今月17日(土)に映画が公開された、吉田修一の「怒り」を読みました。小説でははっきり描写されていなかった
「山神がなぜ、殺人事件を起こしたのか?」
「彼が犯行現場に書き記した怒りの文字の意味は?」
などの考察も交えながら感想を書きたいと思います。
*ネタバレしています。未読の方はご注意ください。
読み終わった直後の感想
「怒り」は犯人探しの物語ではなく、真のテーマは「自分の大切な人を信じきれるか? 人を信じるとはどういうことなのか?」というものではないか、という意見を各所で見ました。物語を読み終えると、恐らくそうなのではないかと思います。三人の中で誰が山神なのかは、早い段階で想像がつきますし。
自分はこのテーマにそれほど興味がわきませんでした。未だにピンと来ていません。ひと言でいうと、「それってそんなに大切なことなのか?」と思います。詳しくは後述します。
それよりも山神が何者で、なぜ罪もない人を理由もなく殺したのか、なぜ怒りという文字を書いたのかということのほうがよっぽど気になります。
完全にただの推測ですが、恐らく作者も最初はそのテーマで書こうとして、途中で興味をなくしたのではないかと考えています。
この作者「悪人」でもそうだったのですが、「社会の搾取される側に常に立たされる、心優しくも弱き人」みたいな登場人物が大好きですよね。
「悪人」は主人公カップルがそうで、なんだか眠たいことを言いながらドン臭く生きているな、と終始イライラしながら読んでいたのですが、びっくりすることに「怒り」は、登場人物全員がそんな感じです。(特に千葉編)
というわけで自分は「怒り」を、東京編には余り興味が持てず、沖縄編は「田中=山神」に興味を集中させて読み、千葉編はずっとイライラしながら読んでいました。
つまり要約すると、千葉編が一番面白かった(*'▽')
田代が無茶苦茶好みで萌えながら読んでいたというのもあるのですが。ああいう居場所がなくて、日陰でこっそりと寂しげに生きている人、大好きです。つまりドン臭いと言いながら、こういう不器用にしか生きられない人が好きなのです。(だから、よけいイライラするのかもしれない。)
それは萌え要素ということで除けば、自分がこの物語で一番……というか、唯一強い興味を持ったのが、発端となる殺人事件を起こした山神一也です。
山神一也とは何者なのか? なぜ、殺人を犯したのか?
この山神という人物は、読めば読むほどよく分かりません。サイコパス的な殺人鬼だから底を知れぬ怖さを感じる、というのではなく、各エピソードと沖縄編をつなぎ合わせても、どんな人間かという映像が浮かんでこないのです。
山神の両親
「小さいころは非常に可愛い子で、誰からも好かれた。小学生のころは頭も良く、活発で目立つ子だった。自分たちが無口で冴えないから、この子の親にふさわしいように頑張ったがうまくいかず疲れた。小学校高学年くらいから、どこにでもいる普通の子になった」
山神を一時期雇っていた、埼玉の会社の社長
「山神は無口だが、真面目な普通の青年だった。みんなに溶け込む風もなかったが、誘えば二次会などにも来た。自分たちは、家族のような気持ちで接してきて、トラブルなどもなかった。しかし、ある日、夜中急に社員療にある上司の部屋に押し入り、木製バッドで殴りかかってきた。止めに来た他の人間にも殴りかかり逃げていなくなった。上司とも他の同僚とも、関係は良好なように見えた」
山神と一時期同棲していた水商売の女性
「調子がいい普通の男に見えた。話がうまく、周囲の人気もそこそこあった。普段は温厚だがキレやすい。毎日、その場その場を面白おかしく生きられればいいと言っていた。別の言い方をすれば、ただの小悪党。山神がいるときに、他の人の財布がなくなることがよくあった」
この三つの言葉を並べてみても、同じ人間のことを語っているとはとても思えないし、この三人が述べている人物と沖縄編の田中が結びつかない……そう思いませんでしたか?
