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うさるの厨二病日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語ります。【ネタバレ前提です。注意してください】

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「タイトルで読ませて7万円稼いだ」という記事を書いた人が所属するブロガー集団を、怖いと思った具大的な理由。

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「タイトルで読ませて7万円を稼いだ具体的な方法」という記事が、先日燃えていました。その前に、この方のブログへの寄稿記事が燃えていたんですが、(「国際恋愛をしたい理由みたいな内容でした」)特に毒にも薬にもならなそうな記事だったので、正直、どうして燃えたのかよく分かりませんでした。

自分はブログを始めるまで、ブログ界??のことはよく知らなかったので、イケダハヤトさんという方も八木仁平さんという方も名前くらいしか知りません。

色々な記事でこの方たちの名前が出てくるのを見て、ずいぶん有名な人なんだなと思うくらいでした。

 

なので今回燃えた件についても、「別に個人の自由だし、好きにすればいいと思う」くらいにしか思っていませんでした。

しかし、たまたまSNSで流れてきて目にした八木氏の今回の件に対する言葉を目にして、少し考え方が変わりました。

 

何だろう? この背筋がぞわっとする悪寒は。

 

最近、これと同じ感覚を感じたのは八木氏と同じ集団に所属している宮森さんが「一日を50円で売ります」という騒動の経緯を見たときと、件の「タイトルで~方法」の記事の冒頭に載っている、集合写真を見たときです。

 

「こちらの言葉の意図が全く通じない、コミュニケーションがとれない異種の生物を相手にしている感覚」

 

「相手が面の皮が厚い奴だから、こちらの意図を察していながら無視している」のではなく、そもそもこちらの意図を組む「自我や主体」が相手には存在しないのではないか、そう感じさせるのです。

そう考えると集合写真で全員同じような表情を浮かべていたり、この方たちの記事に対して、「記事の書き手個人の個性が見えてこない」という批判が上がるのもうなずけます。

 

似たような内容を似たような言葉で語り、似たような印象を人に与え、似たような表情で写真に写る。

しかも表題に上げた記事を書かれた方は、プロフィール写真と集合写真の表情がまったく一緒なんですよね。

 

「何かを思考したり、感じたりする自我を、「自分ではないもの」に預ける」

これをすると、自分個人への攻撃をその集団で吸収できるので、いくら攻撃を受けても平気になります。

「傷つくべき自我や主体」を集団(もしく特定の他人)に預けてしまっており、自分の中には存在しないのですから。

 

こういう人はいくら攻撃をしても、スライムを殴っているようなものです。

知性や感情などの主体性を、何か別のものにそっくり預けてしまっているからです。

攻撃対象はそこには存在しないのですから、いくら攻撃しても届きません。

 

このブロガーの方たちの集団の内実を自分は知りませんので、当てはまっているかどうかは分かりません。まったく当てはまってないかもしれません。

 

ただ自分は前々から、「主体や自我をどこかに預けている人たちが集まってできた、外からの声をまったく受け入れない閉鎖的集団」というものに対して非常に強い危惧と恐怖を持っています。

何故かというと、普通の人間が考えられないほどの倫理観を逸脱した残虐性を発揮する事件は、だいたいこのメカニズムで起こっているからです。

「主体や自我を放棄することによって、個人の責任を回避する」

こういう集団のメカニズムで思考や感情を放棄した人間は、信じられないほど非常識なことでも残酷なことでも平気でやります。

 

最近では埼玉県の東松山市の少年によるリンチ殺人、他の事件であれば北九州監禁殺人事件、名古屋のアベック殺人事件、集団の規模が大きい事件だとオウム、連合赤軍、国家規模ではナチスがそうです。

みんな考えたり感じたり、責任をとるべき主体を放棄して、その主体の預け先となった個人(もしくは集団)が暴走することによって、手足と化した人間が残虐性を発揮した事例です。

 

「何を大げさな」と思われる方が大半だと思います。

自分も、仮にこのブロガーの方たちが自分が述べた通りのメカニズムを持った集団だとしても、反社会的な行動や犯罪をする、とは思っていません。

 

ただ自分は、反社会的な行動をとるからこういう集団が恐ろしいのではなく、「自我や主体を自分以外のものに預けて平気」という精神構造を持つ人間に、恐怖を感じます。

ブレインとなる人間よりも、手足となる人間のほうに非常に強い危惧と恐怖を感じます。

こういう手足となって平気な精神を持つ人間は、自分が責任を回避できるという立場になるとどんなことでもやりかねないからです。

 

繰り返しますが、このブロガーの集団の方たちが、そういう集団なのかどうか自分には分かりません。

ただ自分の身内がこういう集団に所属していたら、自分が感じた「外からの声がまったく届かない感覚への恐怖」を信じて、恐らく縁を切るように言うと思います。一度できてしまった縁を断ち切るのは、その集団が外部の声が届かないほど閉鎖的で、結びつきが強ければ強いほど大変です。

そして気づいたときは手遅れ、というケースがほとんどだからです。

 

その集団がどうこういうことはなくても、「主体を放棄する」という精神構造を一度持ってしまった人間は、「次の主体の預け先」を探して、同じことを繰り返します。

今回は良くても、「次の主体の預け先」がどうかまでは分かりません。

 

そういう人間に対してすさまじいアレルギーを持つ自分は、自分が巻き込まれないためにも、自分の身内がそういった集団に所属しようとしたら全力でとめるか、やむえない場合は縁を切ります。

 

ただ今回は対象が赤の他人なので、スライムに対して、届かない攻撃を一生懸命やる必要はないんじゃないかなと個人的には思います。

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