うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語ります。【ネタバレ前提です。注意してください】

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「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザワイルド」とオープンワールドの難しい関係。

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現在ニンテンドースイッチで、「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザワイルド」をプレイしています。

www.nintendo.co.jp

 

前評判にたがわず、完成度が高く、物語も面白く、楽しみながらプレイしています。

ただこのゲームはオープンワールドでありながら、内実はそうではないのでは? という思いがプレイするごとに大きくなっています。

 

オープンワールドの面白さはどこにあるのか?

自分の人生で最高のゲームは、オープンワールドの代表ともいえる「スカイリム」です。

「スカイリム」を見ると、なぜ「自由に行動を選べる」「ゲームのどの段階でも、世界のどこにでも行ける」というオープンワールドの特性を備えながら、「ブレスオブザワイルド」はオープンワールドとは思えないか、ということが分かりやすいです。

 

「オープンワールド」の「ワールド」とは、地図やミッションなどの行動の自由だけを指すのではないのではないか、と思っています。

この「ワールド」は、「ゲーム世界すべて」ではないかと考えています。

オープンワールドの一番の魅力は、自分で好きなキャラクターを作り、そのキャラクターの物語を無限に生み出せる点にあるのではないか、少なくとも自分が最もオープンワールドのゲームに魅力を感じる点はそこです。

 

「オープンワールドって、自由だから何なの?」「何をしていいのか分からないから、面白さが分からない」という感想をたびたび目にします。

「プレイヤーである自分が」何をしていいか分からないという意味だと思いますが、オープンワールドはそもそもそういう楽しみ方をするものではないと思っていた自分にとっては、不思議な言葉でした。

 

「スカイリム」も「プレイヤーとして」「ゲームをクリアすることが目的」ならば、アッと言う間にクリアできます。

スキルは「鍛治」「付呪」「隠密」辺りを中心に上げれば、無双プレイをすることも可能です。強くなってクリアすることが目的ならば、面白くとも何ともないゲームです。(少なくとも、何回も繰り返しプレイするほどではない)

 

「スカイリム」はたいてい「縛りプレイ」で楽しむわけですが、そのときに問題になるのが「何を基準に縛るのか」ということです。

「縛る要素」を何で選ぶのか。

それが「自分が作ったキャラクターの設定」が基準になる、ここがこのゲームの一番の魅力だと思っています。

 

例えばウィンターホールド大学に行くことを夢見る魔術師の卵という設定ならば、「鍛治」にはほとんど興味を示さないだろう、と考えられます。クエストもメインクエである「ドラゴンボーン」の使命などもどうでいい、と思うかもしれない。

良心的な性格ならば、リバーウッドの危機をホワイトランに伝えてから、馬車でウィンターホールドを目指すかもしれないし、自己中心的でしかも考えなしであれば、リバーウッドから直接、ウィンターホールド大学を目指すかもしれない。

路銀が足りないのでは、と考える心配性な性格ならば、まずは「黄金の爪」を探して、その報酬を得ようとするかもしれない。

キャラクターの性格や目的、考え方の設定によって行動が変わり、行動が変わるから物語の行く末が変わる。

 

逆に、行動からキャラクターの特性が付与されることもあります。

もともとは薄情で自己中心的なチンピラだったけれど、メインクエストをこなしていくうちにドラゴンボーンとしての自覚に目覚めていく。

狂信的なノルド原理主義者だったけれど、旅商人のカジートの月のペンダントを取り戻したことをきっかけに、自分の考え方の偏りに気づくけれど、悩みながらもストームクロークを裏切れない。

素直なキャラだったけれど、暗殺者ギルドに成り行きで入り、任務をこなすうちにサイコパスな殺人鬼になってNPCを殺し出す。

 

同じ世界、同じクエストをこなしているのに、百八十度違う物語であることも可能です。

キャラクターが違うから、そのキャラの目的や行動原理も異なるからです。

 

「スカイリム」は通算7、8キャラは作りましたが、表向きのやっていることは同じでもそれぞれの内実はまったく別の物語でした。

強い理想を持つノルド原理主義者と、狂信的な神官と、差別を受け続けて世を憎んでいるカジートの放浪者と、一人前の盗賊になることを夢見る少年と、国を裏切った元帝国軍人とでは、同じクエストをこなしていても、考えていることはまったく違います。

