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うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語ります。【ネタバレ前提です。注意してください】

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【漫画】 人生の生き方や価値観に悩む人は、刮目して読むべし。野田サトル「ゴールデンカムイ」

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すごい漫画に出会ってしまった。

「週刊ヤングジャンプ」で絶賛連載中の「ゴールデンカムイ」である。

 

人気があるのは知っていたが、絵が好みではなかったことと、

「どうせあれでしょう?? なんちゃってアイヌの可愛い女の子を守りながら、格好いい俺が大活躍するオタクの妄想夢物語でしょう??」

という、ものすごい偏見があった。

そんなことを考えていた過去の自分に、往復ビンタを喰らわせたい。

 

知らない人のために、あらすじを転載しておく。

日露戦争(明治37年)に従軍した元陸軍兵・杉元佐一は、戦死した親友・寅次の「妻の梅子の眼病を治してやりたい」という願いを叶えるため、一攫千金を夢見て北海道の地を踏み砂金を採っていた。ある日杉元は、アイヌが秘蔵していた八万円(現代の価値にして約8億円)相当の金塊の噂を耳にする。アイヌから金塊を奪った男・のっぺらぼうは、収監された網走刑務所の獄中で、同房の囚人たちの体に全員合わせてひとつとなる入れ墨を彫り、金塊の隠し場所の暗号にしたという。その後その囚人たちが脱獄したという話を聞きつけた杉元は、金塊探しを決意する。

探索行についた杉元は、ヒグマに襲われた窮地をアイヌの少女・アシㇼパに救われる。アシㇼパの狩人としての技量と知識に感服し、さらにアシㇼパの父が金塊を奪われて殺されたことを知った杉元は、自身は親友の願いを叶えるだけの金を手に入れる代わりに、残りの金塊をアイヌの手に戻しアシㇼパの父の仇を討つことを条件に、アシㇼパに金塊探しへの協力を求め、行動を共にすることになる。

                        (Wikipediaより引用)

 

あらすじを読めば分かると思うが、「ゴールデンカムイ」は物語の筋や謎が非常に魅力的で、それだけでも十分面白い。

 

しかし、自分がこの物語で一番すごいと思っている点は別にあるので、今回はそのすごさについて語りたい。

 

主人公杉元とアイヌの少女アシㇼパの関係がいい

現代でいうとおよそ8000億円の価値がある金塊を手に入れるため、(あらすじでは、八億円になっているが、後にそれをはるかに上回る量であることがわかる)主人公杉元が相棒として選んだのは、アイヌの少女アシㇼパである。

 

アシㇼパは厳しい環境の中で生き抜くための、アイヌの知恵を豊富に持った少女だ。

柔らかい雪の上をどう歩くのか、動物の習性はどうなっているのか、食べ物はどう保存するのか、そういった知恵を持っていて、その記述が漫画に頻繁に出てくる。

 

杉元は日露戦争を生き抜いた戦闘力が高い男だが、それだけでは厳寒の北海道各地を巡り、逃げ回っている囚人たちを探すことはできない。

杉元にとってアシㇼパは金塊探しの相棒であると同時に、過酷な環境を生き抜くための師である。

だから杉元はアシㇼパを、「アシㇼパさん」と呼ぶ。

 

杉元は恐らく20代後半くらいの青年であり、アシㇼパは12,3歳の少女である。しかし杉元はごく自然に、一回り以上年下の彼女を師として敬意をもって接している。

それは同時に、この漫画を描いている作者のアイヌの文化に対する敬意を表している。

これが素晴らしいな、と思う。

 

「ゴールデンカムイ」では、アイヌの文化や風俗、生活習慣が事細かに描写されており、その一点だけでも著者のアイヌ文化への理解と深い敬意が感じとれる。

杉元のアシㇼパに対する姿勢は、同時にこの漫画がアイヌ文化に向き合う姿勢なのだと思う。自分と異なる民族のことを取り扱う場合は、これくらいの姿勢で挑むべきだと思っている。

 

どうせあれでしょ?? 可愛い女の子にアイヌの民族衣装を着せて、適当に男受けするキャラ設定にして、萌え~~~とかやっているんでしょう??

