前回、第29回「異変」の感想はコチラ↓
いよいよ、秀吉の人生も終焉が近い
秀吉が死期が近いことが、誰の目にも明らかになってきます。
失禁したり、桜の木から落ちたり、物忘れをしたりその姿はとても痛々しいです。
「真田丸」では、なぜ、源次郎が兄と家に逆らってでも豊臣政権に最後まで付き従ったのか、その理由を物語としてとても丁寧に説明してくれます。
「秀吉に仕えた以上、豊臣家に背くことは義に背くことだ」
前回の感想で、秀吉個人に対しての気持ち以上に、「それが自分の生き方だ、と決めたのではないか」と書きましたが、その理由を今回、源次郎が言葉にしました。
このシーンは、そういうことなんだろうな、と思って見ていましたが、「真田丸」はその理由以上のものを用意していました。
「天下一の城を築いてその周りに町を作りたかった」
「夢はかなったではありませんか」
「半分しかかなわなかった」
このシーンは、すごく美しいシーンでした。
形見わけで、且元は金子をもらい、三成は金子と刀をもらった。
源次郎は、秀吉の人生の夢を受け取ってしまったのです。
これが秀吉から源次郎への形見わけだったのだと思います。(秀吉本人は、そう意識していないにせよ。)
秀吉が人生をかけてかなえようとしていた夢を聞いたのは、息子である秀頼でもなく、三成や清正でもなく、茶々や寧でもなく、源次郎でした。
そして夢を受け取ったあと、源次郎はもう一度、秀吉に出会い直します。
秀吉と源次郎が出会ったのは、この夢を聞いくためだったのだと言うように。
そのためにこそ出会い、今まで同じ時を過ごしたのだというように。
こんなものを受け取ってしまったら、それはもう、その人のために生きるしかないでしょう。
「真田丸」の秀吉は、魅力もありながら、残酷で理不尽な面もありました。
こういう人に、兄と対立してでも忠義を尽くすという行動にどういう理由づけをするのだろうとずっと思っていましたが、この理由は素晴らしいと思います。
その人の一番大切なもの、その人の生涯の夢を託されたから。
自分を、その夢を託すに足る人物だと認めてくれたから。
これならば究極的には、その相手がどういう人物かということも関係ないと思います。
上杉景勝も同じ構図だと思いますが、主人公である源次郎のほうがよりドラマチックですね。
「男は、己の価値を見出してくれた人間のためにこそ、命を賭ける」
という言葉が、確か司馬遼太郎の著作「翔ぶが如く」の中に出てきたと思うのですが、そういうことだと思います。
大阪の町を見つめながら、夢を語る小日向さんの演技も素晴らしいです。
「真田丸」で小日向さんは「秀吉という役を演じる」のではなく、「秀吉を生きている」そんな感じがします。
どれほどひどいことをしても憎めず、その気持ちを分かってあげたくなる。
源次郎や三成は、こんな気持ちだったのだろうな、と思わせてくれる、そんな秀吉像です。
ただ、秀吉がキリシタンの磔を命じたとき、「殿下は、以前の殿下ではありません」って言っていたけれど、前からこんなものだったと思いますよ。
落書きの件で見張り番を全員、殺したりしていましたよね?? 忘れてしまったのでしょうか???
相変わらず怖い女性陣
秀吉に「秀頼が花さかじいさんが見たい、って言っている」と言って、案の定、秀吉が桜の木から落ちて寝たきりになるっていう展開が怖い。
茶々、相変わらず怖すぎる。
いま秀吉がいなくなって一番困るのは茶々と秀頼ですから、悪気はないのでしょうが、悪気がないから余計怖い。
自分の損得関係なく災厄を呼ぶから、悪意のある人間と違って対処のしようがありません。
キリはもう、キリシタンになるといいと思います。
ここまできたら、源次郎とくっつかないほうが展開として面白いと思います。
吉野大夫は、本多正信の密偵だったのですね。
秘密って、どこから漏れるか分かりませんから、パパには反省して欲しいところです。
「同類は目を見れば分かる」
っていう出浦さまのセリフ、格好いいな。
人生のどこかで言ってみたいです。
「わしのようになるな」と言った二人
源次郎が春に話した「わしのようになるな」と言った二人、
「一人は人の道を捨てて、一人は信念を曲げた」
後者は上杉景勝だろうなと分かったのですが、前者が分かりませんでした。
気になって調べたら、そうだ、信伊叔父上だ(゚Д゚)ノ
大好きだったのに、出てこないから忘れていた。
すまん、信伊(;・∀・)
頼綱大叔父も死んだしなあ。
「床の上で、死ぬわけにはいかぬわ」
格好いいな。こういう人、大好きです。
次回はいよいよ秀吉の死、第31回「終焉」です。
その二年後には関ケ原の戦いですが、「真田丸」は三成と加藤清正がけっこう仲がいいんですよね。
三成襲撃事件は、どうするんだろう???
この二人の間も、これからひともめあるんですかね。