うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語るブログ。

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{ゲーム} 今更、狂気のゲーム「ムーンライトシンドローム」を考察する 第二回「夢題」②

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「ムーンライトシンドローム」の考察記事です。

 

第二回「夢題」①の続きです。前回「夢題」①はコチラ↓ 

saiusaru.hatenablog.com

 

リョウが訪れた、地下クラブの受付のジュンとサトルの会話は、モブの会話にしてはかなり長いです。

 

「地下クラブ」という限定された空間、組織から社会人になって出ていこうとするサトルを、ジュンがひきとめているのですが、その引きとめ方に、ちょっとした狂気を感じます。

「裏切りもの」「負け犬」「サトルには何の才能もない」

と、けっこうな罵り方です。

 なぜ、クラブ通いをやめて社会に出ていこうとするサトルを、ジュンはここまで罵るのでしょう?

 

「サトル」というのは、ジュンにとっては、サトルという個人というよりは、自分が生きる「クラブという世界」を形成する因子だからです。

世界の形成因子がなくなるということは、自分が生きる世界を不安定にする行為であり、サトルは「社会に出る」という行為を行うことで、「ジュンの世界を破壊しようとする者」になったからです。

 

自分を取り巻く環境(階級や学歴、家族、対象は何でもいいですが。)に自我を預けている人間は、その環境のみが自分の世界であり、自分そのものなのです。

 

自分の内部には、何もありません。

 

だから、その世界を崩壊させようという因子に対して(その因子の意図が、世界の崩壊であるか否かは問わず)すさまじい攻撃を加えます。

 

よくあるパターンは、子供を自分の世界の形成因子にしてしまって、子離れができない親というパターンですね。

子供が自分から離れれば、自分そのものがなくなってしまうのですから、ありとあらゆる手を使って、子供の自立を阻止するわけです。

 

閑話休題。

このあと、ヤヨイとリョウが出会います。

ヤヨイがリョウに対して、「ゲイに見ようと思えば見える」と言いますが、これは重要なセリフだと思います。

 

「何かに見ようとしているから、そう見えるだけではないか? 本当にそうなのか? 人が事実と主張するものは、その程度のことにすぎないのではないか?」

ということではないでしょうか。

この法則性(?)は、あとにも出てきます。

 

「正直じゃないところが、魅力みたいだから」

ヤヨイのこのセリフは、けっこうな皮肉ですね。

 

そのあと、リョウがヤヨイに付いていくと赤い部屋にスミオが座っています。このシーンは、リョウの頭の中だと考えて差し支えないと思います。

 

結局、リョウはヤヨイ(というキョウコ以外の女性)を助けることもせず、逃げ出そうとします。

この後に及んでも何も選ばすに逃げ出そうとするリョウに対して、スミオは復讐のために、ヤヨイはリョウに、リョウの今までの行為の結末を分からせるために、キョウコの生首を見せるのです。

 

このあとに、ルミが言っていた「無になれる透明な時間、幸せな場所」にキョウコ、ルミ、スミオが集まります。

 ここで会ったスミオは、「こういうスミオもありえたかもしれない」というスミオのもうひとつの可能性のような気がします。

 

ルミがリョウに味あわされたような、

「自分のことをまったく見ておらず、透明な存在になったと感じる気持ち」をスミオもキョウコに味あわされたゆえに、あんなに歪んでしまって、その結果、ミトラと契約を結んだのだとしたら、やりきれない気持ちですね。

 

そんな風に歪むほど、他人を傷つけてしまったキョウコとリョウは、やはり罪深いと思います。

キミカもその巻き添えを食った、と言えますしね。

 

次回は第四回「奏遇、変嫉、片倫」です。

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