うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語るブログ。

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むかし、学校が本当に嫌いだった。

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先日、以前話題になった懐かしいツイートが話題になっていた。 

www.huffingtonpost.jp

 

多くの支持を得られたものの、批判意見もいくつか寄せられたので、改めてツイートの主旨を説明している。

「図書館が学校教育を否定しているわけではなくて、学校に行くことに対して、自殺しようかなと不安を持った時に、『緊急的な避難場所として図書館もあるよ』という意味合いで出した」

「図書館が学校教育を否定している」などと、あの内容のどこを読んだらそうなるのか分からない。  

自分はこのツイートも、この記事も全面的に支持したい。

自分もかつて図書館に助けられた子供の一人だからだ。

 

昔、学校が本当に嫌いだった。

勉強が分からなかったとかいじめられていたとか、嫌な先生がいたとかそういう具大的な理由があったわけではない。

仲の良い子もいたし、成績も割と良かったし、表面上は特に大きな問題もなく過ごしていた。

しかしそんな風に「学校で普通に過ごす」ために、自分が持てるすべての力を振り絞らなければならなかった。

特に中学一年生のときは、なぜか問題児が多いクラスで、半ば学級崩壊していた。産休の先生の代理できた若い女の先生は、うちのクラスの悪ガキたちのイジメを受け、ストレスで学校を辞めた。

いま思い出してもひどい一年間だった。

 

小学校高学年から大学に入学するまで、学校が楽しい場所だと思ったことはただの一度もない。

狭い箱に実験動物を詰め込んだような場所だな、と思っていたし、今でも思っている。そこでただひたすら、明日をどうこなすかだけを考えて生きていた。

いま思い出すと地獄のような心象風景だが、十年近く続いたこの地獄が、あのころの自分は人生そのものだと思っていた。

「この地獄のような場所を歩くことこそ人生なんだ」

周りの人たちもそう思って、生きているのだと思っていた。

人というのは生まれたからには死ぬまでは生きるしかない、そう諦めてみんな生きてるのだろう、そう信じていた。

それが悲惨なことだとも何とも思わなかった。何しろ、それが当たり前だと思っていたのだから。

 

高校に入ってからは、よく学校をさぼって図書館に行った。

もうただただ疲れていた。人間関係を維持する自転車操業に。

そのころは自分の気持ちや状態がよく分からなかったけれど、今なら分かる。

 

休ませてくれ。

もう、ただそれだけだった。

「何かあったの?」と聞かれたいわけじゃない。

助けて欲しいわけじゃない。

話を聞いて欲しいわけじゃない。

何も考えずに一人になりたい。そして、一人でいることを勘繰られたり、色々言われたりそういうことからも離れたい。そう考えてしまう自分からも解放されたい。

少し休んだら、また元気になるから。

また頑張って地獄で自転車をこぐから。

ほんの少しだけ休ませてくれ。

元気になると信じて、ただ見守っていて欲しい。

 

そう思っていた。

だから自分を空気のように扱ってくれる、何も気にしないでいてくれる空間がとてもありがたかった。

 

でも、「学校をさぼる」という行為はすごく罪悪感が伴った。

親に申し訳ない、という気持ちもあったし、ただ「学校に行くだけ」なのに疲れてしまう自分はどこかおかしいんじゃないか、という気持ちがずっと消えなかった。

勉強や部活を頑張っていて、毎日楽しそうに学校に行っている子はたくさんいる。それに比べて、たいして何もやっていないのに、人間関係も上手くこなせず、学校をさぼるなんて自分は普通のことができないダメな人間なんだ、学生時代はずっとそういう劣等感を持っていた。

 

そういう自分を助けてくれたのも、本の中で触れた「そうじゃない価値観」だった。

学校に行って、勉強や部活に打ち込んで、友達と楽しく過ごすのが「楽しくていいこと」という価値観以外の価値観を知ることが自分にはずいぶん救いになった。

 

だから自分の価値観や人生観や考えを、例えばネットとかに書いておくことは、ささやかだけれど大人の出来ることのひとつじゃないかと思っている。

それを読んでも読まなくても構わない。

読んだ子が受け取らなくても構わない。

ただその子の心が狭い価値観の檻に閉じ込められたときに、まったく違う考え、今まで見たことがない世界のひとつとしてどこかに何かを置いておくことくらいはできる。逆に言えば、それくらいしかできることがないから、それくらいはやりたい。

 

価値観というのは人それぞれなので、どちらが正しくてどちらが間違っているというわけではない。

学校教育にだって、いい面はもちろんある。一人一人の子供の心を慮っている先生も、たくさんいると思う。

ただ「学校教育が否定されるべきものではない」という前提が絶対になれば、学校に合わない子は自分を否定しなくてはならない。

ただひとつの価値観の中に閉じ込められて、その価値観では自分の価値を感じられず苦しんでいる人間には、別の価値観を提示されるだけで大きな救いになると思う。

だから、学校教育のすばらしさや重要性を説くことは他の人に任せて、自分は自分の感じたことをそのまま述べたい。

 

学校に毎日行っている、それだけで本当尊敬する。自分にとって、それは当たり前のことじゃない。今の自分にはとてもできない。苦行だよ、あれは。

行きたくないなら行かなくていいと思う。社会性は、学校に行かなくても適当に身につくから大丈夫。

行くか行かないかは自分で決めればいいけれど、どう考えても死ぬか生きるかの思いをしてまで行くような場所ではない。適当にサボりながら好きなことに時間を費やしてもいいし、家で勉強したっていい。

 学校生活をうまくこなせずサボりまくった自分でも、仕事をして楽しく普通に大人をやっている。意外と何とかなるし、学校に行ったか行かないかが人生にそれほど大きな影響を与えたようには思えない。

 

大丈夫だよ、学校に行くか行かないかは、それほど重要なことじゃない。それよりも大切なことは、この世の中にいっぱいある。

 

学校嫌い 江川達也×山田玲司

学校嫌い 江川達也×山田玲司