うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語ります。【ネタバレ前提です。注意してください】

follow us in feedly

矛盾だらけの不思議な歌詞。秦基博「ひまわりの約束」の謎を考える。

【スポンサーリンク】

 

初めて聴いたとき、不思議な歌だと思った。

「STAND BY ME ドラえもん」の主題歌として有名な秦基博の「ひまわりの約束」だが、初めて聴いたとき、不思議な歌だなと思った。

改めて歌詞を読み返すと、多くの謎と矛盾が含まれていることに気付く。その矛盾と謎について、改めて考えてみたい。

 

この記事を書くにあたって、秦基博自身の言葉や他の人の解釈は目にしていない。もしかしたら、もう公式の解釈があるのかもしれない。

自分は、初めてこの歌を聴いたいたときに感じた、自分自身の疑問を考えたいと思ってこの記事を書いている。あくまで、個人的なひとつの解釈として読んで欲しいと思う。

 

「僕」と「君」との関係が分からない。

「ひまわりの約束」は、「僕」が「君」に対しての思いを述べる歌である。

一番では二人は一緒におり、二番では離れ離れになり「僕」は「君」を思い出してその思いを歌う。

 

「僕」に悲しいことがあると、「君」のほうが先に泣く。

「僕」に何かあると「辛いのがどちらか分からなくなるほど」「君」は悲しむ。

「僕の悲しみを、僕以上に辛く思い悲しむ存在」ということから察するに、「僕」と「君」はそうとう親密な関係であることが分かる。

少なくとも「君」は「僕」のことを、大切に思っている。

f:id:saiusaruzzz:20170124175759p:plain

この段階で、真っ先に思い浮かぶ関係は「親子」である。「君」から「僕」への一方向の思いが強いように感じるからだ。

しかし、親子であるなら「君」という二人称には違和感がある。

親に対して「君」という二人称を使う子供も存在するかもしれないが、一般的には想定しづらい。

「僕」「君」という言葉から、内実はどうあれ表向きは、二人は対等の関係性だという想像が妥当だ。

 

とりあえず恋人(もしくは夫婦)、あるいは親友という仮定で先を読む。

そうすると、また不思議な言葉にぶつかる。

 

「そばにいたいよ。君のために出来ることが、僕にあるかな」

  

自分がこの歌の歌詞で最も不思議に思ったのは、この部分である。

そばにいたいなら、ただいればいいのではないか? 

「君」は「僕以上に、僕の悲しみを悲しんだり辛がったりする存在」なのである。

それほど大切に思われているなら、「君」だって「何もしなくても、ただそばにいてくれるだけでいい」そう思っているだろうと想像がつく。

 

しかし、「僕」はこう思っている。

「そばにいるためには、君のために何か出来ることがなければならない」⇒「そうでなければ、そばにいられない(もしくはいづらい)」 

少しとんで、二番のサビの歌詞にくると、「僕」がなぜそう思うのかが少し分かってくる。

「その優しさを温もりを全部返したいけれど、君のことだからもう充分だよ、ってきっと言うかな」

 

「僕」は「ひまわりのような優しさや温もり」を、「君」から一方的にもらってきたと考えている。(事実はともかく、「僕」はそう考えている。)

そして「君」が言うであろう「もう充分だよ」という言葉から察するに、「僕」がそう思っていることは「君」も知っている。

恐らく、二人の関係は表面上は、「僕」が「君」から一方的に色々なものをもらっていた関係なのだ、ということが分かる。

 

一方的に「優しさや温もり」をもらってきた関係に負い目があるために、「僕」も「君」に何かしてあげたい、もらったものを返したいと考えている。

そうでなければ、そばにいたいけれどいられない、でもそばにいたい、そういう意味になる。

 

「僕と君」という対等の関係でありながら、「一方的に何かを与えてもらい、それを返せなければそばにいたくてもいられない」と「僕」が考える関係。

これだけでだいぶ矛盾しているが、歌が進めば進むほど、二人の関係がどんどん分からなくなる。

 

