竹良実「辺獄のシュヴェスタ」全6卷を読み終わった。
編集部の都合なのか、作者の事情なのかは分からないけれど、最後は明らかに駆け足で打ち切りの終わり方だったので非常に残念だ。
「辺獄のシュヴェスタ」はとても面白かった。
ただ一方で打ち切りという事情を差し引いても、「物足りない」と思う箇所もいくつかある。
いいなと思った点、ここがちょっと…と思った点をそれぞれ語りたい。
良かった点:斬新なジャンルと設定
閉鎖空間、三年間耐久レースという新ジャンル
いいなと思ったのは、展開の意外さとジャンルの目新しさだ。
十六世紀の異端審問真っ盛りのヨーロッパが舞台なので、最初「乙女戦争」のような物語を想像していた。(「乙女戦争」は十五世紀の話。)
親を殺された主人公が放浪し、戦争などにも巻き込まれつつ強くなり、歴史の潮流の中で敵を倒す物語なのかな、と漠然と思っていた。
しかし養親を殺されたあと主人公のエラは、「魔女の子」としてクラウストルム修道院に移送される。修道院は高い壁で囲われおり、その閉鎖された空間が物語の舞台になる。この過酷な環境の修道院では、虐待や洗脳が行われている。
とすると「約束のネバーランド」のような、知能合戦による脱出ものになるのかなと考えた。
しかしこれまた違った。
最終的には、三年間、閉鎖された過酷な環境でいかに生き抜くかの「耐久レースもの」と判明した。
しかも個人戦かと思いきや仲間がどんどん増え、団体戦になる。
常に危機がある閉鎖空間から脱出するのではなく、そこである一定期間生き延びる物語、という発想が斬新で面白いと思った。
物語の開始当初は、「どこかで読んだことがある話っぽい。微妙かな」と思ったけれど、「耐久レース」であることが分かった時点でかなり面白くなった。
条件の設定の仕方や難易度のバランスがいい。
「三年間、耐久して生き延びる話」であれば、生き延びるための制約の内容や条件の設定(難易度設定)が物語の面白さの鍵になると思う。これがとてもうまく考えられている。
修道院で出される食事は薬が仕込まれているため、吐かなければならない。
吐いたあとは、どうやって食事を確保するか。他の季節は狩りや採集ができるが、冬は雪に足跡がついたり、森から食料は得られなくなる。冬をどう乗り越えるか。
一年前に自分たちとまったく同じ試みをして失敗した二位生のコルドゥラから情報を得て、その情報を活かしながら再挑戦する。
三年間、修道院の食事を口にせず、生き抜くためには何がポイントなのか。どこが問題となるのか。ひとつひとつの課題を考え、トライ&エラーを繰り返していく。
この設定がすごく面白くていいな、と思った。
「行動する」よりも「何もしないで耐える」ほうが難しい。
現実でもそうだけど、「行動する」よりも「耐える」ことのほうが遥かに大変だ。人は結果が見えないものには、必ず「飽きる」からだ。
生命の危機があるわけではないのに、「食事をとらないこと」に何の意味があるのか。一週間くらいならまだしも、三年にもわたって、食べたあとこっそり吐き、外に食料を確保しに行く、などという生活が続けられるのか。
物語内では、エラは一週間ごとに紐の結び目を作り、自分がどれだけ進んでいるか目に見える形にすることによってモチベーションを維持している。「強靭的な精神力で耐える」などという絵空事ではなく、こういうことを現実的に描いているところがいい。
(引用元:「辺獄のシュヴェスタ」竹良実 小学館)
あともう一点、読者が飽きるのではないかという問題がある。
実際にやっている登場人物たちが「飽きない」ように工夫しているくらいだから、見ている読者はもっと飽きる可能性が高い。個人的には「森の中のサバイバル」が面白かったのでこちらを話の主軸にして欲しかったが、それだと飽きてしまう人が多いのかもしれない。修道会内部の試練などをメインの描写にすることで物語を進めている。(これはこれで面白いけれど。)
「地獄の冬」という言葉に非常にテンションが上がったのに、食料と住居の問題が比較的あっさり解決して、その後すぐに春がきたのが残念だった。
苦労している登場人物たちには申し訳ないのだけれど、「地獄」と言われるとどうしても「どれくらい地獄なんだろう」と自分の中でハードルが上がってしまう。
(引用元:「辺獄のシュヴェスタ」竹良実 小学館)
(引用元:「辺獄のシュヴェスタ」竹良実 小学館)
「この森には、五人分の冬を賄う力はない」というのは、すごく面白いハードル設定だったので、これをあっさりクリアしてしまったのは非常に残念だった。
