島田荘司、綾辻行人、法月綸太郎らの大絶賛のもと出版された、作者が21歳のときのデビュー作。
三大奇書として名高い小栗虫太郎「黒死館殺人事件」に雰囲気がそっくりだな、と思ったら元々「黒死館」のパロディのつもりで書いたみたいです。
島田荘司が生み出した「新本格派」と呼ばれる著者たちの作品や、黄金時代のミステリ、「黒死館」が好きな人ならば、絶対に楽しんで読めるはずです。
「この事件は、今までのような具体的な視点からでは蒙は啓かれないよ。演繹法や帰納法では決して到達することはできないんだ。ニュートン力学では核物理が扱えないように。もっと奥に潜む宇宙の心理の如きものを目指さないとね」
(麻耶雄崇「翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件」講談社 P102より)
この一文にときめいたら、本屋さんへGO!ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ
「翼ある闇」あらすじ
今鏡家の伊都から依頼を受けた私立探偵の木更津は、京都近郊に建つ今鏡家の屋敷・蒼鴉城を訪れる。
到着すると、京都府警の車両が大挙しており、顔見知りの刑事に事情を聞くと、伊都が殺害されたと言う。伊都の遺体は、首が切断されており、更に履かされていた甲冑の鉄靴を脱がせると、そこに足首はなかった。
しかし、木更津の指摘に従い生首を探しに行った警官が見つけたのは、別人の首だった。この異様な連続殺人が辿り着く壮絶な結末とは……。
(Wikipediaより)
「翼ある闇」感想(ネタバレなし)
余りに面白くて読むのがやめられず、一日で読んでしまいました。
一族が住む広大な屋敷があって、そこで不可解な殺人事件が起き、探偵とワトスン役がやってきて、事件の謎を解明すると見せかけて、事件とはほとんど関係がない知識を探偵が喋りまくる、いわゆる衒学的と言われるのが「黒死館殺人事件」です。
探偵が喋りまくる知識が本文の大半を占めているため、肝心のストーリーがまったく頭に入ってこず、気が付いたら事件が解決していたという点が、黒死館の評価を分けると思うですが、主は奇書の中で一番好きです。
「翼ある闇」はストーリー展開に重点が置かれているため、元ネタである黒死館よりもずっと分かりやすく、楽しく読めます。
巨大な富をなした一族がこもっている人里離れた場所にある蒼鴉城、
断頭台がある石造りの密室で発見される首なし死体、
美しく無邪気だが、何を考えているのか分からない双子の姉妹。
ゴシックホラーのような舞台装置の中で、次から次へと首なし死体が発見される。
本書の素晴らしいところは、一見無造作にばらまかれたピースのひとつひとつが、ひとつもかけることなくピタリとはまり、美しいパズルが完成するような快感が味わえることです。
一見、なんということもないあれもこれも、ああここも全部伏線だったのかあという「そうだったのか」という謎解きの快感が、最後の1ページまで余すことなく味わえます。
リアリティはほとんど無視しているので、そのピースのひとつひとつが非常に華やかです。
亡命してきたロシア皇室付き音楽家のメドヴェーエフ、ロシア正教の聖典ルクナノワ書に書かれたキリスト兄弟説、なぜ犯人は被害者の首をことごとく斬りおとしたのか、探偵の敗北宣言の後にやってきた第二の探偵は、今度こそ謎を解けるのか。
バカミス認定される理由も分かる荒唐無稽さで、現実的に考えれば、そんなに死体の首をスパスパ落とせるのかとか、これだけ人を殺しておいてそんな動機ありえるのかとか他にもあれもこれもあるのですが、「パズラー」とも本格とも呼ばれるミステリは、その世界観の中で論理が通っていればOKだと思います。
だいたいこういうミステリに出てくる探偵からして現実味はまったくないので、その辺りはまったく気になりません。
そういうことが気になる人のためには、社会派ミステリがあると思っているので、こういう物語の中ではパズルのような知的遊戯が楽しめればそれで充分だと思います。
「翼ある闇」はその楽しさを、十分どころか、他の本の二倍も三倍も楽しませてくれます。
この本の中では、途中で探偵役が何回か推理を披露するのですが、最初の一回をのぞいては「おおっ、なるほどね」とうならせてくれるものばかりです。
この推理合戦も、色々な考え方があるのだなと楽しませてくれます。
動機もなかなかぶっとんでいていて、この辺りは「虚無への供物」へのオマージュかなあと思います。
そんな理由で殺されたら、たまったもんじゃないな。
綾辻行人をして「この傑作を書いた著者が、自分でないことが悔しくてたまらない」と言わしめた怪作です。
古きよき黄金時代のミステリが大好きな人には、絶対おすすめの一作です。
才能がまぶしい。