僕はブーメランについて学ぶために、ブーメラン使いの家に住み込んで修行することにした。
ある日、ブーメラン使いが血まみれになって帰ってきた。
「野原で山犬の群れに会ったんだ」
ブーメラン使いは、真剣な目をして説明を始める。
「奴らは、オレが何もしていないのに、いきなり跳びかかってきた。オレはただ、ブーメランの練習をしていただけなんだ」
僕は少し考えてから、指摘する。
「もしかしたら、君がブーメランを投げたから驚いたんじゃないかな?」
「奴らを狙ったわけじゃない」
毅然として、ブーメラン使いは答えた。
「オレはただブーメランの練習をしていただけだ。それの何が悪いんだ?」
「君の意図がどうであれ、たとえ悪意がなかったとしても、山犬はブーメランが飛んできて驚いたんだよ」
「ブーメランの練習をすることが悪いことなのか?」
「そんことは言っていない」
そんなことは、ひと言も言っていない。
ブーメラン使いは目を血走らせて、怒りを吐き出す。
「一対一なら負けなかった。ブーメランで戦うときは、一対一が原則だ。あいつらはルールを守っていない。卑怯者だ」
特に何も言うことが思いつかなかったので、僕は別のことを聞いた。
「その傷は、山犬にやられたの?」
僕に言われて、ブーメラン使いは、自分の傷に初めて気づいたようだった。
「いや、投げたブーメランが戻ってきてそれで切った。まったく痛くない」
強がりではなく、本当に痛みを感じていないようだった。
僕はブーメラン使いの強靭さに、感心した。
ブーメラン使いは野原に出るたびに、傷を負って帰ってくる。
ブーメランが巣に当たり、怒った蜂の大群に追いかけられたり、竜に見つかって危うく焼き殺されそうになったり、修行はなかなか大変そうだった。
「あいつらは卑怯者だ。最低の人間だ。当たり前の常識も倫理もない」
ブーメラン使いはそういうことがあるたびに、ブーメラン使い同士の戦いのルールについて熱く語った。
「そのルールを理解している人が、他に誰かいるのだろうか?」と僕は内心疑問に思ったけれど、口に出しては言わなかった。
ブーメラン使いの頭にブーメランが刺さっていて、それが気になって仕方がなかったこともある。
頭からブーメランを生やしたまま、ブーメラン使いは熱心に語り続ける。
「あいつらは一対一で地上で戦っても、オレに勝てるのか。そう言ってやりたい」
僕はおそるおそる言ってみた。
「野原でブーメランの練習をするのはやめたら?」
ブーメラン使いは、不思議そうに僕を見た。
「何で?」
僕は、それ以上は何も言わなかった。
次の日、ブーメラン使いは今までで一番激怒していた。
何でも、みすぼらしい子供に、持っていた金を財布ごとすられたという。
「いやいや、オレは怒っていないよ。むしろ哀れみすら覚えるね。ああいう子供はきっと将来ろくでもない大人になってろくでもない人生を送ってみじめでしょうもない死に方をするんだろうって思うと本当に哀れで仕方がないしきっと今だって誰にも必要とされない孤独でみじめな人生を送っているんだろうと思うしどうせ親だってろくでない人間だろうしどういう教育をしたらあんな常識もマナーもなっていない子供が生まれるのかむしろ聞いてみたいくらいだよ世の中にはひとにひどいことをすることしかできないにんげんがいるけれどおれはそういうやつらにいかりではなくてむしろきのどくにおもうしあわれだなほかにやることはないのかなとほんとうにふしぎにおもうくらいだし……」
僕は、その日のうちにブーメラン使いの家を出ることにした。
町を歩いていると、後ろから子供に呼びとめられた。
「お兄さん、ブーメラン使いの家から出てきたよね」
僕がうなずくと、子供はおずおずと何かを差し出す。
見覚えのあるブーメラン使いの財布だった。
子供がわっと泣き出した。
「ものすごくお腹がすいていて……お父さんも病気で……どうしようもなくて、ごめんなさい」
僕は泣いている子供の痩せた小さい肩に、そっと手をおいた。
何気なく財布の中身を見ると、中は空っぽだった。
泣いていた子供が、突然顔をあげ、ふところから僕の財布を奪い取った。
そして凄い勢いで走り出した。
僕が追いつけないところまで逃げると、子供が振り返って叫んだ。
「油断しやがって。バーカバーカ、大マヌケ。アホ、カス、キモイ、死ねゴミ野郎。あはっ、バカ面超笑える」
そして、目にもとまらぬ速さで消え去った。
周りの人間はにやにや笑って僕を見ている。もしくはほとんど無関心だ。誰も警察なんて呼ばない。この町ではごく日常的な光景なのだろう。
僕は空っぽのブーメラン使いの財布を、震える手で握り締める。
こんなのは間違っている。こんなのはおかしい。こんなのは正しくない。
この町には、良識も常識も倫理も正義もないのか。
こんなことは許せない。ああいう子供は罰せられなくてはならない。
でも、ブーメランはダメだ。役に立たない。頭に刺さるし。
いい考えを思いついた。
そうだ、火炎放射器がいい。
この町には、あの子供のような人間が山のようにいるはずだ。
ついでにあの山犬や蜂や竜がいる野原も燃やしてやる。何もかも燃やし尽くしてやる。
きっと大炎上するぞ。
僕は空っぽの財布を道端に捨てて、火炎放射器を買うために歩き出した。