NHK大河ドラマ「真田丸」第28回「受難」の感想です。
前回第27回「不信」の感想はコチラ↓
秀次、自ら切腹する
予想外の展開でした。
逃げ回って、逃げ回って、逃げ切れなくなった結果、自分から腹を切ってしまうとは。
今回の秀次の死に至るまでの心情は、直接的な描写ではなく、今までの秀次の描写の積み重ねとニュアンスなどの間接的な描写で表されていたので、とてもよかったです。
秀次はどんな気持ちだったか、どうして死んだのか、伝わってきて辛かったです。
振り回す周りや状況がイヤになったのではなく、振り回される自分が、そしてこれからも自分がそうやって生きていくことがイヤになってしまったんでしょう。
自分で、自分に見切りをつけた。
そういうことなんだと思います。
いじめを受けているいじめられっ子に似ていますね。
いじめが原因で自殺する子の報道で、たまに「死ぬくらいなら、死ぬ気で相手に反撃すればいいのに」という人がいるのですが、こういう人はいじめの本質を何も分かっていないと思います。
「自分はこういういじめを受けて当然の人間なのではないか。それほど価値がない人間なのではないか。」
という心境にまで、相手を追い込むことが、いじめの本来の目的です。
「相手の自尊心を削り取って、無価値観を感じさせること。いじめられている人間を、自分は生きている価値がないのではないか、という心境にまで追い込むこと」
そうすることによって、いじめる側は相対的に自分の価値を高めるわけです。
無価値観の押し付け合い。それがいじめの本質的な構造だと、個人的には思っています。
自尊心というものは、一度低下すると取り戻すことが大変ですし、一度植え付けられた無価値観は、その先の人生でずっとその人を苦しめ続けます。
「人の自尊心を傷つける行為は、魂を傷つける行為だ。それは罪悪(クライム)ではなく、原罪(シン)だ」
という言葉が、ユダヤ人のホロコーストの話に関連して出てきたことがあるのですが、本当にそうだと思います。
「いじめは犯罪です。」どころではないです。
それは刑事罰を受けることで償えるクライムではなく、本来であればイジメをした人間が一生背負わなければならない、人間が犯してはならないシンなんです。
今回の秀次もいじめられっ子と同じで、「自分で自分の価値を信じられなくなってしまった」のだと思います。
閑話休題・秀次が切腹した話
ただ「真田丸」の切ないところは、別に秀吉は秀次をいじめていたわけではないところです。
秀吉は秀吉なりに、秀次のことを愛していて思いやっていたし、期待もしていたのです。
残念なところは、「あくまで秀吉なりに」「自分の甥としての」秀次を、というところです。
秀次個人を見ていたわけではなかった、……ということでもなく、見ていたんだけれども、豊臣家のために見ないふりをしていた、ということが今回の話で分かりました。
今回は秀次役の新納慎也さんと秀吉役の小日向さんの演技に、泣きっぱなしでした。
今回は、脚本も素晴らしかったです。
秀吉が寧に、「わしはあいつに期待していたんだ。それを裏切ったあいつが悪い」というシーンからの一連のシーンを見ると、
秀吉がものすごい罪悪感を抱いているんだな、ということが分かります。
「自分が秀次を追い詰めて殺してしまった」と、秀吉が誰よりも自分を責めているんだと思います。
その罪を想起させるから、少しでも秀次を思い出させるものは女子供であろうと全て消し去りたいほどの、それくらい感じることが辛い巨大な罪悪感。
「関白にまでして、期待していたのに、何が不満だったんだーーー」って怒っている裏で、「秀次は関白なんて地位は向いていないことは分かっていたのに、本人が逃げたいと思っていたことも分かっていたのに、それを自分の都合で見ないふりをして、それでいながら、表向きは関白にしてやった、期待していると言っていた」
その罪悪感が背負いきれないのだ、ということが言葉で説明されなくても伝わってきます。
それほど強い罪悪感を持ちながらも、秀吉は秀次に謝ることができません。