さらに言うと、物語の中で山神がしたとされる行為、
「見も知らぬ人たちを理由もなく殺して、その家に居座る」
「キレて木製バットを振り回す」
「人の財布をスキを見て盗んだり、性行為の相手を脅迫する」
「泉が襲われるさまを、陰から喜々として見物する」
どれも最低な行為ですが、行為の質も重大性もまったく違います。
「山神は倫理観のない最低な悪党だから、この行動をぜんぶしたんです」と言われても、ぜんぜんピンときません。
いくら最低だろうが極悪非道だろうが、どんな人間にも性格があります。この所業をぜんぶする山神という人間が、どうにも想像がつきません。
一体、山神という男がどういう男なのか、自分は「怒り」を最後まで読んでもよく分かりませんでした。小悪党だろうと殺人鬼だろうとサイコパスだろうと、とにかく「一人の人間」として頭に映像が思い浮かびません。
「一人の人間」として想像がつかないのですから、「なぜ、山神が人を殺したのか」「なぜ、その現場に怒りという文字を書いたのか」も当然、分かりません。
考えた末に思いついたことがあります。
「山神一也」というのは、一人の人間ではなく何かの概念なのではないか?
ということです。
何の概念なのかと言えば、「全ての匿名の人間が持つ悪意」を擬人化した存在なのではないだろうかと思います。
この物語では上記の行動が、全て山神という人間に集約されていますが、「何かのきっかけで無関係の人間を惨殺する」「突然、キレて木製バットを振り回す」「人が襲われるさまを喜々として見物し揶揄する」そういった悪意を心のどこかに持っている存在が自分たちの近くに普通にいたり、もしくは誰かにとって自分こそがそういう人間なのではないか、そういう符号なのだと思います。
山神が自分の目の前にある日現れるかもしれず、もしくは自分こそが「匿名の悪意を持つ存在=山神」なのではないか、その暗喩として山神というキャラは存在するのではないかと思いました。
そう仮定すると、山神が壁に書きつけた「怒り」という文字の意味が分かってきます。
この山神が持つ「怒り」は、今の社会に生きるほとんどの者が持つ、自分でも対象が分からないままに放っている「怒り」なのではないかと思います。
その怒りが頂点に達した人間が引き起こすのが、昨今頻発している「顔も知らない人間に対する無差別殺人」です。「誰でもいいから殺したかった」というのは、この社会の中で自分が理不尽な立場に立たされているという思いからの怒りの暴発に他なりません。
ネットを見ると、そんな怒りを抱えている人間がたくさんいることに気づきます。暴言を吐き散らしたり、誰かを誹謗中傷したりしてその怒りを発散している人間は、たくさんいます。山神が壁に書きつけた無数の「怒り」の文字は、そういった人間たちが抱え込み、悪意にまで昇華された怒りを表しているのではと思います。
「大切な人を信じきれるのか」というテーマについて、おおいに文句がある
大切な人を信じきれず疑い失ってしまう、その構図が千葉編、東京編、北見編と構図を変えて出てくるので、これがこの小説のメインテーマなのは間違いないでしょう。
自分は、このテーマがまったくもってピンときません。
そもそも「人間は誰しも環境や条件によっては殺人を犯しうる」と考えているからです。
「この人が殺人犯のわけがない」と思うこと自体がナンセンスだと思っています。問題なのは、「その人が殺人犯であったとき、自分がどういう行動をするか自分で考え責任をとれるかどうか」だと思っています。
愛子にせよ優馬にせよ、相手を信頼するしない以前に、なんで真正面からきちんと会話をしないのだろう???とそれが不思議で仕方がありませんでした。
自分が相手を疑っているなら疑っていると話し、とことんまで相手の話を聞けばいいと思うのですが。
それが相手を信頼するっていうことなんじゃないですかね???
この二人は著者が好んで描く「心優しく繊細で弱い人物」として描かれているのですが、それにしてもここまで弱いと読んでいるほうがうんざりします。
愛子は田代に対して、優馬は直人に対して、(ついでに北見は美佳に対して)常に後出しジャンケンです。
愛子が田代に言った「田代くんがわたしを信頼してぜんぶ話してくれたら、警察に連絡しない」みたいなことが象徴的です。
自分が田代に「殺人犯なのか?」と聞くことが怖いのと同じくらい、田代が愛子に自分の過去を話すことが怖いっていうことが、どうして想像がつかないんですかね???
