うさるの厨二病な読書日記

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≪ドラマ≫NHK大河ドラマ「真田丸」 第29回「異変」感想

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前回第28回「受難」の感想はコチラ↓

saiusaru.hatenablog.com

 

「秀吉の死」という天下の転機になる出来事の前ふり、「嵐の前の前兆」のような回なので、比較的淡々と進むのかな? と思いきや全然そんなことはありませんでした。むしろ大きな出来事がない回だけに、色々と現代に通ずることが多く、考えさせられる回でした。

 

秀吉の老い

一番はこれです。

ここまで容赦なく書くかねえと思うくらい、老いた秀吉を無残に描きます。

見ていてきつかったです。

三谷さんがここまで登場人物を容赦なく無残に描くことは、珍しい気がします。

寝小便から始まり、同じことを公の場で三度も言おうとしてしまう。

身内ならばいいのですが、天下人である秀吉がこれを公の場で自分に次ぐ力を持つ家康に対してしてしまう、というのは余りに見ていて辛い、残酷な風景です。

「老いたあの人を、拾には会わせたくない」と茶々に言われたことも、見ていて辛いです。

今までも怖い怖いと言われてきた茶々ですが、今回の茶々に比べれば「天然魔性」のあの頃などまだしも可愛いものだったのだな、と思いました。

本当に怖い女は、母になってからの女だ。

秀吉が死んだほうが拾のためだ、と判断すれば、秀吉を毒殺するくらい平然とやってのけそうな凄みを感じました。

 

秀吉に、自分のことよりも秀吉のことを考えてくれる寧がいて、本当によかったです。

老いて無残な姿になっても、記憶があいまいになって、一生懸命作った餅やビスケットを「まずい」と言われても、「あなたたちが何もかも押し付けるから」って、自分のために怒ってくれる人がいる。

その一点だけでも、本当に幸せなことだと思います。

 

拾のことさえなければ、ここで「何だかんだ言って、幸せな人生だった」で落ち着くのでしょうけれど、この状態で小さなわが子を残して死ぬのは、さぞや無念でしょう。

この秀吉には、恐らく三谷さんがかなり自己投影をしていているのだと思います。

だからここまで無残に描けるけれども、どれほど無残に描いても秀吉というキャラが魅力を失わないのだと思います。

 

真田家における男女関係

源三郎、昌幸パパの周辺ですが、今回だけで男女関係における男性の思考のすべてが分かる秀逸なエピソードが満載でした。

辛いことがあると優しく自分を受け入れてくれるコウの下へ行き、でも、それにやきもちを焼くツンデレ稲もやっぱり可愛い。

女性は「いいとこどりでずるい。どっちかはっきりしろよ」とか「どっちに本気でどっちが遊びなんだ」という発想をしがちですが、どっちもそれなりに本気なんですよね。

 

前から思っていたのですが、男性の恋愛って最初から「遊びだ」とか「割り切った関係で」って宣言していない限りは、「遊び」「本気」かというのは、結果論に過ぎないような気がします。

よく女性専門スレで「男性が遊びか本気かは、どう見分ければいいか」とか論戦していますが、男性は恋愛の入り口でそんなことはほとんど考えていないと思います。

「最初は別にそんなつもりはなかったけれど、結果的に遊びになってしまった」とか「別にそこまで深くは考えていなかったけれど、結果的に結婚した」とか「結果的にこうなったから、本気(遊び)だったのだろう」という感じで、女性が思うほど「深く考えていない」と思います。(※個人差があります。)

 

昌幸パパを見ると分かりますが、恋愛にそんなに思考を割いていないと思います。

デザートみたいなもので、疲れているときは甘いものがとりたくなるし、目の前にあれば食べるし、スイーツバイキングに行けばがっつり食べますが、メインディッシュはあくまで仕事や趣味だろう、という感じです。

みたらし団子とショートケーキが両方おいしそうであれば、それは両方食べるでしょう。

主もつば九郎リラックマとバリィさんによって来られたら、とても一人なんて選べません。

 

逆に女性の思考は分かっていないな、という感じがしました。

昌幸と薫くらい長く連れ添った夫婦であれば、もう相手のことくらい分かっていると思うので、さりげなく嫌味を言うくらいで済ますのではないですかね。

別にこれが初めてでもないでしょうし。

ましてや息子と部下の前で夫の女性関係を問い詰めるなんてことは、絶対にしないと思いますよ。

ただ、薫が出浦さまを問い詰めるシーンは無茶苦茶面白かったので、書きたくなる気持ちはよくわかります。

コウと稲もあんなに都合よく、男の夢みたいな対応をしてくれないと思いますよ。

真田丸」は恋愛ドラマではないので、別にいいといえばいいのですが、相変わらず若い女性にはリアリティ……というか人間味がないなあという印象です。

 

あとキリはこのまま、秀次の思い出を胸にキリシタンになって欲しいのですが……ダメなんですかねえ。

今回は、マリアさまの絵を見る長澤まさみの表情がすごくよかったです。

もうここまで来たら、信繁のパートナーにならなくていいんですが。。。。

 

今後の展開を暗示する大地震

今回の最も重要な意義は、主人公の生きるべき道筋がはっきりと定まったという点だと思います。

真田家のためではなく、秀吉と豊臣家のために生きることを信繁がはっきりと決めた回でした。

「秀吉の老化が激しく、死期が近いのではないか」ということを、「真田家のために」と言われても源三郎に伝えず、地震のときに家族をおいても秀吉の下に駆けつける。

この大地震のとき、源三郎は子を身ごもっている稲とコウの下へ駆けつけ、昌幸パパは自分が天下一の城にすると言った伏見城に駆けつけ、信繁は秀吉の下に駆けつけました。

それぞれが今後、何のために生きるのかが分かった象徴的な回だったと思います。

 

真田丸」の真田信繁は、「秀吉」という個人への思入れのために豊臣家のために最期まで戦ったという設定なのですね。

この後も三成とのつながりや大谷吉継との縁、家康や他の諸侯への義憤、豊臣家への憐憫など色々な理由が出てくるでしょうけれど、それは今回の決意を補強するだけのものにすぎないような気がします。

より正確に言えば、秀吉個人に対する気持ちがどうこうではなく、「秀吉に対して感じた縁や思い入れに沿って生きることが、自分の生き方であると決めた」ということだと思います。

秀吉は決して完璧な人間でもないし、欠点も多いけれども、それは余り関係ないのだと思います。

「そういう人に縁を感じ、思入れた気持ちに殉じて生きることを決めた」

そういうことだと思います。三成も同じだと思います。

 

今回のために、大阪編で秀吉との関係性を長々と書いたのだと思うと感慨深いものがあります。

「信繁が、自分の生き方死に方を決めるために、秀吉と出会い縁を結んだ大阪編があった」

大阪編では小日向秀吉の影に隠れて主人公なのに目立たなかった信繁ですが、秀吉が死に瀕しているいま、自分の生き方を決めて、これから信繁の本当の人生が始まるのだと思います。

自分の力と野心が第一の父とも真田家第一の兄とも違う、信繁自身の方向性が秀吉の生きざまを側で見ることで定まったのだと思います。

 

来週は第30回「黄昏」です。

秀吉のボケっぷりが、予告を見た段階で辛いです。

真田丸 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

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