本書は母親の苦労を見て、自分自身も大変な人生を歩んできて、今まさに娘の反抗期に直面している西原理恵子が、「女の子が生きていくために、どんなことを考えやったほうがいいのか」ということを伝えている本だ。
男性(男の子)に対しては「ぼくんち」という傑作が既に出ている。
考えさせられる部分が多いので、章ごとにメモをとりながら感想を書いた。
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「はじめに 私が女の子だった頃」
「私の田舎はとても貧しくて、子どもの頃、私の友達は大人たちから本気で殴られていた。貧しさからくるどうしようもない怒りや悲しみは、暴力になって、一番弱いものにいく」
「ぼくんち」の世界観は誇張でも何でもなく、西原理恵子が子どものころ本当に過ごした環境だったのだ。
「暴力は良くない」「虐待だ」
そんな当たり前の正論が何の力も持たない、やり場のない怒りと悲しみに大人も子供も追いつめられていたのだろう。
夫が妻を殴り、母親が子供を殴る。貧しさと弱さからくる暴力の連鎖は、西原作品には当たり前のように出てくる。
「自分も、将来はあんなふうに男に殴られて、子どもを殴る親になるのかと思ったら、大人になるのが、すっごく怖かった」
最初西原作品でよく出てくる「大人になればなるほどしんどい」という言葉が、まったくピンとこなかった。
自分は何の力も持たない子供のときのほうが、ずっとしんどかったからだ。でも、自然に「大人になりたい」と思うほど、周りの大人が普通に幸せそうだった、少なくとも別に不幸そうではなかった、というのは、当たり前のことではなく幸運なのだと思った。
「借金まみれの父親に、私の進学のためのお金を「出せ」と迫られて、ボッコボコに殴られた母親で、母親が死守したわが家の全財産140万円のうち、100万円が、私が東京に行って、予備校に通うための軍資金になった」
この箇所を読むのは辛かった。
学校の勉強が分からず、常に劣等感に苛まれてきた西原理恵子を褒めて、その自己肯定感を支えてくれたのは、このどうしようもない義父であることが、今までの作品の中で描かれているからだ。
ギャンブル好きで借金まみれのどうしようもない人だったけれど、血のつながっていない西原理恵子をとても可愛がった。
「世間がお前を悪い子だと言うなら、それは世間が間違っている。お前は世界一いい子だから」
学校の授業がまったくわからず、大人たちから馬鹿と言われ続けた西原はこの義父の存在に救われていた。
だが彼は、借金が原因で自殺する。西原理恵子の母親は、この夫とは絶対に同じ墓には入りたくないと言う。
どんな人間にでもいい部分と悪い部分がある。
正しさがまったく届かない弱さがこの世にはある。
人間の醜く卑劣でどうしようもないほど弱い部分も断罪せず、じっと見つめられる西原理恵子の不思議さは、この義父の存在も影響しているのだと思う。
「どんなに立派な人だって、壊れてしまうことがある。つぶれない会社、病気にならない夫はこの世に存在しません」
「王子様を待たないで。社長の奥さんになるより、社長になろう」
義父の場合はかなり極端だけれど、どれほど働き者で立派な男性に見えても、病気などで急に壊れてしまうことはある。西原の元夫・鴨ちゃんのように、人格が激変してしまうこともある。
その時に自分の人生を自分で決められるように、自分の足で立てるようにしておこう。この本から伝わってくるメッセージのうちのひとつはこれだ。
第一章 母と娘のガチバドル
「お母さんのせいで、私が西原理恵子の娘だってバレちゃった」
舞台女優を目指している娘は、初めての公演を西原理恵子がツイートしたら、こう言って大泣きしたそうだ。
気持ちはすごい分かる。
「これから何をやるにせよ、私の娘だということはフツーに事実で、そこは仕方ないんじゃないの」
一方で、西原理恵子がこういうのもすごく分かる。
いいことも悪いことも自分を構成する事実というのは、自分では変えることはできない。「西原理恵子の娘」という看板を全面に押し出す必要はもちろんないけれど、その事実を消すこともできない。
有利不利は関係なく、その事実のうえでやっていくしかない。
とは思うものの、16の子がそれを受け入れるのも難しいよな。逆にすごい自立心だな。さすが西原理恵子の娘、とむしろ思ってしまう。