秀次に謝るということは、天下をとった今の自分はおろか、そこに至るまでの自分の一生を否定することにつながるからです。
さらに穿った見方をすると、「真田丸」の秀次はそういう秀吉の心情を感じているから、自分には向かないと思った関白職も引き受けたし、ギリギリまで「秀吉の一生が完成するように」がんばっていたのだと思います。
「誰かのために自分を犠牲にし続ける」それぐらい、優しい人なのだと思います。
福島正則も「孫七郎は気が優しすぎるんだよ」と言っていましたし、源次郎も「決して愚かな方ではなかった」と言っていましたよね。
「真田丸」の秀次は、人の気持ちが分かるかしこい人、繊細で優しい人だったと思います。
「生まれ変わったら、もう叔父上の甥にはなりたくない」
この本心がもっと早く誰かに言えて、「秀次だけではなく、みんな同じだよ」と言ってくれる源三郎のような人が、もっと早く現れればよかったと思います。
このシーンは、今まで周りに誰も理解者がいなかった秀次と源三郎、身分は違えど似たところのある二人の気持ちが通じ合ったことが伝わってきて、とても素晴らしいシーンでした。
秀次の言葉で、お兄ちゃんがやっと官位を素直に受け取ることができました。
表舞台では、確かに秀吉や昌幸パパや信繁のような人が有能で要領もよくて力もあって、すごい人間なのでしょう。
でも、この三人が誰もできなかった「源三郎が心の底から納得して、官位を受けとるようにする」ということが、源三郎と会ったばかりの秀次にはできたんです。
秀次には秀次の、他の誰も持たないすごいところや素晴らしいところがあったのに、秀次自身がそれを気付かずに死んでしまったということが、切ないです。
秀次、大好きだったのに……、なんで死んでしまったんだああ。(ノД`)・゜・
秀次役の新納さんのインタビューが、公式HPに掲載されています。
「新納さんのインタビューまだかな?」
とずっと待っていたのですが、切腹に至るまでの心情やその際の役作りなど色々と書かれているので、このタイミングでの掲載だったんですね。
一般的に流布されている「殺生関白」とは、真反対の秀次像でしたが、素晴らしい秀次だったと思います。
現在まで残っている史料も、そのときの権力者に都合のいいように書かれていたり、次世代の権力者によって選別されている可能性も多分にありますから、「真田丸」はあくまでドラマなので、一解釈としてこれはこれでいいのではないかな?と個人的には思います。
その他の感想
キリと秀次は、見ればみるほどお似合いだったのになあ。
今回でキリのことを本当に好きになったから、わざわざ「側室の件を取り下げる」と言ったのでしょうね。
キリには尼にでもなって、秀次の菩提を一生弔って欲しいのですが、どうあっても信繁がいいのでしょうか?
そこまで執着する意味が、よく分かりません。
長澤まさみは花がある人だなあと思うし割と好きな女優なのですが、今回のキリの泣きの演技は興覚めです。
言葉では自分のことしか考えていないような憎まれ口を叩いても、その人を思って涙が止まらなくなるという演技は、高度すぎたのでしょうか。
もう少し、がんばって欲しいです。
徳川秀忠(星野源)のデビュー回でもありましたが、どういう設定なのか今のところ分かりません。
暗愚設定なのでしょうか? 変わり者設定? 今後に期待します。
秀次の娘を側室にしてルソンに逃すというのは、うまい展開だなと思いました。
三谷さんは若い女性は余り魅力的に描けないので、人数を増やしてもドラマで生かしきれないと思いますので。
ルソンに行ったあとはどうするのだろうと思いますが。
ルソンさんが面倒を見るのでしょうか。
来週は信繁と春の結婚、あとは昌幸パパが吉野大夫に入れ込むみたいですね。
別にたいしたことではないかと思いますが、出浦さんにまで「殿はどうしてしまったのか」と言われるようでは、心配です。
そして、いよいよ秀吉の死が近いようです。
面白くなってきましたな。(By本多正信)
次回は第29回「異変」です。