うさるの厨二病な読書日記

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諌山創「進撃の巨人」21巻の感想&この物語は「世界への違和感の表明の物語」だと思う。

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2016年12月9日(金)に発売された諌山創「進撃の巨人」21巻の感想&この漫画全体のテーマについての語りです。

 

20巻の感想のときにもさんざん語りましたが、語りたりないので語ります。

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21巻の前半 物語における登場人物の役割

サル型巨人に特攻して重傷を負ったエルヴィンと、ベルトルトに特攻して瀕死の全身火傷を負ったアルミン、どちらを巨人化の薬を使って助けるか、という話が21巻の前半の話でした。

 

最終的にはアルミンが助かります。物語的にはそれが妥当だろうと思いました。

 

「進撃の巨人」という物語で、アルミンは非常に重要な登場人物だと思います。

何故か?

アルミンだけが「巨人を倒したあとの世界」のことを考えている、唯一の登場人物だからです。

エレンが言ったとおり、アルミンだけが、

 

「こいつは戦うだけじゃない。夢を見ている」

 

からです。

あくまで物語のテーマだけで登場人物の重要さを考えると、アルミンはエレン以上に重要だと思います。

 

「虫けらみたいに人が死ぬ、こんな残酷で絶望的な世界でも、夢や希望を持つことができる」

 

これは「進撃の巨人」のテーマで、すごく重要なことだと思います。

この役割を主人公のエレンではなく、友人のアルミンが果たしている(むしろ、主人公であるエレンに教えている)ところが、「進撃の巨人」の面白いところだと思っています。

 

「進撃の巨人」は普通の物語だと主人公に集中している要素が、色々な登場人物に分散して与えられています。

特にアルミンが持っている「こんな世界でも巨人への憎悪一色に染まることなく、絶望することもなく、巨人にまったく関係ないことに興味を持ち、夢や希望を抱き続ける」という特性は、本来、主人公が持つにふさわしいものだと思います。

それを主人公でもヒロインでもなく、幼いころから主人公にくっついていた幼馴染が持っている、というのが面白いです。

 

そこに作者の考え方がよく出ているような気がします。

「主人公は別にスーパーマンでも何でもなく、人に素晴らしいものを与えられる存在でもなく、主人公だろうが誰だろうが、みんな何かを与え与えられ生きている」

 

エルヴィンも知識欲は持っているけれど、それは結局、過去につながるものなんですよね。他の登場人物でも代替することができるものです。

 

エルヴィンにはエルヴィンにしかできない、

 

「悪魔になって、新兵たちを地獄に導く」

 

という役割があるわけです。

これは、エレンにもできない、アルミンにもできない、リヴァイにもできない、エルヴィンにしかできないことです。

「自分しかできない役割を果たした登場人物は、物語上では機能を失う」ので、エルヴィンではなくアルミンが生き残るのは、物語として考えた場合は当然だと思います。

もちろん「物語内の登場人物たち」には、様々な葛藤があるでしょうが。

 

20巻の話になりますが、リヴァイがエルヴィンに言っていました。

 

「俺は選ぶぞ。夢を諦めて死んでくれ。新兵たちを地獄に導け。獣の巨人は俺が仕留める」

 

エルヴィンがこの世界に生まれてきたのは、このためです。

この瞬間に、リヴァイが獣の巨人を倒すための陽動をするために、その陽動をして死ぬことを新兵たちに強いるために生まれてきたんです。

エルヴィンもそれが分かったから、リヴァイにそう言われたときにこの表情なんですよね。

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 (引用元:「進撃の巨人」20巻 諌山創 講談社)

 

死ぬことも、夢を諦めることも、ましてや自分の部下で、実戦経験の浅い新兵たちに「必ず死ぬ」と分かる特攻を強いることは辛いことです。

フロックには「エルヴィン隊長は悪魔だ」と言われていますし。

幼いころから夢見てきた、「この世界の謎を知りたい」という願い、それがようやく実現するところまできた。それでも、

 

人間には誰しも役割があり、死ぬべきときがきたら死ななければならない。

 

エルヴィンはこの理を悟り、リヴァイの言葉を受け入れました。

 

「自分が何のために死ぬのか」と理解することは、「自分が何のために生きたのか」を理解することと表裏一体だと思います。

それを心の底から理解できた、そしてリヴァイという赤の他人にも理解してもらえたエルヴィンは幸運だと思います。

 

後半は世界の謎が解明される、グリシャの過去編

それに対して後半の展開は、個人的には少し微妙でした。

元々、壁の外にも人類がいて、エレンたちが住んでいる壁の中はエルディアの王族を隔離する場所にすぎなかった。

壁の外は、マーレ人がエルディア人を支配する世界だった。巨人の力を利用して長く大陸を支配してきたエルディア人は、他民族に対する民族浄化などを長く行っており、そのために「悪魔の末裔」と呼ばれている。

