うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

氷室冴子「クララ白書Ⅰ・Ⅱ」「アグネス白書Ⅰ・Ⅱ」を読んで、長く読まれる作家の特徴を思う。

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achan-kiiroitori.hatenablog.com

 

購読している黄色い鳥さんの「ことりのついばみ」の記事を読んで、ふと「あれ? この話何かを思い出すな」と思った。

そうだ! 氷室冴子の「クララ白書」だ!

 kindleで発売されていたので、懐かしさの余り購入した。思い出させてくれた黄色い鳥さんの記事に感謝したい。

 

一巻に、主人公の桂木しのぶが親友の菊花が自分に隠れて先輩と仲良くしていることに、焼きもちを焼く話が出てくる。 

二人が私の存在をまるで無視してじゃれあっているのがおもしろくなかったので、じゃあまた、といってその場を離れたものの、気分が悪くてしようがない。(略)

私はひどく腹をたてながら寄宿にもどった。菊花がだれと親しくしていようと菊花の自由で、いちいち断る必要もないけど、それにしても面白くなかった。

「どっちにしても、菊花にとって私やマッキーは、あの向井さんほど大した存在じゃないってことなんだよ」(略)

「そうか。あんたは向井さんにやきもちやいているんだ」

「悪いか」

私はふくれっ面をして黙りこんだ。

そうなのだ。

はっきりいえば、私は向井さんにやきもちをやいているのだ。

でも、もういい。菊花は好きなだけ向井さんと仲良くしてりゃいい。そのうち噂になって押し潰されて退舎処分になっても、絶対にかばってあげないからね! 嘆願の署名板なんか、回してやらないんだから。

 (引用元:「クララ白書Ⅰ」氷室冴子/集英社) 

 

しのぶは「自分の勝手な焼きもちだ」と認めつつも、親友の菊花が自分の知らない人と仲良くしているのが面白くなくて仕方がない。

もう一人の親友マッキーは、二人が夜、お互いの部屋を行き来しているので女同士の恋愛だと勘違いし、「あの二人じゃあ絵面が美しくない」と明後日の方向に文句を言う。

女子の想像力すごい。人のことは言えないが。

 

読んでいると、何だか懐かしいような、微笑ましいような、でも未だに思い当たる節があるような、とにかく「わかるなあ」という気持ちになる。

 

嫉妬は、好きや情熱の裏返し。

好きなぶんだけ独占したくなる。

真剣に取り組んでいるからこそうまくいかないときはめちゃくちゃ悔しい。

自分にないものを渇望するから、持っている人間が憎らしくもなる。

感情には裏表があるので、美しい正の部分だけ取り出すことはできない。

「天国は地獄を裏側から見たものにすぎない」って、ウンベルト・エーコも「薔薇の名前」で言っていたな。

なんて他人事のときは訳知り顔で語るけれど、いざそういう状況になったら、いくつになっても顔を真っ赤にして「うっきー」ってなったり、平静なふりをしながら口のはしがピクピクひきつったりするんだろう。

 

「クララ白書」はカトリック系の中高一貫の女子校徳心学園に通う女の子たちの物語だ。

中学校寮が「クララ」高校寮が「アグネス」という名前で、タイトルはそこからとられている。

主人公の桂木しのぶは一年生の時から徳心学園に通っているが、中学校三年生からクララ寮に入ることになる。

「伝統の入寮テスト」を受けなければならなかったり、寮内の人間関係に巻き込まれたり、憧れの先輩と文化祭で共演することになったらファンクラブに呼び出されたり、同室になった子とうまくいかなかったり、女子寮内のありとあらゆる人間関係が描かれている。

人物も関係性も面白可笑しくデフォルメされてカリカチュアライズされているが、その根底には女性であれば大抵「あるある!」と思わず膝を打ちたくなるような人間関係の機微が描かれている。

 

