うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【銀河英雄伝説キャラ語り】ロイエンタールとミッターマイヤーの関係についての考察。

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銀河英雄伝説の「双璧」ことロイエンタールとミッターマイヤーの関係についての話。

この二人の話はちょこちょこ書いてきたのだけれど、改めて二人の関係に焦点を絞って書きたい。

突っ込んだ内容で、自分が思ったことをそのまま書くので、「この二人の友情、素敵」「ロイエンタールカッコいい」「ミッターマイヤーカッコいい」と思っている人は、読まないほうがいいかもしれない。

 

大筋は下の記事のロイエンタールの項で書いたことが中心。

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ロイエンタールは自分自身を分かりたくない。

まずは前提として、ロイエンタールがどういう人物かという話から。

上記の記事に書いた通り、自分はロイエンタールという人はいまいち「自分」が分かっていない人だと思っている。正確には「自分で自分を分かってしまうと成り立たない人」なんじゃないかと思っている。

 

ロイエンタールは、基本的にはラインハルトとオーベルシュタインに似ている。「何か」に対する強烈な感情が、人物の核になっている人だ 。

ラインハルトであれば、姉を奪ったゴールデンバウム王朝に対する憎しみ。

オーベルシュタインであれば、自分の存在を否定するゴールデンバウム王朝に対する憎しみ。

ロイエンタールであれば、母親に対する愛憎。

 

ラインハルトとオーベルシュタインは「憎しみ」だけなので、その感情のままに行動することができる。行動することによって感情を消化することができる。

ロイエンタールにはこれができない。というより、そもそも母親に「愛憎がある」と認めることもできない。

 

「ロイエンタールは母親に対する感情を認めることができない」ということが如実に表れているのは、ロイエンタールがミッタマイヤーに、母親に対するトラウマを話すシーンだ。

このシーンのロイエンタールの語りは、よく読むと不思議だ。

まず最初に、「女というものは男を裏切る存在だ」という主張から始まる。

その根拠として「いい例が俺の母親だ」と母親の話をしだす。女は男を裏切る存在だ、何故かと言えば「(女である)母親は(男である)父親を裏切って浮気をしていた」からだ。だから女は男を裏切るのだ、と言う。

その例示に対する付け加えとして「母親は浮気がバレないように、俺の片目を抉り出そうとした」という会話になっている。

 

当たり前だが、「ロイエンタールの母親が父親を裏切った」という一例を以って、「女性全てが男性を裏切る存在」の根拠にはなりえない。この理屈が無茶苦茶なことは本文の中でも、そういう文脈で語られているのでそれはひとまず置いておく。

理屈が無茶苦茶なうえに、さらにこの語りは因果が転倒している。

ロイエンタールの人生においてまずはじめに起こったことが「母親に目を抉り出そうとされたこと」で、それは「父親を裏切って浮気をしていたことがバレないために」であり、そういう記憶があるから「女性を信じられない」

これが正しい並び。

ところがロイエンタールは母親の話をするにあたって、何故か「女性というものは」という一般論から話し始める。

 

要は「母親」という対象に対する自分の感情を隠すために、対象を「女性」と一般化して話し始めている。しかしそのことを認められず、自分自身でも「あくまで対象は「女性」である」と信じるために、因果を転倒させて「女性のほうが主題ですよ。母親は例示にすぎない」と言っている。

 

ロイエンタールがある意味大変なんだろうな、と思うのは、記憶を無くすくらい酔っぱらってさえ、ここまでしか語れないし、認められないところだ。

「母親に愛憎を抱いている」と認めることは、自我が崩壊するレベルなんだろう。

 

なぜラインハルトやオーベルシュタインのように対象に対する感情が「憎しみ」だけではない、と考えるのか。二人の行動とロイエンタールの行動を、照らし合わせて考えれば分かる。

ラインハルトやオーベルシュタインは、対象であるゴールデンバウム朝を消滅させたいと考えていて、しかもそのための具体的な行動をとっている。

ロイエンタールは積極的には女性に近づいたりはしない。憎しみしかないのならば、積極的に近づいて害をなそうとするか、もしくは寄ってこられても拒絶するだろう。

しかし、くれば拒まない。受け入れてはいる。しかし最終的には受け入れきれないから、一方的に捨てる。

受け入れる→離れる、ということを繰り返している。

二股をかけない、というのは、ロイエンタールにとって付き合っているときの女性というのは、「女性」ではなく「母親」の代わりだからだ。(上記の会話で示されているように、ロイエンタールは「母親」とは正面から向き合えないために、対象を「女性」と一般化して向き合っている。)

