うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

人が夢や希望を抱けないコミュニティは、遅かれ早かれ衰退する。

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ガンダムーンさんのこの記事を読んだ。

この件については、前から色々と考えていたのでそれを書きたいと思う。

www.weblogian.com

 

トップページのおすすめ記事の選びかたに不満はない。

「はてなブログのトップページのおすすめ記事の選びかた」についてだけれど、自分はここには特に不満はない。

ガンダムーンさんも書かれているとおり、ここは「はてなブログの顔」とも言える場所で、ネット全体に対して「はてなブログ」をアピールする場所でもある。

社会的に問題になりそうな内容のものはもちろん、好悪や賛否が大きく分かれる記事も載せるわけにはいかないと思う。

 

このトップページに載る記事が何によって選ばれるのかはまったく分からないけれど、自分が見ている限りではある一定の傾向がある気がする。

もちろん「PV」や「はてブを含むSNS拡散度合」も、選考基準としては大きいと思う。

ただ見ていると、読者が多い人でもトップページに出てこない人はいるし、頻繁に出てくる人もいる。単純に「PVやSNS拡散の初動」で選ばれている感じはしない。

ジャンルは「その時期に話題になっていること(特に社会的な問題)」もしくは「センシティブな要素が含まれないおもしろ系の記事」「お役立ち情報系や知識系の記事」この辺りに絞られているのではないかと思う。

実際はもっと細かい選考基準はあるのだろうけれど。

 

おすすめ記事を見ると「はてなブログが、外部からどういうイメージで見られたいか」が分かる気がする。

おすすめ記事に頻出する人は、「こういう記事ははてなじゃないと読めないよな」と思う記事を書く人が多いし、自分もファンの人が多い。 

PV自体は稼げそうでも、迂闊な意見や炎上を起こしそうな記事、賛否両論が大きく割れて読んでいる人が感情的になりそうな記事は、注意深く弾かれているように見える。(たまに炎上する記事もあるけれど)

 

あくまで自分の印象なのでもしかしたら、そんな選択基準はまったくないのかもしれない。

ただ仮にそうだとすれば、良く考えてあるし妥当な判断じゃないかなと思う。

これがPVやSNS拡散だけが基準で、あからさまな商品宣伝記事や炎上狙いの記事や「ブログやめます。やっぱりやめません」みたいな記事が載るなら自分も文句を言いたい。

おすすめ記事は「対外的なはてなの顔」にふさわしい記事を選んでいるのかな、と思っている。

 

下からあがれない構造は、コミュニティに損害を与える。

ただトップページのおすすめ記事がどうのではなく、ガンダムーンさんが言う「ワンチャン狙いができない」つまり上に這い上がる方法が、公式に用意されていない、想定されていないということに対しては、自分も前から思うところがあった。ガンダムーンさんが言いたいのも、この構造についてじゃないかなと思う。

 

例えばブログを始めて一、二か月くらいの人が選ばれる「注目ブログ」が、トップページからなくなった。一切、なくなったかと思ったら、どこかに存在にしているらしい。トップページからの入り口が見つからないけれど。 

 

注目のブログ - はてなブログ

 

自分がブログを始めた昨年4月くらいは、この「注目ブログ」がトップページに載っていた。

初めて二か月くらいでここに取り上げてもらって、大勢の人に記事を読んでもらえてとても嬉しかった。

もちろんここにも何らかの選択の意図は働いているのだろうけれど、それでもまったく何もないよりはマシだ。始めたばかりのブログが上に踏み出す、足がかりにはなると思う。

 

ニコニコ動画のランキングでも問題になっていたけれど、

「すでに大勢のファンを抱えている有名人」→「そのファンの支持や動きによって、露出度やランキングが決まる」→「そのコミュニティにきたばかりの人は、探し方にランキング以外の選択肢がないので有名人のものばかりを見る」→「きたばかりの人たちが有名人の大勢のファンの一人になる」→「すでに大勢のファンを抱えている有名人」→以下ループ

この構造が出来上がってしまうと、後からきた人間がその構造の中で上に上がるのは難しくなる。しかもそのシステムを変えない限り、後からくればくるほど難しくなる。

同じ環境下のスタートラインで戦っていたならば「実力勝負だ」と言えるだろうが、後進はこのシステムの中では戦いようがない。

 

有名なYouTuberも、「今から自分とまったく同じようにやった人がいても、自分のように稼げるとは思えない」と言っていた。

「先行者利益」と言ってしまえばそれまでだけれど、余りに出口がないとイレギュラーな手段に訴える人が出てくる。

すでに実績を上げている人だけがそこに安住してくれればいい、という考え方は、長期的には、結局はコミュニティ全体の損になるのではないか、と自分は思っている。

 

人が夢を抱けないコミュニティは衰退する。

はてなではむしろこの「先行者利益」を持っている側の人が、この問題に対して言及していることが多い印象を受けている。

長いネット生活の中で、様々なネットコミュニティが生まれては衰退して消えていく様子を見てきたからかな、と思う。

 

ネットは実社会とは違うので、上に這い上がる出口を塞がれてもさすがに事件にまでは発展しないだろうけれど、有名な人に嚙みついてみたり、意図して炎上を起こして注目を集めようとしたり、そういうイレギュラーな手段をとる人は出てくる。

もしくは「上に上がる方法がないなら」と、新しくきた人たちがそのコミュニティに見切りをつける、最初から選択肢に入れない、ということもありうる。

知名度を得た人でも他のコミュニティに移ったり移籍することはありうるし(本人の自由だと思うし)その人のファンは、当然その人について行くだろう。ファンは「その人のファン」であって、その人が所属していたコミュニティのファンであるわけではないからだ。

その人が抜けた穴を埋めるような人がコミュニティ内で育っていなければ、その繰り返しでいずれはコミュニティは閑散とすると思う。

新しい人が下から這い上がってこない、新しいスターが生まれない停滞したシステムだといずれはコミュニティ全体が老朽化する。これは別にはてなに限ったことではないし、ネットに限ったことでもない。

 

自分は社会やコミュニティにおいては、どんな狭い通路でもいいから、下から上への通路は常に開けておくべきだと思う。実際に誰かが這い上がってくるかどうかが大切というよりは、「這い上がれるかもしれない」と希望が抱けることが大事だと思う。希望があるところには人が集まるし、用意された枠内で希望が叶うのであればその枠からはみ出ることもない。希望を諦めれば去る人もいる。大事なのはそういう人の流れがあることだと思う。

 

みんながみんな、有名になりたい、もっと上に行きたいと思っているわけではないけれど、そう思う人がいるのといないのとではコミュニティ全体のエネルギー量が違う。

人も社会もコミュニティも、老若を決めるのは「変わりたい」という気持ちがあるかどうかだ。「変わりたい」「変えたい」「今より少しでもよくなりたい」そういうエネルギーがあるのが健全な社会だと思う。

ガンダム―ンさんの記事からも、そういう熱い思いが伝わってきた。

ネットは生まれてまだ二十五年くらい世界だし、守りに入って安定した構造を築いてしまうのは早すぎると思う。まだまだこの世界で新しいものが生まれるんじゃないか、新星が出てくるんじゃないか、自分が変われるんじゃないか、という夢を見せて欲しい。

 

注目ブログに載せてもらった記事

www.saiusaruzzz.com

 2016年5月30日の記事なので、はてなブログを始めて1か月半くらい。

こんなにブックマークしてもらえたのも初めてで、ブログを続けていく上で非常に励みになった。