一ファンとしてこの記事を読んで、すごく思うところがありました。
ご本人も書かれている通り、上記の記事は完全に推測なのですが、非常に面白い内容でしたので、興味のある方には読んでいただければと思います。
以下は自分が記事を読んで思ったことで、ただの感想です。
記事を読んで、特に星新一に語ったという「もう小説なんて野蛮なことはやめや」という言葉に、司馬遼太郎の無念と口惜しさを勝手に感じたので、一ファンとして思うところを書きます。
「日本」というバトンを削り出し、後世に渡す活動
司馬遼太郎の小説を読んで感じていたことは、「日本、日本人というものは何なのか」ということをずっと考えていて、その脈々と続いた「日本」というバトンを後世に渡したいと考えていたのではないか、ということです。
「日本」という国自体は、公式には明治維新を経て出来上がりましたが、この「日本」を作るにあたっても、「じゃあそもそも日本とは、何なのか?」ということを考え「日本」が生まれる経緯が描かれているのが「翔ぶが如く」です。
学生時代歴史を学んだとき、西郷隆盛が唱えた「征韓論」に対して「何でこんな無謀なことを考えたんだろう?」と思いました。国内の武士の不満を抑えるため、というのが有力な理由だと思うのですが、司馬遼太郎はさらに一歩踏み込んだ解釈をしています。
「翔ぶが如く」では、西郷は「(特に薩摩の)武士の精神性」こそが「日本という国の核になるもの」と考えたのではないか、と推測しています。この「武士の精神性」を失くしては、「日本」というものはできないのではないか。だからどんな手を使ってでも残さなくてはならない。
そしてこの「日本という国の像」が決定的に相いれなかったからこそ、盟友だった西郷と大久保は対立しなければならなかった、ということが「翔ぶが如く」では描かれています。
この「武士」というものを階級ではなく、精神的な象徴として捉える見方は「燃えよ剣」の中でも出てきます。
「武士が武士ではなくなった世の中で、武士の出でないからこそ、武士よりも武士らしくあろうとした」
近藤や土方は「武士とは何なのか」ということを考え、それを生き方で体現した存在として「燃えよ剣」では描かれています。
ここで言う「武士」は、階層や身分ではなく「精神」を表す言葉となっています。
そしてこの近藤や土方、西郷が「武士」という単語の中に見出し、そう生きようとしたものに恐らく司馬遼太郎は「日本」を見出し、それを後世に何としてでも伝えたいと思っていたのだと個人的には思っています。
「じゃあ、その日本(の精神性)って何なのか?」
ということを、解き明かすために、ずっとその日本が辿ってきた道筋を描いてきたのだと思います。
「その人」という個人を理解するためには、その人が辿ってきた人生の話を聞くように、司馬遼太郎も歴史を調べ描きながら、「日本とは何なのだろう」とずっと考えていたと思います。
そして調べたり描いたりしながら、「日本という国自体が公式に生まれる前から、「日本」はずっと続いてきている。それが切断されたのが、昭和初期からだ」と考えたのだと思います。
書かれなかった「ノモンハン事件」
司馬遼太郎は確か自分も従軍体験があることから、「第二次世界大戦、太平洋戦争のことは書けない」とどこかで書いていた気がしたので、元記事の中で「ノモンハン事件のことを書こうとしていた」ということを読んですごくびっくりもしましたし、残念にも思いました。
読みたかった。
恐らく須見大佐に「日本」を仮託することによって、陸軍の暴走によって切断された歴史をつなげることができるのではないか、と考えたのではと思います。
でもあろうことか自分が生涯を賭けて追い求めた「日本(の精神の象徴)」である、須見大佐本人から拒絶されてしまった。このショックは計り知れないと思います。
「ノモンハン事件」を描く取材のために瀬島何某と対談したんでしょうけれど、半藤一利の「ノモンハンの夏」などを読むと須見大佐が激怒する気持ちもわかりますし、ただ書くためには取材は必要だろうし、と何とも言えない気持ちになります。そもそも司馬遼太郎自身も、統帥権を乱用したとして当時の陸軍に対して相当強く批判を繰り返しています。
詳細は分かりませんが、事前に須見大佐に事情を説明しておく、とか何とかできなかったのか、とつい思ってしまいます。
ただ当事者として後世の多くの人にこのことを伝えたい、という思いで飲み込んでもらえれば、というのは被害にあっていない外野の勝手な思いで、意味のない戦いで多くの部下や仲間を失い、理不尽な目に合わされた身としては、受け入れられないのも無理はないとは思います。