西原理恵子という人は、自分から見ればすごい才能の持ち主なのだが、こういう人でも娘から反抗される普通の母親をやっているんだな、ということがちょっと面白い。(大変なんだろうけれど。)
「反抗期っていうのは、(中略)中身は高速回転しているのに画面はフリーズしているパソコンみたいなものです」
本の中で紹介されていたカウンセラーのこの言葉に、深くうなずいてしまった。
自分も反抗期はひどかったけれど、本当こんな感じだった。心過敏というか、一の刺激に十くらい色々な反応が起こるんだけれど、それをどう表現していいか、どう発散していいか分からない。
あんなに心が動くなんて、やっぱり若いってすごいことだよな、と今なら思うけれど、自分の子どもが反抗期になったらと考えると頭が痛い。
第二章 スタート地点に立つために、できること
「やりたいことができると、人は、コンプレックスと向き合うことになる」
真理だと思う。
真剣になると、本当の自分の力と向き合わざるえない。自分より自分のやりたいことができる人なんて、世間に山のようにいる。
「何者でもない自分」を認めて、そこからスタートできるかどうかが、第一の関門だ。
そこで「本当はそんなことやりたくないんだ」と自分を騙して逃げるのは、余りにもったいない。
「何にむいているかなんて頭で考えていてもわからない。道は、きっと出会った人が教えてくれる」
物事、特に仕事は実際にやってみないと分からない。「こんなことをする仕事なんて、やる前は思わなかった」という仕事もけっこうある。イメージだけで向き不向きを考えるのはおかしいし、もったいない。
初めからうまくいかないのは当然なので、なんだかんだ言う前に、とにかくやってみればいいと思う。辞めるのはいつでも辞められる。
自分では「向いていない」「うまくできていない」と思っていても、案外、他人から見ると「向いていそうなのに」「できているのに」と思うこともある。「自分に対するハードルが高すぎでは? 厳しすぎでは?」と思う人がけっこういる。
第三章 夢見る娘とお金のハナシ
「最低限の家賃4万円を、男とシェアするべからず。ひとり暮らしの家賃とそれに見合う月収っていうのは、自立のバロメーターです」
「家賃を折半するな」という話ではなく、ひとり暮らしができる家賃や生活費は自分で稼げる状態でいろ、それが自立だ、と言っている。この辺りはひとり暮らし未経験なので、耳が痛い。
「あの頃のあの彼氏をぶん殴るんじゃなくて、そんな男を捨てられないあの頃の私をぶん殴りたい」
「いつかこの人が幸せにしてくれる」じゃなくて、自分が幸せになるために誰を愛し、誰を愛さないか主体的に決めないといけないと思う。
自分が朝から晩まで働いてフラフラになって帰ってきて、家にずっといるのに家事ひとつやってくれず、働きもせずテレビを見ながら「靴下、どこ?」なんて言う彼氏といつまで一緒にいるのか。それでも好きだと言うならば一緒にいればいいし、もういいと思うならば別れる決断をすればいい。
こういう男と寂しいだけで一緒にいて「なんで働いてくれないのか」とずっと不満タラタラで思っているのは、自分の人生を放棄していると思う。
「この人は、こういう人なんだ」という前提を認めて、そういう人と一緒にいるのか、別れるのか、「それは自分で選ぶ」ことが大事かな、と思う。
「私が10代の頃、私の周りにいた女の子たちには、やりたいことをやって生きていきたくても、その知識とチャンスがなかった。無職のまま、子どもを産んで、旦那に逃げられる子もすごく多かった」
生まれる環境には運もある。こういう状況が当たり前だ、と思うと、自分自身で道を選ぶというのは、そもそもその発想からしてないのかもしれない。
何の知識も他の価値観に触れるチャンスもないまま、そういう見えないレールに吸い込まれていく子たちをたくさん見たから、西原理恵子はこういうことを語ろうと思ったのだと思う。
「目の前の現実を受け入れたくなくて「自分さえがまんすれば」「いつかこの人も変わってくれる」と、結論を先のばしにしてしまう。そうやって自分をあとまわしにしていると、いつか誰かを憎んでしまう」
「何かのために、自分は我慢しているのに。犠牲になっているのに」という感覚ほど、人を恨みがましくするものはないと思っている。どんなときでも自分で考え、自分で決断をし、自分でその決断の責任をとる。そうしないと、自分の人生を生きることにならないと思う。
「あなたのために、こうしているんですよ」は、形を変えた依存だと自分は思っている。