対象を「女性」と考えると「女性と付き合っては捨てるを繰り返している。最低な男だ」となるけれど、実はロイエンタールの内面世界では全員「母親」という一人なのだと思う。

つまり、「母親」を受け入れたい、しかし距離が近づくと怖いので離れる、これを延々と繰り返している。

ということを大抵の読者は分かっていると思う。

 

本当は怖いミッターマイヤー

ところがミッターマイヤーには分からない。(一応分かってはいるけれど、本質的にはたぶん分かろうとしていない。)

これは読者にはロイエンタールの内面の声や、生い立ちを説明されているから分かる、とかそういうことではない。

上記の会話ひとつを聞いただけでも、大抵の人は「母親のことが引っかかっているんだろうな」と思うと思う。

「女性」というのはただの煙幕で、そこはほとんど問題ですらない。

ところがミッターマイヤーはロイエンタールの因果が転倒した物言いを真に受けて「妻のために女性を弁護したい気持ち」になったりしている。

さらにびっくりするのは、翌朝「まるで覚えていない」で話を終わらせてしまうところだ。

もちろん大人同士なので、お互いある領域には踏み込まない、ということはあると思う。

でもこれはロイエンタールが自分から話し出したことだ。しかも「母親に片目を抉り出されそうになった」という、かなり衝撃的で重大な話だ。

「俺でよければ、何でも聞く」とか「何かあれば言ってくれよ」とか、せめてそういう流れにならないだろうか。「まるで覚えていない」はないだろう。

ロイエンタールにも知られたくない、という思いもあっただろうけれど、「誰かに話したい。ミッタマイヤーになら」という思いもあったと思う。そうでなければ、そもそも話さない。

とりあえず「よければ聞くけれど」と水を向けてみて「いやいい」となればそれ以上触れなければいいし、その時は「話したくない」でも、そう言っておけば話したいときには話せるだろう。

 

この場面でのミッターマイヤーは、「ロイエンタールはどういう気持ちなのか」ということを考えるよりも「こういうときはこう振る舞うべき」という意識が先行しているように見える。

「お互いの内面にはあえて踏み込まない、余計なことは言わない。男同士の友情はそうあるべきだ」という感じて、そう振る舞っているように見える。

 

大人になって読み直して、ミッターマイヤーはちょっと怖い人だな、と思った。

余りに真っすぐで正しい価値観を持ちすぎていて、それ以外の価値観や人の弱さや矛盾が分からない、というより見えない人なんじゃないかと思う。

人の気持ちを想像するよりも、常に「この場面ではこうあるべき」という形式を優先させているように見える。

ミッターマイヤーの価値観が「銀英伝の世界における正しさ」と一致しているからネガティブな要素が一切見えないけれど、けっこう怖いことだなと思う。

 

ロイエンタールがなぜ反乱を起こしたか、というのも、まったくわかっていないというか、「真相は解明されつつある」とか「血の色をした夢に酔っている」とかいやいや違うだろう、そこじゃないだろうと突っ込みたくなる。

あれは完全にラインハルトとロイエンタールの「こんな俺を分かってくれよ」合戦だろう、と思っている。

ラインハルトとロイエンタールは、こういうところもすごく似ている。我儘で甘えたがりで弱音を吐けない、「そんな俺を分かってくれ」ととことん人に甘えてくる。

ミッターマイヤーはロイエンタールの建前を常に真に受ける。「俺は野心家で、ラインハルトが自分の理想から外れたら、とって替わるかもしれない」そういわれたら、「ああそうか」と真に受ける。

そういう面がまったくないとは思わないけれど、あの反乱はどう考えてもただ単に「そっちからきてくれないかなあ」という意地の張り合いだろうと思う。

 

ロイエンタールには甘えられる人がいない。

ラインハルトには、そういう自分の甘えを許してくれるキルヒアイスがいた。キルヒアイスにはラインハルトはとことん甘えられたし、キルヒアイスはそういうラインハルトを分かったうえで受け入れていた。

これは作品の中でも、ヴェスターラントの一件で対立したときに「キルヒアイスも分かってくれてよさそうなもの」と言ったり、五巻でのヤンとの会話の中で「私はそれに甘えて、甘えきって、ついに彼の生命まで私のために失わせてしまった」とラインハルト本人が言っている。

