うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語ります。【ネタバレ前提です。注意してください】

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「なんで離婚されたのかわからない」という男性の話を読んで思ったこと。

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togetter.com

 

話題になっているこのまとめについて、色々と思ったこと。

 

 

ゴミの日を知らない夫にうんざりするのは、妥当なことだと思う。

このまとめを読んで、共感した人も多いんじゃないかと思う。

ゴミの日も知らないなんて、家事は自分の仕事じゃないとでも思っているんじゃないだろうか。きっと他の家事もすべて元妻任せで、元妻の負担に気づきもしなかったんだろう。そういう推測は成り立つ。

真相は分からないけれど、そういうことが積み重なって、元妻は出て行ってしまった可能性は十分にある。元妻も我慢の限界だったんろう。離婚もされるだろう、という意見も尤もだと思う。

 

自分はこの男性のことも元妻である女性のことも知らない赤の他人なので、物事をただ「自分にとって正しいか、妥当か」で判断した場合、「仮にそういう事情なら、離婚されるのも無理はないよな」と思う。

 

「何で駄目な僕を認めてくれないんだよ」

「デート~恋とはどんなものかしら~」というドラマがある。

杏が演じる超合理的な理系女子と、長谷川博己が演じる引きこもりニートの恋の物語だ。脚本は「リーガルハイ」で有名な古沢良太が書いている。

最終回後のSPで長谷川博己が演じる巧が言う、こんなセリフがある。杏が演じる依子と巧が半同棲を始めて、大喧嘩になるシーンのセリフだ。

 

何度も言ったろ。僕は散かってる方が落ち着くんだよ! ぐちゃぐちゃな方が気持ちがいい。調味料が背の順に並んでる必要なんかないんだよ!

 

どうしてもやる気が出ないときだってあるんだ! ダラダラしたり、さぼったりするんだ。それが人間だよ! ましてや僕は高等遊民だぞ。ついこの間まで、実家に引きこもって働きもせず、自堕落に生きてきた人間だぞ。それを忘れるな

 (「デート~恋とはどんなものかしら~」より)

 

巧は引きこもりのニートなので、結婚したあとは専業主夫になる。依子は分単位ミリ単位で物事を考える人間なので、夕食はこの時間と決まっており、そのあとのスケジュールも分刻みに決まっている。だから夕食が少しでも遅れたら許せない。

巧に自分が考える「立派な主夫」になって欲しい、という気持ちもある。

そういう生活を強いられて、巧は我慢の限界に達して、ブチ切れてこう言い出す。

「ぐちゃぐちゃな方が気持ちがいい」

「働きもせずに自堕落に生きてきた人間だぞ。それを忘れるな」

何を言っているんだ、こいつ。開き直らず直せよ。そんなことを言うなら働けよ。ふざけんな。

ネットでこんなことを書きこんだら、袋叩きになるだろう。

依子のほうも「少しは相手に合わせろ」と言われるかもしれない。

 

続けて巧はこう言う。

だから僕は立派な人間じゃないんだよ!  それでも僕は、僕なりに、努力したよ。君が快適でいられるように一生懸命やったよ。訳の分からない君の、価値観を受け入れようと頑張ったよ! でも君は、僕を受け入れないじゃないか! 駄目な僕を認めてくれないじゃないか!

 (「デート~恋とはどんなものかしら~」より)

 

自分はこのセリフがすごい好きだ。

ああ、そうだよな。人を好きになるって、誰かを愛し続けるってこういうことだよな、と思った。

人は人を好きになるときに、正しいから、立派だから、自分にとって何か利益があるから好きになるわけでもないし、好きであり続けるわけでもない。

(欠点も含めて)その人がその人だから好きなだけだ、と思う。

 

好きでも何でもない赤の他人から「僕を受け入れないじゃないか」「駄目な僕を認めてくれないじゃないか」と言われても、何を言ってるんだ、と思うだけだ。

何で見も知らない赤の他人のお前の駄目な部分を、受け入れなきゃいけないんだ。それは甘えだろ、駄目だと思うなら直せよ。開き直るな。

 

ほとんどの人は、そう言うだろう。それが「正しくて妥当な意見」だと思うだろう。「自分の駄目な部分を直さない。認めてくれ」というのは甘えであり、そんな甘えがなぜ許されると思うのか、むしろそっちのほうが不思議だ、そう思うだろう。

 

だから恐らく言う側も、赤の他人には絶対にこんなことは言わない。

駄目だと思う部分は直そうとして、弱音を吐かず、なるべく正しく立派な自分であろうとする。「自分の弱い、駄目な部分を受け入れてくれ」と他人に頼むのは、ものすごく勇気がいることだ。

 

でも世界でたった一人だけ「立派でも正しくもない、駄目でどうしようもない自分でも受け入れてくれ」と言える人がいる。そんな自分でも理解してくれ、と願ってしまうことが人を好きになる、ということだと思う。

そしていつもニコニコ笑顔でいられない、理不尽で感情的で意味もなく不機嫌になる、そんなところまでも含めてその人自身だと認めることが、その人を受け入れるということだと思う。

 

「正しさの追求」が目的になっている関係は、実質的には終わっている。

「自分にとって、それが正しいか、間違っているか」そういう基準でしか相手を判断できなくなったら、それは表向きの関係性はどうあれ、もう愛情は終わっているのではないか。

当たり前だけど、欠点がない人間はいない。いついかなるときも常に立派で、正論通りに生きられるわけではない。好調不調もあるし、性格も環境もある。弱さも強さも考え方も、すべてが違う。