 

そんな風に考えていて、本当に申し訳ありませんでした(*´Д`)

 

 

そうは言っても、杉元は非常に男気に溢れる男なので、アシㇼパの少女としての一面を慮り、彼女を巻き込むことを恐れて、一人で金塊探しの旅に出る。そして、同じように金塊を狙う軍隊に捕まる。

助けられたあと、金塊を追いかけることの危険性を説く杉元に対する、アシㇼパの返答がまたいい。

 

「私が自分で判断したから、協力すると決めたんだ」

「私を子供扱いして相棒として信用せず…、一人で軽率に行動して捕まったのはお前じゃないか」

 

正論すぎる。

アシㇼパは知識があるだけではなく、非常にかしこく自分をしっかり持った少女で、「なぜ、杉元が年下の少女であるアシㇼパを尊敬するのか」ということが、何の違和感もなく納得できる。

敵に人質として捕らえられ銃をつきつけられたときも、「助けて」というのでもなく凡百のヒロインのように「私にかまわないで」というのでもなく、

 

「あの男(杉元)にとって、私にそこまで価値がない。最後には撃ってくる。無駄に殺し合うな。ここはお互いに引くべきだ」

 

と、敵に対して交渉し出す冷静さ。

アシㇼパさん、カッコよすぎ。

 

少女の姿をしたアイヌの神か何かじゃないだろうか……と思えるほどの、豊富な知識と冷静な状況判断ができるかしこさを合わせ持ちながら、時には子供らしい可愛さも見せる。

このアシㇼパというキャラクターの魅力に触れるためだけでも、「ゴールデンカムイ」は読む価値がある。こんなに恰好よく可愛い女性キャラには、めったにお目にかかれない。

 

「ゴールデンカムイ」は、アイヌの少女であるアシㇼパに対する杉元の姿勢のように、自分とは異なる文化や性質を持つ者たちに対する尊重の念が全編を通して貫かれている。

残酷なキャラも、ずる賢いキャラも、冷徹なキャラも出てくるが、全員「自分とは異なる文化や性質を持つ他者に対する尊重の念」を当たり前のものとして持っている。

 

例えば、第七師団とはぐれた谷垣は元はマタギの出であり、主人公たちを追うために熊撃ちの名手である二瓶と手を組む。

自分は「マタギ」と「熊撃ち」の違いすらよくわからなかったのだが、二人の会話の中でマタギの文化や習性が細かく語られる。

そもそも集団で狩りをするマタギと、犬を連れて単独で動く「熊撃ち」は狩猟の仕方がまったく違うのだが、二人はその差異を追求せず、どちらのほうが優れているという話もせず、お互いのやり方を自然に尊重している。

 

また「ゴールデンカムイ」には、一般的には「変態」と呼ばれるようなキャラも数々出てくる。

年をとった医師が女装をしていたり、特に美形でもないおっさん同士のカップルが出てきたり、死体の皮をはいで衣装を作る男が出てきたりもする。

しかし、登場人物たちは、彼らと敵対して戦うことはあっても、彼らの性癖や人格を攻撃したり揶揄したりすることは一切しない。

 

特に死体の皮を衣装として作り直す江渡貝など正真正銘の変人だが、彼と接する人間は誰一人として人格や性癖を以って江渡貝を忌避も非難もしない。「江渡貝の持つ技術を利用する」という目的があるから、というのもあるが、それをふまえても、見張りとなった月島や前山などは、江渡貝に仲間意識すら感じているのではないかと思える。

 

自分は「ゴールデンカムイ」のこういうところが、たまらなく好きだ。

 

自分に合った武器で、自分の戦い方で戦う

もうひとつ、自分が「ゴールデンカムイ」で素晴らしいと思う点は、出てくるキャラクターたちがそれぞれ「自分の生き方、戦い方」を持っている点だ。

 

「熊撃ち」の二瓶鉄造は、村田銃を使う。

村田銃は弾が一発ずつしか入らない。だから普通は、指に予備の弾を挟んでおく。

しかし、二瓶はそれをしない。

 

「五発あれば、五回勝負ができると勘違いする」

「一発で決めねば殺される。一発だから腹が据わるのだ」

 

そう言い切る。

他人の目から見れば、一発しか弾が装填できない村田銃は不合理な武器だ、そして予備の玉を持たないのは危険に見えるかもしれない。

でも、自分にとってはこの戦い方がいい。

他人の目から見た合理性や危険性など、なんの関係もない。

 

