NHK大河ドラマ「真田丸」第21回「戦端」の感想です。親心と親父たち乱舞の巻。
前回第20回「前兆」の感想は、コチラ↓
いつの世も変わらない親心
お捨にメロメロな秀吉、稲にメロメロは平八郎。
いつの世も、親心は変わらないですね。
お捨のために、早く天下を平定させたいという秀吉の思いが、北条との戦を起こさせるのですね。
秀次の葛藤が、また良いです。
「お捨が生まれて、わしが思い悩んでいるように見えるか?」
「叔父上がいなければ、わしは百姓の小倅で終わっていた。叔父上には感謝している」
と言いながら、お捨のために風車を作るときの優しい表情とか、でも、それを自分では渡せない複雑な気持ちの表し方とかがいいです。
お捨に夢中な秀吉を見るときの、心の葛藤の表し方とかね。
「真田丸」の秀次は、ちょっと機転のきかないところはあるけれど、野心も欲望もない素朴で心優しい若者として描かれています。
もう今から、「殺生関白」として死ぬときは、号泣必至のような気がします。
しかしキリは、そんな秀次の良さを全然見ていないんだよなあ。
「自分はそんな器じゃない」とか、そういうことがサラリと言えて、自分の立場を危うくする存在である幼い甥っ子のために、風車を作ってあげられるかどうか、そういう人としての優しさとか、愛情深さがあるかどうか、
男性……というか、人の真価って、そういうところだと思いますよ。
源次郎も優しいしいい男だと思いますが、もうちょっと他の人のいいところも見るような、思慮深いところも見せて欲しいです。
「わたしのことを振り回すのはやめてください」
は、面白いけれど。すごい自信だな、キリ。
何とも思っていない相手にこんなことを言われたら、口ポカーン(゚Д゚;)ですね。
平八郎の親バカぶりは面白いが、(「することがないのだろうか」に笑った)
マジレスすると、そんなことをしていると、いつまでたっても稲が真田家に馴染めないと思います。
コウは侍女になったとたん、いい嫁ぶりを発揮していますね。
病弱で寝てばかりで、源三郎の話をちっとも聞いていなかったあの頃が、嘘のようです。
おっさんたちが恰好よさ全開
OPのインターバルを見たときから、今日はおっさん回になるだろうなと思いました。
家康と氏政の本音と腹のさぐり合いが交錯した対談が、恰好よすぎました。
「いずれ、北条は秀吉を倒す」
今まで「汁はちょっとずつ」しか言わない、自分の立場に胡坐かいた陰険な奴にしか見えなかった氏政が、鳥肌がたつほど恰好よく見えました。
腐っても関東の支配者北条家のプライドが、この一言にこめられています。
家康が純粋な好意から、氏政に上洛を勧めたというのは意外でした。
絶対、何か企んでいると思っていました。
自分の好みとしては、そういうことをわざわざ口に出して説明する脚本の「親切さ」はいらないかな?と思いますが。
沼田城をめぐる対談
昌幸パパは、未だに戦国時代を生きているんだなと思いました。
その辺りが、秀吉のそばに仕えていて、「もうすぐ戦のない世の中になる」と思っている源次郎の感覚と乖離が大きいんですね。
京の屋敷に、隠し扉はいらないとかね。
そして話し合いを進めるには、その下地になる人間関係って大事なのは、いつの世も一緒なのだなあと実感しました。
次回は第22回「裁定」です。