「交友関係や仕事のことで中傷されたり、あなたの人格を否定されたり、両親をバカにされたり、携帯を見られたり、物を隠されたり、自分が理不尽な仕打ちを受けていると思ったら、それはすべて暴力なんです」
こういうことをされたら、表面上の形が「夫・彼氏(妻・彼女)」でも、相手はもはや自分の害悪になる存在だと思ったほうがいい。他人を馬鹿にして自尊心を満たす道具にするような卑劣な人間からは、なるべく早く離れたほうがいい。
「いいところもあるから」なんて言っていると、心をぜんぶ削り取られる。
西原理恵子がそうであったように、意外と自分がその渦中にいると分からない。
「自分にも悪いところがあるのかも」「元に戻るかもしれない」「子供もいるし」と思って限界を超えてもなお我慢してしまう人もいる。
おかしいな、と思ったら、周りの人間や専門家に相談して、他の価値観を持つ人に見てもらうことも大事かもしれない。
第四章 かあさんの子育て卒業宣言
「子供たちには、お父さんのいい記憶だけを残したかった」
この章では鴨ちゃんの病気のことや結婚生活、離婚の経緯が描かれているけれど、けっこうショックだった。
今までの作品の中で鴨ちゃんのアル中のことや離婚の経緯は、率直に書いていたと思っていたが、実は本当に深い部分はまったく書いていなかったのだ。
アル中がひどくなり、子供もいるしやむえず離婚という形をとったくらいだと思っていた。
毎晩何時間と続く壮絶な言葉の暴力、モラハラがあり、その末の離婚だったのだとは思わなかった。憎しみで殺してやりたいと思うような日々の末の離婚だった。
「誰のことも、憎みたくなんかないのに。憎しみは、憎んだ自分の心まで蝕んでいく」
この事実を知ると、逆によく鴨ちゃんの最期を看取ったなと思う。
ひどいDVを受けながら、子どもに伝わらないように決してそれを言わなかったことにも頭が下がる。
「今、理不尽な暴力に立ちすくんで、身動きができずにいる人は、もう分からなくなっているんです。だからそうなる前に、逃げていいんだという知識を先に入れておくしかないんです」
これは電通の女性社員が自殺したときに、強く感じた。
「死ぬくらいならやめればいいのに。逃げていいのに」と、追い詰められていない第三者が言うのは簡単だ。そんな考えすら思い浮かばないくらい、心身が疲弊して身動きがとれなくなってしまう。
考えることにも、決断するにも、そしてその決断を実行するにも体力がいる。
何も考えず、何もかも放り出してその場からただ逃げるしかないのだが、責任感が強い人ほどそれができない。疲れた頭で正常な判断ができないままその場にとどまって、ただ風に流されるように日々を過ごし、糸が切れたように死んでしまう。
なので、そう状態に陥ったら自分の力で抜け出せない、逃げ出すならそうなる前に逃げ出さなくてはいけない、ということを覚えておいたほうがいいかもしれない。
「天下をとるぞ、って言うなら、自分でやれ。糟糠の妻にはならないこと」
「彼の夢をかなえるんじゃなくて、自分の夢をかなえてください」
現実的には難しいかもしれないけれど、女性もこういう気持ちを持つことが大事だと思う。いざというときは、自分の足で立って生きていく。自分の手で天下をつかみ、自分が一国一城の主になる。
そのほうが一人で生きていくにしても生きやすくなるし、結婚してパートナーがピンチの時も支えやすくなると思う。
「でも、自分は男だし、誰にあたろうにも、うちは、お母さんとおばあちゃんと妹しかいないんじゃ、あたれないじゃん、だったら、俺は家を出よう、アメリカに行ってみようって思ったんだよね」
西原理恵子の息子の言葉。
思春期で色々とあったときに、家で当たり散らすよりも、新しい土地で一人でやってみようと思ったと言っている。
この年にしてカッコいい男だ、と思う。
「家族だから仲良くしなきゃいけないって思いすぎると、かえってつらくなる」
家族でも相性もあるし、うまくいかないときもある。そういうときは離れてみるのも一手だと思う。
第六章 女の子が生きていくときに、覚えていてほしい5つのこと
「大事なのは、自分の人生を人任せにしないこと。そのためには、ちゃんと自分で稼げるようになること」
自分の収入がないと、その場所から身動きがとれなくなるから、これはとても大切なことだと思う。
「真面目に勤めていた旦那さんでも、そうなるんです。人は変わるし、壊れます」
夫も病気になることもあるし、変わってしまうこともある。その時に離れる、支える、どういう決断をするにしても、自分の稼ぎがあることが決断の後押しになる。
