うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【ザ・ノンフィクション】「母がしんどい」過干渉な母から逃れたい娘の姿を描く「不幸の履歴書2」を見て、母娘関係について考えた。

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2017年8月6日(日)に放送された「ザ・ノンフィクション 不幸の履歴書2」の感想です。

 

母との関係に悩む友里さん

主人公は西村友里さん27歳。

「ワハハ本舗」という劇団で駆け出しの舞台女優をしていて、プライベートでは実家を出て42歳の舞台監督の彼と同棲している。

友里さんは、母親の令子さんとの関係に悩んでいる。

「母は空気。自分にとってないと苦しいが、多くても苦しい」

「お母さんがいるときは、お母さんが望む娘を条件反射でやってしまう」

表向きは仲良くやっているし、人からは「仲が良さそう」と言われることが多い。

でも、友里さんは心の中では「母から逃れたい」と思っていた。同棲を始めたのは、母から逃れて実家を出るため、という理由もあった。

 

「母がしんどい」という感覚がわからなかった。

友里さんと令子さんの親子関係を見て、槇村さとるの「imagine29」の母娘関係を思い出した。

「ガスみたいにフワフワからみついてくるママが、ずっとうっとおしかった」

「私の言うことなんて聞いてくれない。見てくれない」

と主人公の志麻子がずっと感じていた、という描写がある。

槇村さとるの漫画は母と娘の関係が複雑なものが多く、「恋のたまご」もこの関係を踏襲している。

「恋のたまご」では主人公の眞子が母親に向かって、

「もう私のことあきらめて! 手をはなして、放っておいて! いつまでも自分の思い通りに動く子供だと思わないで!」

と叫ぶシーンがある。

いつまでも自分を「旅館の跡継ぎ」として期待していて、年下の恋人の存在も認めず、地元の有力者の息子との見合いを仕組んだ母親に対して、長年の不満が爆発したのだ。

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(引用元:「恋のたまご」4巻p115 槇村さとる 集英社)

「わたしのことをあきらめて」というのは、絶妙なセリフだなと思う。

 

この二つの母娘関係も表面上は上手くいっているように見えているのだが、娘が長年の不満や我慢をため込んでいる。母親に遠慮して言いたいことが言えず、「いい娘を演じていた」「母が望むことを先回りしてやっていた」というパターンだ。

 

「親に遠慮している人」は意外と多い。

このように実の母と娘の関係が問題になることが実は多いらしい。

自分はずっと、この意味がよく分からなかった。

「実の親に遠慮する」「言いたいことが言えない」という感覚がよく分からなかった。

というよりは、そもそも「自分の意見を遠慮して言えない」ということがよく分からなかった。

仕事のことなど、大勢の赤の他人の利害や責任に関わる問題ならば分かるけれど、自分の行動や人生において「自分の意見を言えない」「遠慮してしまう」とはどういうことなんだろう?? 

ただ色々な人から話を聞いたり、槇村さとるが描くような物語を読むうちに、親子関係とは本当に様々で、「普通の親子」の範疇の中に無限のバリエーションがあるのだと気づいた。

そして自分にとっては当たり前だと思っていた、自分の家の親子関係のほうがレアなのかもしれないということにも気づいた。

 

子供の人生を、悪気なく乗っ取ってしまう親

番組を見ているだけだと、申し訳ないけれど、母令子さんは娘の友里さんをペットかお気に入りの人形のように扱っているように見えてしまう。

自分が構いたいときに構いたいように構う。その時に相手がどんな状況で、そう接せられたらどんな風に思うのかはお構いなしのように見える。

「こういう靴が好きでしょう?」「こういうグッズ好きでしょう?」

と言って勝手に買ってきてプレゼントする。

自分はこういう人によって好みが分かれるものを勝手に買ってくる、というのは大人同士ではどうかと思う。

消耗品ならまあいいと思うけど、自分だったらいらないものははっきり断る。

「独立した人格として相手を尊重した大人同士として付き合えない人とは、親子兄弟とはいえ付き合えない」

という自分からしたら、こんな風に自分が意思のない人形みたいに扱われるのは受け入れがたい行為だ。

自分の母親だったら、なぜそれが受け入れがたいのか説明するし、「あなたに悪気がなくともそれは相手の意思を尊重しない行為だ」と伝える。

行動の動機が「好意や善意である」ということは、行動の悪質さの言い訳にはならない。 

 

