲間の疑いがある氷室を、拷問してでも情報を得ようとする」行動の根底にあるものと同じだというのが怖い。

この世で「正しさ」を確信した人間ほど残酷で恐ろしいものはない、ということを骨の髄まで味合わせてくれる。

 

 安斎に負けず劣らず怖いのが、八木兄妹だ。

「ようやく出てきた外部からの人間」「しかも山のスペシャリストで頼りがいがありそうな存在」なだけに、この二人の怪しさと怖さが分かったときの絶望感は半端ない。

こういうポジションの人間が殺されたり、実は敵だったりしたときは、出てきたときにホッとしたぶんだけ、さらに恐ろしさが増す。

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(引用元:「モンキーピーク」3巻 志名坂高次/粂田晃宏 日本文芸社)

八木兄のこの表情は、「猿」や安斎よりも怖かった。不吉な予感しかしない。

この二人が何者なのか、真の目的は何なのか、という謎も明かされるのが楽しみだ。

 

過酷な状況下の「山」が怖い。

「モンキーピーク」は見どころが多すぎて、一番面白い要素は何かと言われると迷う。

自分が一番いいなと思ったのは、初心者が登山する気持ちが追体験できることだ。

 

山をテーマにした漫画というと、パッと思い浮かぶのが「岳」や「孤高の人」だ。

どちらも「登山のプロ」を描いた漫画で、「遭難した人を救助する」「K2を目指す」と言われると、ただひたすら「すごい」という言葉しか思い浮かばない。

 

「モンキーピーク」は登山を経験している人間も出てくるが、大半は登山素人だ。地図の読み方が分からなかったり、はしごの高さや鎖場に戸惑ったりする。

ルート確認をする様子なども、見ていて楽しい。

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(引用元:「モンキーピーク」1巻 志名坂高次/粂田晃宏 日本文芸社)

 

上司に騙されてスーツに革靴で山に来てしまった宮田は、八木に遺体から登山靴やアウターを借りるようにすすめられて断る。しかしそれが後に大きな仇となる。

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(引用元:「モンキーピーク」3巻 志名坂高次/粂田晃宏 日本文芸社)

山や自然は怖い。

そういった気持ちを登場人物たちと一緒に体験できる。

 

「モンキーピーク」の一番好きなところは、惨劇を描きながらも、根本にはその舞台となる山への愛情があることが伝わってくる点だ。

作者は本当に山が好きなんだろうな、と思う。

これだけ過酷なことばかりが描かれているのに、読んでいると何故かむしょうに登山がしたくなる。

 

4巻は2017年11月8日ごろ発売予定

3巻が非常にいいところで終わっているので、続きが読みたくて仕方がない。

4巻を待つあいだ、ネットでちょこちょこ見る「田中さん=猿説」を検証してみたい。

してみた。

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一人で「猿」をやるのは、無理じゃないかな~と思う。

内部犯だとしても何人かで交代でやっているのかな?

この辺りを、もう一度読んで考えてみたい。

 

【漫画感想】 大高忍 「マギ」が今いちブレイクしない理由を考える。

 

週刊少年サンデーで好評連載中の漫画「マギ」についての記事です。

 

いや、ブレイクはしているとは思うんですよ。

アニメ化もしたし、「シンドバットの冒険」というスピンオフ漫画もあるので。

「ドラゴンボール」とか「ワンピース」とか「スラムダンク」とか「HUNTER×HUNTER」とか「進撃の巨人」は、考察したり、熱く語る人って多いんですよね。

ただ、「マギが大好き」で「マギ」について熱く語る、という人に今まで会ったことも見たこともないんですよ。

人気は人気なんでしょうけれど、熱狂的ファンという人を見たことがないです。

 

自分も「マギ」は好きですけれど、「スラムダンク」や「HUNTER×HUMTER」みたいに、内容について熱く語ったり、セリフまで覚えて再現したり、とかはないんですよね。

「マギ」に今いち、熱狂できない理由を考えていきたいと思います。

 

ターゲットがあやふや

一番はこれだと思います。

少年誌に連載しているので、基本的には小中学生男子がメインターゲットだと思うのですが、その割には話が若干、分かりにくいです。

キャラクターも男性受けするよりは、女性受けしそうなキャラのほうが多いです。

男キャラが余り汗臭くもなく、泥臭くもない。

「マギ」のキャラって、戦闘中も汗をかかないし、筋肉や血管が浮き出たりもしないです。

この辺りの描写が象徴的だと思います。

物語の骨子としては、「HUMTER×HUMTER」や「ワンピース」と同じように王道の少年漫画です。

ただ、男子が特に思入れが強そうな、戦闘描写が全然違います。

努力したり、自分の力で強くなったという過程が、視覚として確認しにくいです。

現実感がないというか、重みがないというか、

 

生まれつき能力のある人の曲芸を見ている。

 

「マギ」の戦闘描写って、そんな感じです。

なので、成長したいざかりの小中高生男子にとっては、いまいち感情移入しずらい漫画なんじゃないかと思います。(物語自体が面白いとは思っても。)

 

(血はけっこう流れているのに)血の匂いを感じさせないので、戦闘描写一点だけを見れば、女性向けのスイーツ描写です。

「ベルセルク」ばりに生々しくやってくれとは言いませんが、もうちょっと人体の生理現象面に重きをおくと、戦闘シーンが全然違ったものに見えるのではないかなと思います。

 

キャラクターも、いかにも女性が好きそうなキャラクター多いんですよね。

ジャーファルとか紅覇とか。

「一見、冷静で論理的に見えるんだけれど、最も強い行動原理が他者への感情のキャラクター」

って言うんですかね。

「誰かのためには、死をも厭わない」という行動原理しか持たないキャラクター。

こういうキャラクターって、男性作家の作品にはほとんど出てこないです。

 

男性作家が描くキャラクターは、「理想」とか「大義」とか「信念」とか「生き方」とか、そういうものに従って生きている人が多いです。

男性作家が描くキャラクターの場合は、「誰かのため」という理由でも、

「その誰かに対する感情のために行動する」のではなく、

「その誰かのために行動することが、自分の生き方である」場合が多いです。

「ワンピース」のルフィを見ると、分かりやすいですね。

ルフィがそこいら中で人を助けるのは、「その人をどう思っているか」という以上に「困っている人を助けることが、自分の生き方だから」なんだと思います。

 

さらに面白いのは、女性が描くキャラクターでもこういう「理想」とか「信念」とかに従って生きるキャラクターは出てくるのですが、女性が描くキャラの場合は、

「その信念なり、理想をきちんと言語化できる」キャラが多いような気がします。

男性が描くキャラクターというのは、

自分でもその「信念」なり「大義」なり「生き方」がよく分かっていなくて、「自分でも何故かは分からないけれど、そうしなければならない気がする」という形で、行動によってその自分の中にあるものを示すキャラが多いです。

 

一言でいえば、女性が考えた男キャラというのは分かりやすく、男性が考えた男キャラは(よくよく考えると)分かりにくいです。

「ワンピース」のルフィも、単純そうに見えますが、よくよく考えると、ただの通りすがりなのになぜ、そんな何もかもに首を突っ込んで、誰も彼も助ける??と思います。

 

そういう観点で見ると、「マギ」というのは、まさに女性が考えたキャラクターっぽいな、という印象です。

男子が今いち、感情移入や自己投影しずらいんじゃないかと思います。

 

全てが平均を超えているのだが、突き抜けたものがない

「マギ」は人物の書き分けがイマイチなことを除けば、絵も上手いし、キャラクターも魅力的だし、物語も面白いし、世界観もよくできています。

 

自分は、「マギ」の世界観が好きです。

複雑な話なのに、ほとんど破綻なくできているし、神話や哲学も取り入れていて細かいところまでよく考えられており、読んでいて楽しいです。

 

ただそれでも、「マギ」の印象は

 

「どこかで読んだことがある気がする、うまくできた話」

 

以上のものではありません。

「うまくできていない話」が大半なので、それだけでも「マギ」は、素晴らしい漫画だと思います。

でも、漫画や小説の中でもほんの一握りの、

「他とは一線を画す神漫画」群と並べてしまうと、正直、「よくできた漫画」以上の評価ができません。

話や世界観であれば「ワンピース」よりも、ずっと深くて面白いし、絵は「進撃の巨人」よりもずっと上手いです。

女性キャラクターの魅力なら、「ドラゴンボール」よりも上だし、話の分かりやすさでいえば「HUMTER×HUMTER」より上です。

 

逆に言えば「進撃の巨人」は、最初のころの絵なんてひどいものでしたし、キャラクターも全員がものすごく魅力的だとは思えないし、何より演出が下手だと思います。

それでも、初めて読んだとき、「すごい漫画だ。」そう思いました。

最初の数巻なんて、何度読んだか分かりません。

 

「マギ」は物語も複雑で、けっこうえげつない描写や残酷なシーンもあるのですが、それでも「HUMTER×HUMTER」の予想の斜め上どころか、どこにとんでいくか分からない展開の連続、エピソードの収束の仕方には、面白さでは遠く及びません。

 

全てが平均点を超えている、これはすごいことだと思います。

それでも、人を熱狂させるには、全てにおいて平均以上であることよりも、欠点があっても、何かひとつ突き抜けたものがなければならないかもしれないしれません。

 

書いていて思ったのですが、恋愛と婚活の違いに似ています。

 

それでも「マギ」が好き

「何で、マギには熱狂的なファンがいないのだろう」

という疑問に自分なりに答えましたが、自分はそれでも「マギ」が大好きです。

 

「マギ」の男性キャラについていろいろ描きましたが、個人的には、「マギ」は他の少年漫画に比べて、女性キャラがいいと思います。

ほとんどどのキャラも好きですが、特にモルジアナと紅玉、玉艶が好きです。

 

特に玉艶が大好きです。

男が本気でぶん殴りたくなるような、極悪さと物理的強さと美しさと気持ち悪さを兼ね備えた、稀有なキャラクターだと思っています。

 

実の息子である白龍に、屈辱を与えるためにチューしたりね。

女性の怖くて生々しいところが凝縮したようなキャラクターです。 

全国の少年たちに、

「自分のお母さんがこんなんだったらどうしよう」

という恐怖を与えたと思います。

 

こういうキャラを少年誌で描いたという一点だけでも、「マギ」は評価されるべきだと思います。 

 

「マギ」もいよいよ最終章に入ったようなので、今後も楽しく読み続けたいと思います。

 