「ダイヤモンドをくれる男よりも、一緒にリヤカーをひいてくれる男がいい」
西原理恵子にとっては、高須克弥も「ダイヤモンドをくれる男」ではなく「リヤカーを一緒にひいてくれる男」なんだろう。
「あなたの人格を否定していい人なんて、いない」
「あなたの人生は、あなたが幸せになるためにある」
文字にすると、当たり前のことなんだけれど、世の中の人を見ているとこんな当たり前のことすら分からなくなっていて、自分に負荷をかけて我慢している人もいる。
「お前のために」「あなたのために」と言いながら、人格否定してくるのは、モラハラの常套手段なので覚えておいて欲しいなと思う。
「相手も大事」「家族も大事」「子どもも大事」「仕事も大事」「思いやりも大事」
「でも、あなたの人生では、あなたが一番大切なんだよ」ということを忘れないで欲しい、というメッセージだと思う。
終章 女の子たちの<エクソダス>
「どんな時でも、次の一手は、自分で考えて、自分で選ぶ」
「王子様を待たないで。幸せは、自分で取りに行ってください」
自分のことは自分で大切にして、幸せにする。そういう力を手に入れて、その力で自分も、自分の大切な人も守れるようにしてください、という話だと思う。
「自分自身を自分で大切にする力を持つこと」
「自分の人生を自分で決断して、その決断に対して責任を持つこと」
今の時代、特に女性は一人で生きていくかどうか、もしくは結婚する場合はパートナーの選び方次第で、まだまだ人生を大きく左右されやすい。ましてや子供がいたり、親の介護が必要だったりすると、自分のことを後回しにして、「自分さえ我慢すれば」という思考に陥りがちだ。
そしてそういう生き方、価値観に閉じ込められると「これが当たり前」「みんなそうしているんだから」「自分で選んで結婚したんだから」と思ってしまう。
「結婚か、仕事かだったらどっちもとってください」
「仕事か、子育てかだったら、どっちもとってください」
現状では確かに難しいと思う。
でも、実行することは難しくてもそういう価値観を持つことが、思わぬ落とし穴にはまったときに自分を救う力になる、自分もそう思う。
この本は「女の子」というタイトルを冠しているが、男性も特に対社会、対組織に関して言えることだと思う。
「みんなやっているんだから」「周りに迷惑がかかるから」「家族がいるから」
責任感はとても重要だけれど、自分が壊れるまで耐え続ける必要はない。「自分さえ我慢すれば」という思考には陥らないで欲しい。家族もそんなことは望んでいないと思う。
「リヤカーに乗せて」というのではなく、「リヤカーを押すのと引くのとどっちがいい?」とパートナーに聞けるような、パートナーが倒れそうなときは「しばらく乗って休んでいたら? その間は自分が引くから」と言えるような関係がいい。
どちらかが辛いときは自分がリヤカーを引ける力が持てるような、自分が本当に追い詰められたときはどんな状況からも抜け出せる力が持てるような、周りが何と言おうと一人と生きていく力を持てるような、そしてあなたにはあなたを大切にする権利がある、ということを知って欲しい。
そういうことを女の子が大人の女性になるまでに伝えたい。
「自分は無力だから仕方ない」という思考の罠には、女性のほうが陥りやすいと個人的には感じる。
「あなたはどんな状況にいるか自分で選べず、閉じ込められても我慢しなきゃいけないほど、無力じゃない」
自分も娘ができたら、こういうことを伝えたい。
(文中青字引用元:「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」西原理恵子/角川書店)
(2022年6月9日 追記)
この記事を書いた五年後の現在、西原理恵子の娘さんが親子関係について言及している。
西原理恵子が娘さんとの関係の中で行ったこと、読み手である自分に関係あることで言えば「描かないでと言ったのに描いた」ことによって大変辛い思いや経験をしたようだ。
実生活に触れたエッセイの感想は消すべきではないかとも思ったが、「読者は読者だよ」「本を読むという行為に善悪はない」という娘さんの言葉もあったので、自分が読んでその時に感じたことだからそのまま残そうと思う。
西原理恵子が娘さんに行った「言動」については、自分で見聞きした中で思うことがあれば批判するが、人格については触れないように気をつけたい。