どうして自分は怖がって相手に真正面からぶつからないくせに、平気で「わたしのことを信じて話して」とか言えるんですかね???
誰だって、心を開くのは怖いんだよ。相手に「信用して」っていうのならば、お前がまず内臓までぶちまけてみせろよ。で、何かあったら、「〇〇が私を信用してくれなかったから」と相手を責めるんですよね~~。
本当にこういう奴キライ(# ゚Д゚)
沖縄編も同じ作りなんですよね。
確かに田中が住んでいたところに、「怒り」の落書きも泉が襲われたことを馬鹿にするような落書きもあった。
でも、田中が書いたとは限らない。
もちろん、確率的に言えば田中が書いていない確率は限りなく低い。でも百万が一にでも、もしかしたら別の人が書いたのかもしれない。田中が書いたにせよ、何か事情があったのかもしれない。
何で本人に確認しない?? それが人を信頼するっていうことじゃないの?? 何で確認もしないで、何も聞かないで、いきなり刺しているの??
それもしないで「裏切られた」とか、おかしくないか?
田中=山神はやったことは最低だし、極刑に処させれて当然の憎むべき殺人犯ですが、この辰哉に刺された件だけは、心の底から同情します。
勝手に信頼されて、何も聞かれずにいきなり刺されて「裏切られた」とか言われて。
あのさあ、誰かを信じたのはあなたが主体的に行動したことでしょう???
誰かによって(例えば田中によって)「信じさせられた」わけではない。
自分が自分の意思によって信じたのならば、最後までその信じた気持ちにそって田中に聞けばよかったじゃん。何なの?? その「自分は被害者だ」と言わんばかりの口ぶりは。
こういう自分の感情を他人のせいして、その後始末を他人に押し付ける人間が大嫌いです。
自分が勝手に信頼して、その相手が自分の考えた通りの相手ではなかったからと言って殺すような人間は、自分にとっては田中のような人間以上に忌避すべき人間です。
田中は少なくとも自他ともに悪党と認めています。辰哉は自分は悪いことはしていない、裏切った田中が悪いと考えていますからね。
この小説では田中が極悪人なのでいい話風に終わっていますが、辰哉みたいな思考回路の人間は、この世で一番性質が悪いと思います。
この物語って辰哉だけではなく、愛子にせよ優馬にせよ北見にせよ、こういう思考回路の人間ばかりなんですよ。
先に相手が信頼してくれなきゃ、心を開いてくれなきゃ、自分は信頼しません、心を開きません。で相手がそういうことができないと、愛子は田代のことを警察に通報し、優馬は直人のことを知りませんと言い出し、北見は美佳に対して「君のことを調べた」と試し行動、辰哉は田中に何も聞かずいきなり殺す。
一体、何なの? この自分勝手で弱っちいくせに、他人の弱さは一ミリも許さない集団は??
「大切な人を信頼することができるか」というテーマなのに、
「相手がどうであれ、自分が信じると決めたら信じる。そしてその信頼を失ったときも、主体的に責任を取り続ける」ということを、誰一人としてやっていなくないですか?
人を信頼するっていうのは、そういうことじゃないんですかね???
辰哉が田中と真正面から向き合わず、真実を自分の力で確認することもなく、田中を殺して終わりなので、テーマとしては「勝手に信じて裏切られたら、相手を殺してもいい」という文脈になってしまっています。
「悪人」もこんな感じの話だから、作者がこういう考えの人なんでしょうね…。
辰哉は泉が自分の前から消えたら、出所したあとにストーカーになりそうだな。
千葉編に萌えた
テーマとその結論にものすごく納得がいかなかったので辛口になりましたが、物語はとても面白かったです。
正直、東京編や北見編については「ふうん、まあそれはそうなるだろうね」という無関心で冷ややかな眼差しを送っていた自分ですが、前述したように千葉編には無茶苦茶感情移入して読みました。
田代~~~、よかったねええええええ。幸せになってねえええええ(ノД`)・゜・。
いろいろと文句を書きましたが、田代が幸せになったからそれでヨシ\(^o^)/
映画も見に行こうかなと思っています。
田中が森山未來かあ。ファンなんだけど、似合いすぎてちょっと怖い…。