うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

アニメ映画「心が叫びたがっているんだ」は、俯瞰視点で見ると真の意味がわからない。

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アニメ映画「心が叫びたがっているんだ」を見た。

*ネタバレを含む感想記事です。未視聴のかたはご注意ください。

 

途中までは「退屈な映画だな」と思っていた。

毒親から分かりやすくトラウマを受けるヒロイン、彼女のトラウマを払しょくするためのイベントを、何だかんだいいながら協力する非現実的なほど心優しいクラスメイト&ヒーロー、恋のライバル、ヒロインと同じように心に悩みを抱えていて、最初はやさぐれているのに、すぐに改心?する奴、薄気味悪いほど理解のある教師。

 

王子さまが現れて自分のために奮闘してくれ、多少は苦難や反発があっても、クラスみんなで協力してイベントを成し遂げ、その効果でヒロイン、ヒーロー、サブメンバーすべてのトラウマが解決する。

トラウマからちょっと変わったところのある主人公を、拓実(王子さま)は全面的に受け入れてくれる。

こんなに都合のいい高校生男子がいるかよ。

 

菜月と大樹の今どきの高校生風(あくまで風)のこじゃれた会話にも、苦笑いしか出てこない。

最後は親とも和解して、みんなが何となくいい雰囲気になって、「やっぱり思っていることは言葉にしなきゃ伝わらないんです」というキレイなまとめで終わりかな。

こんな使い古されたテンプレみたいな話に何の意味があるんだろう、と思いながら見ていた。

 

クライマックスのシーンも、見ていて盛り上がるどころか白けっぱなしだった。

たまたま本番の前日に、たまたま好きな人と恋のライバルが会話をして、たまたま主人公が立ち聞きしてしまう。

本番直前に自分が企画した企画を投げ出して逃げ出した主人公を、少しは文句を言いつつも仲間はみんな戻ってくるのを待ってくれて、王子さまがそれを探しに行く。

いやいや、勘弁してくれ。八十年代の少女漫画のテンプレか。

 

と思ったら、まさかの王子さまの「他に好きな子がいる」

順の早とちりではなく、拓実は本当に菜月のことが好きだった、という展開。

いやいや、そんなフラグ一個もなかったやん。それどころか菜月と大樹の意味深なシーンすらあった。あのシーンには何の意味もなかったのか。

 

どんでん返しというのは、ただ展開をひっくり返して、見ている人間に衝撃を与えればいいってものじゃない。

「こう見えていたけれど、実はあの描写はこういうことだったのか」

と見ている人間が納得しなければならない。

読者が人物の心情を推し量る手がかりがひとつもないのに、ただ最後の最後で「実は今まで、拓実は天然で思わせぶりなだけだったんです」って後付けで言われてもな、それはただの作りての自己満足だよ。

 

そう思った。そして、そう思った瞬間に突然気づいた。

ああそうか、これが順がいま正に、感じている気持ちなんだ。

 

見ている人間を、成瀬順と同じ立場にする

じゃあ、どうしてあんなに順に優しくしたんだ? 

どうしてあんなにそれまで良く知りもしなかったただのクラスメイトの企画にあんなに入れ込んでいたんだ? 

どうして自宅に招いて、ピアノまで聴かせたんだ?

どうしていつもはすかしているのに、大勢の前で順のために田崎を咎めたんだ?

どう考えても、ただのクラスメイトにあそこまでやるわけがない。

菜月と昔、付き合っていたという話も唐突に出てきたよね?

それまで菜月を気にしている素振りなんて、一切なかった。

順のことが好きなフラグはいくつもあった。

でも菜月との関係を匂わせる、拓実が菜月と昔付き合っていて、今も忘れられないでいるというフラグはほぼないに等しい。

おかしいだろ、こんなの。今までの描写に何の意味があったんだ?

 

という自分が思ったこととまったく同じことを、「思っていることを何でも言ってくれ」と言われたときに、物語内の成瀬順が全部喋った。

こんな理不尽で訳の分からない物語を見せやがって。

このテンプレ的でいながら、最後の最後で何の伏線もなく「こうだったんです」と言われる物語に何の意味があるんだ。

あの描写やあの描写に何の意味があったんだ。

何の感動もしない。この映画を見る前と見た後で何の状況も変わらない。

 

順は勇気を出して心を見せたけれど、それによって「勘違いをしていた」ことを悟り、心が傷ついただけだった。そして心が傷ついたことによって、自分が提案した企画を本番直前で投げ出し、自分がただ勘違いしたにすぎないのに、自分が好きになった相手に罵声を浴びせた。

 

言いたいことを言っても、いいことなんてひとつもない。周りの人を振り回して、傷つけるだけ。

やっぱり黙っているほうがいいんじゃないか。

 