 こういう「自分が子供を人形のように扱ってしまっていると気づかない親」と「それの何が悪いのかが言葉にできない子供」という関係性は意外と多い。

「自分は親なのだから、子どもの人生や意思に口出ししていい。むしろ、色々と言ってあげないといけない」とナチュラルに思っている親も多い。子供の交際相手や仕事のことにまで口を出して、子どもの人生を乗っ取ってしまう親もいる。

子供は子供だったので、確かに親が代わりに考えてあげなければならない時期もあったのだろうけれど、相手はもう好みも考え方も生き方も違う、自分とは違う人間だ。

そう信頼して尊重してあげるのが、子離れであり真の愛情じゃないかな、と自分は思う。

 

親子関係とは別の問題もある

番組を見ていて難しいなと思ったのは、友里さんと令子さんの関係の問題点は、親子という以外に思考パターンの違いもあるのでは、と思った。これがさらに話をややこしくしている。

 

実はこの部分に関しては、自分はかなり母親令子さんと似ている。

「自分は自分の意見を言っているだけのつもりだけれど、それが要求のように聞こえてしまう人がいることに気づかない」

「自分の意見を受け入れてくれなくても構わない。考え方が違うならば、そう言われれば納得するのに、と思っている」

「ちゃんと意見を言ってくれれば聞くのに、何で言わないの? 何も言わないということは、受け入れるということではないの?」

自分もそう思ってしまいがちだ。

友里さんが「お母さんのその話し方、すごく苦手」と令子さんに言った

「これこれこうだから、こうだとするとこう考えられるし、そうでないとするとこうしたほうがいいし、そうではなくこうだとしたらこうなんじゃないの? だとしたらこれはこうしたほうがいいのでは?」

という話し方は、自分もよくしてしまう。

 

「こういうケースならこう考えたほうがいいのではないか」「こういうパターンなら、こういうことが考えられる」「こう考えるならば、根本的にはこういうことだよな」という考えを話しているだけで、「そうしろ」と言っているわけではないのだけれど、これが要求に聞こえたり、負担になってしまう人がいる、ということがなかなか実感できない。

 

「別に意見が違うなら受け取らなくて構わない。話したいだけだから」

と思っているし、「受け取らない」というのも気が引ける、ということに対しては「自分の意見を言わないで、分かってくれというのは逃げでは?」と思っていた。

気づいたのは、「受け取る、受け取らない」という二択に分けることが、そもそも正確な気持ちではない。「自分の気持ちなんてそんなにはっきりは分からない。言葉にして説明できることではない」という人もいるんだな、ということだ。

 

「言葉で表現できることなんて本当に限られていて、自分の感覚を言葉にしようとしたらそれは嘘になってしまうから黙っている」

という人も世の中にはたくさんいて、そういう人に対して

「黙っているということは同意したんだな」

と思うことは、公平とは言い難いことだ。

そしてその人が言う「分からない」「何が分からないのかも分からない」という言葉に対して「そんなはずはない。ちゃんと説明しろ」ということは、相手に「自分の思い通りの返答じゃないと認めないんだな」と思われても仕方ない、と思い至った。

 

感性優位の人と理屈優先の人のコミュニケーション不全については、この記事でも書いている。

言葉の力を持たない人間は、この世界でどう生きればいいのか? 桜井晴也「世界泥棒」 

 

親子関係の上に、こういう考え方のパターンの違いもあって、友里さんはずっと「本当の自分を受け入れてもらっていない。母親には分かってもらえない」と感じていたのだろう。

「分からない」「理屈はないけど、ただこうしたいんだ」と感じる心を、ありのままに受け入れられる。友里さんにとっては、同棲相手の西脇さんが初めて出会ったそういう居場所だったんだろう。

 

アガサ・クリスティが母娘関係を問題にした小説の中で「愛しているなら放っておけ」と言っている。でも同時に「愛している人間を手放し、干渉しないのは本当に難しい」と語っている。

「相手のことを一人の人間と認め、その力を信じて手を放す。あとは遠くから見守る」

難しいことかもしれないけれど、これが真の愛情かなと番組を見ていて思った。

母がしんどい (中経☆コミックス)

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