自己肯定感とは何なのか。漫画のキャラクターを使って解説してみる。

 

自己肯定感については、前に一度書いたことがある。

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自己肯定感の話題を見ると、「自分が考えているものと少し違うな」と思うことが多い。

なので自己肯定感については、もう一度まとめて書きたいと思っていた。

あくまで自分の考えだ。

 

自己肯定感と自信は違う。

たまに混同している意見を見る。

これがごっちゃになると「自分の意見ばかりを主張して、他人の話を聞かない人間ってダメじゃないか?」のような意見が出てくる。

 

自己肯定感と自信は違う。

正確には、自己肯定感と「自分の意見や行動の正しさに対する自信」は違う。

自己肯定感は「自分という存在が存在してもいいという自信」もっと言うと、「自分も含めた他者や世界は存在してもいいという自信」と言ってもいい。

 

上記の記事ではこの辺りを切り分けていないのだが、自己肯定感=自信という定義で使う場合は、「言動の正しさに対する自信」ではなく「存在することに対する自信」と考えていい。

 

自己肯定感の強い人は、他者の存在も肯定できる。

自己肯定感の強い人間は、自分の意見ばかりを主張したりしない。他人の意見を聞かず、自分の意見を押し付けたりもしない。

自分の意見も言うし、他人の意見にも耳を傾ける。

なぜかと言うと、強く主張しなくてもすでに「肯定されている」という感覚があるからだ。自分の主張が認められるかどうかに固執する必要がない。

他人の意見は、「自分を否定するもの」ではなく、「自分とは違う存在である他人だから、違って当たり前のもの」なので耳を傾けることができる。

 

自分で自分を肯定しているので、そもそも他人から肯定してもらう必要がない。

「自分の存在を否定したことがない」ので、「存在を否定する」という発想そのものがない。だから他人の否定意見は、「自分の存在に対する否定」ではなく「自分の意見や行動に対する否定」と考えることができる。

「存在に対する否定」は存在が危機に瀕するので強い反発の感情が起こるが、「意見や行動に対する否定」は、他人と自分の価値観の相違から起こるものだと分かる、もしくは合意に向けての一段階にすぎないと分かっているので、存在を攻撃されているとは思わない。

 

自己肯定感は「外出しても撃たれることはない」と信じる感覚に似ている。

自分が考える自己肯定感は、安全な国で生まれ育った人間が「外に出たら銃撃されるかもしれない」と考えずに外出できる感覚に似ている。

自分たちが外に出るたびに「このルートは安全か」「武器は持たなくていいか」「あの角を曲がったら撃たれるんじゃないか」「この道に地雷は埋まっていないか」といちいち考えないで外出するように、自己肯定感を持っている人は「自分に自己肯定感があるかどうか」などと考えない。

自己肯定感の低い人が「こんなことを言って大丈夫か」「こんなことをしていいのか」「自分は間違っているんじゃないか」と考える感覚が、そもそも理解できない。

自分たちが紛争地帯で生まれ育った人から「なぜ、何も考えないで道を歩けるんだ?」と聞かれるのと同じ感覚だ。

そもそも「外に出たら銃撃されるなんてありえない。だから外出しても大丈夫」ということすら、外出するときに考えないと思う。

持っている人にとっては「持っている」という感覚さえないから、その得かたや成り立ちを人に聞くことはできない。だから「自己肯定感を得る」のは、非常に難しい。

 

自己肯定感は感覚だから、得るのは難しい

「外に出ても銃撃されるなんてありえない、という感覚を、あなたはどうやって得たのか。その感覚を得る方法を教えて欲しい」と言われていると考えれば、その難しさが分かる。

「日本はどことも戦争していないし、銃の所持も規制されているから」という知識を頭でわかっていても、隣人同士が殺し合ったり、道を歩いたらいきなり銃の乱射に巻き込まれるような場所からやってきた人が、知識を得た瞬間から「外を歩いても大丈夫」という感覚を得ることはできない。 

感覚は経験則からくるものなので、「外に出ても撃たれることはない」という感覚を得られるまで、何千回も外出をしても大丈夫だ、という安心(感覚)を繰り返すしかない。

 

さらに難しいのは、感覚というのは、一番始めに感じたものがその人の中で基準となる点だ。

自己肯定感「自分以外の世界から、無条件で受け入れられている」という感覚は、幼少期の世界との関わりが大きく左右する。

幼少期に自己肯定感が得られないと、その「存在を無条件で肯定されていない感覚」がその人の中で標準になってしまう。

そしてそれが感覚の標準になってしまうと、その標準に合わない感覚「自分という存在への無条件の肯定」に違和感や不快感、居心地の悪さを感じるようになる。

さらに「存在を肯定されていない感覚」が標準装備されてしまうと、他人のことを「条件抜きで肯定すること」が難しくなる。

 

これが「条件つきの肯定」になってしまうと、その条件をクリアしているのかどうか、たえず相手の判断を伺わなければならなくなる。存在意義において、相手に依存するようになる。

自己肯定感のない人というのは、この依存にハマりやすい。

一歩間違えると、相手からの肯定が欲しくて相手の言うがまま、どこまでも受け入れてしまったり、条件をクリアするために限界以上に頑張ってしまったり、相手から無理やり肯定を引き出そうとして付きまとってしまったり、他人に対しても条件をクリアすることを押し付けてしまったり、自分の価値を高めるために、相手の価値を下げようとしたりしてしまう。

DVやモラハラも形を変えた依存だと思うが、そういう罠にもハマりやすい。

 

自己肯定感のない人というのは、「条件をクリアしなければ、自分という存在には価値がない」と考えている。

だからその条件をクリアしているときには、自信があるように見える。

ただそれは「条件をクリアしている状態の自分に対する自信」であり、「無条件の存在に対する自信」ではない。

「条件をクリアしなければ認められない。愛されない」という感覚をどこかで刷り込まれてしまったのだ。

自分の存在価値が「条件をクリアするかどうかにかかっている」というのは、非常に苦しい。

 

ジャンプの主人公は、自己肯定感が高いキャラが多い。

自己肯定感というのは感覚なので、言葉で説明すると難しいが、他人を見ていると「この人は自己肯定感がありそうだ」「この人は低そうだ」と何となく分かる。

ジャンプの主人公は、パッと思いつくだけでも自己肯定感が高そうなキャラが多い。

「ワンピース」のルフィが代表格だが、「ドラゴンボール」の悟空も、「HUNTER×HUNTER」のゴンも、「ダイの大冒険」のダイも、作中の言動を見ても自己肯定感が高い。

 

逆に自己肯定感が低そうなのは誰か。

一番わかりやすいと思うのは、「ダイの大冒険」のヒュンケルだ。

ヒュンケルは自信と自己肯定感がどう違うのか、ということを見るうえでも非常に分かりやすい。ヒムから「自信満々の面をしている」と言われているが、それはヒュンケルが「仲間のために戦う」という、自分を肯定できる条件をクリアしているからだ。

だからヒュンケルはボロボロになろうが、戦えなくなろうが、とにかく「戦ったほうが楽だ」という。

「戦えない(条件をクリアできない)」自分には、存在価値はないと考えている。

 

 自己肯定感というのはあったほうが生きやすいのは確かなので、得られるものなら得たほうがいいが、感覚の反復によって得るしかない。

それ以外にも得られる方法が何かないか、考えてみたい。

 

自己肯定感を得る方法① 頭で自分の状態や感情を理解する。

「感覚を得る」ためには、頭が納得することも前提として大事なので、まずは自分が感じる「自己を肯定できない」感覚はどこからくるのか、どんな時に感じやすいのか、どんな相手だとわきやすいのか、頭で納得するまで考えてみるといいかもしれない。

 

恐らくこの辺りは、人それぞれ違う。

原因が幼少期の親との関わり方の場合もあるし、ヒュンケルのように何かの罪悪感、挫折感が原因の場合もある。

「自己肯定感」という字面だけを追わずに、「自分が感じている自分固有の感覚は何なのか。何からくるのか」ということを、納得がいくまで細かく切り分けることが大事だと思う。

納得がいかないのに、こういう行動をとって、そのときの感覚を再現しろというのはなかなか難しい。

 

自己肯定感を得る方法② 他人に存在を肯定する言葉を言ってみる。

自分に自分を肯定する言葉をかけるのは、もやっとするし嫌な感じがする、という人は他人、もしくは自分を赤の他人だと想定してやってみるといい。

自分の好きな人が(二次元キャラでも何でもいい)「自分なんてゴミで、何の価値もないんです」と言っていたら、どう声をかけるか。それを書き出して、今度は第三者として自分に言ってみるのもいいと思う。

 

「ゴミかもしれないけれど、私はあなたのことが好きだよ」

 

「ゴミじゃない」というと「(その人の定義する)ゴミではない」という条件をクリアしなければならなくなるので、「まあゴミでもいいんじゃない?」くらいの姿勢がいいと思う。

言動がゴミの場合は、言動だけを否定すればいい。

 

これについていいお手本だな、と思ったのが「進撃の巨人」16巻のヒストリアの言動だ。

父親のグリシャがレイス家の子どもたちを皆殺しにし「始祖の巨人」を盗み、自分に託したために、「たくさんの人が死んだ」とエレンが自分を責める。

「オレはいらなかったんだ。(無価値どころか有害な存在だ。)」

「だからオレを殺して、人類を救ってくれ」

エレンは元々は自己肯定感が高いが、ここで自分の存在価値を見失い、いっきに自己否定に走る。

こういう価値観が転倒する出来事でも、自己肯定感は損なわれやすい。

 

エレンの言葉を聞いて、父親に捨てられ母親にも愛されず自己肯定感が非常に低いヒストリアはこう叫ぶ。

「もうこれ以上、私を殺してたまるものか」

「巨人を駆逐するって? 誰がそんな面倒なことやるもんか。 むしろ人類なんて大嫌いだ。巨人に滅ぼされたらいいんだ!」

 「つまり私は人類の敵!! 超最低最悪の悪い子!」

「いい子にもなれないし、神さまにもなりたくない。でも、自分なんていらないなんて言って泣いている人がいたら」

「そんなことないよって伝えに行きたい」

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(引用元:「進撃の巨人」16巻 諌山創 講談社)

「エレンを殺して始祖の巨人を取り返せ」という人類の言動を否定し、「人類の敵だ」というエレンの存在を肯定する。

 