二番の歌詞で、二人は別々の道を行く

これほど「いつも君に笑っていてほしい」「そばにいたい」という相手を思う気持ち繰り返しながら、二番で二人は唐突に離れ離れになる。

 

「旅立ちの日 手を振る時、笑顔でいられるように」

 

「笑顔でいられるように」という言葉からして、死別や喧嘩別れなどのネガティブな理由による別れでないことが分かる。

それぞれの目標に向かっての門出、という印象が強い。

しかし、それにしてもなぜ、別れなければならないのかが理解できない。

 

「返したいけれど、君のことだからもう充分だよ、ってきっと言うかな」

 

という歌詞からは「返したいけれど、その機会はもうないかもしれない」ということが感じとれる。

一時的な別れではなく、もう会うこともないかもしれないという印象だ。

そして「きっと言うかな」という言葉が現在形ということは、「君」は生きているから、会おうと思えば会えないこともない状態なのだと分かる。

それなのにもう二度と会うことはないかもしれない、そしてそれでいいというニュアンスが感じ取れる。

「その先でまた出会えると信じて」とあるのは、自分の意思では会いに行くつもりがないということだと考えられる。

 一番の歌詞であれほど強くお互いを思いやり、「ここにある幸せに気づいた」と言っていたのに、なぜ二人は離れ離れにならなければならないのだろう??

二人が一体何者で、何があったのかますますわからなくなる。

 

今までの話をまとめると、「僕」と「君」は、

①表面上は対等な関係である

②「君が僕の悲しみを、僕以上に辛く思い悲しむ」というほど、親密な関係である。

③「僕」は「君」から、そばにいづらくなるほど、一方的に「優しさや温もり」を与えてもらっていると感じている。

④③を「君」も知っている。つまり表面的な事実としては、「君」が「僕」に一方的に色々与える関係性である。

⑤二人は、それぞれの未来に向かって、笑顔で前向きに別れた。

⑥そして、恐らく二度と会うことはない。(会う可能性を信じてはいるが、率先して会うつもりはない。)

 

歌詞をすべて読んでまとめてみても、「僕」と「君」がどんな関係で、なぜ別々の未来を歩まなければならなかったのか見当もつかない。

かろうじて恋人同士がお互いの未来のために、別々の道を選んだのか?というストーリーが当てはまりそうだが、気持ちが既に終わっているという印象がまったくない。

これを未来のために終わらせた恋の物語と見るのは、かなり違和感がある。

 

何故ならこの歌の最大の矛盾は、

「別れの歌」であり「あのときああだった」という「思い出の歌」でありながら、後悔がいっさいない点にある。

「あのときああすれば、今はこうなっていたのではないか」という後悔や、「君」と離れた悲しみや喪失感がいっさい語られていない。

 

一瞬だけ語られる

「返したいけれど」

という後悔めいた気持ちは、次の瞬間に、

「君のことだから、もう充分だよってきっと言うかな」

と、後悔にはならず、自己完結する。

 

罪悪感を感じてもそばにいたいと望んだ相手に二度と会えないかもしれないのに、悲しみや後悔はいっさい感じず、相手への大きすぎる感謝と前向きな気持ちにすべてが昇華されている。

逆に言えば後悔や別れの悲しみを感じないほど、相手への感謝が大きい。一方的にもらった優しさや温もりがあって、自分は成長し、前向きに旅立つことができた。

しかし親子ではない。

「君と僕」「二人なら宝物になる」「それぞれ歩いていく」など、対等な関係を思わせる言葉がそこかしこにあるからだ。

 

自分が今まで聞いた歌の中では、こんな不思議な関係性の歌はなかった。

結局、最後まで「僕」と「君」がどんな関係で、二人のあいだにどんなことがあったのかは明言されずに曲は終わる。

 

