うさるの厨二病な読書日記

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≪ドラマ≫ NHKドラマ「夏目漱石の妻」 最終回「たたかう夫婦」あらすじ&ネタバレ感想

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NHKドラマ「夏目漱石の妻」の最終回のあらすじ&ネタバレ感想です。

前回のあらすじ&ネタバレ感想はコチラ↓

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最終回あらすじ

金之助は、足尾銅山で働いていた荒井の経験をもとに、「杭夫」という小説を書き上げた。金之助は荒井と親しく付き合い、房子も荒井に心を惹かれていたが、鏡子は荒井に警戒心を示す。

房子や周りの者たちは、「商売を始める」という荒井に金を貸すが、荒井はその直後に行方をくらます。

 

一か月後、社会主義者をかくまった罪で捕まっていた荒井が、金之助を身元保証人に指定したために、金之助と鏡子は荒井の身柄を引き取りに行く。

荒井は房子たちから金を飲み食いに使ってしまい、金之助が勤める出版社には金之助を中傷する内容を伝えていた。

金之助に「なぜ、そんなことをしたのか?」と問われた荒井は「自分の父親にそっくりな金之助が憎かった」と答える。

金之助の子供たちは「金之助のことが怖い」と語り、金之助はちっとも家族のことを理解しようとしていない、この家は自分の家と同じようにバラバラだと言う。

そして、金之助に対して「奥さんのことを愛していると言えるのか」と問いつめる。

答えられない金之助に対し、鏡子が「この人は小説のことしか考えていないんだ」と答える。

 

荒井は夏目家を去り、金之助と鏡子の関係は冷え込んでいく。

金之助の胃潰瘍は悪化していき、伊豆へ療養へ向かうことになる。金之助は鏡子についてこなくていいと伝えるが、鏡子の下に、金之助の危篤を伝える電報が届く。

生死の淵をさまよう中、金之助は鏡子に「大丈夫だから。うちへ帰ろう」と伝える。

 

最終回感想

前回に引き続き、神回でした。

このドラマは夫婦愛を描いているのですが、今の時代でこの愛を表現する言葉がないんですよ。今の時代だと「これは愛とは呼べないのでは??」といわれると思います。

 

金之助は鏡子のことをまったく理解しようとしていないし、そもそも関心すらほとんどないです。鏡子が何を考えているか、ほとんど興味がないと思います。残念ながら、それが掛け値なしの真実なのだと思います。

鏡子もそれは分かっている。

 

「この人に(鏡子を愛しているかなんて)答えられるわけないじゃないですか。小説のことしか頭にないんですから」

だから、荒井の「夏目さんは奥さんを愛していると言えますか?」という問いに対してこう答えたのだと思います。

「自分を愛しているか、金之助は答えられない」「金之助は自分に無関心である」

ということまでは、鏡子も理解しています。

でも、それでも金之助は自分のことを愛しているんだ。

ということは、理解していないんですよ。

そういう意味では、鏡子も「本当の金之助」には興味がないんです。

 

お互いに無関心であり、本当の意味で相手を理解しようとしていない。

このドラマの夏目夫妻の夫婦関係は、終始一貫してこういうものです。

 

「小説のことで心の全てが囚われているため、他のことには興味を抱く余裕がない金之助」

「自分(現実)との関係性の中の金之助には関心があるが、その関係性とは切り離されたところにある金之助そのものにはまったく興味がない鏡子」

 

鏡子は「金之助を愛しているのか」と問われれば、「愛している」と答えるかもしれない。でもそれは、「自分の夫としての金之助」なんだと思います。

 

金之助は、そのことを誰よりもよく分かっていると思います。

鏡子が見て愛しているのは「自分という存在そのもの」ではないということを。そのことに対する苦しみが、恐らくあるのだと思います。

だからもし、荒井から「鏡子はあなたのことを愛していると思うか?」と聞かれたら、同じように答えられないと思うんですよね。

 

一見すると、「金之助、ひどい。鏡子、かわいそう」になると思うのですが、自分は

「小説のことで頭を占領されていて、他のことを考えられない苦しみ」

「そしてそんな自分を理解するどころか、しようとする人すらいない孤独」

を味わっている金之助のほうが、よほど気の毒だと思います。

自分のことを「自分の夫」としか見てくれない人と共に生きていく、というのはなかなか辛いことだと思います。

「頭が小説のことでいっぱい」の自分は「いい夫」になどなれるはずがないのですから。

鏡子が心の底から信じる占いのことをなんだかんだ言うのは確かにひどいことですが、そんなひどいことを言ってでも金之助は、「自分そのものを見て、自分そのものを理解してくれ」と言いたかったのだと思います。そしてそれを鏡子に言うということは、やはり鏡子のことを愛しているのだと思います。

 

この二人の相互無理解ぶりは、金之助のほうが表面上はどこが悪いか理解しやすいので、第三者から見れば「金之助が悪い」「金之助のせい」「鏡子がかわいそう」となります。だから、荒井も金之助を責めます。

 

でも自分はそんなことはないと思います。

鏡子だって、同じくらい金之助に無関心だし無理解です。自覚がないぶん、鏡子のほうが性質が悪い気がします。

 

最終回にして、こんなに夫婦のディスコミュニケーションぶりが行きつくことまで行きついてしまい

「夫婦なのにお互い理解できない。理解しようとすらしない」

というこの関係性をどうやってまとめるのか。

恐らく、金之助が危篤になって、お互いの大切さに気づくのかなあと思っていましたが、このドラマはとんでもないウルトラCな回答を用意していました。

 

「愛が、無理解や無関心と並列して存在できないなど、誰が言った?」

 

マジかよ\(◎o◎)/!

