先日、増田でこんな記事を読んだ。
確かに周囲ではてなブックマークを使っている人を見たり、ブログを書いているという人にも会ったことがない。
尤も自分もリアルでは、ブログを書いていることを家族も含めて誰にも話したことはない。だからみんな誰にも話さず使っているだけで、リアルの知人のあの人もあの人ももしかしたら、はてなブロガーだったり、ブクマカだったり、ねらーだったり、がるちゃん民だったり、コマッチャだったり、YouTuberなのかもしれない。
ブログで「この前、ここに行った」等の話題を、写真などと一緒に読むことがよくある。
SNSを実名顔出しでやって、気軽に写真を投稿するような時代なのだから「身バレの危険性が~~」という懸念も時代遅れなのかもしれない。多くの人がネットに自分の日常を気軽に発信する時代なのだから、よほど問題になるような情報を発信して炎上でもしない限りは、それほど危険性もないのかもしれない。
少し前のことだが、すごく驚いたことがある。
たまたま読んだ記事で「昨日このお店に行きました。こんな料理を食べました」ということが書かれていたのだが、自分もその店に昨日行ってまったく同じものを食べた。
それほど有名とも思えない(というか有名ではない)、近所のローカルなお店だ。自分は引っ越してから足が遠のいていたので、久しぶりにその店に行った。
その人の他の投稿を見ても、家がかなり近い気がした。
なかなか面白そうなブログだったのだが、それ以来、そのかたのブログは読んでいない。別にその人が悪いわけではないのだが(当たり前だ)、ネットとリアルが近づいてしまったような怖さのようなものを感じてしまった。
リアルでは「ネット? たまにニュースをチェックする程度」という態で生きている自分としては、ブログを書いて、スターをつけたりブコメを書き込んだりしている二次元のアイコンの裏に三次元の生身の人がいる、という当たり前の事実を考えると、何となく混乱してしまう。
そういうことを考えると、自然に自分のネット人格とリアル人格も、近づくことになるからだと思う。
ネットとリアルの距離感というのは人によって違うと思うのだが、自分はネットとリアルというものは出来る限り混ぜたくない。まったくの別世界だと考えているし、可能な限りそうしておきたい。
自分にとってネットは「リアルの自分の情報発信をする場」ではなく、「リアルでは生きられない自分の仮想人格のための世界」なのだ。
そしてその仮想人格は、リアルでは絶対にはずすことができない属性(年齢、性別、学歴、仕事、家族構成など)のようなものは、極力はずした人格でいたい。そもそもそんなに特徴もないし。
人間ですらいたくない。よくわからない謎の生物がいい。
当たり前だが自分も今まで生きてきた過程があり、その過程で様々な影響を受けながら人格が出来上がっている。発信する内容はその人格からのものでしかありえない。
でもこの人はこの属性から組みあがっている人格だ、という先入観がないときに、自分という人格の発言がどう受け止められるのか、どういう反応が返ってくるかということを知りたかった。
色々なことがあったけれど、今のところおおむね満足している。
もしかしたらそんなことは本当は不可能であっても、なるべくリアルとは隔絶した場所で、リアルとは隔絶した人格で、ネットで怪電波を発信していきたい。
難しい面もある。
何かについて意見を言うとき、自分の属性を表明しなければ、著しく説得力に欠ける場合がある。
例えば就活をしたことがない人が就活について語ったり、子どもがいない人が子育てについて語る。
もちろん知識や情報だけで物事を語ることは悪いことではないし、間違っているとも言えないが、情報を受け取る側からすると説得力はかなり落ちるのではないかと思う。
「誰が語るかが重視される」というのは、文字だけのネットだからこそおうおうにしてある。この「誰」の部分を属性で見られないことが自分がやりたいことなのだけれど、それでも説得力を出す以前に、意見を組み立てることすら難しい場合もある。
よく言われることだけれど、「自分が何者であるか」ということを言っておくのはネットで支持者を集めるにはすごく重要なことだと思う。それは「誰と視点や感覚が近いのか」もっと言うと「誰の意見を代弁しているのか(しているように見えるのか)」ということは明確になるからだ。
やはり、自分と感覚が近い、立場が近いという人に親近感を抱くし、応援もしたくなる。
支持者を集めるということをシンプルに「自分をいかに好きになってもらうか」と言い換えると、できるだけ「自分が何者であるか」ということは知ってもらうに越したことはない。(開示した情報がすべて事実である必要もないし。)
つい先日も「昨日、家の近くに大型施設ができたから行ってきた」という記事を読んだが、細部が自分の家の近くにできた店舗にそっくりだった。
昨日すれ違ったあの人があの人なのかも、と想像するのは楽しい。
リアルで会うあの人もあの人も、もしかしたらはてなーなのかもしれない。
上司も同僚も後輩も友人も、もしかしたら家族で同じパソコンで言い合っているのかもしれない。
今日スタバで隣りに座ってアイスキャラメルミルクモナカを飲んでスマホをいじっていたあの人もはてブを使い、ブコメを書き込んでいたのかもしれない。
今日、あなたの隣りに座っていた人間です。
ちなみに今日はスタバに行っていない。