ラインハルトは自分がキルヒアイスにすごく甘えていた、ということが分かっている。

キルヒアイスが死んで反省したのかな、と思いきや、性懲りもなくヒルダ相手にまた繰り返している。ただこういう(はっきり言ってしまえば、しょうもない)弱さみたいなものが、ラインハルトの人間的な魅力なのだと思う。

 

ところがロイエンタールは違う。甘えられる相手が誰もいない。甘える、というのは相手に心を開かなければできない。

ロイエンタールは酔っ払って母親の話をしたときに、明け透けな言い方をすれば、ミッターマイヤーが甘えられる相手かどうかを無意識下で見極めようとしたのだと思う。

ところがミッターマイヤーには、まったく通じない。「女なんて、っていうけれど、エヴァは違うぞ」なんていう頓珍漢なことを考え出す。そこじゃない。

ロイエンタールが思い切って話した母親のトラウマを、「まるで覚えていない」と一蹴する。

これはロイエンタールの「余計なことを喋ったな」という言い方も確かに悪い。そういう言い方しかできない、その裏の自分でも白黒つかない気持ちを汲み取ってくれ、というのは確かに甘えだし、そんなものは分からなくても仕方ないかもしれない。

ミッターマイヤーは自分がそういう甘え方を人にしないために、そういう甘やかし方が分からない。そういう意味での「甘え」という概念が、ミッターマイヤーの世界にはない。

ロイエンタールはそういう自分の「甘え」を認めたくないので、ミッターマイヤーの「甘え」がない世界観に心惹かれていたのだと思う。ミッターマイヤーとの最後の会話でも、「卿は俺とは違って、正道を行く人間」みたいなことを言っていた。これはロイエンタールが自分を語るときに常に使う露悪的な建前特有の恰好をつけた言い方で、本質を考えればそういう意味だと思う。(そしてその建前をミッターマイヤーは常に真に受ける。)

 

ミッターマイヤーは一緒にいて楽な人。

ミッターマイヤーは自分から見ると怖い人だけれど、ある意味一緒にいてすごく楽な人だ。裏表がないし、他人にも裏表を求めない。目に見えるもの、耳で聞こえるものが全てでそれをそのまま受け取る。

 

バイエルラインが噂話を肴にして酒を飲もうと思って、ミッターマイヤー家を訪ねたら、先にロイエンタールがいてがっかりしたというエピソードがあったと思う。

このエピソード、社会人になってから読んで、すごい面白いなと思った。

呼ばれていないのにいきなり訪ねていって、一緒に酒を飲みたいと思う上司はなかなかいない。しかも「ロイエンタールがいるなら、じゃあ三人で飲もう」とはならないところも面白い。

ただ単にバイエルラインとロイエンタールが反りが合わないだけだ、とかロイエンタールも直属の部下とはプライベートで飲んでいるかもとか(ベルゲングリューンとは仲が良さそうだったし)その辺りははっきりは分からない。

ただこの1エピソードだけで、ミッターマイヤーは部下がアポイントなしで家に遊びにくるような上司であるのに対して、ロイエンタールは尊敬できるけれど、プライベートではそれほど顔を合わせたくない、むしろ煙たいという感じが伝わってくる。

この点はオーベルシュタインも同じだろうけれど、オーベルシュタインは上司部下関係なく、そもそもプライベートで酒を飲む相手がいない。

オーベルシュタインはどこが危険かはっきり分かる人なので、仕事のみの関係と割り切れるので付き合いやすい、関係としては楽という人もけっこういるのでは、と思う。

一方、ロイエンタールは地雷原がはっきりしないので、一緒にいると疲れるという人も多そうだ。

 

ミッターマイヤーとロイエンタールが友達でいられるのは、ミッターマイヤーの人間の内面への無関心さ(よく言えば裏表のなさ)、自分の価値観以外のことは存在すら知らないところ、そういうところがロイエンタールは一緒にいてとても楽だったんじゃないかと思っている。

ミッターマイヤーは、物事には(特に人の心には)裏がある、ということをほとんど考えない。ロイエンタールが本当の自分を隠すために張り巡らせている「露悪的な建前=強がり」をそのまま受け取る。

それがおかしいな、と感じたら、「どうしてそんなに自分を悪くみせたがる?」とド直球で投げかける。そんなことをロイエンタールが答えられるわけがないことが、自分自身には裏がないミッターマイヤーには分からない。