例え人類の敵だとしても、超最低最悪の悪い子だとしても「存在」は否定しない。

「いい子」でいることで他人に認めてもらおう肯定されようとしていたヒストリアは、自分にはこういう言葉を言うことができなかった。

でもエレンが「自分はいらない人間なんだ」と言ったときに、初めて「それがどんな人であれ、存在そのものを否定することは誰にもできない」という言葉を口にする。

 自分には受け入れがたい感覚も、他人に投影すると言うことができる。

 「存在を肯定する」言動と「肯定を受け入れる」感覚の両方をいっぺんにやるのはしんどい、という場合はヒストリアのように前者からやってみてもいいかもしれない。

 

自己肯定感を得る方法③ 「条件つきの肯定」の条件を意識的に引き下げてみる。

便宜的な方法だけれど「条件付きではないと肯定されない」の「条件」を意識的に引き下げてみるのもいい。

 

何せよ「これは自己肯定感が低いせいだ。高める方法を実践しなければ」「すぐに自己肯定感を得なければ」と四角四面にならなくていいと思う。

言葉は、他人同士が物事を共有したり意思の疎通をしたりするのには便利だけれど、自分の感覚や感情を理解するのには割と不便だったり、袋小路にハマりやすいものだと思う。自分の感覚の定義を外側に求めるよりも、自分で自分自身を理解しようとする姿勢が、一番自分を肯定する近道じゃないかなと思う。

理解していなければ、肯定もできないと思うので。

 

うまくできないときもあるし、へこたれるときもある。どうでもよくなって、投げ出してしまうかもしれない。

そんなダメな自分でいいじゃん、気が向いたらやればいい、くらいの気持ちになることが自分を肯定する最初の一歩かもしれない。

 

自己肯定感を得る方法④ 自己肯定感の低い状態を客観視する。

「ib-インスタントバレット-」は、自己肯定感の低い登場人物のそれぞれの苦しみが描かれた物語だ。この漫画の登場人物はほぼ全員が、驚くほど自己肯定感が低い。

そういうのを見て「他人には優しいのに、何で自分にはそんなに厳しいんだ」「何で自分には優しくできないのかな、この人たち」など考えているうちに、そういう心の仕組みに思い至ったりする。

まあ別に思い至らなくてもいいんだけど。

 

「私はよくやっている」

自己肯定感はあったほうが生きやすいのは確かだと思う。

ただ無くても、人生に行き詰ったり、生きにくかったりしていないのであれば、何が何でも得なければいけないものでもない。

結局はあるものでやっていくしかない。

そういう中で特に大きな滞りもなく生きてきたのであれば、「これがない」と考えるよりも、そういう自分を「よくやってきたし、よくやっている」と認めてあげるのが一番かもしれない。

 

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【ネタバレあり】諌山創「進撃の巨人」あらすじと重要設定を5分でおさらい(23巻まで)

 

今月9日に諌山創「進撃の巨人」の23巻が発売されました。

だいぶ世界の姿が分かってきて、話もややこしくなってきたので、一巻から改めて読み直してみました。

読み直してみると何気なく読み飛ばしていた事実があったり、初めに読んだときには理解できなかった登場人物の心情に感じ入ったりします。

ひと言でいうと

 

やっぱりおもしれええええ!!

 

と思いました。

 

17巻からのウォール・マリア奪還戦は最初読んだときはさほどとも思わなかったのですが、一から読むと余りに絶望的な状況に目まいがしそうになります。

常に絶望的な状況なのですが、200名以上投入して、9人しか生き残らなかったというのはすさまじい死亡率ですね。

 

ついに話が「壁外の人類」に移り、壁外VS壁内の戦いが始まりそうです。

話が込み入ってきたので途中で読むことを止めてしまった人もいると思うのですが、ぜひもう一度手にとって欲しいです。

また「読んでいるけれど、話が込み入ってきたので惰性で読んでいる」というのも、ちょっともったいないな、と思います。

自分も整理しきれていない部分があるので、これを機にこれまでのあらすじと重要な設定を、一緒にサラッとおさらいしたいと思います。

 

「進撃の巨人」23巻までのあらすじ

100年以上人類を守ってきた壁が、突然破壊される(1巻)

人類が巨人の手から逃れるために、壁を築いて中に閉じこもって102年。

知性を持つ超大型巨人と鎧の巨人が突然現れ、一番外側の壁「ウォール・マリア」が破られる。

巨人たちが侵入してきたシガンシナ区は壊滅し、母親を殺されたエレンは、幼なじみのミカサとアルミンと共に、巨人を殺す兵士になるために訓練兵団に入団する。

 

エレンは巨人化の力が、人類の希望になる。(2巻~4巻)

5年後、訓練兵となったエレンたちの前に、再び超大型巨人が現れる。

今度は二番目の壁「ウォール・ローゼ」に穴をあけられる。

同期の訓練兵たちが巨人との戦いで次々と死んでいく中、危機に陥ったエレンが15メートル級の巨人になる。巨人となったエレンが「ウォール・ローゼ」の大穴を岩で塞ぎ、防衛することができた。

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(引用元:「進撃の巨人」4巻 諌山創 講談社)

調査兵団に入団したエレンは、他の団員たちと共に五年前開けられた「ウォール・マリア」の穴を塞ぐために、巨人の領域と化してしまった壁外に出る。

 

女型巨人の正体は、同期のアニだった。(5巻~8巻)

巨人と出会うことのない索敵陣形で5年前あけられた穴を目指す調査兵団だが、突如現れた知性を持つ女型巨人によって、全滅の危機にさらされる。

女型巨人の狙いは、巨人化の力を持つエレンであることが明らかになり、女型、超大型、鎧型、三人の知性ある巨人は、エレンが巨人化したことを知る調査兵団の人間である疑いが濃くなった。

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(引用元:「進撃の巨人」8巻 諌山創 講談社)

アルミンは推理を重ね、女型巨人が自分たちの同期で、憲兵団に入団したアニであることを突き止める。

正体がバレたアニは、エレンをさらい、壁外に逃亡しようとする。が、失敗して調査兵団にとらえられ幽閉される。

 

皆はエレンの中にある、最強の巨人「始祖の巨人」の力を狙っている。(9巻~17巻)

人類を守っていた壁は巨人の硬質化能力でできており、人類を守る壁が巨人そのものであることが分かる。

事情を知る「ウォール教」のニック司祭は、頑として口を割ろうとしない。その秘密を明かすかどうかを決められるは、ある血筋の人間だけだ、と言う。

その血筋であるレイス家こそ真の王家であり、現在の王フリッツはかりそめの王だった。エレンたちの同期であるクリスタは、レイス家の当主ロッド・レイスの落胤だった。

 

五年前「ウォール・マリア」が崩壊したとき、エレンの父親グリシャがロッド・レイスの子どもたちを皆殺しにした。巨人の頂点に立つ最強の巨人「始祖の巨人」の力を、レイス家から奪うためだ。

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(引用元:「進撃の巨人」16巻 諌山創 講談社)

そしてエレンに自分を喰わせることで、「始祖の巨人」と「進撃の巨人」の力をエレンに移譲した。

 

ロッド・レイスは「始祖の巨人」の力を奪い返すために、エレンとクリスタをさらう。クリスタにエレンを喰わせることによって、「始祖の巨人」の力を奪い返そうとしていた。

クリスタはこれを拒絶し、父ロッド・レイスを倒す。

同じころ兵団がクーデターを起こして現王政を倒したため、クリスタは本名ヒストリア・レイスを名乗り、壁の中の女王として即位する。

 

ウォール・マリア奪還戦。エルヴィンが死に、アルミンが超大型巨人となる。(18巻~21巻)

エレンの父親グリシャは壁外の世界から来た人物であり、壁の外の世界の真実を、自宅の地下室に残している。

調査兵団は、エレンの家があるシガンシナ区を奪い返すために「ウォール・マリア奪還作戦」を計画する。

 

シガンシナ区では「超大型巨人=ベルトルト」「鎧の巨人=ライナー」知性のない無垢の巨人を操る力を持つ「獣の巨人」が待ち構えていた。

巨人と調査兵団は、交戦に入る。

しかしベルトルトとライナーを人間のうちに打ち取ることができず、獣の巨人との挟み撃ちにあい、調査兵団は全滅の危機に陥る。

 

アルミンの捨て身の作戦でベルトルトを打ち取ることができたが、獣の巨人とライナーをあと一歩のところで逃す。

調査兵団団長のエルヴィンは、特攻で命を落とした。アルミンはベルトルトを食らって超大型巨人の力を手に入れ、瀕死の重傷から蘇る。

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(引用元:「進撃の巨人」21巻 諌山創 講談社)

エレンたちはついに地下室に行き、父グリシャの残した手記を見つけた。

 

壁の外の世界の真実とグリシャの目的が明らかになる。(21巻~22巻)

壁の世界があるのは、パラディ島という名前の島だった。

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(引用元:「進撃の巨人」21巻 諌山創 講談社)

107年前、巨人化できる能力を持つエルディア人の一部が壁の中に逃げこんだ。

壁の外の世界は、長い間、エルディア人が迫害していたマーレ人が支配する世界だった。マーレ人は9つの巨人のうち7つを手に入れており、「巨人大戦」に勝利してエルディア人を支配下においた。

 

グリシャはマーレ支配下のエルディア人収容所に生まれ、エルディアの復権を目指す「エルディア復権派」に所属していた。

大陸に残ったエルディア王家最後の生き残りダイナ・フリッツと結婚して、ジークという息子を設ける。

 

ジークが両親を密告したためエルディア復権派は壊滅し、グリシャとダイナは「楽園送り」となる。ダイナは壁の外の世界をさ迷い人を襲う、無垢の巨人に変えられた。

グリシャは、「フクロウ」と名乗るスパイ、エレン・クルーガーに助けられる。

 

クルーガーはグリシャに自分が持つ「進撃の巨人」の力を託し、「壁の中の王から始祖の巨人の力を奪い、その力でエルディア人を救ってくれ」と頼む。

グリシャはエルディア人を救うために「始祖の巨人」をレイス家から奪い、息子であるエレンに託した。

一年後、パラディ島全体の安全を確認したエレンたち壁内の人類は、初めて海を見る。

 

壁の外の世界の話。(23巻)

そしてさらに三年の月日が流れ、マーレで暮らすジークとライナーには寿命が近づき、次の「巨人の力を受け継ぐ戦士の選考」が行われようとしていた。

 

