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天下分け目の合戦
会津攻めのために宇都宮にいた秀忠軍が上田に向かい、関ケ原の戦いの局地戦であった第二次上田合戦が始まります。
沼田の城に昌幸パパと源次郎を入れなかった稲は、いい奥さんですね。コウともいつの間にか仲良くなっているし。
この二人は正妻と愛人という立場ですが、どちらがどうというわけではなく、二人で源三郎の奥さんという感じがします。一夫一妻制の現代社会でも受け入れられるような描き方ということでこうなったのでしょうけれど、稲とコウみたいな感じだとこれはこれで一つの理想的な形なのではないかと思いますね。この時代よりも個人というものが尊重される現代では、無理でしょうけれど。
上杉景勝が上田に向かう秀忠軍を背後から襲うか悩んでいました。伊達や最上がいるにしても、これは追撃したほうがいいんじゃないかなという気がしました。
ただ本戦である関ケ原の戦い自体が、あっさり勝敗がついてしまったんでここで秀忠を討てたとしても、結果的に余り意味がなかったでしょうけれどね。
誰もあんなにあっさりと決着がつくとは思っていなかったんだろうな。
直江も「ひと月、ふた月で勝敗がつくとは思えませぬ」って言っていましたし。(いいフラグだ。)
昌幸パパが言っていた「戦は始める前がキモよ」というセリフは、その通りだと思います。
戦も仕事も、段取りでほぼ九割決まっていると思います。
相手よりも多い兵力をそろえて補給路をしっかり確保すれば、そうそう負けることはないと思うんですよね。(よっぽど下手を踏まない限り。)
関ケ原でいえば、人質と秀頼を抑えているのに、誰も東軍を寝返らない時点で勝負がついていたように思います。
戦ということに限定してもそうだし、「天下取り」ということにしてもです。
司馬遼太郎が「家康は自分が健康で長生きすることも、政治のひとつだと考えていた」みたいなことを言っていたといましたが、どれだけ遠い見地から目標に向かって準備ができるか、というのが大事な点だと思います。
信長も秀吉も天下をとっても、自分が死んだらアッという間にまた世の中が乱れましたからね。
ただ本当に家康が「日常的な行動も、政治のひとつだ」と考えて実行していたとしたら、天才とか変人とかいう概念を超えた超人だと思います。
人に非ざるものしか、天下はとれないのかもしれませんね。
秀忠軍を追い払ったあとの、真田家の盛り上がりが辛かったです。この世の春だと思っていたのに、まさか本戦が半日で終わるなんて。
地方での勝利なんて、大局には何の影響もないんだよ。
戦術レベルの勝利で、戦略レベルの不利は補えないってヤン・ウェンリーも言っていたけどさ、実際に戦って勝って喜んでいる人を見ると残酷ですよね。
三十郎に泣いた、など
今回は、三十郎との別れのシーンに泣きました。
「源次郎さまのいるところ、三十郎ありです」
本当、三十郎は忠義を越えて、源次郎のことが大好きなんだろうなと思います。こんな部下がいて羨ましいです。
秀忠と本多正信のやり取りも面白かったです。
血気盛んな若様を、何も余計なことは言わずに「やれやれ」っていう感じで眺めているところがリアルでした。
昌幸パパが言っていた「初陣で戦の怖さを思い知らされたものは、生涯、戦下手で終わる」って何かの呪いみたいだな。
最初うまくできなくて恥をかいたりすると、苦手意識を持ちますよね。
次回は、題名がなんと「信之」。丸ごと、源三郎回みたいですよ。
予告で家康が言っていた「この生き地獄をたっぷり味わうがよい」というセリフにも、期待に胸が高鳴りますね。わーい、生き地獄、どんなのだろう、ワクワク。
三成の処遇とかは、再来週になるのかな? ナレーションだけで死んだりして。まさかね。