 

 

「夏目漱石の妻」総評

すごいドラマでした。

狂気によってハートフルを表し、無理解によって愛情を表し、絶望を生きることによって希望を表す、そんなドラマでした。

 

ちなみに見た直後の感想はこれ。

 

「どれほど努力しても理解し合えない関係性」を描くことによって、夫婦とは何か、愛とは何かを描いた物語でした。

金之助と鏡子を見ると、これだけ近くにいてどれだけ一緒にいても、人と人とはこれほど分かり合えないものなのか、これほど傷つけ合うものなのかという絶望を感じます。

 

「愛の反対は無関心」

よく言われる言葉です。

金之助と鏡子はお互いにまったく関心がないわけではなありませんが、お互いの内面を理解しようという試みはほぼ皆無です。「相手のことを分かろう」という努力すら、放棄しているように見えます。

 

金之助は鏡子のことを理解していなし、鏡子も金之助のことを理解できない。

 

「愛しているのか」と問われれば、「自分は小説のことで頭がいっぱいだ」という。

「あのキヨという登場人物は私のことでしょう??(´∀`*)ウフフ」と言われたら、「なに言っているんだ、そんなわけねーだろ」と思う。

 

でも、金之助はその後に「それがきみだよね」と思う。

自分の考えていることなんてちっとも理解していなくて、勝手に解釈して、勝手に満足して幸せそうなきみ。それこそがありのままのきみで、そんなきみとずっと一緒に生きてきて、これからも一緒に生きていく。

 

「自分の一番近くにいて、これからも共に生きる人と決して理解し合えない」

 

字面だけで見ると絶望しかありません。

でももし、現実でそういうことがあって、その人がそれでも自分とずっと一緒にいてくれたら、それは実は希望に似ているのかもしれません。

「決して理解できない」という事実を共有しながら 一緒に生きていく。

分かり合えないことにイラつかず、絶望もせず、分かり合えないまま、自分を決して理解しないだろう、自分が決して理解できないだろうことを認めて、その人と生きていく。

この穏やかな諦めにも似た感情が、実は愛情というものなのかもしれません。

 たとえ分かり合えなくても、傷つけあっても、どれほどその関係性に絶望を感じても、人は一緒に生きていけるのではないか。

そんな風に思えるドラマでした。

 

 「愛とは、相手を理解しようという試みを繰り返し続けることである」

と考えていた自分にとっては、衝撃的な物語でした。

 

愛の反対は憎しみではない。そして、無関心でもない。愛はただ愛なだけである」

無関心でも理解できなくても、傷つけあっても絶望しても、愛することはできる。

 

これは愛だけではなく、自由や生き方にも通ずるものがあります。

今の時代は、余りに言葉の定義が強すぎて、「こうこうこうでなければ愛ではない」「こうこうこうでなければ自由ではない」「自由でなければ社畜」「こういう生き方をしていなければ負け組」そういう発想が強すぎるような気がします。

この時代のように、「一度夫婦になったからには、簡単には別れられない。夫婦であり続けるしかない」そういう状況下で生き続けて見えてくるものもあるのかもしれません。

DVはダメですよ。絶対許しちゃいかん(# ゚Д゚)

DVは即離婚してよし。

 

それはともかくとして……。

 

ものすごく難しいテーマだったと思います。

昨今の字面だけの愛や倫理、自由をかなぐり捨てて、どの問題に対しても決して、視聴者の胸にすっきり落ちるような白黒はっきりした結論を与えず、「日常を生き続ける過程」そのものを答えとして与えるという、人生そのもののようなドラマでした。

 

言葉や情報が溢れる今の時代では、かなり困難な試みだったと思います。脚本の素晴らしさもさることながら、俳優さんたちの熱演なくしてこのドラマは成立しなかったと思います。

金之助が長谷川さんだったから、鏡子が尾野さんだったから、「無関心や無理解と並列しうる愛情」を表現できたのだと思います。

 

自分ではけっこう色々なものを読んだり見たりしてきたつもりで、これ以上、価値観が大きく揺さぶられることはないだろうと思っていましたが、まだまだですね。

世の中には、まだすごいものがたくさん眠っています。

自分の価値観に沿ったり反したりするものではなく、自分の価値観では想像もつかないものを見るなんて経験が、まだできるとは思いもしませんでした。

 

本当に見てよかった、心の底からそう思えるドラマでした。

長谷川さん、尾野さんをはじめ、俳優陣製作陣の皆さま、どうもありがとうございました。

願わくば、このチームで、もう一本くらいドラマがみたいです。

漱石の思い出 (文春文庫)

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