グインサーガの何がすごいのか。
「何がすごいのか」と言われると、何かもがすごいので何から説明していいのかがよくわかりません。
40巻あたりからの展開に対する不満(後述)があり、主はきちんと読んでいるのは46巻「闇の中の怨霊」あたりまでです。
この記事は46巻までを対象として、話させていただきます。
未読の方のために一応、粗筋を説明します。
架空の世界の「中原」という文明が発達している一地域を舞台にした、中世ファンタジー。
「中原」には、古代から続く神聖な青い血が流れる王家が治め、華やかな文化を誇る「パロ」、強力な軍隊を持ち、武の精神を重視する帝国「ケイロニア」、国内の三つの公国に実権を奪われたかつての強国「ゴーラ」、その他草原の小国や海沿いにあり貿易で栄える国々などがある。
中原は長く平和を保っていたが、ゴーラの中で最も辺境にある新興国「モンゴール」が突如、パロに攻め込む。
パロは完全に虚を突かれた形になり、パロの首都「クリスタル」は陥落し、国王と王妃が戦死し、パロはモンゴールの支配下に入る。
国王には十四歳になる双子の子供がおり、「パロの二粒の真珠」とも呼ばれる双子の姉弟は、パロに伝わる古代機械によって人が立ち入ることがない未開の辺境「ノスフェラス」に逃れる。
人を瞬時に別の場所に移送できる古代機械こそ、モンゴールがパロを侵攻した真の目的であった。
中原とはまったく異なる生態系の地・ノスフェラスで、パロの双子・リンダとレムスは豹頭の戦士グインと出会う。
グインは「アウラ」という言葉以外、一切の記憶を無くしていた。
リンダとレムスは、グインに守られながら、ノスフェラスを抜け、故郷のパロへの帰還を目指す。
グインサーガはとにかく長い。
グインサーガは正伝130巻、外伝22巻の超大作です。
途中から色々と納得できない展開になってきたので主は、ちゃんと読んでいるのは46巻「闇の中の怨霊」くらいまでなのですが、この46巻くらいまでは何度読んでも面白いです。
巻数を聞くと、「そんなに読むのは大変そうだな」と思うと思うのですが、読みだしたらとまらないので、46巻までなら一週間もかからず読んでしまうと思います。
長いのですが、まったくテンションの低下や中だるみを感じさせません。
編によって好き嫌いはあると思いますが、面白さが途中で低下するということが皆無です。
これだけ長いものを、面白さを高水準でキープし続けていることだけでも、驚愕に値します。
グインサーガはジャンル分けが難しい。
大枠としては中世ファンタジーにあたると思うのですが、世界観が壮大であり、編によって未開の地の冒険ものになったり、宮廷の陰謀劇になったり、中原全てを巻き込む戦争ものになったり、果てはSF的な展開になったりとひとつの物語の中にいくつものジャンルの物語が詰め込まれています。
細かい矛盾は確かにあるのですが、これだけ長く、様々な要素が詰め込まれているのに、ひとつの物語としてほとんど破綻がありません。
どこか別世界で実際に起こった歴史が語られているのではないか、本当にそんな気持ちになります。
グインサーガは登場人物が多彩
これだけ長い物語なので、たくさんの登場人物が出てきます。
主人公のグインのように強い超戦士、美貌の貴公子、野心に燃えた青年、美しい姫君、市井の人々、年老いた皇帝、自由奔放な王子、強い人、弱い人、優しい人、残虐な人、天才、凡夫、同じ姫でも美しく誇り高い姫から、市井の少女のような凡庸な王女さま、男勝りの姫君とありとあらゆる登場人物が無数に出てくるのですが、その一人一人が端役に至るまで血の通った人間です。
ステレオタイプな紙ぺらのような、登場人物が一人も出てきません。
今は亡き作者、栗本薫
このように、話の筋も多彩であり、登場人物も多彩で、ほぼ破綻がなく、常に高水準で面白い物語を、たった一人の人間が書いているということに驚愕します。
グインサーガを読んだだけでも、作者の栗本薫がどれほど巨大な才能を持っていたかということが分かると思います。
グインサーガを書いたというだけでも驚きなのに、栗本薫はこの他に「魔界水滸伝」や「ぼくらの時代」「終わりのないラブソング」など様々なジャンルの物語を書いています。
