最近は空いている時間は、だいたい「ゲーム・オブ・スローンズ」を見ている。
このドラマは基本的には娯楽ドラマでありエンターテイメントだけれども、人間を描くのがうまく、見ているとところどころで色々と考えさせられる。
いま見ているシーズン4の冒頭で、シーズン1からずっと離れ離れだった王妃サーセイと「王の盾」であるジェイミーが再会するシーンがある。
この二人は双子の姉弟であり、長年の恋人同士でもあるという間柄である。
そのときにサーセイは、久しぶりに再会して抱擁しようとするジェイミーの手を拒む。
「何を怒っているんだ?」と尋ねるジェイミーに、サーセイはこう答える。
「ずっと私を独りにした」
言っておくが、ジェイミーは別に遊び歩いていたわけではない。
戦争に出て捕虜になり、ずっと縛られて石で殴られたり、もっと言うならば右手を切り落とされて失ったり、馬の小便を飲まされたり、リンチを受けたり、たいへんな目に合って帰ってきたのだ。
飢えかけ泥だらけになり、悪党どもに虐待を受けて右手を失い、ようやく王都に戻ってきたのである。
当然、ジェイミーもそう主張する。
自分は遊んでいたわけではない。
戦争に出ていた。捕虜になった。逃げるために、敵も殺した。右手を失い、命がけで帰ってきたんだ。
しかし、サーセイの返事は変わらない。
「わたしを独りにした」
前の自分であれば、サーセイの気持ちがまったくわからなかっただろう。
一体、何を言っているんだ、こいつは。
そう思っただろう。
しかし、今は少し気持ちが分かる気がする。
このサーセイが感じている気持ち、どうしようもないほど巨大な孤独感、そしてそこに双子のようにくっついているとてつもない虚無感、恐らくこれは年齢を重ねるごとに少しずつ見えるようになるものなのだと思う。
子供が大きくなって、手を離れたふとした瞬間に、
若いころから懸命に打ち込んできた仕事がひと段落ついた瞬間に、
そして、自分の大切な人が人生を去っていき、その悲しみが落ち着いて、ほとんどなくなってしまったのではないかと思うその瞬間に、
日常の隙間のあちこちから、黒い染みのように心にじんわりと広がっていく。
二十歳くらいのころは、恐らくこれを感じることはできない。
今は独りでも、まだ誰かと出会う可能性があるから。
今は何もなくても、まだ何かをなしうる可能性があるから。
今は何も持っていなくても、得ることができるかもしれないから。
独りであっても、独りでなくなる可能性があるのならば、人は希望を見ることができる。
でも、その希望がことごとく叶い、昨日見た夢みたいに消えてしまったとしたら。
後に見えるものは、孤独と虚無だけだ。
人間は全員が、生まれたときから、この孤独と虚無に取り囲まれて生きているのだと思う。
人生とは、それを見ないために様々なことに目をむけ続ける過程なのではないか、
そんな風に思うことがある。
先日、一人暮らしの年配の女性と話をする機会があった。
十年前にご主人に先立たれているが、娘二人と孫娘もいる。たまに遊びに来てくれるし、色々な習い事もしており、近所に友達も大勢いるようだ。
それでも、「主人が亡くなったときは辛くて悲しくて、それはもういいんだけれど、いまはそれとは違った寂しさがある」と言ったときに、自分が彼女から感じた寂しさは、底のない深淵みたいだった。
人は年がいって「こうなるかもしれない」という希望がなくなればなくなるほど、この寂しさと虚無を感じなければいけない。
しかし、それはずっと感じ続けるには、余りに深すぎるものなのだと思う。
だから日常で色々なことをやって、懸命にその深みから目をそらす。
生まれたときから自分の背中にはりついているそれを感じないように。
サーセイはジェイミーに、そう言ったのだ。
ゾッとするような孤独感、目をそらさなければ耐えきれないような寂しさを自分に味合わせた、そのことに強い怒りを持っていたのだ。
それは人間の存在を、根源から揺るがすような感覚なのだ。
当たり前だが、右手を失うことは辛く苦しい。
ドラマを見てもらえば分かるが、ジェイミーが捕虜になってから王都に帰還するまでの道のりは、恐ろしく困難で苦痛に満ちたものだ。
しかしそれは、生きる実感が得られており、存在の不安を感じるような道のりではない。
ジェイミーは、サーセイが何を言っているのかすら理解できないだろう。
生まれる前から一緒にいる双子の姉弟で、長い間恋人同士である二人ですら、人間というものはお互いを理解することができない。
サーセイはそれが分かったのだ。
一体、自分がどれだけ孤独なのか。
というよりも、そもそももとから孤独であったことが。
だからジェイミーの手を拒み、
「もう前とは、何もかもが違う」
と言ったのだろう。
こうなることが分かっていたから、サーセイは恐らくずっと、言葉ではない言葉で、「何があっても絶対に、わたしを独りにしないで」
と言い続けてきたのだと思う。
自分がもともと孤独であり、これから死ぬまで孤独であることを、どうか気づかせないでくれ。
そういう祈りであり、悲鳴でもあるものを上げ続けていたのだ。
恐らく誰も彼もが誰かに、
「何があっても絶対に、わたしを独りにしないで」
と、祈るように叫ぶように言っているのだろう。
「一人」と「独り」は違う。
独りは、寂しさと虚無の牢獄に閉じ込められているのに似ている。
夫に先立たれた、年配の女性から感じた寂しさの深淵を、忘れることができない。