 

というのが、長く謎だった、この世界の真実の姿です。

 

アニ・ライナー・ベルトルトの三人は、エルディアの王が持つ「始祖の巨人」の力を奪うために壁内に潜入した「マーレの戦士」であり、ジークもその一員でした。

ユミルは、何等かの理由で「楽園送り」になり、巨人化してずっと壁外をさまよっていたようです。

 

二民族間の憎悪の歴史というのは、長く追い求めてきた世界の謎にしては、ちょっと平凡すぎるなあと思いました。

若い日のグリシャにも、イマイチ共感しづらかったです。

妹がマーレ人に面白半分に殺された、というのは気の毒ですけれど、展開としてはありがちすぎます。

一巻でエレンの母親・カルラを食い殺した巨人が、グリシャの前の奥さんのダイナという事実は「おおっ」と思いましたけれどね。何という運命。

色々な事実が判明したので、また一巻から読み返したくなりました。

 

最も重要なテーマは、「世界への違和感の表明」だと思う

「進撃の巨人」は、「自分が生きる世界への違和感の表明」の物語だと思っています。

 

「進撃の巨人」の世界は、「この世界が生きる人にとって、苛酷であり残酷であることが明確な」世界です。

 

「この世界の違和感、おかしさ」が「人間を虫けらのように無差別に殺戮する、不気味で意思の疎通のできない、人間と同じ倫理観どころか意思や感情すら持たない」巨人たちに集約されています。

「この世界に生まれてきたのに、巨人に無意味に殺されなければならないなんておかしい」

「この世界は理不尽だ。そして、自分はその理不尽さをどうしても受け入れることができない。だから戦う」

「進撃の巨人」は、そういう物語です。

 

あくまで自分の勝手な想像ですが、作者はこの「違和感」を、自分が生きる現代社会に対して持っているのではないかと思います。

 

この現代社会の「違和感」は、「進撃の巨人」の巨人たちほど明確でもないし、可視化もできません。

自分は明らかにおかしい、と感じるのに、「おかしくない」と考える人のほうが多数いることなんてざらにあります。

 

「進撃の巨人」の登場人物たちが感じている「世界への違和感」「理不尽な世界への怒り」20巻でエルヴィンが言っていた、

「(この残酷な世界に抗うために)兵士よ、怒れ。兵士よ、叫べ。兵士よ、戦え」

この言葉に、すさまじい共感を覚えました。

 

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 (引用元:「進撃の巨人」20巻 諌山創 講談社)

 

自分自身がそういう気持ちを抱えてこの世界で生きているからです。

 

この社会で生きていると

「それはちょっと、おかしいのではないか」

「自分はそうは思わない。たとえ、世界中の人間がそうだと言っても、自分はそれは違うと思う」

という違和感を表明したくなることが、たびたびあります。(実際にしているし。)

 

この社会で、ありとあらゆる局面で感じる、

「当然、こうでしょう? 当然こう思うよね。これが正しいのが、当然でしょう?」

社会・時代という巨人の、真綿でくるむような無言の圧力に対して、

「自分は違う。自分が言いたいことはそういうことじゃない。自分の言いたいことを勝手に決めるな」

潜在的にそういうすさまじい怒りを抱いて生きているのが、恐らくは自分という人間なんだろうと思います。

 

社会や時代というものに左右されない、自分独自の価値観というものを守り抜きたい。

そんなことは自分には不可能だと分かっていても、そういう人間を目指すために、思考停止を強いてくるようなものに対しては、怒りの声を上げ続けたい。

 

自分が感じている、この世界に対する違和感を、常に叫び続けたい。

 

エレンのように、アルミンのように、リヴァイのように、ミカサのように。

例え、どれほど巨人が無慈悲で恐ろしい存在でも、例え、この世界の現実がどれほど残酷で、人間がちっぽけな存在でも。

この世界の理不尽さを認めることはできない。

どれほど苛酷で絶望的な環境でも「それが運命だ、仕方ない」と屈さず、戦うことによって「違和感」を表明し続けるエレンたちに激しく共感します。

 

理不尽に個人の思いを淘汰するような、「社会や時代の正しさ、価値観、論理」という巨人と戦い続けたい。

そう思っているから、「進撃の巨人」は自分にとって強い共感を覚える物語なのだと思います。

 

 世界の謎も解明され、いよいよ物語は佳境に入りました。

この世界の戦いの物語を、最後まで見届けたいと思います。

 

余談:「進撃の巨人」を読んでいるとき、いつも「ワンダと巨像」の「開かれる道」が頭に流れます~~♪♪

 

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