「ラ・ラ・ラ・ランド」という映画が流行っているらしいですね。
映画自体は見ていないのですが、この映画にまつわる話題で興味深いテーマを見つけました。
「作品を批判するのはいいが、作品を褒める観客を批判するのはアウトなのか?」というテーマです。
結論から先に言うと、
「作品を褒める感想を批判するのはOKだが、褒めている人自体を批判するのはNG」だと思います。
「あなたは絶賛しているけれど、自分はこうこうこういう理由でこの映画はつまらないと思う」
「その感想は、ここのシーンを読み違えている。脚本のここの箇所が面白いというが、ここはこういう理由で陳腐だと思う。この映画はこういうテーマだと言っているが、それはこういう理由で違う。」
これはOK。ただよく目にする
「こんなつまらない映画を褒める奴は、本物の映画を見たことがない頭が悪い奴だ」
のようなものは、NG。
作り手だろうが観客だろうが、人格への攻撃はアウトだというのが自分の考えです。
モラル的にアウトというのもあるのですが、それ以上に「そもそも人格批判って、批判の論拠が示せるのだろうか?」という疑問があります。
批判の論拠が示せないものは、すべて根拠のない主観であり、この場合はただの悪口です。
ただ自分の気に喰わないものを褒める奴の悪口を言いたいだけなのに、それを批判と言ってしまうのはどうかなと思います。
「こんなつまらない映画を褒める奴は、本物の映画を見たことがない頭が悪い奴だ」
この論が成り立つためには、主に越えなければならないハードルが二つあります。
まずは「この映画がつまらない映画だ」という論拠を示さなければなりません。
何故この映画を自分がつまらないのか、ということを万人に対して根拠を述べて論じなければなりません。
「この映画がつまらない映画だ」ということを証明できたとして、次に
「つまらない映画を一回でも褒めた奴=本物の映画を見たことがない頭が悪い奴」
ということを証明しなければなりません。
その映画を褒めた人が、過去にも褒めた映画もつまらない映画だということを証明できれば「一回でも」という条件ははずせますが、相当な有名人でない限り、その人の他の映画への感想は分からないと思います。
人格批判というのは、その人のわずか一部分だけを見て、それを論拠に人格全体への批判を展開するので、そもそも根拠薄弱な場合が多いです。
本気でやるならば、その人の人生や思考、行動を徹底的に調べあげてやらなければ証明しきれないと思います。他人に根拠を示せない論はただの主観的な感想であり、それを批判というのはいかがなものかというのが個人的な意見です。
「その人の映画の感想への批判」ならば、感想自体は全文読めたり聞けたりすると思うので、それに基づいて自分の論を展開することは十分可能だと思います。
「作品全体を見て、作品を論ずること」と「その人のわずか一部分だけを見て、その人を論ずること」は、まったく違います。
個人的にはこのあたりを、当たり前のように同列に並べている人が多いことが気になります。
「作品は貶しておいて、自分が貶されるのは我慢できないの??」
というのは、感情云々ではなく、理屈としてそもそもおかしいと思います。
「論拠を示した批判はいいけれど、根拠薄弱な主観的な悪口は我慢できないの?」
と言われれば、はあ、そうですけれど……言っていることがおかしくないですか??としか言いようがありません。
これは別に人格批判に限らず、作品自体への感想や批判も論拠のないものに関しては「はあ、あなたはそう思うんですね」としか言いようがありません。
論拠のない批判は、批判としての態をなしていないのですが、こと人格批判に関してはよほどの有名人でない限り、論拠の示しようがないと思います。
だから「作品を批判しているのだから、批判している人の人格を批判してもいい」ということは成り立たないと思います。
「作品の批判・感想」への批判は、述べてもいいと思います。むしろおおいに述べるべきだと思います。
せっかくだから、論拠のある感想・批判を展開して、作品の賛否・是非を争えばいいのではと思います。
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