PS1のゲーム「ムーンライトシンドローム」の考察記事です。
前回「プロローグ」はコチラ↓
「夢題」
副タイトルは「華山キョウコ、最後の一日」です。
前回、バイク事故で死んだキョウコと、キョウコをとりまく人間関係がメインのお話しです。
この話は昔はさっぱり意味が分からなかったのですが、キョウコと弟のリョウが、姉弟でありながら愛し合っているという話みたいですね。
キョウコもリョウも、それを認めまいとして、それぞれスミオとルミと付き合ったものの、その気持ちを変えることができなかったという話です。
二人の関係に嫉妬したスミオが白髪の少年の姿をしたミトラ神と契約するところから、物語が始まります。
最初のリョウが見たキョウコの夢は、「姉を愛しているということなどあってはいけない」という倫理観と、「キョウコへの愛情を、どうしても捨てられない」という感情の葛藤ですね。
言葉にすると、めちゃくちゃ野暮だな。
この「夢題」という話のなかで、リョウはみんなからさんざん責められていますが、いま見ると責められて当然だと思います。
リョウは前述した、倫理観とキョウコへの愛情の狭間で、どちらをとることもできずに苦しんでいます。
リョウの駄目なところは、「倫理観と愛情のどちらもとることができない。だから自分は苦しんでいる」という自分の状態を、認めることすらできていないというところだと思います。
その事実を直視することすらできずに逃げている、さらに悪いことに、そこから目をそらすためにルミを利用しました。
結局はそれでも「キョウコへの愛情」を捨てることができずに、ルミを傷つけるだけに終わります。
自分の都合だけでルミの自分への愛情を利用する、そして傷つけて、ルミからも逃げる。
心の底から、最低だと思います。
そのくせ、倫理観をとってキョウコの愛情を突き放すこともしない。
スミオが、自分とキョウコの仲を「邪悪なリョウの意思に邪魔されている」と言ったのは、このことです。
近親相姦する意思がないのなら、キョウコからきっぱり離れるべきです。
そうすれば、キョウコもあきらめがつくかもしれないのに。
倫理観もキョウコへの愛情も、どちらを選べずに、しかも選ばないことによって、キョウコとスミオの仲を邪魔し続けるリョウのことを、スミオが
「今のきみはただのマネキン。ただの弱者」
「弱さを強さに転換している」
と非難するのは、しごく当然のことです。
またルミが「逃避しているのは、あんただよ」と、リョウを非難するのも当然です。
(そうだ、そうだ。もっと言ってやれー(`ω´)/)
リョウはそんなしごく当然の非難に対してすら、受け入れて謝罪するどころか、
「自分にも自分が分からないのに、お前に何がわかる?」
「強い女を装って、哀れだな」
だの、完全に開き直っています。
そのセリフ、そっくりお前にお返しするわ。
自分の弱さを認めたくなくて、他人にそっくり転換する。
お前、どんだけ弱いんだよ……。
ルミがかわいそうです。
どんなに強がっていても、ルミがリョウのことを好きなことが分かります。
しかし、リョウはルミ本人を見ることすらしませんでした。
「わたしを通して、誰を見ていた? 透明になったみたいだった」
という、血を吐くような叫びにすら、リョウはろくに反応しません。
「無視」というのは、心の殺人だそうです。
リョウはルミが自分を愛してくれたことをいいことに、ルミを傷つけることによって、自分の弱さから逃げ続けたのです。
心の底から、最低だと思います。(二回目)
「精神において、君のどこかに滞在しようと思う。君に執着しようと思う」
というスミオのセリフは、スミオが物語上は、リョウの自己処罰感情、罪悪感のメタファーであることを示しています。
これからもリョウが、姉を愛してしまった自分、
その愛情を認められずに、姉を死に追いやってしまった自分、
倫理観も愛情も、どちらも選べず逃げ回る弱い自分、
その弱さから他人を傷つけざるをえない自分、
を責め続けることの暗喩なのです。
(責め続けて、当然だと思いますが。)
第三回「夢題」②に、続きます。