年代系列及び時系列

初代レイス王がパラディ島に壁を築いた年を、0年とします。壁内の出来事は赤字にしています。

 

前1740年 ユミル・フリッツが大地の悪魔と契約し、「巨人の力」を手に入れる。

前1620年 エルディア人(ユミルの民)による、他民族の民族浄化が始まる。

  0年 巨人大戦。七つの巨人の力を従えたマーレが勝利する。

  0年 145代フリッツ王がパラディ島に三重の壁を築き、国民と逃げ込む。

 65年? グリシャの妹・フェイが殺害される。  

74年くらい? グリシャとダイナが結婚。

75年くらい? ジーク誕生。

80年以後 ジークの密告により、グリシャとダイナが楽園に送られる。

  92年 エレン誕生

  99年 ジークが「獣の巨人」を継承。

  100年 ライナーが「鎧型巨人」を継承。

  102年 ウォール・マリアが超大型巨人と鎧型巨人によって突破される。(「始祖奪還計画開始」)

  107年 エレンが調査兵団に入団。

     仮の王政が倒れ、ヒストリア・レイスが即位。

     マーレと中東連合との戦争が始まる。

 108年 壁内の人類、海の存在を確認

 111年 マーレと中東連合の戦争が終結する。

 

巨人の設定

巨人化の力は、エルディア人の祖先であるユミル・フリッツが大地の悪魔と契約して手に入れた。そのため、ユミルの血を持ち「ユミルの民」と呼ばれるエルディア人しか巨人になることはできない。

ユミルは死後、自分の魂を9つの巨人に分け与え、エルディア帝国を築いた。

この9人の巨人には知性があり、知性ない「無垢の巨人」とは性質も能力もまったく違う。

 

無垢の巨人

知性がなく意思の疎通ができない。

「人を感知し、人を追跡し、人を喰らうだけの存在」

すぐそばの人間に反応する通常種と、より多くの人間に反応する奇行種がいる。

個体差があるものの、日光がなければ活動を停止するが、ジークの脊髄液を注入した場合は月光でも活動が可能。

 

9つの巨人

知性がある巨人。無垢の巨人と化した人間が、9つの巨人を身に宿している人間を喰らうとその能力を手にすることができる。

9つの巨人の力を継承したものは、ユミルの呪いにより、その後13年しか生きられない。

9つの巨人の力が誰かに喰らわれることによって継承されなかった場合、他のエルディア人の赤ん坊に突如として継承される。この継承には、血縁も距離も関係がない。

 

始祖の巨人

(ウーリ→フリーダ→グリシャ→エレン)

巨人の頂点に立つ、最強の巨人。

エルディア人の記憶を改ざんできる、他の巨人を操れるなどの能力を持つ。

すべての巨人、すべてのユミルの民は道でつながっており、そのすべての道が交わる座標が「始祖の巨人」である。だから記憶に干渉したり、操れることができる。

「始祖の巨人」の力は、レイス家が受け継がないと真価を発揮できない。

「始祖の巨人」を継承すると、力と共に歴代の王の記憶を継承する。

「始祖の巨人」を継承したレイス家の者は、145代目レイス王が「始祖の巨人」と結んだ「不戦のちぎり」や「過去の歴史を根絶し、一糸乱れぬ平和を実現すること」「平和とは、人類が巨人に支配される世界」という思想に支配され、巨人に対して無抵抗の自死の道を選ぶ。

 

進撃の巨人

(エレン・クルーガー→グリシャ→エレン)

最長15メートルの巨人。喋れない。

 

超大型巨人

(ベルトルト→アルミン)

50メートル級の巨人。筋繊維を燃やして、周囲に高熱を発している。

 

鎧型巨人

(ライナー→ガビorファルコ?)

関節以外の全身を硬質化した巨人。女型と違い、硬質化が常態。

 

女型巨人

(アニ)

望んだ箇所を硬質化できるが、鎧型ほど恒常性はない。

叫びで無垢の巨人を操れる?(女型の能力なのか、アニの固有の能力なのか不明)

 

獣の巨人

(ジーク→コルト?)

巨人になっても話せる。

「叫び」でエルディア人を巨人にし、操ることができる。無垢の巨人を月光で動かすことができる。この能力は「獣」のものではなく、王家の血を引くジーク固有のものであるようだ。

 

顎の巨人

(マルセル→ユミル→ポルコ・ガリアード)

手が長く敏捷性に優れている。

 

車力の巨人

(ビーク)

 四つ足歩行で物が運べる。

 

 登場人物の設定と謎

読んでいて疑問に思った点。今後おいおい明かされるのかもしれない。

 

①エルディア人以外も巨人になれるのか?

エルディア人以外は巨人になれないと思っていたが、ケニーは「始祖の巨人」になろうとしていたし、死ぬ間際「どうして薬を使って巨人化しなかった?」とリヴァイが聞いているから、薬を使えばなれるのか?

でもグロス曹長が「巨人の脊髄液を体内に吸収しただけで巨大な化け物になる。こんな生き物は、お前らエルディア帝国のユミルの民以外存在しない」と言っている。

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(引用元:「進撃の巨人」22巻 諌山創 講談社)

そもそも「エルディア人しか巨人になれない」という設定は、この物語の根幹を支える重要事項だ。

ケニーはエルディア人との混血なのかもしれない。もしくは、アッカーマン家の者は巨人にはなれないと知らなかった?

この辺りはよく分からなかった。

 

②貴族の血と奴隷用の血に分かれている?

フリッツ王政を支えていた重臣の一人が、ザックレーに対して「お前の血は我々と違って奴隷用の血だ」と言っている。

貴族がエルディア人以外なのか、エルディア人の中でさらに血が分かれているのかは不明。ユミルの民=奴隷用エルディア人?ということなのかもしれない。

 

③ウドガルド城跡で発見した缶詰の文字は何語?

9巻の「ウドガルド城跡」で、壁内の人間が読めない名前の酒があり、缶詰もあった。ライナーも読めない「にしん」という文字をユミルは読めた。

ジークがここに潜んでいたのだと思うけれど、とするとライナーが本当は読めるのに嘘をついたのだろうか?

それとも、壁内の言葉ともマーレの公用語とも違う文字でユミルが読めたのか?

恐らくライナーが正体がバレないように、嘘をついたのだと思うが。

 

④物語開始当初の「いってらっしゃいエレン」は、誰の記憶か?

このときエレンはまだ、どの巨人の力も受け継いでいないので、誰かの記憶を見ることはありえない…と思っていたけれど、22巻でエレン・クルーガーが「ミカサとアルミン」の名前を口にしていたので、巨人の記憶は時間の次元を超えるものなのかもしれない。

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(引用元:「進撃の巨人」22巻 諌山創 講談社)

エレンが「進撃の巨人」や「始祖の巨人」を継承することが未来的に確定していたので、時間を超越して誰かの記憶を見たのかもしれない。

時間も超えられるとなると、「繰り返すだけだ。同じ歴史を、同じ過ちを。何度も」というのは、ループ説の伏線か?とも思う。

初期のころ、かなり有力だったループ説が復活するかもしれない。

 

⑤物語開始当初の「845」「850」という数字は何なのか?

「ウォール・マリア」が突破されてから五年後、という数字と合っているので、年号であることは間違いないと思う。

恐らく壁外、マーレの年号なのではないか。

 

⑥巨人は雨の日でも動けるのか?

巨人は日光を遮断すると動けなくなるが、雨の日や曇りの日はどうなんだろう? ジークの脊髄液を注入しなければ月光でも動けなかったのだから、晴れの日の日光でないと動けなくなると思うのだが。

ただ今のところ、雨が降っている描写が四巻の訓練兵時代の時だけなので、極端に雨が少ない地域なのかもしれない。

 

⑦グリシャと一緒に楽園送りになったグライスは、ファルコとコルトの血縁なのか?

顔立ちも似ているので、血縁だと思う。

 

⑧ハンジは男なのか? 女なのか?

作者のコメントで正式に性別不明になったらしい。

場面ごとに男顔になったり女顔になったりしている。

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(引用元:「進撃の巨人」5巻 諌山創 講談社)

初期のころの女性っぽい話し方も懐かしい。

今回読み返して、ハンジがすごく好きになった。

 

 まとめ

今のところ一番気になるのは、「奴隷用の血」の部分です。ユミルの民については、もうひとつカラクリがありそうな気がします。

「始祖の巨人」の力の影響を受けないということは、貴族たちはエルディア人ではないのか、自分の力が及ばないものをなぜ貴族したのか。この辺り、何かあるのかな?と思いました。

145代目レイス王が、「始祖の巨人」とかわした「不戦のちぎり」とは何なのか。なぜ、人類が巨人に支配されることが一糸乱れぬ平和だと思ったのか。

 

続刊が出たり、何か新しい発見が出てきたら、随時付け加えたいと思います。

 

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白神山地で十二湖散策→八甲田山ロープウェイ→奥入瀬渓流を旅行したので、関連書籍と一緒にご紹介。

 

お盆休みはリゾートしらかみに乗って秋田から青森、次いで八甲田山、奥入瀬渓流を旅行してきました。

自分は旅行に行くと「電車の接続はうまくいくのか」「バスには乗れるか」「車で行ったら、駐車場に止められるか」「現地は暑いのか寒いのか、どんな服装で行けばいいか」などそういうことが気になって仕方がないタイプなので、自分と同じタイプの人のために「実際に行ったら、こんな感じだったよ」ということを書いておきたいと思います。

 

ちなみに昨年は知床に行ってきました。

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あとは実際に行くとより楽しく読めそうな関連書籍なども合わせてご紹介します。

「あの登場人物たちは、こういう場所で生活をしていたのか」「あの事件があったのは、こういう場所なのか」などと思えるのも、旅行に行ったときの大きな楽しみのひとつです。

昨年は羅臼に行きましたが、夏でも涼しい……というよりは寒かったです。知床峠の反対側の宇登呂は普通に暑かったんですが。

冬は極寒だろうな、と思いました。

羅臼と言えば「ひかりごけ」。そして「ゴールデンカムイ」

【小説】 人肉を食べた罪を裁けるのか。カニバリズムをテーマにした問題作 武田泰淳「ひかりごけ」の謎を考える。

【漫画】 人生の生き方や価値観に悩む人は、刮目して読むべし。野田サトル「ゴールデンカムイ」 

「ゴールデンカムイ」はアニメ化するみたいですね。

 