まさにドラえもんとのび太の歌である。しかし…。

「君と僕」の対等な関係でありながら、「君」が「僕」に一方的に優しさや温もりを与える保護者と被保護者のような関係でもある。

いつかはお互い別々の道を歩むことがわかっていて、離れたときに悲しみや後悔よりも圧倒的な感謝を感じる関係。

「要するにこれはドラえもんの映画の主題歌で、ドラえもんとのび太の歌です」と言われれば、それですんなりと納得がいく。

 

しかし、そうなったときに思うのは、これはドラえもんとのび太以外ではなかなか見当たらない特別な関係性で、ましてや現実でありうるのかというと、そうそうないのではないか、ということだ。

余りに特別な関係だから、それを「ドラえもんとのび太」という存在に限定せず「君と僕」という存在で歌にした時に、多くの人にとって意味がある歌になりうるのか。

そんな疑問がある。 

 

しかし、そんな「ドラえもんとのび太」という限定された特殊な関係を思わせるにも関わらず、この歌は多くの人に愛された。

自分も初めてこの歌を聴いたとき、強く心を動かされた。

今まで一方的に「ひまわりのような優しさと温もり」を与え続けてくれた、ドラえもんのような存在に出会ったことがないにも関わらずである。

「自分が見たこともない関係性の歌なのに、聴いたとき泣けて仕方がない」

たぶんこの矛盾が、この歌の意味を考えるきっかけになったのだと思う。

 

この歌は、見たこともない関係性の歌ではない

恐らく誰もが人生で一度は、例え一瞬であっても、誰かから無償で「ひまわりのような優しさと温もり」を受けとったことがあるから、この歌は多くの人の心を動かすのだと思う。

その相手は人生で一瞬だけすれ違って、もう二度と会わない人かもしれない。

そしてその誰もが、「返したい」と言ったときに「もう充分だよ」と答えるのがわかっている。

何故なら自分も、誰かにとって無償で「温もりや優しさ」をあげたことがある「君」であり、「返したい」と言われたら、きっと「もう充分だよ」と答えるだろうからだ。

 誰もが誰かの「そばにいたい」と願ったことがあり、「ここにある幸せに気づいた」ことがあり、それでも「旅だちの日」を迎えて「それぞれ歩いたこと」があるからなのだろう。

 

誰もが誰かにとっての「君」であり、誰かにとっての「僕」なのだ。

 

今まで自分が出逢いすれ違った、「優しさや温もり」をくれた無数の「君」と、逆に自分に「優しさや温もり」を与えられたと感じた無数の「僕」を思い出させる。

人生の少しの関わりの中で、誰もがそうやって与え与えられ生きている。一瞬だけすれ違って、別々の道を歩むけれど。

 

日常を生きるうちに記憶の片隅に追いやられていた、自分が誰かにとっての「僕」であり、誰かにとっての「君」だった場面場面を、強烈に思い出させる歌なのだと思う。

だから「ドラえもんとのび太」という現実にはあり得なさそうな理想的な関係を歌いながら、多くの人が心を揺さぶられる歌なのだと思った。

 

ドラえもんとのび太の関係性は、いっけん漫画だから可能な美しいもので、現実にはあり得そうもないもののように思える。

でも実は、「ドラえもん」に象徴される「ひまわりのような優しさと温もり」は、自分の人生に与え与えられてきたものなのかもしれない。それが余りにささやかなものだから、気づかないだけで。

 

誰もが誰かにとって、のび太でありドラえもんなのだ。

そのことを気づかせてくれる歌である。

 

(歌詞引用元:「ひまわりの約束」作詞作曲:Hata Motohiro 2014年)

ひまわりの約束 -Deluxe Edition-(DVD付)

ひまわりの約束 -Deluxe Edition-(DVD付)

 

 

STAND BY ME ドラえもん

STAND BY ME ドラえもん