一読者としての自己中心的な感想ですが、こういう事情を踏まえても、司馬遼太郎が書く「ノモンハン事件」が読みたかったです。
司馬遼太郎の思いも受け継いでいるようですね。面白かったです。理不尽すぎて辛いですが。
「自分の活動は無意味だった」という無念
「日本という国とは何なのか」ということを、日本の歴史を遡って日本人の精神性から削り出そうとした司馬遼太郎に対して、表層的な近代化をさして「それは(現代の状況を受け入れない)西欧コンプレックスでは?」という伊藤隆の発言を、個人的には非常に残念に思いました。
相手が何を言わんとしているか何を問題としているか、何を主軸として物事を語っているか、自分のそれとどうズレているかということを考えずに発言しているように見えますし、相手を少しでも理解しようとすれば、これほどすれ違うはずがないのではと思ってしまいます。
これは知識がどうこう、歴史がどうこう以前にコミュニケーションの問題のように見えます。お互いに感情的になってしまったのかもしれませんが。
「日本」を追い求め削り出し、後世に伝えなければならない、そうでなければ恐らく日本という国は外見上はどうあれ、実質的には滅ぶのではないかという危機感を持って、活動を続けていたのだとすれば、その活動を「西欧コンプレックス」で片づけられれば絶望もすると思います。
そこからの「小説なんて野蛮なもの」(何の意味もなかった)という言葉ならば、とても残念に思います。
いまこの場所は、過去からつながっている場所
考え方というのは人それぞれだとは思いますが、自分はこの司馬遼太郎の考え方にとても共鳴します。
なぜならば、国というのはその土地に生きる人が本体であり、その土地に生きる人が紡いできたものがつながって国の歴史というものはできると思うからです。
その国で生きてきた人の精神から生まれたその人の生き方、その人たちの生き方から生まれたそのときの状況、その状況が積み重なって歴史ができて、その歴史の先を自分たちが生きているのならば、今まで生きた人たちの精神性は自分たちにつながっている、と思うからです。
時代から切断された今現在だけで、自分たちは存在しているわけではない。
価値観が絶対的なものではなく、時代と共に相対的に変化していくものならば、自分たちがいる場所はどういう道筋をたどって出来ているのか、と考えることはすごく重要なことだと思います。
正しいか正しくないかはともかく、司馬遼太郎はその積み重ねのバトンが昭和の陸軍の暴走で一度途切れてしまったと感じた。でもその時代のバトンを渡さなければ、「精神性を見失ったことによる不具合」が出てきて、いずれは実質的には「日本」は失われるのではないか、と強い危機感を抱いていたけれど、力尽きてしまったのではないかと思います。
非常に無念だったろうし、口惜しかった……というか、もう口惜しさを通りすぎで諦念になっていたのでは、と元記事を読むと思います。
「小説なんていう野蛮なこと」
この言葉は、本当に辛い。
この「精神性を見失ったことによる不具合」で最も大きな事件が、オウム事件だと思います。
面白いことに、「歴史の切断によりこういうことが起こるようになった」ということをテーマにして、村上春樹が「ねじまき鳥クロニクル」を書いています。その中でも「ノモンハン事件」が出てきます。
一見、まったく別ジャンルで、考え方もまったく違いそうなのに、「日本というものの歴史をつなげなければいけない」「その歪みを見つけないと大変なことが起こる」「その歴史の先に自分たちは生きているから」という意識を共有していて、まったく違う角度からそれを描いているというのはすごい不思議だなと思いました。
オウム事件のようなものを生み出した歴史とは何なのか、ということを考えずに、その「オウム事件が起こった歴史そのままを土台にして、さらに歴史を積み重ねる」と今度はどんな「鬼胎」が生まれるのか。そしてその「鬼胎」が、今度はどんな悲惨な歴史を紡ぐのか。
そういうことを考えなくてはいけないな、と思います。
もうだいぶとんでもない世の中になっているような気もしますけれども。
以上はあくまで元記事と、司馬遼太郎の小説を読んでの感想です。他の文献などを読んで感想が変わったら、改めて色々と書くかもしれません。
「司馬史観」をはじめとする批判もありますが、自分は「『日本』とは何なのか」ということを思い求めたものとしての司馬文学がとても好きです。
物語としても面白いです。