秋田からリゾートしらかみに乗る

観光地はだいたい観光にくる人のルートに合わせて、交通の接続も考えられているんですよね。なのでそのルートを巡るぶんには、そんなに不自由はなかったです。旅館も駅もバスもみんな慣れたもので、「これに乗るならこの時間のこれで」とちゃんと時刻表も至るところに貼ってありました。

春に予約を取ったのですが、リゾートしらかみはすべて山側の座席でした。オンシーズンは大手旅行会社が毎年すべて抑えてしまっているのかもしれません。

 

秋田といえば、秋田犬が主人公のこの漫画を思い出します。

銀牙―流れ星 銀― 第1巻

銀牙―流れ星 銀― 第1巻

 

秋田奥羽山脈に現れた巨大な羆・赤カブトを倒すために、犬が全国から仲間を集める物語です。

 

子供のころは、犬たちの熱い生き様にしびれながら読んでいましたが、いま読むと最初のころの羆撃ちと犬が協力して羆と戦う流れも面白いです。猟師の生態や秋田の方言や暮らしなどが細かく描いてあって、郷土愛の深さが伺えます。

羆撃ち五兵衛が恰好いいので、じっ様が主人公でもいいくらいです。少年漫画じゃなくなりますが。

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(引用元:「銀牙ー流れ星銀-」1巻 高橋よしひろ 集英社)

たぶんイマイチ人気が出なくて、犬の仲間集めの話になったんでしょうが、大輔が一人前の羆猟師になっていく物語でも名作になったのではないかと思います。

今から描いてくれないかな。

 

能代駅でバスケフリースロー体験

秋田を出たリゾートしらかみは、能代駅で十五分ほど停車しました。能代駅にはバスケゴールがあり、フリースロー体験ができます。

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老若男女問わず、みんなバスケゴールに向かってシュートしていました。入るとボールペン、はずすとステッカーがもらえます。

 

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田臥勇太の高校時代のユニフォームも飾ってありました。

栃木ブレックスがBリーグの初代チャンピオンになりましたね。ファイナルを見に行きたかったのですが、チケットが即完売してとれませんでした…。来シーズンは観戦に行きたいです。

 

能代工業高校といえば、山王のモデルです。

 山王では丸ゴリが一番好きです。

「向かってくるなら、手加減はできねえ男だ。俺は」

河田△

 

白神山地、十二湖ルートを歩く

十二湖駅で降りて、バスで白神山地に向かいました。

荷物を預けられるのか心配したのですが、駅のコインロッカーのほかに、駅前のお店が手荷物一時預かりをしていました。コインロッカーは小が300円、手荷物預かりは200円。商売上手です。

バスで十五分ほど山道を登りましたが、車でいっぱいでした。渋滞はしていませんでしたが、すれ違うときは冷や冷やします。上手い人には何ということないのかもしれませんが、自分は運転が苦手なので車で来なくてよかったと思いました。

 

天気が良かったこともあり、十二湖は暑かったです。

半袖で行ったのですが、アブがけっこう飛んでいたので、通気性のいい長袖のほうがいいかもしれません。刺されなくてよかった。

白神岳に登る人も多いのか、登山の恰好をした人が多かったです。

白神山地は色々なルートがあるし、登山もできるので、次回はぜひ他の場所も見てみたいです。

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青池。

 

青森県に入る

昭和初期、故郷青森から、北海道室蘭の遊郭に女郎として売られてきた少女たちの物語を思い出します。

重く深い泥沼のような人生をもがくようにあがくように生きる姿が美しいと思える、そんな話です。何度読み返しても、胸を打たれます。

何度も何度も「青森に帰りたい」「他に何もいいことがなくてもいいから、故郷に帰りたい」という言葉が出てきます。

絵が昔の少女漫画風なので好き嫌いが分かれると思うのですが、絵で敬遠してしまうのはもったいない。ぜひ、多くの人に読んで欲しい漫画です。

 

深浦辺りから津軽海峡が見えてくるのですが、天気が良かったこともあって絶景でした。

そして右手には岩木山が見えました。

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 次回はぜひ、頂上まで登ってみたいと思います。

 

新青森駅から八甲田山へ

新青森駅でレンタカーを借りて、八甲田山へ向かいました。

八甲田山ではロープウェイに乗って山頂へ行ったのですが、山頂はけっこう寒かったです。寒がりの人は半袖だとちょっと厳しいかな、と感じました。

八甲田ゴードラインを一時間くらい歩きました。

ここでも赤倉岳や毛無岳のほうから下りてくる人が多かったです。案内を見ると、それほどハードなコースではなさそうなので、今度、準備をしたうえで歩いてみたいなと思いました。

ただゴードラインは晴れていても、山の上のほうは雨が降っていたようです。山の天気は変化が大きくて怖いですね。

 

八甲田山といえば、「八甲田山死の彷徨」。

八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)

八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)

 

読んでいるとほんと冬山は怖いなと思います。

「210名のうち199名が死亡」とロープウェイのガイドのお姉さん(美人)が淡々と説明していました。すさまじい死亡率。

読んだのはだいぶ前なので、また読み返したいと思います。

 

ちなみに八甲田山を越えたら、天気が一変して大雨になりました。

 

奥入瀬渓流散策

奥入瀬渓流は休憩所のある石ヶ戸まで車を止めて、そこから主な見どころを歩いて回ろうと思っていたのですが、雨が降ったので急きょバスで回ることにしました。

バスから見ると石ヶ戸の駐車場は車が溢れていて、路駐している人も多かったので、車で行く場合は早めに行ったほうがいいかもしれません。

ちなみに宿泊したのは有名な星野リゾートです。

宿泊施設も良かったのですが、何よりも渓流散策の拠点として色々考えられているのがすごく良かったです。

ホテルから渓流を往復する(途中の雲井の滝まで)シャトルバスが一時間ごとに出ているし、傘や長靴も貸してくれます。あとは無料の飲み物の置いてあるロビーでひと心地つけたり、待ち合わせもできるので、こういうところがいいなと思いました。

 自分は室内設備や食べ物などにはそれほどこだわりはないのですが、観光拠点として施設が気軽に使えるのはとても便利でした。

 

雨の中、傘をさしてぬかるんだ道を歩いたので、景色も十分満喫できませんでしたが、いいところでした。

今度は晴れたときにきて全行程を歩きたいです。

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八戸の八食センターが面白かった

最終的には十和田湖から八戸に出たのですが、時間をつぶすために入った八戸の八食センターが面白かったです。

食べ物や飲食店、みやげもの屋が入っているのですが、海産物がどれも美味しそうでした。

店で買ったものを七輪で焼いてその場で食べられる「七輪屋」が面白そうでしたが、時間がなかったので入れませんでした。

自分の住んでいる場所にもこういうところがあると楽しそうだなと思いました。

 

今回は初めて行った場所ばかりだったので、本当にさわりだけの旅行でした。今度行くときは、一個一個の場所をより深く楽しみたいと思います。

 

 

個人の思いを、「世間」や「常識」で解体して分かった気になることは罪

 

togetter.com

 

このまとめ記事を読んだだけの感想です。

 

誰でも、自分が今まで生きてきた過程の中で、自分独自のフィルターやモノサシを持っていると思います。

他人の話を、自分のフィルターを通してみたり、モノサシで測ったりするのは仕方ない、というかそうするしかないと思うんですよね。

 

問題なのは、「ぜんぜん関係ない場所」を「どこからか借りてきたモノサシではかってその数値を書きとめて」「これ、何センチですよね?」「この長さだと、今まで大変だったでしょう」「いやいや、今のあなたには分からないかもしれないけれど、これがどれほど大変かということは、将来分かりますよ」って勝手に結論づけることです。

「はあ? ふざけんな。こんなもの図る価値ねえ」ってぶっ叩かれるよりも、あるいは傷つくかもしれない。

自分であれば、後者よりも前者のほうが遥かに傷つきます。

 

「本当は相手のことなど分かる気がなくて、自分が言いたいことがあるだけなのに、相手のことを分かったふりをすること」

「分かったふりをするために、「世間」や「常識」などマクロな視点で、個人の事情を解体すること」

「君には分からないだろうけれど、先に行けば分かるよ、などと相手に関係ない場所で結論づけること」

 

自分の言っていることをまったく理解しようとしていないのに、自分とはまったく関係ない理屈で作品を解体して理解したような気になって、自分の投げかけた課題を勝手に結論づけて終わらせようとしている。

これをやられると本当にキツイなと思います。

 

この世で自分しか持たない、変な形のモノサシで測るのはいいと思うんですよ。意見や感想を言うというのは、そういうことだと思うので。

どこからか借りてきた「世間」や「常識」「誰かの知識」などのモノサシで相手を測って分かった気になって、自分自身で相手に相対しようとしないことがどうかな、と思います。

自分が分かりやすい形に手早く物事を切り分けて、多くの人に飲み込みやすい意見に落とし込むために、自分のものではないどデカいモノサシを持ってきて、他人の一挙手一投足を測って解体したくなる誘惑に駆られるときはあります。

どんなに不完全でもあくまで自分として向き合うことが、人や作品に対するときの最低限の誠意だと考えています。難しいと思うことも多々ありますが、この件を反面教師にしたいです。

 

以下余談ですが、自分のモノサシで測った作品の感想です。

その人の幸福はその人にしか分からないので、誰に何と言われようと、自分自身の幸福を追求できた人は幸せだと思います。

「その人がそんな選択に迫られない、そんな立場に陥らない社会にであれば」とは、余り感じません。

この食人された子のようなタイプの人は、前提によって生き方を変えるわけではないような気がします。こういう人たちは「こういう境遇だから、こういう生き方をせざるえなかった」のではなく、たぶんもともとこういう生き方をする人なのだと思います。

 

ただ境遇によって目に見える条件が変わるので、条件や設定によって周りの人は「それは幸福だ」「それは気の毒だ」と自分のモノサシで解釈するだろうけれど、本人の本質的な行動原理みたいなものは、変わらないんじゃないかと思います。

本人は表層的な事象(自分が食人されるとかそういうこと)には余り興味がなくて、自分の決断で自分が望むものを手に入れるということだけにひたすら熱意を傾けているのではないかと。

表層的な部分であれこれ解釈するのではなく、その人が「本当に幸せだった」というのなら、自分の考えはどうあれ、その感覚をまずは認めることが「他者を尊重する」ってことではないかな、と思います。

