うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語ります。【ネタバレ前提です。注意してください】

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誰ひとり傷つけない、優しく美しい言葉だけを吐ける人なんてこの世にはいない。

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最近、色々な場所で「ネガコメに悩んでいる」「ブログをやめようかと思っている」という言葉を見るようになった。

 

自分はネガコメを受けてブログを止めるのは、非常にもったいないと思う。

というよりは、

「ネガコメがまったくこないことを想定して、ブログを始めたのだろうか」

とそのことに驚く。

 

趣味のブログや面白系のブログは分かる。

オピニオン系の記事を書いた場合は、価値観の違う人間からキツめの反論がくることも、ある程度は想定しておくべきだろう、と自分は考えている。

(誹謗中傷や、内容にまったく関係のない人格攻撃は論外なので除く。)

 

オピニオン系の記事は、書いてネットで発表した時点で「自分が見たこともない人間の心を殴ってしまう可能性がある」ということを、念頭におくべきだと思う。

それがどんなに自分にとって、たわいがなかったり、正しいと思っていたり、優しい意見だと思ってもだ。

 

オピニオン系の記事でなくとも、その可能性はある。

例えば自分はゲームの記事も書くが、ただの趣味の記事でさえ「ゲームなんてする気持ちになれない」「ゲーム買う余裕がない」誰かの心を傷つけてしまうかもしれない。

 

「子供ができました」という喜びを綴れば、子供ができないことに悩む誰かの心を傷つけてしまうかもしれない。

彼氏彼女の愚痴を書けば、生まれてこのかた異性と交際したことがない誰かの気に触るかもしれない。

「今月、これだけ収益があがり、これだけPVは稼げました」という報告をすれば、なかなか結果が出ない誰かの心をざわつかせるかもしれない。

 

「それは傷つくほうが悪い」という人もいるかもしれない。

「他人の幸福を喜べないほうがおかしい」という人もいるかもしれない。

しかし、どちらの責任、どちらの感じ方がおかしいということは関係なく、「自分の発言が誰かを傷つける」ということは、日常で頻繁に起こっている。

 

極端に言えば、自分が幸せそうに生きているだけで、「あの人に比べて、どうして自分は幸せではないのだろう?」と思う人間だっているのだから。(その究極の形が、無差別殺人や無差別テロである。)

人は存在しているだけで、誰かを傷つけてしまうことすらありうる。

誰かに対して微笑みかければ、微笑みかけられなかった誰かが傷つく。

 

この世の中で誰も、傷つけたことがない人間など存在しない、と自分は考えている。

みんな誰かを傷つけて、誰かに傷つけられて生きている。

 

これがリアルならば、相手の背景を知っているので、できうる限り配慮することができる。

相手が就職活動がうまくいかず悩んでいれば、その話に触れることに遠慮したり、自分が先にどこかに受かったとしても控えめに報告したりするだろう。

 

しかし、ネットではどこのどんな環境の誰が見るか想定することができない。

「そういう人が読むとは思わなかった」

「そんな風に受け取るとは思わなかった」

自分が言及しようと思った層ではない人に届いてしまい、思わぬ形で相手の心を揺さぶってしまい、強い反論を招いてしまう。

ブログを書いている人は、一度はそんな経験をしたことがあると思う。

 

どんなに他愛がない、どんなに優しさに満ちた、どんなに明るく楽しい記事でも、誰かの深いところに傷をつけてしまう可能性がある。

思わぬ形で、相手の深い部分を揺さぶってしまう可能性がある。

 

自分はオピニオン系の記事を書く人は、そういうことを前提として、それでも書いているのだと思っていた。

 

ブログを続ける続けないは、当たり前だが本人の自由である。

残念だとは思うけれど、心が折れてしまったら続けられないのは仕方ないことだと思う。

でも自分の意見をネットに出しておいて、

「自分が傷ついたからやめる。自分は正しく優しいことしか言っていないのに。相手は優しくないことばかり言う」

と言うのは、どうかと思う。

自分の書いたことは誰も傷つけたことがない、そう考えるのは傲慢だと思う。

 

どれほど自分が優しいと思った言葉だろうと、正しいと思ったことだろうと、誰かを傷つけることはある。むしろ、誰もまったく傷つけない言葉のほうが珍しいのではないかと思う。

 

自分にとって優しいことが、正しいことが、面白いことが、誰かにとってはとてつもない痛みを伴う、辛いことであることもありうる。

リアルとは違い、ネットはその誰かの心に自分の言葉が届いてしまう可能性を、飛躍的に高める行動だ。

それでも書きたいことがあるなら、たとえ見も知らぬ誰かの心を傷つけてしまうかもしれなくても、書き続けるしかない。

 

全ての人にとって、美しく優しく素晴らしい言葉を書くことはできない。

それどころか、誰から見ても取るに足らないつまらない言葉しか書いていないのかもしれない。そんな意味のない行為で、遠くの誰かの心を傷つけているかもしれない。

 

それでも、書きたいから書く。大半は明日には忘れられてしまう意味のない言葉でも。

自分が書きたいから。

書きたいか、書きたくないか。

個人がブログを続ける理由なんて、究極的にはそれだけだと思う。

 

書きたくなくなったならやめればいい。

 

 

補足1:本文でも触れたけれど、意味をなした批判や意見などではなく、暴言や誹謗中傷などを浴びせられた場合は、ただただ気の毒だと思っている。できれば気にしないで続けて欲しい。身の危険を感じる場合もあると思うので、無理にとは言えないけれど。

 

補足2:自分が意図的に傷つけようとしたわけはないのに、「自分は傷ついた。責任をとれ」という人の相手をしたり、その言葉を受け入れる必要はまったくないと思う。

あくまでそんなつもりがなく相手の心を傷つけてしまったのならば、そんなことはお互いさまだし、どちらに責任があるとは言えないと個人的には考えている。

言葉に対してどう感じるかは、人それぞれ自由であるが、その反応をすべて受け入れる義務がこちらにあるわけではない。

 

補足3:自分もたまに、記事に対して否定的なコメントを書くことがある。「そのせいでブログをやめました」という人がいても、それは本人の自由なので気にしないと思う。

 

補足4:それなりに有名な人というのは、ネガコメもよく見るが、それでも書き続けている。すごいと思う人もいるし、自分には合わない、考え方も違うと思う人もいるが、その一点においてはどの人も尊敬している。