「辺獄のシュヴェスタ」は物語内の「難易度が高いがゆえに面白そうなハードル設定」を、主人公のエラの超人的なキャラクター性であっさりとクリアしてしまうことが多い。(物語内ではあっさりでもない設定だけれど、読者にはあっさりに見える。)
エラはとても面白いキャラだけれど「課題クリア型耐久レース」の物語との食い合わせが悪く、面白さを補強し合っているのではなく、つぶし合ってしまっている感がある。
気になった点:キャラクター描写のバランスが悪い
「辺獄のシュヴェスタ」で自分が一番気になったのは、このキャラクター設定のバランスだ。主人公のエラは物語のバランスを壊すほど強力なキャラなのに対して、他のキャラクターの掘り下げかたが中途半端で、類型的になってしまっている。
キャラクターというのはどのキャラも平等に掘り下げれば、話に厚みが出て面白くなる、というわけではない。
ストーリーとのバランス、他のキャラとのバランス、この辺りは本当に難しいと思う。
「辺獄のシュヴェスタ」はストーリーの方向性は意外で、ジャンルは斬新で面白いなと思ったけれど、それに対して主人公以外のキャラが余りにテンプレ的だ。
仲間であるカーヤ、ヒルデ、テア、コルドゥラは、性格から行動から生い立ちから、全部がテンプレートに沿ったようなキャラだ。団体戦で味方キャラのこの「退屈さ」は、正直致命的だと思う。
(引用元:「辺獄のシュヴェスタ」竹良実 小学館)
いいシーンもいっぱいあるし、いい子たちではあると思うんですけど…。
敵方にはジビレ、クリームヒルトなど面白いキャラが多いのだが、何故かそういうキャラに限って大して活躍せずに退場してしまう。
ジビレやクリームが、対立を経て仲間になるほうが面白そうだな…、と思ってしまった。
物語を動かしやすくするためにキャラをテンプレ化する、というのは有効な手法だと思うけれど、この物語の場合はそのためにテンプレ化したのではない、と思う。
キャラを掘り下げようと試みている場面が多いし、団体戦で主人公以外のキャラのテンプレ化は悪手だ。主人公以外は徹底的にキャラをテンプレ化したほうが面白くなるのは、「アカギ」のように際立った一人の天才を書く場合だけだ。(途中から失敗しているけれど)
「辺獄のシュヴェスタ」も、エラとエーデルガルト、二人の天才(?)の物語だったら、周囲のキャラはこれくらいの掘り下げでも良かったかもしれない。
エラのキャラが強烈すぎて、彼女単体で見るならばとても面白いキャラだけれど、明らかに他のキャラとのバランスが破壊されている。
ラスボスであるエーデルガルトのキャラの掘り下げが足りなかったので、なぜ彼女があそこまで「神の威光によって、人の本能が書き換えられること」を求めるのかも分からなかった。ここが描写されないと、主人公のエラの考え方との対立軸も不明確になるので、メッセージ性がだいぶ弱まる。
(引用元:「辺獄のシュヴェスタ」竹良実 小学館)
エラは最後に「お前のような人間は、ただ思い知れ」と言って、エーデルガルトを倒すが、そもそもエーデルガルトが「どのような人間なのか」ということが十分に伝わっていない。
「ただ狂信的で残酷な人」ということでは、エラの「他人の命を傷つけ奪わざるえない立場になり、自分がその重みを背負ってでも前に進み続ける」「復讐ですらなく、私の意志で行使する、私自身の暴力」とまで覚悟する生き方の対比としてまったく釣り合わない。
エーデルガルトはエラと表裏一体のキャラなので、これから掘り下げる予定だったが時間が足りなくなったんだろうな、とは思う。
その結果、この物語は主人公エラの強烈さに対抗するものがなくなってしまっており、それでいながら「一個の強烈な個性」を描く物語ではない仕掛けがそこかしこに残っている、とてももったいない物語になってしまっている。
「ここにも、あそこにも、面白くなる仕掛けがいっぱい残っているのに」
そんな感じだ。
まとめ
ちょっと辛口になってしまったが、それだけ「もったいないなあ」と思った。
打ち切りにならなければ、キャラのバランスなども上手く補正されたかもしれない。何よりエーデルガルトを初めとする、敵方のキャラがもう少し掘り下げられ、活躍の場を与えられただろうから、エラの悪目立ちもなくなったと思う。
クリームはあんなところで死ぬキャラじゃないだろうと思うし、ジビレももうひと波乱起こしてくれただろうに残念だ。
今のままでも十分面白いけれど、願わくば当初予定していた物語を読んでみたかった。
関連記事
エラたちの時代から約100年前、ボヘミアで起こったフス戦争を背景にした物語。面白いぞ~~。