これを「そんなの幸せなわけないだろ!」って言うのは、それはそれで価値観の押しつけだと自分は感じます。

 

本質的には同じことを言っているのに細部の要素が違くなるだけで、賛成・反対が百八十度変わる例というのは見ていて残念だな、と最近特に思います。

ディティールが「食人」や「孤児の死」のような極端なものになると、特に本質を見失いやすくなります。(そういうことを問いたくて、極端な設定を用いているのだと思いますが。)

結局、語られていることがどうこうではなく、その細部の設定が自分が受け入れられるケースか否かで、物事に対する賛成反対が変わるのかなと。

この作品もそういうことを聞かれている面があると思います。

 

自分がこの物語で大切だと思ったのは、食人一家が「泣きながら」この子を食べた、という点です。

この子が幸せになれたのは、裕福な生活を与えられたからでも、好きな人の役に立てたからでもなく、生まれて初めて自分のことを「この世でたった一人しかいない自分」として認められたからではないでしょうか。

「誰かに、自分を自分と認められる」

ということは、人にとってすごく重要なことだと思います。 

 

 そのことについては、この記事で詳しく書きました。

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「自分を自分として認められること」の大切さも埋め込まれているのだとしたら、「その人本人をまったく見ずに、自分が正しいと思うことを語るための材料として、自分自身のものではないモノサシで作品を解体すること」は、二重の意味で罪深いです。

作品で「そういうことをしてはいけないのではないか」と語っていることを、キレイにやらかした感想が返ってきたら、自分だったら絶望の溜息しか出てこないです。

地獄だよ、ほんと。

幸せのものさし/うれしくてさみしい日(Your Wedding Day)

幸せのものさし/うれしくてさみしい日(Your Wedding Day)

 

 

突然、語りたくなったので、平松伸二「ブラック・エンジェルズ」についてうろ覚えだけど語りたい。

 

平松伸二「ブラック・エンジェルズ」は1980年代前半に、週刊少年ジャンプで連載していた漫画だ。

「ブラック・エンジェルズ」の内容には、子供のころはよく理解できなかったことがあった。その辺りのことを含めて、うろ覚えな思い出話を語りたい。

 

*この記事の内容は、筆者のうろ覚えな記憶に基づいています。記憶違いなどもあることをご了承のうえ、お読みください。またネタバレをしています。未読のかたはご注意ください。

 

「ブラック・エンジェルズ」あらすじ

主人公は高校生→フリーターの冴えない男・雪藤洋士。彼には裏の顔があり、法で裁けない悪党を、自転車のスポークを使い制裁している。決め台詞は「地獄に落ちろ」 

自転車で時速90キロ出せる。速い。自転車でバックできる。すごい。

 

最初のうちは一、二話で完結するよくある悪党を制裁する物語なのだが、この話の内容がけっこうキツかった。

覚えているなかで一番キツかったのは、夫に先立たれたお婆ちゃんが不良たちに目をつけられて、家に入りびたれて金を脅しとられる話。不良たちに虐待される描写が、無茶苦茶キツかった。

お婆ちゃんは耐えかねて自殺してしまい、雪藤が不良たちを殺す。

「ブラック・エンジェルズ」は途中で被害にあっている人間が死ぬことが多く(しかもその死に方が惨いことが多い。)悪党が死んでもまったくすっきりしない。爽快感ゼロで、憂鬱な気持ちが残る。

 

この悪党制裁の話から、胸に十字架の傷を持つ「ブラック・エンジェルズ」たちと「M計画」という関東壊滅の計画を練る謎の組織「竜牙会」との戦いの話になる。

「M計画」は防げたけれど、富士山の噴火で関東が壊滅し、北斗の拳のようなヒャッハーな世界になる。その壊滅した関東で、謎の力を持つ八枚の金貨を巡って抗争が行われる。

その後、新政府を操る謎の超能力集団「ホワイト・エンジェルズ」との戦いになる。

 

「ブラック・エンジェルズ」は謎描写が多かった。

「ブラック・エンジェルズ」は「よくよく考えると何なんだ?」という描写や設定が、特に説明もなくサラリと出てきて、特に説明もないまま終わる。

子供のころは何の知識もないので、「大人には色々な事情があるのだろう」とほとんどすべての描写を流していたけれど、大人になった今でもよく分からない描写が多い。

その謎描写について語りたい。

 

物語の謎

松田とボクサーの話

松田と仲良くなった元ボクサーが、悪党に薬を飲まされて強盗殺人を起こしていた話。

何の罪もない一家四人が、殴り殺される描写がある。

松田は警察官を辞めさせられた自分を元ボクサーに重ね合わせており、ボクサーを自らの手で殺したあとに、彼の亡骸を抱えながら「夢を見続けちゃ悪いっていうのかよ!」と雪藤に反発する。

 

ええっ!!? そこ??? そこに共感して話が終わるのか???

という気持ちが否めない。

夢を見続けるのが悪いのではなくて、何の罪もない人を殴り殺したのが悪いのでは…。ちなみに殺された一家は、老夫婦と若奥さんと四歳の女の子。

「頭蓋骨陥没、内臓破裂」など描写がやたら生々しい。

薬を打たれたからとはいえ、そんな殺人を犯した相手に共感して終わる筋立てにものすごくもやる。

 

鷹沢の言っていることが意味不明だった。

「竜牙会」のリーダー切人=「ブラック・エンジェルズ」の創始者・鷹沢神父という衝撃の事実が、「竜牙会」編最大のどんでん返しだった。

このときに鷹沢が、なぜこんなことをしたのかということを説明するのだが、

「本当は自然災害で関東は全滅するんだけれど、そんなことを神様がしていいはずがない。だから人災で壊滅させるために、M計画を起こした。でもM計画を起こすことに対する良心の呵責から、その計画を食いとめる「ブラック・エンジェルズ」を組織した」

というものだった。

子供のときは「大人ってそういうものなのかな」と思いつつ、「訳分からん」と思って流していた。

 

大人になった今でも訳わからん。

 

理屈ではわかるけれど、そんな良心の呵責がある割には人をどんどん殺しているし。

「それがわしの中の鷹沢神父と切人だ(ドヤ!)」って言いたかっただけじゃないか? と思ってしまう。二重人格というわけでもないし。

こういう形而上の理由で犯罪を犯す、というパターンは少年漫画ではほとんど見ないので、今思うとけっこう画期的だったなと思う。

そういう理念的な話を、ほとんど突っ込まずサラッと流したところが逆にすごい。初めて読んだのが大人になってからだったら、「そんな話もサラッと終わらせるのか?」というほうにびっくりしたかもしれない。

 

勇気は何で突然、邪悪になったのか?

「人間には誰でも二面性がある」と言っても、いくら何でもいきなり変わりすぎだろう。

雪藤が「勇気、いったい何がお前をそこまで変えた」って言っていたけれど、それはこっちが聞きたい。勇気本人も聞きたいに違いない。

勇気にそういう素質があったなどの伏線があればいいのだが、そんな描写は一切なく、後付けの説明すらない。

そこが「ブラック・エンジェルズ」の面白いところと言えばそうなんだけれど。

 

松田はなぜ、全裸にされたのか?

脱獄犯に、松田(男)と雪藤が山小屋に監禁される話がある。この話で松田が全裸で手錠をされるんだけれど、なぜ松田だけ全裸にされたのかが分からない。一人だけ反抗したから?? 武器を持っていないか、確認するため?? 

ちなみに加藤という松田の元同期の刑事も一緒にいたけれど、彼も服は脱がされていない。何だったんだろう???

吹雪の雪山で、全裸にコート1枚羽織っただけの姿で、脱獄犯に空手の技を繰り出す松田が無茶苦茶シュールだった。

 

武器の謎

飛鳥のトランプは、何でできているのか?

飛鳥のトランプの攻撃は子供のときによく真似をしたのだが、なぜ刺さらないのかが不思議だった。普通の紙製のトランプなんだから当たり前なのだが。

飛鳥のトランプは鋼鉄でできているとか、設定があったのだろうか?? シャッフルとかしていたような記憶があるんだけど…。

 

閻魔球は、あのまま生活していたのか?

どう見ても着脱できないよな。あのまま生活していたのか? トイレ事情が気になって仕方ない。

もしかしたら中央で割れるようになっているなどの仕組みがあるのかもしれない。見たところ継ぎ目がまったく見当たらないけれど。

 

神麗院の耳は、なぜ尖っていたのか?

つけ耳か? と思いきや、飛鳥にトランプで切られていたので本物のようだ。エルフ? 気になる。

 

男女間の謎

切人と卑弥子の関係

切人が寝ている御簾の中から卑弥子が起き上がって全裸で出てくるシーンがある。

この二人って親子だよね?? 義理の親子??(それでもどうかと思うが。)添い寝していただけなのかな…。

「お父様の力をもらいましたもの」みたいなセリフがすごく意味深だった。

気になって仕方がない。どういうこと?? そういうこと??

