うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語るブログ。

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さよなら、ブログをやめるひと。

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むかし、よく読みにいっていたブログを久しぶりに訪れたら、「もうやめたい」ということが書かれていた。

はてなのブログではない。

 

記事をさかのぼってみたら、コメント欄がそうとう荒れたらしい。

もともと自分が離れたころから、「惰性で何とか続けている」ということを言っていたので、このことがきっかけで心が折れてしまったようだ。

五年ほど続けていたらしいし、ファンも常連も多いブログだったので驚いた。

 

荒れた、と言っても、別に2ちゃんねるや小町のような匿名掲示板レベルで荒れたわけではない。はてなだったら日常茶飯事だなと思う程度だ。

ただそれまでコメント欄も和気あいあいとしていたし、ブログ主の権威が強かったので、(ブログ主の言葉に反対する人がほとんどいなかった。)ダメージが大きかったのかもしれない。(人格批判もいくつかあったので、それはひどいなと思った。)

 

ブログをやめるときというのは、別に「やめる」という宣言もなくじょじょに更新がとだえていくというパターンがほとんどだと思う。

この「もうやめたい」というブログの場合は、有名でもあり読者も大勢いたし、実際更新がとまったことを心配する声も書き込まれていたので言わざるえなかったのかもしれない。

 

あくまでその記事だけを読めば、泣き言以外の何物でもないと思う。「自分はボランティア精神で続けていたのに、こんな風に批判されるとは思いもしなかった」という風にしか自分には読めなかった。

なので、コメント欄には「(ブログ主)さんがそう決めたのなら仕方がない。今までありがとうございました」という主旨の言葉が並んでいたけれど、そういう言葉を本当にブログ主が求めているのかな??というのは少し疑問だった。

 

コメント欄が荒れた原因については、外から見ると「こういうことじゃないかな」ということが色々と見える。

 

このブログ主さんのキャラとして、たまに多少、上から目線の悪ふざけ的な態度をとることがある。個人的にはまったく気にならないし(むしろ、キャラとして面白いと思っていた。)従来の読者は、そういう人がほとんどだったと思う。

しかし少し前の記事で「せっかくコメントした人に対して、その態度はどうなんだ」という意見があった。読んでいる人の中で「そういう態度を不快に感じる」人の割合が増えていったのだろう。

 

読んでくれる人が増えてくるに従って、読者のニーズは多様化する。

そうなると自分がやってきたことで、今までは問題なく受け入れられていたことに対して否定的な意見も出てくる。

考え方、キャラクター、物言い、文章、とりあげるコンテンツ、ありとあらゆることにおいてだ。

 

これに対しては、いくつか対応のしかたがあると思う。

①「万人受けする方向に変えていく」

これは従来の読者は離れていくだろうし、本人がそれで楽しいのかが疑問。ブログの一番の目的が収益化だ、という人は、読者数の拡大が必須だと思うのでこの方法がいいと思うが。

②「批判は無視して、自分の姿勢を貫く」

多少の精神力は必要になるが、長くコンテンツを続けていくならばこれが一番だと思う。

③「読者層をコントロールする」

わかりやすいのが限定公開にする、という手だ。コメント欄の承認機能や非表示機能を駆使して、肯定意見ばかりにするという手もある。「ネットに公開する」という行為の自己否定のようなものなので、機能的にやるのは自分はいい方法とは思わない。(スパムなどもあるので、設定せざるえない部分もあるが。)ただ一番の目的が気の合う仲間を見つけるため、という人の場合はいいかもしれない。

 

結局は「自分が何のためにブログをやっているのか」ということに尽きると思う。

稼ぎたいのか。

人に認められたいのか。

自分の意見を言いたいのか。

たくさんの人に出会いたいのか。

気の合う仲間を見つけて、心地のいいコミュニティを作りたいのか。

その辺りは人それぞれだと思う。

 

でもひとつ言えることは、

「お金も稼げて、自分は言いたいことをいくらでも言えて、それを読んでいる人全員が受け入れてくれて、何なら拍手喝采してくれて、人気も出て多くの人が集まってきて、その全員が自分にとって優しい人で、いつも楽しくて仕方がない」

そんな都合のいい話はどこにもないということだ。

そういう世界であって欲しいのならば、独裁国家でも作るしかない。

 

