うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語ります。【ネタバレ前提です。注意してください】

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プロが、どんな風に小説を書いているのかが具体的にわかる「五代ゆう、榊一郎の小説指南」

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富士見長編小説大賞を受賞し、現役のライトノベル作家として活躍している五代ゆうと榊一郎が、編集者を交えて対談形式で小説の書き方を語っている本です。

二人はライトノベル作家なので、主に「ラノベを書くにあたって」という態で語っているのですが、どんなジャンルの小説(創作物)でも共通することが多いと思います。「小説を書くことが好き」「書こうとは思わないけれど読むことが好き」とにかく小説が好きな人なら、楽しく読める内容だと思います。

 

 

プロとアマの違い

プロは、出版社のニーズに応えた作品を供給し続けられることが第一

一番、面白いなと思ったのはここでした。

本書の中で「プロとは」「アマとの違いはこうだ」ということを明言しているわけではありません。この本のコンセプトが「(プロの)作家志願者のための」というものなので、「プロはどういう風に小説を書くか」ということが前提として内容が書かれています。

 

自分が読み取ったこの本で語られている「プロとアマの違い」は、目指すことが違うということです。

アマは「自分ができうる限り最高の作品を仕上げる」ことを目標にしていますが、プロの目標は「どれだけ多くの(一定水準の売れる)作品を供給し続けられるか」というもののようです。

 

プロは小説を自己表現のためのものとは考えていない。

出版社の依頼に答えて、請け負った仕事内容だ。そしてその仕事をどれだけ長く続けられるかが、最終的な目標だ。

ネタ切れを起こさずに、どれだけ一定の水準に達した様々なコンテンツを供給し続けられるか。

 

漫画「バクマン。」でも似たようなことが語られていましたが、「出版社のニーズにこたえる作品を供給し続けられてこそプロだ」という発想のようです。

完全に「仕事」として捉えているんだなあということが、印象深かったです。

 

実際の小説賞の選考内容が載っている

後半に載っていた「第一回ノベルジャパン大賞」の選評にも、そういう考えがかなり反映されていました。

 

大賞受賞作「たま♢なま~生物は、なぜ死なない?~」

優秀賞受賞作「SAS スペシャル・アナスタシア・サービス」

 

を比べたときに、完成度で言えば「SAS」のほうが圧倒的に上だけれど、完成されてしまっていて直しようがないから(これ以上面白くしようがないから)「たま♢なま」を選んだという内容でした。

 

出版社側から見れば「自分たちの要望や世の中の要望に応えて、作品を供給し続けられる作家」を探すことが第一の目的なのは当然と言えば当然なのですが、これを読むまでその選考基準がここまで強いとは思わなかったです。

漫画の公募でも、編集部は「今後、売れるものを書けるかどうか」で見るし、漫画家は「応募作品の完成度」を選考基準にするので、意見が割れると「バクマン。」で読んだ記憶があります。(確か)

 

賞の目的によっても違うと思いますが、ラノベだとこの傾向が強いんじゃないかなと読んでいて思いました。

そこからさらに派生して「即戦力になりそうか」「少し鍛えないとダメだけれど、器用そうだから多ジャンル書けそう」「応募作自体は一から直さなきゃ出版できないけれど、伸びしろがありそう」など、そういう目で見ているんだなと。

完全に会社の採用面接と一緒ですね。

 

ちなみに自分は「やたら美少女が出てきて、絵がオタク風のラノベ」が苦手なのですが、「SAS」は絵が可愛くて話も面白そうなので読んでみたくなりました。

SAS スペシャル・アナスタシア・サービス (HJ文庫 (と02-01-01))

SAS スペシャル・アナスタシア・サービス (HJ文庫 (と02-01-01))

 

 

たま◇なま?生物は、何故死なない?? (HJ文庫)

たま◇なま?生物は、何故死なない?? (HJ文庫)

 

 こちらは余り興味を惹かれなかったけれど、シリーズ化されているようです。

 

「自分独自のスタイル」を作るためにはどうすればいいのか。

出版社のニーズにこたえて、(ある程度売れる、つまり読者のニーズにも応える)作品を供給し続けられてこそプロだ」

 

ということが前提で、そうなるためにはどうすればいいいか、どういう方法論があるか、ということが本書では語られています。

「最初はとにかく自分の中に、自分のスタイルや方向性、個性を作るためのデータベースを蓄積したほうがいい。だからとにかく、小説でも漫画でもアニメでもゲームでも映画でも何でもいいから、色々なものを見まくれ。それから影響を受けろとか真似しろ、というのではなく、その蓄積された大量のデータベースの中から自然と自分の創作の方向性が削りだされる」

ということを言っています。

村上春樹も「小説家になるにあたって一番役に立ったことは、本をたくさん読んだこと」と言っていたので、このデータベースの蓄積が必要不可欠なんだろうと思いました。

 