「そんな質問、答えられるわけがないだろう」ということが分からなくて真顔で聞いてくるところが、ミッターマイヤーの怖いところだ。

 

このミッターマイヤーの「怖い」部分がロイエンタールには自分にはない強さ、正しさに見えたし、だいぶ救われていたのだと思う。

ミッターマイヤーがロイエンタールを本当の意味では理解しようとしなかったから(できなかったから)こそ、二人はずっと友達でいられたんじゃないか、と思っている。

もっと言えば、ミッターマイヤーはロイエンタールをまったく理解できないことをもって、最大の理解者だったのだと思う。

 

ミッターマイヤーがロイエンタールを理解しようとしていたら、どうなったか?は、「鉄血のオルフェンズ」に描かれている。

では、ミッターマイヤーがロイエンタールを理解しようとしていたら、そういう性格の人だったらどうだったのか? というシミュレーションが、「鉄血のオルフェンズ」のマクギリスとガエリオの関係だと思っている。

マクギリスとロイエンタールは、反乱の行き当たりばったりさも、「反乱をした」という事実を根拠にして「自分は強い、野心家だ」と信じているところもすごく似ている。「自分は強烈な野望を持った野心家である」ということを自分自身に証明するために、反乱を起こしたんじゃないかと思うくらいだ。

 

マクギリスとガエリオは、お互いを友達だと思っているし、本当は理解して欲しい、ガエリオの側においては理解したいと強烈に願っているがゆえに傷つけ合ってしまったパターンだ。

人は本当に難しい。相手がいい人なら、好感を持っていれば、相手を思いやっていれば、うまくいくとも限らない。

マクギリスとガエリオの関係はその典型だ。

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「友達だったお前やカルタも野望のために殺そうとする、こんな俺でも受け入れくれるのか?」というところまで試し行動が進む。

そういう自分さえ受け入れてくれる人の前でしか、「野望のために旧体制を力で打破しようとする自分」という仮面を脱げない。

「いやいや、お前は本当はそんな奴じゃないよね? 本音を喋ってくれ」と言っても、絶対に喋らない。受け入れられる前に本音を喋るくらいなら、本気で殺しにかかってくる。

「甘えていいよ」と言ったら、ここまで甘えてくる。

重すぎる…。

 

常に命がけの問いを突きつけてくるところこそ、このタイプの魅力。

このタイプは一緒にいると、ナチュラルに命や人生まで要求してくる。実際、キルヒアイスはラインハルトの「甘え」で命を落としている。

「お前は俺のためにどれだけのことができるんだ? 命も人生も賭けられるのか?」という発想が根底にある。

この命がけの問いにこそ、このタイプの魅力がつまっている。

キルヒアイスとガエリオはその魅力にハマってしまった人、自分が命を捨てるほどハマってしまったり、殺し合うことでしか本音を聞き出せない関係にハマってしまった人なのだと思う。危険なんだけれど、それでも一緒にいたい、何かしてあげたいと思わせるのがこの手の人の魔力的な魅力なのかもしれない。

 

自分は初めて銀英伝を読んだ中学生のとき、ロイエンタールのやることなすことの意味が分からなかった。

なぜ女性不信なのに女性と付き合うのか、なぜあんな勝算のない反乱を起こしたのか、なぜ「誤解だ」とひと言言えば済むのに、自分の部下を道連れして最後まで戦ったのか。揚げ句の果てにエルフリーデを強姦したあげく子供ができたら中絶しろ、には唖然とした。

「言っていることとやっていることがまるで違うじゃないか、何なんだ?」とずっと思っていた。

でも大人になって分かった。ああ、そうだね。こりゃあ死ぬほどモテるだろう。そして側にいる人をほぼ全員不幸にするだろう。

 

しかしこのタイプが終始鋭い刃のように発している「お前は俺のために命を捨てられるのか」という波動を、まったく感じとらないことで側にいられる、という「コロンブスの卵」的な方法があるんだ。そしてその方法をとれる人が、真っ当な銀英伝の世界でも最も真っ当なミッターマイヤーで、この二人を親友同士としたキャラクターの巧さと必然性に今さらながらすごいという言葉しか出ない。

どんな切り口からでも無限に楽しめる、やっぱり銀英伝は傑作だよなあと改めて思った。

 

続き。

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