人を否定するな、と言いながら自分は呼吸するように他人を否定して気づかず、

「イヤなら読まなければいいのに。スルーすればいいのに」と言いながら、自分は気に喰わない意見や自分を否定する意見はスルーできず、

「人はそれぞれだ」と言いながら、自分の理解できない人間のことは理解しようとすらしない。

それが人間だと思う。

結局のところ、誰もがそうなのだ。自分も含めて誰もが。

 

そして普通に生きていれば、出会うことも関わることも近づくこともなかった、お互いにまったく理解できない、理解し合いたいとすら思わない人間同士が出会ってしまうのがネットだ。

 

それが「人それぞれ」「世の中には色々な人間がいる」ということだと自分は思う。

それがイヤならば明るく丁寧に挨拶し合い、笑顔で礼儀正しく建前を語り合い、誰も本音などもらさず、道徳の教科書に載っているようなことを語りながら行動はまったく違う、リアルの世界で暮らせばいい。

 

仕方がないのだ。

何が気に障るのか、何を気にするのか、何に傷つくのかはそれぞれ違う。

自分が面白い冗談だ、と思って話していることに傷つく人間がこの世におり、自分が傷つく言葉が面白い冗談だと思っている人間がこの世にいる。

自分が面白い冗談だと思って言った言葉が気にさわったという人間がいれば「相手の感覚がおかしい」で済まし、赤の他人が悪気なく吐いた言葉が気に触ったときに「お前はおかしい」と叫ぶのが人間なのだ。

みんな同じだ。

 

自分が面白いと思って演じていたキャラクターや物言いが気に障る人間がおり、お互いに「お前がおかしい」「嫌ならスルーしろ」「いやいや、それを言うならお前こそこの批判をスルーしろ」「イヤならわざわざ読むな。暇なのか」「いやいや、お前こそ、公共の場にクソみたいな落書きをするなんて、暇なのか」と延々とやり合う。

自分はそういうネットが大好きだ。こんな言葉、リアルじゃ絶対に聞けない。絶対に言わない。

 

それがイヤなら、ネットをスルーしたらどうだろうか??

イヤならスルー。

自分が嫌いな理解できない、理解したくもない、そんな奴がいるところに、わざわざ近寄る必要はない。ましてや物を書き込む必要なんて何もない。

否定されるし、批判されるし、クソリプはくるし、ネガコメはくるし、そんなところにわざわざ何かを書き込む必要はない。

「暇なのか?」「お前こそ暇なのか?」なんて、暇なやり取りをする必要もない。

愛する家族に、自分のことを分かってくれる友達に、仲のいい同僚に、いくらでも自分の気持ちを話せばいい。

そして怒りをたぎらせてそんな書き込みをする時間を、好きな人と語り合ったり、子供の面倒をみたり、家族サービスをしたり、他のもっと人に否定されることも否定することも、暇だと言われることも言うこともない有益な何事かに当てられる。

 

イヤならスルーしよう。ネットをスルーしよう。ブログもスルーしよう。

ネットで情報収集したいなら、見るだけにすればいい。

個人ブログなんて明日なくなったって、誰一人として困らない。

世界は何も変わらない。

自分も意見を言いたいのに、自分もスルーできないのに、自分も人を傷つけているのに、自分だけは自意識をばらまきたい、自分はスルーしない、自分だけは優しく美しい言葉を吐いているなんて思い込むのは、ちょっと図々しすぎる。

 

自意識むき出しでお互いに傷つけ合っている自覚がないのなら、ネットで何かを書くべきではないと思う。

あなたも誰かを傷つけている。あなたも誰かを否定している。

だから誰かがあなたを傷つけ、誰かがあなたを否定するのだ。

 

そうだ、ブログをスルーしよう。

もう二度と、誰からも否定も批判もされない。誰にも傷つけられない。

リアルは面と向かって、ネガコメやクソリプのような言葉を言ってくる奴は誰もいない。せいぜい陰口を叩かれるくらいの平和で美しき世界だ。

 

さようなら、お元気で。

 

自分はもうしばらくこのクソみたいな世界で、誰かを否定し、誰かを傷つけ、誰かの気に障り、誰かに否定され、誰かに傷つけられながら、この何の役にも立たない落書きみたいなたわ言を書き続けたいと思います。

 

さよなら大好きな人

さよなら大好きな人