これほど才能があって、汲めどもつきぬアイディアで物語を書き続けられる人でも、人生は他の人と同じくらいしか与えられない、ということを考えると、逆に世の中というのは残酷なほど公平なのではないか、という気がします。
モームはドストエフスキーを評して「人間と作家との激しい分裂が、ドストエフスキーほど甚だしい場合を、他にひとつも思いつくことができない」と言っていますが、主は栗本薫にこそ、この言葉を送りたいです。
後書きを読む限りは、栗本薫はどちらかというと「ミーハーで自己顕示欲の強そうな、平凡な女性」という印象です。(個人的な見解です。)
自分が作ったキャラクターである、アルド・ナリスに萌えてキャーキャー言っていたりね。
こういう言い方はなんですが、実際にお会いしたら、好きになれなさそうなタイプの人だなと思います。
でも、グインサーガは文句なく面白いですし、一人の人間の頭から思いついたとは思えない、奇跡のような物語だと思っています。
後期グインサーガ問題
後期クイーン問題にならって、勝手に命名しました。
主要な登場人物がいきなり同性愛者になった、この問題です。
同性愛を物語の中で描写することは、構わないと思います。
主は同性愛がテーマの物語はまったく読みませんが、栗本薫が男性同士の恋愛をテーマにして書いた「終わりのないラブソング」は、同性異性など関係なく、人が人を求める気持ちを痛みにまで高めて書いた傑作だと思います。
恋は素晴らしいものでもなんでもなく、身体が切り刻まれるような痛みを伴う呪いのようなものでありながら、それでも人を求める気持ちを無くすことができない。
読んでいる間中、薄いガラスの板を割らないように裸足で歩いているような気持ちになる、そんな小説です。
だから、同性愛を物語のテーマにすること自体はまったく構わないし、同性愛者の登場人物が出てくることもまったく構わないと思います。
問題は、今までまったくそんな片鱗もなかった、異性愛者だったはずの登場人物が、突然、同性愛者なることです。
「ワンピース」のサンジとゾロが、突然、恋に落ちるようなものです。
そういう趣向の方が、そういう物語を趣味で個人で楽しむために描くことは構わないと思うのですが、それを作者が本編でやってしまったのが、「グインサーガ」です。
ナリスとヴァレリウスが同性愛に走るとか、冗談だろう???
ナリス、あんなに運命だなんだって大盛り上がりでリンダと結婚したのは、何だったんだ???
リギアに不器用な片思いをしていたヴァレリウスは、どこに行ってしまったんだ???
この二人のことも許容外ですが、一番、がっくりきたのが、初登場時大好きだったアリストートスが、イシュトに恋して嫉妬にまみれた残虐な鬼畜野郎になったことです。
いやいや、アリは初登場時、滅茶苦茶恰好よかったじゃん。
「あなたが王になって戴冠するとき、醜い私の手で戴冠させてくれ。それさえ約束してくれれば、それ以上は何も望まず、自分の全身全霊をかけて、あなたを王にする。この世界でたった一人、醜いわたしを愛してくれた母の魂に誓う」
こういったアリの心情に、すごい共感してしびれたのに……。
醜い自分を虐げた世間に、自分の存在を証明するために、ただそのためだけに自分の全知全能をふりしぼって、無名の若者を王にするために戦う。
そんなアリが出てきたとき、ナリスやイシュト以上に格好いいと思ったのに。
もともとあんな下衆キャラにする予定だったのならば、なんであんな恰好いいセリフ吐かせたんでしょう。
残虐な拷問くらいは仕方ないと思うのですが、イシュトヴァーンに恋する設定は本当に勘弁してほしかったです。
開始当初の設定だった、闇の古代王国パロを復活させたレムス、ケイロニアの豹頭王グイン、ゴーラの僭王イシュトヴァーン、ノスフェラスで出会って共に冒険をした三人がそれぞれの国を率いて戦う、「ヤーンが織りなすタペストリーのような物語」が見たかった……。
パロがヤンダル・ゾック(?)に支配されたとか、もう聞いているだけで訳がわかりません。(特に分かりたくもない)
次回は、とても面白い全46巻完結(したと言い聞かせている)「グインサーガ」を編ごとに紹介したいと思います。
挿絵が漫画「海街ダイアリー」の吉田秋生でした。