 

余裕がなくて他人を思いやる余裕がないときや、そういう余裕が人よりも持てない人も存在する。

「自分ばかりが相手を思いやっている」

「相手が4しか思いやってくれないから、自分は8思いやる余裕があるけれど、4しか思いやらない」

そう考えるのであれば、二人の関係性は愛情という意味では破たんしていると思う。

「どっちが悪い」「どっちに責任がある」「どっちが間違っている」ということは法律に抵触してない限りは、無意味であり、ただ二人が等価の責任を負って築いてきた関係性が破たんした、という事実があるだけだと思う

 

人を好きになる、ということはすごく簡単だけど、好きという状態を維持する(相手に「自分は思ってもらっている」と感じさせ続ける)というのは、ものすごく難しい。

そんな余裕がないときもある、自分だけが思いやっているようでバカバカしくなるときもある、正しさや妥当性で責めてしまい、対立してしまうときもある。

 「相手はどうしてこうなんだろう? 何か理由があるのかもしれない」

自分にも余裕がないときがあるから、常にそう考えるのは難しい。ただ相手のためにそう考えてみようという意思すらわかなくなったとき、その関係は実質終わっている。

その意思を誰に向けるか向けないかを決めるのは本人だけだから、「あなたの内情を慮ることはもうしたくない」というのであれば、それはそれで仕方がないと思う。

 

「元妻にも、関係性を最適なものにするための責任がある」という赤の他人の意見

「ゴミの日を知っているか」という質問に、「そういうことは元妻にもよく言われたな」のようなリアクションがないところを見ると、元妻が「あなたも家事をやってよ」と働きかけたのか、きちんと正面から話し合おうとしたのか、つまり自分にも責任がある二人の関係性を、より最適なものにしようという努力をしたのか、ということに非常に疑問を感じる。

仮に働きかけていたとしても、元夫のこの反応からするとまったく伝わっていないし、「それくらい察して当然」というのならば、それはそれで「そういうとこはどうなんだ?」と言いたくなる。

 

これは自分にとっての「正しさ、妥当さ」だ。

こんな風に二人の関係性の歴史も知らず、考慮にも入れず、聞いた事実だけを切り取って「この事象が自分にとって正しいか、妥当か」という基準で物事を判断するのは、赤の他人がやることだ。

でもゴミの日を覚えられないなら、覚えているのが当然と言わず何度でも訴えかける、察してちゃんだとしても、なるべく察してあげられるように努力する、そういう「赤の他人の正しさや妥当性」を超えたところに愛情はあるんじゃないか、と思う。

 

男女の愛情のすれ違い

この辺りはもちろん人によってもだいぶ違うので、「男性だから、女性だから、絶対にこう」と言いたいわけではない。ただ自分の観測範囲内では、こういうケースが多いのであえて主語を大きくして話す。

 

男性と女性とでは「愛情の示し方」「受け取り方」がだいぶ違うと思う。このことが原因のすれ違いや分かり合えなさをよく見る。

男性というのは人間関係を、それほど些細なことで壊れるとは思っていない。基本的には一度出来あがると、ちょっとやそっとではビクともしない城塞のようなものだと考えているのではないかと思っている。気を許した人ほどぞんざいに扱う、というのはこの辺りからきているのではないかと思う。

たいして女性にとっての人間関係は、些細な事の積み重ねで維持し続けるもののような気がする。「連絡頻度はどれくらいか」「どれくらい自分のことを気にかけてくれるか」そういうことで変化し続けるものなのだと思う。

 

前に何かで見て「なるほど」と思ったのは、女性は久しぶりに会った友達に「連絡しなくてごめんね」と謝るが、男性が謝らないのは何故かという話だ。男性の場合は、そもそも「特に用もないのに連絡し続ける」という発想自体ないのではないかと思う。

男性にとって関係というのは「何らかの働きかけをして維持し続けるもの」ではなく、「すでに出来上がっている完成品」なのではないか。対して女性にとって相手との関係は、「常に作り続けていくもの」なのではないか。

こう考えると女性からよく聞く「男は付き合う前はガンガン連絡をよこすのに、付き合うと途端に連絡しなくなる。もう関心がなくなったのか」という事象がどうしてなのか、ということが分かるし、女性がどうして「連絡がなくなったということは、自分にもう関心がないのか。好きではないのか」と連絡の頻度と関係性を結びつけるのかが分かる。

 

このまとめ記事の内容も、「家事は自分の仕事じゃないと思っている元夫が悪い」「元夫が離婚した理由が分からないくらい何も説明しない、夫と向き合おうとしない元妻が悪い」ということとは別に、「ゴミの日がどうこうなんていうことに代表される、そんな些細なことの積み重ねがなぜ離婚につながるのか。そんなことで関係性が壊れるはずがない」という元夫の意識と、「家庭に関心があるなら、自分からゴミの日を調べて、今日はオレが出すからとか言ってくれるはず。言ってくれないということは、私を見てくれていない。こんなに負担があって辛いのに。そうしてくれないということは、関心がないんだ」という元妻の意識の、どうしようもないすれ違いがあるように見える。

 

そういうことを「何でそんなことまで考えなきゃいけないんだ。受け入れなきゃいけないんだ」「面倒くさい」と思うならば、それはもう仕方がない。

「仕方ないか」と思いつつも、正しくない、立派でもない、訳が分からない考え方をし、時に理不尽な相手を思いやろう、関係性がおかしいと思うならば自分から働きかけよう、と思えるか。

愛情ってそういうものかな、と思った。

 

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