うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

≪ドラマ≫NHK大河ドラマ「真田丸」 梅の退場の仕方がひどすぎる。

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NHK大河ドラマ真田丸」 第13回「決戦」の感想です。

 

最後の最後で梅が死にましたが、まったく泣けませんでしたし、

何の感慨もわきませんでした。

主人公の最愛の人が乳飲み子を残して、

若くして戦で命を落とすという話で白けるなんて前代未聞です。

 

今までは、日曜日を指折り待つくらい、楽しみにしていたのに。

今回で、かなりがっかりしました。

何なの? あれ? 命を賭けたコントのつもりだったの??

最後の場面で、泣くべきなのか笑うべきなのか、

一瞬、悩んだほどです。

 

三谷幸喜はおじさんを描くのはすごくうまいのですが、

若い女性を描くのは下手です。

ただ下手なだけでなく、見ていて不快になるようなポイントをうまく(?)ついてきます。

 

今回の梅の行動は、かなり不可解です。

子供のことも戦のことも、両方やろうとして、どちらも中途半端になっています。

しかも、見ているほうが初めから「そりゃあそうなるだろう」と分かっていることをやるので、

イライラが倍増します。

戦も子育てもしたことがないわたしが、

「あんた、戦も子育てもなめてんのか?」

と言いたくなりましたから。

案の定、足手まといになって、佐助に助けられているし。

 

何なのでしょうね?

製作者はああいうのを見て、

「けなげ」とか「かっこういい」とか思うとでも、思っているんですかね?

 

話(作者)の都合だけで、こういう行動をとっているんだろうな〜〜

ということが透けて見えると、見ているほうはいっきに白けます。

 

脚本家は、この梅という人物を、どういう人として描きたかったんですかね?

梅を物語を動かす駒ではなく、

一人の人として描こうという姿勢が、まったく伝わってこなかったです。

これから他の女性も出てくるし、物語上描ききれないなくて邪魔だから死んだ、

ただそれだけとしか思えない。

 

キリが「戦は嫌いじゃなかったの?」と問いかけたとき、

梅が「母になったら、そうも言っていられない」と返事をしていました。

このときも、ずいぶんとんちんかんなことを言っているなあと思いました。

 

「戦争が嫌い」と言っていたのは、「戦争が起こって欲しくない」という意味ではなく、

「自分が関わりたくない」という意味だったのね、とか。

「戦争に参加する、しない」は「好き嫌い」で決めるものじゃないだろうとか。

「母になったら、嫌いだから戦に参加しないなんて言っていられない」ということは、

言い換えれば「母になったから、戦に参加しなければ」となるが、

どうして、「母になったら、戦に参加しなければならない」んだろう?とか。

「子供のために、戦に参加するっていうこと? 

子供のためには、子供のそばにいることが一番だろう」とか。

百歩譲って、「戦に参加することが、最も子供のためになること」だと思うのなら、

その「最も子供のためになること」に全力をつくせよ、とか。

 

もう、言っていることが滅茶苦茶すぎて、

そのあとは、梅のコントを無表情に眺めているだけでした。

 

悪いけど、あんなことをしていればそりゃあ死ぬよ。

 

こういうことが、子供のためとか誰かのためになるのですかね???

 

こういう死ぬ間際の矛盾が、今までどうということもなかった梅という人物を、

いっきに訳が分からないけれど不快、というキャラにしてしまいました。

 

それは脚本家が、梅を一人の人間として描かず、

こうすれば、子供を思いやっている風に見えるだろう、

こうすれば、心優しき女性風に見えるだろう、

という思惑で、キャラを記号のように扱っているのが分かるからです。

 

三谷さんが梅という人物に、心底興味がないことだけは、

よく分かりました。

もう死んだんで、どーでもいいんですが。

 

真田丸で、登場人物がこんな風に扱われるとは、思いもしませんでした。

(他の創作物では、作者の都合のみで動いている

人物として矛盾だらけのキャラクターなど腐るほど見ますが。)

 

もう二度とこういう登場人物が出てこないことと、

梅の冥福を祈ります。