またゲームにはゲームの、アニメにはアニメの、またコンテンツではなくジャンルによっても、それに合う物語の構築の仕方、何に力を入れるかが違うから、それが分かるようになるためにも、様々なコンテンツの知識の積み重ねは必要だと語っています。

 

例としてギャルゲーがあげられていました。

ギャルゲーの最初の関門は、まずはプレイヤーにそのゲームのキャラに愛着を持ってもらうことだから、日常のイベントを積み重ねることによって「見も知らぬ他人」から「オレの知っているあの子」になってもらうことが大切なのだ、でも小説だと似たようなイベントを羅列しても読者は飽きるだろう、という説明が面白かったです。

 

「コンテンツによって狙いが違うから、物語の構築の仕方も違うだろう」ということは感覚でしか分かっていないことだったので、具体例を出して説明してもらうと分かりやすかったです。 

 

最初に決めるコンセプトと、ありがちな失敗

 物語作りにおいて多くの人が感覚で考えているんじゃないかな? と思う部分が、言葉になってしっかり語られています。

「コンセプトとは何か?」とか「ストーリーから考えるのか、キャラから考えるのか」とか「リアリティはどこまで追求すべきか、そのラインは?」などです。

 

自分たちが実際に指導している人たちを例に、アマがやりがちなこと、なぜそれがいけないのかなどが具体例をあげて書かれています。 

読み手の多くが「この物語は面白くない。どこかおかしい」と思うときに、どう失敗している例が多いかということが細かく説明されています。

 

例えば「キャラありき」のコンセプトの作品の場合に、よくある失敗例として「キャラのインフレ化が起きる」というものがあるそうです。

「キャラのインフレ化」というと「強さ」を思い浮かべますが、それ以外でも例えば「奇妙なキャラ」である場合に、とにかく「奇妙なこと」をやらせ続けなければならないけれど、その「奇妙なこと」の内容がどんどんインフレ化して、「キャラではなく現象になってしまう」ということを言っています。

 

この「キャラクターがキャラクターではなく現象になってしまう」という説明は、すごく言いえて妙だなと思いました。

この例ですぐに思い浮かぶのは、「アカギ」です。

アカギというキャラがキャラではなくなり、「天才的な狂人」という現象になってしまい、鷲巣がその現象に振り回されているだけだから一向に話が進まなく(進めようがなく)なりました。

「キャラクターのインフレ化」による典型的な失敗例だと思います。

 

あとは「主筋が進まないうちに、キャラクターたちの内面のドロドロしたものが深化していくだけで、実は事態は全然変わっていない」というのは、「破妖の剣」そのままです。

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キャラの心象風景だけを延々と書き連ねるだけで、話が一向に進まなくなります。

 

それも「キャラありきの小説における、キャラクターのインフレ化に分類される」など読んでいてなるほどと思うことが多かったです。

 

マンネリ化を避けるために、三題噺をやってみる。

とにかく作品を供給し続けなければならない、となると、自分の発想だけだとマンネリ化が防げません。

似たような話ばかり書いてしまうことを避けるために、「三題噺」という方法論が書かれています。

もともとは落語の形式のひとつらしいですが、落語の三題噺とも違い、広辞苑などからランダムに三つのキーワードを拾ったり、他人に三つのキーワードを出してもらってそこから話を膨らませていく、ということをやると、今までの自分にはなかった発想が生まれると書かれています。

 

本書の中で実際に、五代ゆう、榊一郎、編集者が一個ずつキーワードを出してこの方法を試みています。

「パワーストーン」「リボルバー」「プリースト」

これで五代ゆうが巻末に短編を一作書いているのですが、このキーワードから導き出された発想の奇抜さにびっくりしました。

恐らくやればやるほど、発想力が鍛えられるんだろうなと思いました。

 

まとめ

本書はあくまで五代ゆうと榊一郎の考え方ですが、実際にプロとして活躍している作家がどんなことを考えて執筆しているのか、ということがよく分かってとても面白かったです。

個人的には「いつまでも作品を供給し続けられる作家こそプロ」というのは、あくまで出版社側の思惑であり、例えば精力を集中して完成度の高い作品を数作出して、あとは趣味として小説を書くというのもアリだと思います。

 

以前紹介した、「月の裏まで走っていけた」を書いた雨森零も二作しか書いていません。もしプロとして息長く続けていったとしたらあの作品は書けなかった、というのならば、自分としてはそれはちょっと…と思ってしまいます。

その辺りは目指すものによっても違うのかな、という気がします。

就職と同じで、いくら「長く続けると思ったから採用したのに」「今まで、お前を教育するのにどれくらいのコストがかかったと思っているんだ」と言われても、自分の人生なのですから、合わないと思ったら自分の信じた道を行ったほうがいいと思います。

 

ただ精神論で語られがちな「プロの作家として息長く働くなら、こう考えてこういう方法を試してみるといいよ」という課題が、具体的に細かく書かれているという点がすごく面白いなと思いました。

五代ゆう&榊一郎の小説指南 (ホビージャパンMOOK)

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