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うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語ります。【ネタバレ前提です。注意してください】

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「物語の語り手」が、ネットで陥りがちな罠~浅田舞の告白によせて~

うさるごと 社会問題

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人にとって「物語」とは何なのか、何のために人は「物語」を求めるのか、ということを書いた、前回の記事の続きです。

saiusaru.hatenablog.com

 

 今回は特にネット社会における「物語の語り手」側について、書いていきたいと思います。

 語り手が陥る「物語」の罠

インターネットを見ていて非常に多いのは、語り手が自分の「物語」を語っているに過ぎないのに、それが他人によって「他人の物語」として消費されるケースです。

最近では、浅田舞が母親について語ったこの記事が、大きな反響を呼んでいました。

 

 

 ネットで物語を語れば、それは不特定多数の人間に「自分のための物語」として消費される可能性が大きくなります。

自分だけの物語が、本来、語りたかったこととはまったく違う意味合いが付与されて、自分のことをまったく知らない多くの他人にすさまじい勢いで消費されていく。

常人の神経では、耐えられることではないと思います。

 

自分の中で赤の他人に安易に消費されたくないものは、ネットでは出さない。

そういった類の自衛をするということは、ネットを使う上で当たり前のことだと思っていました。

ブログを見ると、一般の方でもけっこうそういう案件をよく見かけるのでびっくりしました。

 はてなに限定して言えば、「京大卒で専業主婦になった」という記事や「就活がうまくいかなかった人がフリーランスで生きていく」記事が記憶に新しいです。

 

「まったくの赤の他人が、自分の物語として消費しやすいもの」

別の言い方をすれば、「多くの人が一言、意見を言いたくなるようなもの」

ネット的に言えば、「炎上しやすい案件」というものは、定期的にネットに触れている人ならば感覚として分かっていると思いますが、言葉にしてまとめてみます。

 

①一般的に多くの人が、そこに価値観をおいている。もしくは自分はそうではなくとも、そこに価値観をおいている人が多いと感じている。

②その価値観に対する意見に余り偏りがなく、多様性がある。

 

「多くの人がそこに価値観を感じていながら、価値観に多様性がある」のですから、それはもめますね。

 

「一般的に多くの人が、そこに価値観をおいている」というのは、具体的には「人生で多くの人が関わること」です。「働き方」「学歴」「年収」「結婚するのかしないのか」色々とあると思いますが、要するに

「人生をどう生きるのか」

ということだと思います。

 

これは一人一人に必ず「物語(=人生)」があるのですから、誰でも語りたくなる分野です。

さらに男性であれば「働き方」「学歴」、女性であれば「結婚して専業主婦になるのか、働くのか」という部分は、非常にもめやすいというか、常にネットでもめている印象があります。(あくまで個人的な意見です。)

 

もうひとつ語り手側の問題として、

 

①価値観に多様性がある問題にも関わらず、自分の価値観のみを主張する。

②主張の仕方が冷静ではなく、感情的に見える。

 

これらを満たすと、いわゆる炎上が起きやすいのはないかと思います。

 

「京大卒で専業主婦になった~」記事は、これらの条件を全て満たす、まれにみる記事だったと思います。

特定のコミュニティのみで炎上しやすい案件というものもありますが、この記事は男性も女性も全方位が反応しそうな記事です。

内容を読んだ限りでは、多少、注目されたいという気持ちもあったかもしれませんが、本気で炎上を狙っていたようには感じられませんでした。

「知人にこんなことを言われて、納得がいかない」

記憶に残っている限りでは、そういう内容だったと思います。

その後の記事で、本人が「あれは釣りだった」と書いており、共感のコメントを寄せていた人まで失望しているように見えました。

 

基本的には、発表した記事に対する反応は、全て自己責任だと考えています。(反応を受け取らなくても良いと思いますし。)

ネットのコンテンツというものは、消費されるためのものだと思っているからです。

他の媒体とは違い、他人の主体の形成や自己実現にはほとんど関与せず、ただただその場で消費されるものだと思っています。

それが良くも悪くも、実際に生身の人間に触れない、二次元であるネットの特性だと思っています。(文章や漫画を読むにしても、紙媒体のほうが記憶に残りやすいそうです。)

 

なので、自分自身を消費されないように、「自分という存在(顔出し実名)」や「傷つけられると困る価値観」は、ネットには出さないようにする、もしくは極端な主張のしかたはしない、これはネットをする上での最低限の自衛策だと個人的には考えています。

そういうことをきちんと考えて書いているように見える記事でさえ、まれに燃えているのを見るので、難しい部分ではあると思いますが。

 

ネットで何かを書くことというのは、その辺りも含めてある程度は自己責任と考えていましたが、先日、この記事を読んで非常に考えさせられました。

nectaris.hatenablog.com

 

「書き手」側ではなく、「他人の物語を消費する側の自分」という点で色々と考えさせられました。

件の記事を「予想以上に炎上したから、後付けの釣り発言か」くらいの視線で見ていたことを、反省しました。

 

そうか、四年も前から書いていたのか。

そういえば「後釣り発言」のとき、着物のことも書いていたような気がする。

素敵なブログだったのか。

あの記事以外、ぜんぜん読んでいないのに、あの記事を読んだだけで、とても冷ややかな気持ちを持ってしまった。

そしてあの記事ひとつで、四年前から続けていたブログをやめてしまったということを知って、残念な気持ちになりました。

 

だからと言ってあの記事に対して、コメントや反応をした人たちが悪いとも思いません。

公表したものをどこの誰がどのように消費するかは、コントロールすることはできません。「物語の語り手」は、現代のネット社会では、自分の存在が危うくなるようなダメージを負うこともありうるということをあらかじめ想定して、自衛しながら物語を語らなければならないと思います。

 

本当に大事な物語は、それを「自分の物語として、そのまま聞いてくれる人」にだけ、語ったほうがいい。

とりあえず、浅田舞にそう伝えたいです。

タレント生命のために切り売りするには余りに重く、家族への影響が強い話題ですし、こういう話題を消費されることに耐えられるほどメンタルが強そうには見えないので。

浅田舞、……大丈夫か?(´Д`)

ネット炎上の研究

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