 

ジュディと牙の関係

「あのジュディという女、俺はてっきり雪藤の女だと思っていたがな」

同感だ。

読者のほとんどが同じことを思ったと思う。どうしてクライマックスにこういういらない恋愛描写をいきなりぶっこんでくるんだろう。

余りに唐突すぎてポカンとした。

 

「ブラック・エンジェルズ」の根底にある考え方

相手が悪党でも、殺人は悪。

大人になってから読み直して気づいたのは、「ブラック・エンジェルズ」では「どんな悪党でも殺人は良くない」というメッセージが繰り返し出てくることだ。

「ブラック・エンジェルズ」に出てきて制裁の対象となる悪党は、小悪党レベルではない。人間の皮をかぶった鬼畜としか思えない悪党が山のように出てくる。一分一秒でも早く地獄に落ちてくれと言いたくなるような悪党ばかりなのだが、そんな悪党でも殺せば松田や露口、飛鳥と言った面々は、殺した雪藤を「殺人者」と罵る。

決して「奴らは殺されて当然。いいことをした」という風にはならない。

亜里沙は雪藤を「ブラック・エンジェルズ」にすることを非常に嫌がるし、雪藤は「どんなきれいごとを言っても、自分たちはしょせん殺人者」という姿勢を一貫させている。

「死んで当然だ」と思うような悪党に対する殺人でも、きちんと「殺すこと」への嫌悪感や葛藤を描いている。

 

悪党が反省も改心もしない。

「ブラック・エンジェルズ」には様々な悪党が出てくる。街のチンピラから国家の裏で暗躍する大悪党、たいした力のない奴から、強大な力でブラック・エンジェルズを苦しめる強敵まで出てくるが、全員に共通していることが、誰一人として改心しないということだ。

彼らは改心どころか反省もしない。読者が少しは感情移入しそうな、悲惨な境遇や不幸な生い立ちのような裏話もほとんどしない。

最初は敵でも味方になったり、事情がある敵が出てきたり、最後は分かり合えたりする描写が多い漫画が多い中で、これはかなり珍しい。

 

牙と飛鳥の仲間だった武蔵も、他の少年漫画であれば少しは背景事情や心の弱さなどを描きそうなものだが、何で裏切ったのかぜんぜんわからないまま死んだ。

風剣と恋人だった魔導沙は、昔の情をカケラも残していない。割り切りがすごい。風剣が色々と過去を思い出す描写が切ない。 

唯一、幽姫と幽魔だけは改心はしないけれど肉親の情を見せたために、雪藤が許している。ただこれは同じように肉親を手先として使った女性、妖姫との差別化を図っただけな気もする。

勇気は特に理由もなく伏線もなく、突然悪になったけれど、むしろそこがいいのかもしれない。

悪は理由もなく仮借もなくただ徹頭徹尾、悪としてそこに存在する。

「ただの殺人者」であるブラック・エンジェルズの正しさは、そういう悪に対する「相対的な正しさ」にしかなりえない。

という構造も、いま読むと作者の考えを感じる。

 

男性が一途で女性がフラフラしている。

「ブラック・エンジェルズ」の男性陣は、非常に一途だ。自分の好きな女性以外には、一切目をくれない。浮気をしない云々レベルではなく、性的な反応自体を好きな女性以外に一切しない。

例えば雪藤は、麗羅の胸がはだけようが、太ももが見えようが無反応。ジュディが相手だと、「添い寝しようよ」と言われたくらいで滅茶苦茶照れているのに。

水鵬の麗羅に対する尽くしぶりもすごい。

 

それに対して女性陣は、余りはっきりした意思がない。

麗羅は水鵬が自分に気があるのは明らかなのに、きちんと突き放さないで尽くされるがままになっているし、ジュディは牙といつのまにかいい関係になっていて「あなたと雪藤どっちを選べばいいのか」などと言い出す。

 

男性陣はそういうフラフラしている女性に対して特に何か言うでもなく、黙って受け入れている。

「都合のいい男」ではなく、「相手がどうあろうと、そういう相手を自分は自分の意思で好きなだけ」というスタンスだ。

「相手が自分を好きになってくれなければ、見返りをくれなくては、自分も相手を愛さない」という、結局「自分の愛情は相手次第」という愛しかたとは一線を画している。

 

「北斗の拳」のトキやジュウザもそうだけれど、自分の好きな女性の意思をきちんと尊重しており、自分も普段はその女性とは離れた場所で自由に生きている。でも、いざ相手の女性がピンチに陥ったら、相手が自分のことを好きとか好きじゃないとか、他の男が好きとかはまったく関係なく、見返りなく駆けつける。

それが犠牲だとも損だとも思わない。自分は自分の意思で、その人のことを愛しているだけだから。

こういう愛し方ができる人は、最高に格好いい。

このころの少年漫画は「こういう生き方や愛し方をする男が格好いい」というメッセージを伝えているものが多かった。

 自分もこの頃の少年漫画の女性キャラは、お色気要員やお飾りみたいな扱われ方をしているだけかな、と思っていたし、そういう面があることも否定はできないけれど、敵はともかく主要男性キャラクター陣は女性という他者をきちんと尊重している。

過激描写ばかりではなく、こういう面からの影響も見て欲しい。

  

「悪」に対する哲学。

「ブラック・エンジェルズ」は読み返してみると、大人になってからこそ色々と考えさせられることが多い。

どんな悪に対しても私的制裁というのは、相対的な正しさにしかなりえない。

「悪」によって「より大きな悪」を打ち消すことはできるのか。果たしてそれは正しいのか。

「ブラック・エンジェルズ」がやっていることが、「より大きな悪」であるM計画を倒し、そのM計画が自然災害の「悪」を打ち消すことができるのか、など。

勇気のように、理解の余地のない「悪」は、誰の心にも生まれることがある。そういうものとどう向き合うのか。

そもそも物語のモチーフに「天使」「切人」「神父」「神」「悪魔」など、キリスト教の概念が頻繁に出てくる。

最後に雪藤をキリストになぞらえて、ブラック・エンジェルズの罪や宿命を一人で背負わせているところを見ても、単に物語のモチーフとして利用したというよりは、作者の考えが色濃く反映されている気がする。

 

話がやや複雑だし、理解しづらい描写も多いので子供のころはそんなに面白いとは思わなかったけれど、大人になってから読み返したらとても面白かった。子供のころはわからなかった、雪藤や松田、牙などの格好よさにも気づいた。

 

 読んだことがない人も、「そういえばそんな漫画があったな」と思う人も、ぜひ手にとってみて欲しい。

 一番好きなキャラは水鵬。生きざま死にざま戦いかた、すべてが格好いい。

妖姫や卑弥子も好きだ。本気でぶん殴りたくなる女性の極悪キャラは珍しい。

 

【ネタバレあり】世界を壊したいほどの孤独と悲しみを描く 赤坂アカ「ib インスタントバレット」感想

 

赤坂アカ「ib インスタントバレット」全5巻を読んだ。最後は打ち切りになってしまったようだ。とても読み応えがある話だったのに残念だ。

 

「ib インスタントバレット」は、異なる能力を持つ子どもたちがそれぞれの思いを抱えて世界を破壊しようとしたり、敵対して救おうとする姿を描いている。彼らは全員、複雑な背景と癒されない孤独を抱えており、それが能力と深く関わっている。

 

個人的には絵は余り上手くないなあ、と思う。好みも分かれると思う。アクションシーンは何が起こっているのかよく分からないことがある。

ストーリー運び(ストーリーそのものはともかく)も手慣れておらず上手いと思わない。話の軸が定まっておらず、演出とストーリーがうまくかみ合っていないように見えることがある。

絵も物語もすごく不器用でゴツゴツとした作りだ。欠点はいくらでも指摘できる。

 

そういう漫画の構造自体が、欠点を抱え、試行錯誤しながら必死に生きる登場人物たちの姿を重なる。

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(引用元:「ib インスタントバレット」赤坂アカ/KADOKAWA」)

 

ネタバレ感想

「愛して欲しい」という叫びを「悪意」と呼ぶ。

インスタントバレットは、人の悪意から生まれる破壊願望から生まれた能力だ。主人公のクロは、この「悪意」で世界を破壊しようとする。

「怒り」が「認めて欲しい」「助けて欲しい」「愛して欲しい」という深層意識の発露だ、というのは割と有名な話だが、「インスタントバレット」の登場人物たちは、ほぼ全編にわたってこの「怒り」を叫んでいる。そしてその「愛して欲しい」という叫びを彼らは「悪意」と呼び、自分たちは優しさを持たない普通ではない、だから疎まれて当然の存在なのだと言う。

彼らは複雑な背景を抱えており、人から愛される(認められる)とはどういうことなのかを誰からも学ぶことができなかった。

 

愛されたことがないから、愛しかたが分からない。そんな自分だから人から愛されなくても仕方がない。そんな自分だから周囲から疎まれる。それは自分が悪いのだから仕方がない。でも自分に愛しかたを教えてくれなかった世界が憎い。でもそれは自分の身勝手なことは十分わかっている。身勝手で自分のことしか考えられず世界を憎む自分は悪者だ。個人的な憎しみから悪意をたぎらせている自分は、疎まれて当然の存在だ。そんな自分を好きになれない。こんな自分を作り出した世界が憎い。

 

ハードルが高すぎる「優しさ」

彼らが定義する「優しさ」は、自分がどんなに辛い境遇にあっても他人を思いやらなければならず、それまで思いやっていたとしても、一回でも相手を傷つけしまえばそれは消えない罪になる。

彼らがこれほど完璧で、普通の人間にはとても不可能だと思うことを「優しさ」と定義するのは、彼らが人よりも傷つきやすいからだ。

傷つきやすいから、人を傷つけることを極度に恐れる。優しいから、他人の幸福よりも自分の心情を優先してしまうことが許せない。

人間では不可能な「優しさ」の定義を掲げて、それができない自分は「優しくない」「間違っている」といい、全てを自分のせいにし、抱えきれない罪悪感に苦しむ。

 

例えば木陰がマリア・ドラッグを提供した不良たちは、毒があることを知らされてもなお「優しい人間でありたい」と願い、マリア・ドラッグを飲み続けることを選ぶ。そして木陰がマリア・ドラッグを作らないことに決めたとき、「優しくない自分」に戻らないために死ぬことを選ぶ。

 

これは彼らの自由意思の選択なのだから、木陰が責任を感じる必要はない。少なくとも彼らの死は彼女の責任ではない。

それなのに木陰は彼らの死に責任を感じ、すさまじい罪悪感を抱き、自分を「人を傷つけることしかできない人間」「死ぬまで汚い心を抱えた棘にまみれた人間」だと言う。

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(引用元:「ib インスタントバレット」赤坂アカ/KADOKAWA」)

 

死ぬにしても何で木陰の目の前で、しかも彼女が握ったナイフで死ぬんだ。そんなの相手が罪悪感とトラウマを抱くに決まっているのに。

と自分は不良たちに腹が立つ。

彼らが死んだのは本人たちの自由だし、むしろ心の底から彼女に感謝して死んだのだ。彼らのためにも良かった、と思ってよいと思うのだが、木陰はその死の決断に対して責任を感じ、自分を「汚い心の持ち主」と責める。

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(引用元:「ib インスタントバレット」赤坂アカ/KADOKAWA」)

 

他人には「どんなにクズでも馬鹿でも生きていて欲しい」と願う木陰。これが自分に対しては「生きている資格がない」のように途端に厳しくなる。

彼らは自分に優しくしたり、自分を愛することが異常に下手くそだ。

「ただ一人だけでも愛してくれる人がいればよかった」

「だけどその一人がどうやっても見つからない」

「自分を好きになりたかった」

自分を好きだと言ってくれる人がいれば、自分のことを好きになれるのに。

ただ、こういう人はいくら「好きだ」と言っても受け取らない。余りに傷つきやすくて弱くて、相手の「好き」を信じることができない。正確には、どれほど他人が認めてくれても、自分の価値を受け取ることができない。

