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うさるの厨二病日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語ります。【ネタバレ前提です。注意してください】

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ネットで恋に落ちるなら、これだけは確かめておけと思う。

うさるごと

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交際相手と知り合ったきっかけが、SNSなどを通じて、ということも最近では珍しくなくなってきていると思う。

人を判断する際に、自分は言葉にそれほど信ぴょう性をおいていない。

その人が打ち込んだ文字だけで恋に落ちるというは、世の中で言われている以上に危険なことだと思う。

 

会ったことのない相手に文字情報だけで恋をしてしまう人がいるのは、なぜだろうか。

 

原因のひとつに、ネットが自己開示に最適の道具である、ということがあると思う。

 

自分を含め、ネットでは、リアルで決して語らないようなことを語っている人が多い。

深い哲学的な事柄から、ずっと秘めていた個人的な思い、特定の属性に対する罵詈雑言、下品な下ネタ、リアルでは一度も音声化して聞いたことがないような言葉が、ネットには溢れかえっている。

 

何故、こんなことができるのか。

ネットは情報を発信することができるが、その情報に対する相手の反応を受け取るか受け取らないかを自分で選ぶことができるからだ。

 

リアルでは、目の前に相手がいて自分が何か言葉を発すれば、必ず相手は反応する。

そして、その反応を否応なく目にしなければならない。(「目の前にいる人間が言葉を発しているのに無反応」というのも、一種の反応。)

話す事柄が自分の本心に近ければ近いほど、相手の反応によって傷つく可能性は高くなる。

 

ネットで言葉を発するということは、例えるなら砦の中から銃を撃つことに似ている。

自身が狙われ、攻撃されたと思わない限りは、相手は反応しない。かすり傷程度ならば、相手はさっさと去るだけだろう。砦によじ登り侵入してまで、砦の中の人間に接触しようとはしない。(大勢の人間に攻撃をしかけて攻め込まれるのが、炎上である。燃えている砦を見て、さらに大勢の人間が押し寄せてくる。)

 

 これに対してリアルのコミュニケーションは、相手と相対して戦うようなものだ。

自分がどんな人間を相手にしているかはっきり分かっているし、相手の反応もよくわかる。殴りあうこともできれば、握手を交わすこともできる。

 

不特定多数の他人に対して相手の反応を受けとることなく、一方的な自己開示ができる。

これがネットの、最も大きな特徴だと思う。

 

ネットで不特定多数の人間に向かって言葉を発するとき、画面の向こうの言葉の受け取り手を、個体としてありありと想像してから発信する人などマレだと思う。

受け取り手を血肉を持った個体として想像しなくてよいからこそ、ネットではリアルで言えないようなことを言えるのだ。

 

しかし、いくら自分が言葉の受け取り手を想定していなくても、その存在は同じネットの中に確実にいる。そしてリアルではほとんど触れる機会のない、「口にできない誰かの本心」に触れている。

相手に対して親密感を抱くことがあるのは、当然のことだと思う。

 

文字で表された情報以外は何もないので、それを元にしてあとは空想でその人物像を埋める。

自分が好意を抱くために都合のよい情報を取り出し、あとの隙間を想像で埋めて、理想化した像を作り上げる。(その相手が、自分の想像に都合がいい情報のみを開示しているから好意を抱く、という言い方もできる。)

 

そういったネット上のみでの恋に対して、リアルは自分の全感覚が試される。

ある人間の目の前に立って一対一で向き合ったとき、自分がどういう感覚を持つのか、相手との関係性を発展させるときに非常に重要だと思う。

 

理屈抜きで「呼吸が合う」「無言でも空気感が心地いい」

これは、ネット上の文字のやり取りでは確かめようがない。

 

ネットでのコミュニケーションは、メッセージのやり取りなど一見、双方向性に見える機能でさえ、実は相手の都合を気にせず、自分の呼吸のみで行える一方向性のものだ。

双方向性に見えてもネットのコミュニケーションは、それぞれが自分の呼吸のみを考えて行える一方向性の二つの発信がただ並んでいるに過ぎない。

 

ネットとリアルのコミュニケーションは、どちらが良いとかどちらが上とかいうものではなく、まったくの別物だと自分は考えている。これをコミュニケーションという言葉でひとくくりにし、互換し合えるものだと考えることに、もともと無理があると思う。

 

恋は感覚の誤作動の産物だと思う。

しかし、一方向性のコミュニケーションを二つ並べただけの状態では、そもそも誤作動が起きる素地すらできていない。

 

相手の拳が届く、自分が相手から傷つけられる危険性がある距離に入ったとき、自分がどう感じるか。

相手から傷つけられる危険を犯してでも、もっと近づきたいと望むのか、それともそこから離れたいと感じるのか、それが恋愛のスタート地点であると思う。

 

相手から傷つけられる距離に行くことなく、相手に手をつないでもらったり抱きしめてもらうことはできない。

 

補足:繰り返しになるが、自分は良くも悪くもネットとリアルのコミュニケーションはまったく別属性の別物だと考えている。

ネットのコミュニケーションは自分も楽しいが、それがリアルのコミュニケーションの代替物になりうるという考えには、おおいに疑問を持っている。

ネットはネット、リアルはリアルである。