それでも本当に言いたいことがあるなら全部言ったほうがいい。

自分が喋ったことによって両親が離婚したり、勘違いを好きな相手に悟られるなど恥をかいたことがなければ、そう簡単に言える。

映画を見る前から、映画の結論に簡単にたどり着ける。

何故ならば、そこに自分自身の痛みがないからだ。

 

でも順のように「喋ったことによって、取り返しのつかないことを引き起こした痛みや恥ずかしさを自分自身が味わってもなお、『本当に心にあることは、叫んだほうがいい』と言えるのか」ということを、見ている人間に問うているのだ。

 

「心にあることを言う」というのは、常に「傷つく」というリスクと隣り合わせだ。

俯瞰視点で映画を見ていれば、「順みたいに話すことで傷つくリスクを恐れるよりは、話したほうがいい。そうでないと気持ちは伝わらない」と言える人でも、その痛みを自分自身が抱えたときに本当にそう言い切ることができるのか。

その痛みを持っていない「観客」としてではなく、その痛みを抱えた人間として「それでも心に伝えたいことがあるのなら、伝えたほうがいいのだ」という結論にたどり着いて欲しいのだと思う。

 

この映画の脚本を書いた岡田磨里は、シリーズ構成とメインで脚本を担当した「鉄血のオルフェンズ」でも同じ手法をとっている。

登場人物に感情移入させるのとも違う。

演出によって、見ている人間をその人自身として登場人物たちの立場に立たせ、その感情を疑似体験させようとする。

登場人物たちと同じ立場に立たせ、同じ痛みを抱えてなお、物語が導き出した結論に「そうだよな」と言えるのかどうか、そういう「心からの感想」を求めてくる。

 決して観客に、観客席から感想を言うことを許さない。

 

痛みや不快さ、理不尽さを意識的に見ている人間に与えているのだから、文句が出るのも想定して作っているのではないかと思う。(というよりは、文句が出なければ、理不尽さを追体験させられていないのだから、むしろ失敗ということになる。)

 

という推測が正しいとなると、この映画は宣伝文句とは逆に「面白くなさや感動しないこと(物語的なカタルシスのなさ)」を、「心が叫びたがっていることは、そこに意味も感動もなく、むしろ誰かを傷つけ何かを破壊することになっても、順のように口を閉ざすのではなく言うべきなのか」という問いに対する、見た人間一人一人の『真の答え』を聞くための方法論として用いている、ということになる。

 

前提となる設定が失敗だったと思う。

仮にそうだとしても、自分は余りこの話が面白いとは思えなかった。

一番大きな理由は、「罪悪感を感じても、心にあることは伝えるべきなのではないか」の「罪悪感」の設定に対して、まったく罪悪感を疑似体験できなかったことにある。

自分だったら、順、母親、父親、どの立場に立っても順のせいで離婚したとは思わない。順の両親は元々うまくいっていなかったし、いつかは離婚しただろう。(浮気が一時の気の迷いにすぎなかったならば、順が喋って浮気がバレて揉めても、離婚には至らなかったと思う。)

そう思ったので、順の立場に立って言葉を喋ることへの罪悪感を感じることができなかった。

 

順はまだ子供だったので、順が罪悪感を感じることは「設定として頭で理解することはできる」。しかし、『自分自身』としては「順の親(特に父親)はクソだな。順、かわいそう」という感想を抱くことしかできない。

頭で「順は罪悪感を感じても仕方がない」と理解するのではなく、自分が順と同じように「罪悪感を自分のものとして感じ」なければ、この手法は成り立たない。

この罪悪感を追体験できるかどうかが、この話を面白いと思えるかどうかの最初の分岐点だと思う。

個人的にはこの「罪悪感の設定」が、失敗していると思う。恐らく「順は悪くない。親のほうが最低」と思う人のほうが多いような気がする。

そうなってしまうと、この物語そのものが成り立たなくなる。

 

逆に言えば「オルフェンズ」は、この手法が非常に有効に機能していた。

この見ている人間を強制的に物語に引きずり込む、俯瞰して見ることを許さない手法が有効に機能すると、見ている人間も自分自身として物語の理不尽さ、苦しさ、不快さを味わうことになる。見ている人間を賛否両論の激情の渦に叩き込む、非常に面白い物語になる。

次回作にまた期待したい。

今度こそ「クソが。何なんだ、この物語は」と心が叫びたがるかもしれない。

心が叫びたがってるんだ。

心が叫びたがってるんだ。

 

 

というわけで次作「さよならの朝に約束の花を飾ろう」を楽しみにしている。ファンタジーだし、粗筋も好みだ。

(追記)見てきました。

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その追体験させられる感覚が、どれだけ自分の中にあるかでも感想が違くなる。だから、賛否がばっきり分かれるのかもしれない。

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