うさるの厨二病な読書日記

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≪ドラマ≫ NHK大河ドラマ「真田丸」 第27回「不信」の感想 

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NHK大河ドラマ「真田丸」第27回「不信」の感想です。

前回、第26回「瓜売」の感想はコチラ↓

saiusaru.hatenablog.com

 

秀吉と秀次の間のすれ違い

拾も生まれて、関白となった秀次と太閤秀吉の間にすきま風が吹き始めます。

今回を見る限りでは、「真田丸」の秀吉は、秀次のことを疎んじてはおらず、秀次の頼りなさにイライラしているものの、拾のために秀次を関白の座から追い落とそうとはしていない、という路線で確定のようです。

 

うーん、全面的には信じられません。

 

秀次は確かに「繊細で優柔不断で」「自分がどう見るかよりも、人からどう見られるかを気にする人」なのかもしれません。確かに「めんどうくせえな」と、主が秀吉でも言いたくなります。

ただ、秀次がこれほど神経質になり、「人からどう見られているか」を気にするのは、秀吉に大きな原因があると思います。

 

「真田丸」の秀吉は、気分屋で意地が悪すぎる。

 

あんなに気に入っていて、お捨が死んだときに心情を吐露した相手である源次郎さえ、自分の気に入らない返答をすると公衆の面前で侮辱する。(自分の官位だけではなく、兄の官位ももらおうとしているのだろう。とか)

人が言って欲しくないことを、平気で嫌味な感じで口にする。(源三郎に対して、「弟に頭が上がらないのう、と言う。)

ここまで上り詰めた秀吉が、人が触れて欲しくないところを見抜いていないはずがない。

何の得にもならないのに、人の痛いところをついて面白がるってどんだけ性格が悪いんだよ。

 

気まぐれで意地が悪くて、でも面倒見がよくて可愛げがあるというキャラクターとして描きたいのは分かるのですが、秀吉は権力者の地位にいるので少しの毒も強烈に見えてしまいます。

主がこの秀吉に仕える人間だったら、気が休まる暇がないだろうな。

秀次の気持ちがよく分かります。

秀吉の「結局は、あやつの心の弱さじゃ」という言葉はそれはそうなのでしょうが、信じてもらえない秀吉に問題があると思います。

 

今週、秀次は本当に立派でがんばっていたと思います。

「官位を定めるのは、関白の役目です(キリッ)」といったシーンでは、「うぉぉおおお」って叫んでしまいました。

こういうとき、歴史ドラマは辛いですね。

どんなに「秀次も変わろうとがんばっている」と思っても、どんなに思い入れしても、もう先のことは決まっているのですから。

秀次は切腹させられ、一門は女子供を含めて皆殺しにされる。

この運命は、もう決まっているのですから。

 

今週の最後で、秀次は素浪人?のような恰好でキリの前に現れましたが、この姿で町に出て襲われそうになったから応戦 ⇒ 夜な夜な辻斬りする殺生関白 という流れになりそうな予感がします。

「真田丸」の秀次は、繊細で心優しい若者が運命のいたずらで分不相応な地位についてしまった、という設定なので、見ているのが辛いです。

 

ただ秀吉のほうも、秀次の弟の葬式に参列しないという理由が「拾が、捨が死んだ年になったときに死ぬという不吉なことをやらかした」というものすごく理不尽なものなのですが、このセリフを言うときの小日向さんの言い方が、怒りよりも恐怖が伝わる演技なんですよね。

「拾が死ぬということが秀吉にとっては、何にも勝る恐怖なんだ。昔は医学も科学も発達していないから、縁起を担ぐ気持ちも分からないではない」

ということが、きちんと視聴者に伝わってきます。

 

「真田丸」の秀吉は、このワンシーンだけを見ても、演じるのがかなり難しい役だと思います。

このセリフを、セリフ通り「怒って」言ってしまうと、現代を生きる人間から見ると秀吉が「ただの横暴な、理不尽な奴」にしか見えなくなってしまう。

言葉自体は怒っているようなものなのですが、「秀吉にとって、拾を失うことがそれほど恐ろしいことなのだ」ということを、今までの演技の積み重ねとこのセリフの演じ方で分からせなくてはならない。

この辺りは、小日向さんは本当にすごいなと思います。

 

今週の面倒くさい人たち

今回は秀次をはじめ、面倒くさい人たちの回と言っても過言ではないと思います。

ただ、自分は「面倒くさい人」がけっこう好きです。

 

源三郎お兄ちゃんの気持ちも、痛いほど分かります。

源三郎が源次郎に怒る気持ちは、確かに理不尽なものです。でも、源三郎はその理不尽さを、源次郎に受け取って欲しいのだと思います。

「なに、理不尽なことを言ってるんだ、ごらああああ(# ゚Д゚)」

って、言って欲しいんだと思いますよ。

源次郎が「いい子」になってしまうと、ますます怒りのやり場がなくなるし、理不尽なことで弟に当たり散らしている自分が惨めになります。

そういう源三郎の気持ちを、パパも源次郎もぜんぜんわからないんですよね。

この辺りは性格の違い、としか言いようがないのかもしれませんが。

 

「くれると言うのだから、もらっておけばよいのではないか」

「いやあ、怒っとったなあ」

 

こういうセリフを見ても、昌幸パパは気性が源三郎とは真反対で、源三郎の気持ちが理解できないのだと思います。

この二人、本当に親子か? と思うくらい、性格が真逆です。

源三郎お兄ちゃんの、あの繊細で生真面目な気性と誇り高さは、一体、どこからやってきたのだろう???

自分のことをまるで理解できない父親と、理解したうえで「いい子」をやってくれている弟に挟まれたら、それは苦しかろうよ。

 

そして、常に面倒くさい女・キリ。

ここまでやってくれると、一周まわって尊敬の目で見てしまいます。

 

「関白殿下に側室に、と言われたのです」

「それはめでたい」

「ウソをつかないでください」

「……? ウソ????」

「源次郎さまの本心が聞きたいのです。(≧◇≦)」

「……??? だから、めでたい、と」

 

いつもながら、素晴らしいコントですね。

ただ今回を見て考えたのは、お兄ちゃん相手にすら、あんなに遠慮して「いい子」にふるまっている源次郎が、唯一、キリだけは辛辣な素のままで接しているんですよね。

今までは、「このままじゃ、いつまでも信繁の生涯のパートナーにならない」と思っていたのですが、案外、これだからこそキリは信繁のベストパートナーなのかもしれません。

むしろ夫婦にならなくていいので、このままの関係でずっと続いて欲しいです。

 

 

歴史上の秀吉と秀次

歴史というのは何でもそうですが、「誰がどんな行動をしたか」ということは分かっていても、「そのとき、その人が本当はどう考えていたのか」ということは分からないです。

秀吉と秀次は、このとき、本当はどう考えていたのでしょう?

詳しく調べたわけではないので、完全に推測ですが、

秀次は、関白になって政を自分の手で動かす自信も、やってみたいという思いもあったのではないかな、と思います。

そういう秀次の姿を見て、秀吉も拾の将来が不安になったのではないでしょうか。

秀吉は拾のために、秀次のことを恐れたのだと思うので、言われるほど無能な人ではなかったのではないかとも思います。

 

「真田丸」のお互い別に悪く思っていなかったのに、様々な出来事が重なって気持ちがすれ違っていくというのも、面白い解釈だと思います。芯からの悪人として人を描くことがない三谷さんらしい解釈だな、という気がします。

 

次回は第28回「受難」です。

真田丸 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

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