第七師団を脱退した尾形も、同じことを語る。

尾形が武器として使う三十年式歩兵銃は、弾が小さいため二、三発当たっても人は死なない。そのため、射程距離と命中率は高いものの「不殺銃」などと揶揄されている。

 

「でも俺は、三百メートル以内なら確実に相手の頭を撃ち抜ける」

「俺と相性が合うというわけだ」

 

例え他人から見て殺傷能力が低く、「不殺銃」などと揶揄されている武器でも、自分に合う武器を選び、それで戦う。

他人には合っていなくても、自分にはこれが合っている。

そしてその武器に見合う戦い方で、戦い続ける。

 

「ゴールデンカムイ」のキャラクターは全員、そういう戦い方をする。

 

新撰組の生き残りである土方は銃も使うが、基本的には刀での斬りこみを好む。銀行を襲い、名刀「和泉守兼定」を奪う。それが自分に合った武器だからだ。

柔道家の牛山は常に肉弾戦を行い、武器はまったく使わない。アシㇼパは愛用の弓や即席の槍にアイヌの伝統の毒を塗って戦う。

 

他の誰かかから「その武器はどうなんだ」「その戦い方はどうなんだ」そう言われても、自分自身に合った武器を自分で選び、自分の戦い方で全知全能を振り絞って戦う。

 

自分の武器も、自分の戦い方も自分で決める。

 

「ゴールデンカムイ」はいくつもの素晴らしい点があるが、自分はこの漫画の全編を通して貫かれている哲学、

「自分とは全く異なる、他人の文化や性質を認め、尊重する」

「他人の価値観とはまったく関係ない、自分に合った武器を見つけ、自分に合った戦い方をする」

という二つの点に、震えるほど強い共感を覚えた。

 

そして、人生はこう生きるものではないかと強く思った。

「価値観とは、他者のそれと相対化して作るものでも語るものでもない。人生の生き方や戦い方は、自分が生きた過程で、自分固有の絶対的なものとして作り上げるべきだ。そして各々が自分の生きる過程で作り上げてきた価値観や生き方を、お互いに尊重して生きるべきではないか。それが自分にとって、理解しがたいものであっても」

 

他人の価値観と相対化することでしか自分の価値観を語れない、正当化できない人間が多い現代では、「ゴールデンカムイ」は刮目して読まれるべき漫画だと思う。

 自分が作り上げた戦い方で命を賭けて戦い、自分はいったい何のために生まれてきたのかという命題を極限まで追求する物語に胸を打たれると思う。

 

余談:気になる点がないでもない

以上のように「ゴールデンカムイ」は素晴らしい漫画であるが、気になる点がまったくないと言えばウソになる。

以下は完全に好みの話であるが、「ここがちょっと」と思う点をあげる。

 

①ギャグの演出が好みではない

緊迫した場面に、突然ギャグを入れてくる。殺人鬼辺見のキャラクターや、ヒグマと命がけで戦っているときに、おっさんがおっさんを「姫~~!!」って呼んだり。

そこがいいという人もいるとは思うのだが、自分はギャグなのかどうなのか一瞬悩んでしまう。この辺りは、好みが分かれると思う。

若山と仲沢のおっさん同士の純愛は泣いたけど……。仲沢を助けるためにヒグマと戦う若山は、マジで恰好よかった。半裸のおっさんなのに。

ちなみに極道の若山は、ヒグマにもドスで立ち向かう。こういうところもいい。

 

②おっさんがやたらぬぐ。

これは……なぜ、なんだろう?? いいんだけれど、ぬぎすぎじゃないか??

しかも別に美青年とかじゃなくて、正真正銘のただのおっさんがやたらぬぐ。

おっさんの脱ぐ姿を描きたいから、「暗号を入れ墨として彫る」というアイディアを採用したのではないかと思うほどだ。

いや……いいんですけれど。

 

金塊強奪の首謀者であるのっぺらぼうの素性や、真の目的などがじょじょに分かってきており、物語はますます面白くなってきている。

 

未読の方は、ぜひ手にとってみて欲しい。 

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尾形、カッコよすぎる。

「ゴールデンカムイ」は、ほとんど全キャラ好きだが、特に尾形と谷垣と二瓶が好きだ。

「猟師の魂が勃起する」

って、無茶苦茶カッコよくないですか?? 二瓶……。