氷室冴子は、特に年頃の女性の「あるある」を描くのがすごく上手い。

自分が個人的に深くうなずいたのは、「海がきこえる」でヒロインの里伽子が高校時代お互い嫌い合って喧嘩したクラスメイトと同窓会で再会したときに、「『久しぶり~~!』って言い合った」というエピソードである。

自分だったらどうか、ということではなく、「そういう状況下で、そういうことはいかにもありそうだ」ということを読み手に納得させるのがすこぶる上手い。

 

極端なキャラや感情を描くのももちろん難しい。

人間離れした強力なキャラや残酷なキャラ、人を惨殺するようなサイコパスだって、読み手に納得させるような描き方をするのは技量がいると思う。

 

でもそれ以上に普通の日常を面白おかしく描いたり、「こういう人いる」「こういう感情に覚えがある」と読者にありありと感じさせ、なおかつそういうキャラが魅力的であり面白いと思わせるのはかなり難しいんじゃないかと思う。

 

氷室冴子が描くキャラは、一風変わった変人ばかりだが、彼らの吐く言葉や彼らが感じる感情は自分も人生のどこかで聞いたり、感じたりしたことがあるように思うものばかりだ。

中高生をターゲットにした少女小説でありながら、大人になったいま読んでも面白い。うんうんとうなずきながら読んでしまう。

 

「クララ白書」の桂木しのぶや「多恵子ガール」の主人公多恵子は、「同性に人気がある女の子」だ。何となく想像がつくと思うけれど、男のような女子以外で「同性に人気のある女の子」を女性が納得するように描くのはかなり難しい。

氷室冴子はその辺りも非常に上手い。

逆にそういった「同性に人気のある女子」に反感を抱く人間の気持ちや、「協調性がなく我儘放題なのに、何故か異性に受ける女子」に対する同性が抱く微妙な感情などの描写も上手い。

主人公のしのぶや多恵子に、「あなたみたいに素直に感情を出せて、誰とでも仲良くできる人ってイラつく。嫌い」と言う朝衣や律子の気持ちにも共感できるようになっている。

「何もしていないのに自分を嫌う人間がいる」と知ったときに衝撃を受けるしのぶに「世の中そんなもんやで」と思ったり、「でも自分も相手を嫌いということを表明すると、相手が孤立してしまうのではないか」と、そんなショックの最中でも相手のこともきちんと考えるしのぶはやっぱりいい子だよな~と思ったり、自分が同性の間で味わった感覚をあまさず想起できるような作りになっている。

 

「クララ白書」が刊行されたのは1980年だ。少女小説の古典と言っていいだろう。自分も初めて読んだのは、ずいぶん後になってからだ。

物語の中ではディスコやキャバレーなど、今は死語となった言葉も使われている。中学生も携帯を持っている現代では起こらないだろうすれ違いなども、事件の肝になっていたりもする。

でも、その中で登場人物たちが生きている日常や、感じている感情は、いつの時代も変わらないものだ。スマホを持っても、SNSが出てきても、中学、高校を卒業して大人になっても「ああああ、わかる~~」という感情や人間関係が描かれている。

そういう普遍的なものが描かれているものが、何十年、何世紀たっても読み続けられる作品ではないか、と個人的には思う。

ジェーン・オースティンとか、今の時代に生きていたらカリスマコマッチャとして君臨していそうだ。

 

氷室冴子の作品は、中高生女子を対象に書かれていながら、大人になってから読んでも面白い、稀有な少女小説だ。「海がきこえる」で一般的な認知度も広がったので、これからどんどん作品を発表して欲しかった。亡くなったのが残念だ。

 

 「海がきこえる」のいいところは、ヒロイン里伽子の「何だこいつ?!」感だと思う。「1」があったからこそ、「2」でデレたときの可愛さが余計いい。

 

「クララ白書」と「丘の家のミッキー」は設定がかぶっているだけに、氷室冴子と久美沙織の作風の違いがわかって面白い。今度、読み比べしたい。 

 

ジェーン・オースティンがブログを書いたら、めっちゃ面白そうだな。