そういう姿が見ていてもどかしい。

 

「悪」に生まれてしまったら、どうすればいいのか。

自分が作中で最も感情移入したのが瀬良だったので、打ち切られてしまったのが非常に残念だった。

 

純粋な1個の悪意が、他人に甚大な被害を及ぼすということは実は余りないと思う。

アイヒマンの例を引くまでもなく、「悪」とは能動的なものではなく、平凡な人間たちの、他人に対する少しの想像力の欠如が積み重なったときに、恐るべき巨大な「悪」になると思っている。

「悪の行動」の原因になるのは「悪」よりも、「正しさ」のほうが多いのではないか。人間が尤も他人に対して残酷になるのは、何等かの免罪符を用いて自分の正しさを確信したときだと思う。

人間はそんなに強い生き物ではないので、他人に害を為す場合は何等かの言い訳「社会のため」だの「上からの命令」だの「みんなやっている」だの「自分の不幸な境遇」だのが必要だ。そしてその中で最も強力な言い訳が「正しさ」だと思う。

 

どんな正しさであれ、それが行動の重大性の免罪符にならないように、行動が正しいものならば、その動機が仮に悪であっても、もしくはその正しさを実行した人物の心の中がどれほど悪意に満ち溢れていても、問題はない。

ただ心の中で思うだけならば、どれだけ残虐なことを考えていても、どれほど卑猥な妄想にふけっていても自由だ。それが外部に漏れ出ず、誰にも影響を与えないのならば、心の中は自由なはずだ。

 

瀬良のように人として当たり前の倫理が理解できない、人の感情が理解できない、むしろ他人の苦痛に喜びを感じてしまうという人間に生まれたことは、相当孤独だと思う。

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(引用元:「ib インスタントバレット」赤坂アカ/KADOKAWA」)

 

彼女が考えていることが分かれば、人は「正しさ」の名の下に彼女を疎外し、袋叩きにするだろう。このとき、自分がやっている「他人を疎外する」「他人を多数で袋叩きにする」という行為の悪質さは、「相手が悪である」という言い訳の下、簡単に免罪される。そして自分が「悪」であることを知っている瀬良も、それを当然だと思う。

何故なら、自分は悪だから。人の心が理解できないから。人を傷つけて喜びを感じるような人間は、袋叩きにされて当然だから。

自分はこういう、人を殴るという行為すら言い訳を見つけて正当化する、もしくは黙認してしまうことの積み重ねからこそ、本当の「悪」は生まれると思う。

 

瀬良は自分という存在が「悪そのもの」であることを自覚しながら、それでも必死に正しくあろうとする。父親が昔教えてくれた「正義の味方」であろうとする。

それは「人のことを思いやることが正しいことだ」と考える前に、心の底から当たり前だと感じられる人間には考えられないような大変さだと思う。

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(引用元:「ib インスタントバレット」赤坂アカ/KADOKAWA」)

 

そして「悪でも正しくありたい」と願う瀬良のために、クロは「僕はお前より間違っている」存在になる。

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 (引用元:「ib インスタントバレット」赤坂アカ/KADOKAWA」)

 

みんなが叩かれる側に回らず、叩く側に回るために必死で「正しさ」を掲げるような現代では驚異的なことだと思う。

 

自分の本能を押さえつけ、自分には理解できない概念である「正しさ」を必死で追求する瀬良は、それだけで十分「正しい」。

そして瀬良のために、他人から否定され叩かれる「間違った悪」になるクロは十分に優しい。

 

人は誰しも間違うし、ろくでもないことで他人を傷つけてしまうこともある。相手にそんなつもりがなくとも、勝手に傷ついてしまうこともある。醜く卑怯でとんでもないことを考えてしまうこともある。いつも正しくはいられないし、自己中で身勝手で、地球の裏側で人がたくさん死んでいることが頭ではわかっていても、涼しい部屋でアイスを食べて幸福を感じてしまうのが人間だ。

そういうことに罪悪感を持つだけでも、人を愛することができているし十分優しい。 

 バカ高いハードルを設けて「自分は間違っている。優しくない。悪意の塊だ。疎まれて当然だ」と言い出す人がいたら、何百回でも「違うよ」と言ってやりたい。

 

物語世界の謎を解くことを楽しむ「世界解明系の物語」 みんなのおススメ作品リスト

 

 

「世界の謎を解く物語」でおススメのものを聞いてみた。

先日、「世界解明系の物語が読みたい」という記事を書きました。

www.saiusaruzzz.com

 

「世界解明系の物語」とは自分の造語で、

「主人公や読者が知らない法則で世界が動いており、主人公が「どんな理由で起こっているのか分からない物事」からその法則性を解き明かしていくことを主たる目的としている物語」

と定義しています。

自分が例としてあげたのは「進撃の巨人」「ひぐらしのなく頃に」「SIREN」などです。こういう系統の物語が読みたいのですが、何か面白いものはありませんか、といったところ色々とおススメのものを教えていただきました。

コメントを寄せていただいた方々にお礼を申し上げます。ありがとうございます。

 

ジャンルが不明確なので探しづらかった。

なぜ記事を書いたかと言うと、「世界解明系の物語」を読みたいと思っても探す方法が思いつかなかったからです。

「ラブコメ」「サイコホラー」「ダークファンタジー」など、細分化したジャンルでも検索すると探せるのですが、こういう物語は定義する言葉もないし、どうすれば探せるのか。キーワードを変えて色々と検索してみましたが、なかなか思うように探せませんでした。

「世界の謎を解明する物語」という言葉自体がネタバレになる可能性があるので、「こういう物語です」とレビューにも書きにくいということもあると思います。

 

「世界解明系物語」愛好家のためにリストにした。

当初は「教えてもらったものを読んでみよう」くらいの気分だったのですが、思ったよりもたくさん情報をいただけたので、自分一人で楽しむにはもったいないと思いリスト化することにしました。

「話の本筋にさえ触れなければ、その点はネタバレされても構わないので、こういう物語を探しあてられる方法があるといいのに」

という自分のような人間のためにも、ひとつくらいこういうものがあるといいかもしれないと思ったことが理由です

いただいた情報の中で「ある程度このジャンルとして認知されているのでは」「このジャンルとは考えにくい」と思ったものは自分の判断で外させていただきました。 

 

以下の点を留意したうえで、こういった物語を選ぶための参考にしていただければと思います。

①「上記の定義に沿っている物語と考えられる」という点に関しては、ネタバレされてもいい。

②上の定義を上げたうえで、色々な人から推薦してもらった作品である。中身がその定義に沿っているかどうかは、保障はできない。 

③ジャンルはあらすじを読んだり、紹介文に書かれたカテゴリーを手掛かりに、好みのものを探しやすいように便宜的につけた分類である。厳密な分類ではない。

 

「世界解明系の物語」みんなのおススメ作品リスト

小説(日本SF)

「驚愕の曠野」(筒井康隆/1977) 

「ドリームバスター」(宮部みゆき/2001)

「導きの星」(小川一水/2002)

「天冥の標」(小川一水/2009)大長編です。

「神は沈黙せず」(山本弘/2003)

「新世界より」(貴志祐介/2008)推薦者が一番多かったです。

新世界より 文庫 全3巻完結セット (講談社文庫)

新世界より 文庫 全3巻完結セット (講談社文庫)

 

 

小説(日本ホラー)

「リング」シリーズ (鈴木光司/1991)

「酔歩する男」(「玩具修理者」に所収/小林泰三/2002)

表題作「玩具修理者」は第二回日本ホラー大賞短編賞受賞作です。

玩具修理者 (角川ホラー文庫)

玩具修理者 (角川ホラー文庫)

 

 

小説(ライトノベル)

「スクラップド・プリンセス」(榊一郎/1999)二票獲得。

「幽霊には微笑を、生者には花束を」(飛田甲/2004)

「鋼穀のレギオス」(雨木シュウスケ/2006)

「人類は衰退しました」(田中ロミオ/2007)

「とある飛空士シリーズ」(犬村小六/2008)

「【映】アムリタ」(野崎まど/2013)

第16回電撃小説大賞メディアワークス文庫賞受賞作。

「マギクラフト・マイスター」(秋ぎつね/2013 )

「オカルティック・ナイン」(志倉千代丸/2014)

「セルフ・クラフト・ワールド」(芝村裕吏/2015)

スクラップド・プリンセス 捨て猫王女の前奏曲 (富士見ファンタジア文庫)

スクラップド・プリンセス 捨て猫王女の前奏曲 (富士見ファンタジア文庫)

 

 

小説(海外SF)

「星を継ぐもの」(ジェイムズ・P・ホーガン/1977)

「白銀の聖域」(マイケル・ムアコック/1996)

「クロックワーク・ロケット」(グレッグ・イーガン/2015)

星を継ぐもの (創元SF文庫)

星を継ぐもの (創元SF文庫)

 

 

漫画

「11人いる!」(萩尾望都/1975)

「孔子暗黒伝」(諸星大二郎/1988)

「百万畳ラビリンス」(たかみち/2015)

 

映画

「ミッション:8ミニッツ」(2011年/アメリカ)

ダンカン・ジョーンズ監督の二作目。一作目の「月に囚われた男」も謎を解き明かすスリラーのようです。

「ホット・ファズ ー俺たちスーパーポリスメン!-」(2007年/イギリス)

タイトルは微妙(失礼)ですが、あらすじを読むと面白そうです。

ミッション:8ミニッツ (字幕版)

ミッション:8ミニッツ (字幕版)

 

 

アニメ

「交響詩篇エウレカセブン」(2005年)

「ゼーガペイン」(2006年)

ゼーガペインADP

ゼーガペインADP

 

 

ゲーム

「シュタインズ・ゲート」(2009年)

STEINS;GATE

STEINS;GATE

 

  

管理人うさるのおススメ

「ひぐらしのなく頃に」(竜騎士07/2002/ゲーム・アニメ・漫画)

「うみねこのなく頃に」(竜騎士07/2007/ゲーム・アニメ・漫画)

「匣の中の失楽」(竹本健治/1983/小説/)

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(村上春樹/2013/小説)

「ムーンライトシンドローム」(ゲーム/1997)

「SIREN」(ゲーム/2003)

 

新しいものを見つけたら順次、リストに加えていきたいと思っています。

 

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以前にも謎解きコンテンツへの愛を語っていました。

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