 

「その世界を材料にして、無数の物語を生み出せる」

 

それが「スカイリム」をはじめとするオープンワールドゲームの面白さだと思います。

そして無限に物語が生み出せるほど、世界観が緻密に作りこまれているところが「スカイリム」に代表されるエルダースクロールシリーズのすごさです。

 

「ブレスオブザワイルド」は、キャラクター設定が固定されている。

この点が、オープンワールドのゲームとして見たときに、「ブレスオブザワイルド」の一番、厳しい点ではないか、と個人的には思いました。

 

そもそも「ゼルダの伝説」シリーズであるために、主人公はリンクに固定されています。そして彼には「百年前の厄災時に、ゼルダ姫や仲間と共に戦った元英雄」という設定が付与されています。

キャラクターを大事にするならば、この設定の範囲内の行動しかできないし、そしてその設定は旅を続けて記憶を思い出したり、自分を知っている人に出会うたびに強化されていきます。

また「ブレスオブザワイルド」は、NPCを倒すことはできないので、戦う相手はすべてモンスターに限定されています。そして「リンクを知っている人がどうリンクに接するか」という態度から帰納して、リンクというキャラクターの特性がだいたい固定されてしまいます。

そこから推測される設定のすべてがキャラクターの行動のひとつひとつを縛るため、物語の方向性は固定されがちになります。

「そんな設定に縛られないで好きなことをやればいいのでは?」となると、それは「プレイヤーの」好きなことをやるということになり、「スカイリム」の単純に強くなることを目的とした無双プレイと一緒で、オープンワールドの特性を生かしていないのでは、と個人的には感じます。(そういう楽しみかたをするのも自由だとは思いますが。)

 

「ブレスオブザワイルド」はとても面白いゲームだと思っています。

ただ物語という側面から考えた場合に、このゲームはむしろ一本道の王道のRPGに近いのではないかと思っています。

そして物語が一本道であれば、オープンワールドの行動の自由性というものを最大限に生かしきるのは難しいのではないか、と実際にプレイしていて思いました。 

 

「ブレスオブザワイルド」は、リンクの物語

以上は、自分が「オープンワールド」というものを「どんな設定のキャラクターも自由に生み出すことができ、そのキャラクターをロールプレイしてそのキャラ特有の物語を生み出すという目的のために、世界を自由に行き来できるというシステムを採用しているゲーム」と考えているため、感じたことです。

「世界を自由に行き来することができるシステムは、オープンワールドの目的ではなく方法ではないか」というのが個人的な意見です。

 

「行動の自由度を保障するためには、キャラクター設定の自由度は不可欠では」という点を外して考えれば、「ブレスオブザワイルド」は行動の自由度は非常に高いし、物語も面白いです。

どんな強い敵でもやり方次第では乗り越えることができるので、進めたければ物語をどんどん進めることもできます。

画面も細部まで作りこまれていて、馬に乗ってもパラセールで飛んでも、本当に自分がそう行動しているような感覚になれます。

 

従来のファンの中には「ゼルダであること」を一番に求める、という人も当然いると思うので、作り手としてはその思いを大切にしたゲームを作りたいという思いもあるだろうし、これをオープンワールドというシステムと両立させるのは大変だったのでは、と思います。

 プレイした人の感想を見る限り、従来のファンの期待も裏切らず、ゼルダビギナーも虜にしている素晴らしいゲームであることは疑いないと思います。

 

「ブレスオブザワイルド」は「色々なリンクになれる」けれど「リンク以外のものにはなれない。」

 

「それがゼルダの伝説なんだから、それでいいんだよ」という人も、もちろんいると思うし、今までの「ゼルダの伝説」シリーズの積み重ねから目指しているものがあって、その到達点がオープンワールドという形式だったのかもしれない。

 

ただ「ブレスオブザワイルド」だけをとった場合、世界観の作りこみの緻密さや、行動の自由度が高さ、操作の面白さがあるからこそ

「英雄リンクじゃないキャラクターでも、この世界を冒険してみたかった」

贅沢かもしれませんが、ふとそんな風に思ってしまいます。

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

 

 キャラクターでは、ダルケルをはじめとするゴロン族が好き。

The Elder Scrolls V: Skyrim SPECIAL EDITION 【CEROレーティング「Z」】 - PS4

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記憶を消してもう一回やりたい。