23歳で借金を背負い、派遣で工場で働く。
以前、過去記事で紹介した岩淵弘樹「遭難フリーター」を再読した。
奨学金を含めて600万円の借金を背負っている二十三歳の主人公が、就職活動をせず、埼玉県のキヤノンのプリンター工場で派遣社員として働いた体験を書いている。
年配の派遣社員を見下している気持ちや、「自分はこんなところにいるべき人間じゃないのに」という鬱屈した思いや、寮でAVを見ながら自慰行為をしていたら社員にいきなり部屋に入られたこととか、元カノへの未練がましい行動など、ありのままのことが赤裸々に描かれている。
この本の、自分の中での見どころはふたつある。
ひとつは派遣労働の実態がよく分かること。元々は、派遣労働の仕組みが知りたくて買った本の中の一冊が本書だ。
他の本とは違い、この本は別に派遣労働の問題を書こうとして書かれた本ではないので、逆にそこで働く人の境遇や心境などがリアルに描かれている。
もうひとつは二十歳前後の人間ならば多かれ少なかれ誰もが持つだろう、劣等感や焦燥感、「こんなところで自分は何をやっているんだ」「俺はお前らとは違う」という強烈な自意識が味わえる点だ。
工場で派遣社員として働く人たちの実態。
派遣労働の問題については、その実態が描かれている様々な本が出ている。
「契約がいい加減で、研修日の給料が支払われなかったりする」
「最初に提示された月収は、夜勤・残業をフルでこなした場合のものだった。日勤だけではとうてい無理」
「時給のため、長期休暇がある月は収入が大幅に下がる。」
また悪質な業者だと、寮費の他に布団代などのリース代もとるなどして、ギリギリまで搾取する。収入が低く安定しないので、なかなか貯金がたまらない。そういう環境なので、一度派遣労働の世界に入ると抜け出すのは容易ではない。
こういった工場の潜入ルポとしては、鎌田慧の「自動車絶望工場」が有名だが、この時代の期間工はまだマシだったのではないか、と思えるほどだ。
「こんなの誰にでも出来る仕事だ」
「繰り返し作業で、自分が機械になったように感じる」
そういう作業内容に対して感じる鬱屈や不満は、自動車絶望工場も本書も同じだ。
どんな仕事も仕事であることに変わりはないのだが、1日中立ちっぱなしで、プリンターのインクボトルに蓋をかぶせる仕事に、やりがいを見出すのはとても難しい。
Amazonの倉庫への潜入してピッキングの仕事をした体験を描いた「潜入ルポ アマゾン・ドットコム」でも、このような心境になった、ということが書かれている。
それでもある程度年齢がいけば、「生きるため」「家族のため」「ただ金を稼ぐために仕事をしているだけだ」と割り切れるのだろうが、この本の筆者は当時23歳だ。
ある程度自分の能力にも自信があったために、その能力を発揮できない環境に対して鬱屈した思いを抱えることになる。
23歳の鬱屈した自意識
この辺りの描写は、本当にリアルで、読んでいるのがむずがゆいような気の毒なような微妙な気持ちにさせられる。
自信があるのに自信がない、万能感に満ち溢れているのに同じくらい劣等感に苛まれている。自分は何者にでもなれると思っているから、何者でもない自分がみじめで仕方がない。
「俺はお前らとは違う」
周りの人間を見下すことで、かろうじて自分のプライドを守っている。
10代後半から20代前半って、多かれ少なかれこういう自意識に悩まされるんじゃないだろうか。まさに「おま俺案件」だ。
自分も20代前半くらいのときは、劣等感とそれと裏腹の自意識過剰に悶えていたので、懐かしいというか気恥ずかしいと言うか、気の毒というか色々な思いが錯綜した。
「使えないおっさん」を見下したりするのは良くないことだけれど、二十歳すぎくらいで、多少自信があるけれど、認められていないと感じている人間の心中ってこういうものなのかもしれない。
この年くらいの自分が自分であることの苦しみって、本当にキツイ。
自分の中の暗いトンネルを歩いているときは、下手な応援なんて邪魔なだけだし(少なくとも自分は、周りの声なんてろくすっぽ耳に入っていなかった)誰もが一度は自分の足で歩く道なのかもしれない。
「遭難フリーター」は行き場のない、暴発しそうなエネルギーを抱えた若者が、建前などまったく考えずに、ただ自分の感じたことを真っすぐに記した本だ。劣等感も卑屈さも傲慢さも狡さも、恰好つけることなくすべて描かれている。
自分を認めない世界に自分の名前を叫びたいような、その世界を暴走し破壊したような、ちょっぴり厨二なあのころの気持ちを思い出したい大人や、そんなどこにも行き場のない思いを、いままさに抱えた人に読んで欲しい。
「自動車絶望工場」も面白い。