『ゲーム・オブ・スローンズ』が描く「独りよがりな正義や愛の衝突」と「罪や後悔から生まれる本物の絆」の世界 対談:☆Taku Takahashi(m-flo/block.fm)×田中宗一郎 | FUZE
この記事を読んで、改めて「ゲーム・オブ・スローンズ」って面白いよなあと思った。
「ゲーム・オブ・スローンズ」のいいところは、視聴者が全肯定しやすいキャラがいないところだ。
例えばシーズン1では比較的「正しい善玉キャラ」であるネッドも、後にティリオンやデナーリスの力強い味方になるヴァリスに偏見に満ちた態度をとる。
ヴァリスは悪辣ともいえる陰謀をめぐらすキャラなので、普通のドラマであれば「ああ、こいつはネッドも嫌っているし、デナーリスを暗殺しようとするし、『悪い奴』なんだな」と視聴者が思うようなキャラだ。
しかし非常に不遇な子供時代を送って、スパイ行為を続けることで彼は今の地位に這い上がったことが分かる。
彼は別に「善玉」でも「悪玉」でもなく、そのときそのときの「自らが正しいと思うこと」を遂行する。視聴者が感情移入するキャラが変わろうとも、ヴァリスはただ自分の理屈にのっとって生きている。
ティリオンを助け友人と呼ばれ、デナーリスに仕えようとしたヴァリスを視聴者が見直す段階になっても、殺されかけたデナーリスはそのことを厳しく糾弾する。
「味方になろうとしているのだからもういい」「シーズン1の話じゃないか」とは決してならない。
またネッドは、狂王を殺したジェイミーに対しても「王殺し」と呼び、軽蔑を隠そうともしない。
これまたシーズン3で、狂王が民を虐殺しようとしたのでやむ得ず騎士の誓いを破って殺したのだ、ということが明かされる。
しかし「善玉」の立ち位置に見えるはずのネッドが、ジェイミーの「騎士の誓いを守って、民が焼き払われるのを黙って見ていれば良かったのか」という問いに答えることはなかった。
そのジェイミーもまた高潔な騎士には程遠く、口封じのために幼いブランを突き落としたり、キャトリンに性的な侮蔑の言葉を吐いたりする。
しかし彼が別の場面では、自分の命を賭けてブライエニーを助けようとする。
物語外の人間の価値観や基準で測れない、正にそのドラマの中の人間関係で、「ゲーム・オブ・スローンズ」のキャラは憎たらしくもなり、応援したくなる愛すべきキャラになったりする。
主人公格であるジョン・スノウやデナーリスでさえ、様々な矛盾に悩まされ、時には愚かだったり間違った行動をとる。
「ホワイト・ウォーカーの脅威の前には、野人と壁内の人間で争っている場合ではない」
というジョン・スノウの言葉はその通りなんだけれど、何の罪もないのに野人に目の前で両親を惨殺されたオリーが、ジョンに対して反感を抱く気持ちを分かる。
ましてやジョンは、仕方がなかったとはいえ一時野人の仲間になり、野人であるイグリットと恋人同士にもなっている。
ずっとジョンを敵対視し、卑怯なふるまいばかりしていたアリザー・ソーンは、処刑のときは非常に威厳と信念に満ちた言葉を吐く。
もし自分がナイト・ウォッチの人間だったら、彼らを善悪で選ぶことはできず、結局は「どちらが自分にとって都合のいい、受け入れやすい言葉を吐いているのか」という基準で選ぶことになるのではないか、と思わせる。
どちらの言い分にも瑕疵があるし、どちらの言い分にも一理ある。そう見えるようになっている。
デナーリスは奴隷たちを磔にして道標にしていた親方たちを罰として同じように磔にしたが、その中には親方たちの非道な行いに反対していたヒズダールの父親も混じっていた。彼は他の親方たちを諫めていたのにも関わらず、同じように磔にされた。
一人一人個別に詳細を調べて裁くには権力基盤が整っていないし、人手も足らない。そういう権力の「ずさんさ」もきっちりと描かれている。
またデナーリスはシーズン7でティリオンの進言をはねつけて、自分に逆らった人間を普通の方法で処刑するのではなく、ドラゴンの炎で生きたまま焼き殺した。
