うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語ります。【ネタバレ前提です。注意してください】

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「ふぅチャンネル」開設記念。動画投稿で収入を得ることに対して感じる、違和感について考える。

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ニコニコ動画の人気ゲーム実況者であるふぅが、有料チャンネルを開設しました。これを機に、「嫌儲」といわれる気持ちは何を意味するのかについて、考えてみたいと思います。

 

最近、ニコニコ動画をすっかり見なくなっていたのですが、ふぅが有料チャンネルを開設したという情報にびっくりしました。

 

知らない方にふぅについて説明すると、

 

ふぅは、ニコニコ動画の有名なゲーム実況者です。

視聴者に媚びない尖がった実況と、ゲーム実況で収入を得ることに、かなり否定的な意見を出していたことで有名です。

その件で、運営や他の有名実況者を名指しで批判したりもしました。

その人が、有料チャンネルを開設したということで、ニコニコ動画では、「掌返し」と騒ぎがあったみたいです。

 

自分は最近はゲーム実況はまったく見なくなっていたのですが、ふぅのものだけは今でもたまに見ます。

理由は単純なもので、面白いから。

 

「嫌儲」という言葉も、最近はじめて知りました。(すみません、無知で。)

いわゆる「ユーチューバー」や「実況動画で収入を得る人」に対して、自分も少し複雑な感情を抱いています。

 

「楽してお金を稼ぐな」とか、「下らないことでお金を稼いで」という思いを抱いているのかな? と考えましたが今いちピンときません。

 

もう少し自分が考えていることに、うまくフィットする説明はないかな? この複雑な感情=違和感の正体は、一体なんだろう?

ということを、これを機会に考えていきたいと思います。

 

*以下はあくまで、自分が個人的に持つ違和感の解明です。目的はあくまで、自分の心情の解明です。

特定のどなたかを批判するものではありません。 

個人的には違和感は感じるけれど、別に何で収入を得るかは本人の自由だと思っています。

 

(ゲーム実況などの)動画で収入を得ることに、なぜ、違和感を覚えるのか??

ブログだって同じじゃないの??

 

自分で自分にそう問いかけました。でもそれは、自分の中では明らかに違います。

ブログを書くことで、生活できるくらいの(もしくはそれを遥かに上回る)収入を

得ている人もいると思いますが、別にその人たちに対しては、何の違和感も感じません。

 

一体、何が違うのだろうか???

 

そう思ったときに、これかもしれないと思ったのが、匿名掲示板で見たニコニコ動画について言及したコメントでした。

 

「オタクたちが集まって、自然発生的に生まれたコミュニティである、というファンタジーが崩壊した」

 

自分が個人が作った動画に求めていることは、読書やスポーツなどとはまったく違ったものです。

 

あえて言葉にすると、

自分のモヤモヤしたネガティヴで、どうしようもなく空虚でしょーもない気持ちを埋める何かが欲しいときに最も手軽にその気持ちを忘れられるコンテンツだ、ということです。

 

「ネガティブな気持ちを忘れたい、どうにかしてくれ」

そういうときに、

ネガティブな気持ちから逃れるために見るものという面が大きいです。

 

もっとはっきり言ってしまえば、

動画を見ることが本当の目的ではないことが多い。

ということです。感覚としては「やけ酒」に近いです。

「酒を楽しむことが目的」ではなく、「何かから逃れるために、酒を飲む」。

自分にとっては、前者が読書などの趣味であり、後者が動画鑑賞です。

 

飲んでいるときは気持ちよく酔っぱらっていますが、酔いが覚めたあとには、何も残りません。ほとんど何も覚えていません。

考え方や価値観に、何の影響も与えていません。

 

もちろん、本だろうと漫画だろうとスポーツだろうと仕事だろうと、そしてこのブログの記事も終わったあとに、

「結局、何の影響もなかったな。まったくの時間の無駄だった」

と思うことはあると思います。

 

ただどんなに「飲まなきゃよかった」と思うようなまずい酒でも、飲む前は「もしかしたら、美味しいかもしれない」という正の気持ちから、始まります。

 

その対象を受け取る人の出発点が、正と負、どちらの感情か?

発信する側から言えば、受け取り手の正と負、どちらの感情にアプローチしようとしているか?(たとえ、結果がどうであれ、始まりはどこにあったのか。)

ここがポイントだと考えています。

 

「やけ酒」は、負の感情をどうにかしようということが目的です。

「やけ酒」の始まりは、「酒を楽しみたい。おいしい酒を飲みたい」というポジティブな感情ではなく、「酒を飲むことで、何者からか逃れたい」とうネガティブな感情だからです。

 

今でこそ、「オタク」と名乗っても何の違和感もない時代になりましたが、オタクという言葉が生まれた時代、「オタク」という言葉は、蔑視的な意味が含まれていました。

人前で「オタク」などとは絶対に言えず、必死に隠している人も多かったです。

 

世間に認められず、居場所がないと感じていたオタクたちが見出した聖地(?)、実社会では語ると疎外されてしまう話題も、思いきり語れる実社会での充実度など何の関係もない場所、そんなオタクたちのコミュニティが2ちゃんねるであり、そこから生まれたニコニコ動画だったと思います。

 

実社会で感じがちな無価値感というネガティブな感情から逃れられる場所、なぜなら、その場所は実社会の価値観など何の関係もないから、オタクと呼ばれる人たちが集ってできあがったコミュニティ、そういうファンタジーが、確かに2000年代はありました。

今の時代のように、「2ちゃんねる」や「ニコニコ超会議」などの単語をオタク以外の人が使うことは、当時は考えられませんでした。

 

もともとは「実社会から疎外されている感覚」「実社会に馴染めない感覚」という「非リア充」と称される人たちが持つ、ネガティブな感情から生まれたコミュニティで、そのネガティブな感情を源泉としたお金を受け取り、その人たちに疎外された感覚を味あわせた、実社会の価値観おいてリア充と呼ばれる存在になっていく、そういう事実に対して、何となく残念な気持ちを感じるのです。

 

リアルから少しでも逃れたいという負の感情からすら、金銭をとられるのか。

結局は、どこまでいってもリアルの価値観からは、逃れられないんだな。

そしてどこまでいっても(ネットの中ですら)実社会の価値観から逃れられないこの構図こそ、現代社会そのものなんだろう。

 

たぶん、違和感の正体はこれです。

 

心の隙間を埋めることが動画の存在意義だとするならば、お金をとることは、視聴者にリアルを思い出させて、もっと息苦しくさせてしまうのでは??

それは、タコが自分の足を食べているに等しいのではないだろうか??

 

なんだかそう思うのです。

 

大金を稼ぐことができる立場にいて、それを見ないでいられるのかと言われれば自分がその立場でも無理だろうな……、とは思います。

 

個人のモラルと価値観の問題というよりは、社会全体のモラルと価値観の問題なのかもしれないと思います。

 

ふぅは確かに掌返しをしたけれども、誰か一人の問題として、この問題を語るのも違うような気がする自分がいます。

 ふぅの動画は、今でも見ます。無料のやつだけれど(・∀・)