これもティリオンの言い分が冷静で尤もなように見えるが、デナーリスがこれまで「無力な女である」ということでどれだけ侮られ、利用されてきたかを考えると「自分に逆らう者は容赦なく焼き殺す」というのは「デナーリスがデナーリスとして生きてきた中で身に着けた方法」という風に見える。
実際、彼女はシーズン1から自分に服従せず、自分を侮辱する人間はことごとく焼き払っている。
「そのキャラがそのキャラとして生きてきたからこそそうする」という行動原理が、他のキャラや視聴者への心証を配慮してぶれることがほぼない。
「長い目で見ると損かもしれないのに、なぜ、そんな残酷ともいえる処刑方法をとるのか」というのは、「それは彼女がデナーリスとして生きてきたからだ」 他の生き方をしていた人間には分からない、彼女の人生の経験則から導きだされた行動なのだ。
それがデナーリス以外の人生を歩んできた人間には、時にはとても愚かで残酷に見える。
野人に囲まれたジョン・スノウを助ける救世主の役割を果たしたスタニスが、数話後にはラムジー・スノウによって全滅の危機に瀕する。そして追い詰められて、愚かにも火の神への生贄として、自分の娘シリーンを焼き殺してしまう。
しかしもちろん何の奇跡も起こらず、破れたスタニスは「レンリーの仇」としてブライエニーに殺される。
ブライエニーも忠義に厚い高潔な騎士だが、「物語的には大して重要でもないし、いい奴にも見えないレンリー」に異常に入れ込んでいて、その部分においては愚かにさえ見える。
キャトリンは娘を助けるために、貴重な捕虜であるジェイミーを逃すという裏切りを働き、ロブは恋に迷って、絶対に味方にしなければいけないウォルダー・フレイの娘と結婚する約束を破棄し相手を激怒させ、最終的には妻のタリサともども殺される。
この二人には「ノブレス・オブ・リージュ」もへったくれもない。
平時でさえそう思うが、戦争中で絶対に必要な捕虜や同盟と比べてさえ、自分の感情や事情を優先させてしまう。
「善玉」の立ち位置であるに関わらず、見ているほうがあっけにとられるくらい愚かだ。
その他にもジョンが尊敬するジオ・モーモントは、自分たちのナイト・ウォッチの責務のためにクラスターの非人道的なふるまいに目をつぶっていたり、サンサはジョンに助けられたあとも「落とし子」であることに偏見を持っていて、ブランに「スターク家はあなたに継ぐべきでは」と言ったり、主要登場人物たちの「正しくなさ」は枚挙の暇がない。
どんなに聡明だったり正しかったりするキャラでも、ある物事に関してはとてつもなく愚かになったり、追い詰められるととんでもない行動に出たり、時には正しくない行動を自分の利益のためにとっていたり、義務や理屈では割り切れない生き方を登場人物全員が与えられた状況下で必死にしているからこそ、「ゲーム・オブ・スローンズ」は面白い物語なのだろうなと思う。
逆にジョフリーやラムジー、クラスターやロックなど、はっきりとした「悪玉」ならいくらでもいる。
暴力と欲望が支配する世界では、「悪辣な暴力とそれよりはマシな暴力しかない。そんな世界で人はどう生きるのか」ということを真っすぐに描いているのが、この物語の一番魅力的な点だと思う。
「ゲーム・オブ・スローンズ」は、多種多様なキャラが出てくるので「どのキャラが好きか?」「どのキャラが嫌いか?」でも好みがかなり分かれそうで面白い。
自分の好きなキャラは、男だとブロン、ダヴォス、ハウンド、バリスタン・セルミーだ。
あとシオンには同情している。上記で書いたことを象徴するようなダメな奴だけど……弱い奴だけど……色々とやらかしたけれど、それでも何とか最終回まで生き延びて平穏な人生を送って欲しい。
女キャラだとデナーリス、ヤーラ、シリーンが好きだ。
シーズン7の最後で、デナーリスとジョンがくっついたのにはびっくりした。「ゲーム・オブ・スローンズ」を見ていて一番びっくりしたのはこれかもしれない。
自分から見ると全然、合いそうにない二人なんだが…。そんなこともないのかな?
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というわけで、シーズン8を楽しみにしている。