*この記事は、下記の記事に書いた「秒速5センチメートル」の個人的な解釈と感想を前提として書かれています。
「秒速5センチメートル」の何が怖いか。
貴樹が「孤独な場所」に閉じ込められる原因がわからないところだ。
原因がわからないのだから、あの結末を避けようがない。
ある日、道を歩いていたら、突然ブラックホールが出現して吸い込まれてしまいました。おしまい。
そういう理不尽さ、訳のわからなさがあの話の恐ろしさだと思う。
前に「因果がわからないこと、理不尽なこと、意味がわからないことが一番怖いから、ホラーはそういうものが好きだ」と書いたことがある。
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まさかホラーではないジャンルで、ホラーの理想形を見られるとは思いもしなかった。
「因果がない」ということはありえないことだけれど、それが人間の目から見たら計り知れないことだったり、ある人物の視点ではとらえきれないほど巨大な因果だったりすれば、そのなかに取り込まれてしまった人間にとっては「ない」と一緒だ。
例えば「残穢」は、現代で人々を悩まし、時には死においやる「穢れ」の原因は何なのかを探る話だ。
調べても調べても根本的な原因にはたどり着かない。
最終的には明治初期の北九州の炭坑事故にたどり着く。
その事故で死んだ人々の怨みが穢れとなりすさまじい勢いで拡大していき、現代に影響を及ぼしていることがわかる。しかもその穢れからの怪異で死んだ人が、さらに穢れとなり強大化していく。
自分に起こる怪異の原因が元をたどれば明治時代に遠くの場所で起きた事故、なんてことがわかるはずもないし、それが原因で被害にあうのは余りに理不尽だ。
自分は何もしていない、直接的には関係すらないのに、いつの間にか巻き込まれてしまい、訳もわからずひどい目に合う。
自分がなぜ、そんな目に合わなければならないのか理由すらわからない。
村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は、この「訳もわからず、自分には理解できない因果に巻き込まれてしまう」不可解さと理不尽さ、恐さを、非常に上手く描いていると思う。
多崎つくるは、シロが囚われている恐ろしい運命の因果の余波を喰らっているだけだ。だからつくる視点で読むと、何が起こっていて、どうして自分がこんな目に合うのか訳がわからない。*1
なぜ、シロはつくるに性的関係を強要されたと嘘をついたのか?
シロの身の上に、起こったことは何だったのか?
誰がシロを強姦し妊娠させ殺したのか?
沙羅には、本当につくるとは別の恋人がいるのか?
あの物語はつくるが主人公なので、恐るべき因果のほんの余波程度のものがフォーカスされて、つくるの人生に重大な影響を与えたもの、人生観を変えてしまったものとして描かれている。
余波であれだけのダメージを受けたのだから、本当のことを知ってしまったら、どうなってしまうのだろう。沙羅の本当の目的を知ったとき、一体何が起こるだろう。恐くて考えられない。
「秒速5センチメートル」も、あの先の展開を考えると、貴樹が明里を殺すルートも可能性として考えられる。
恋の恨みから、ではなく、貴樹の視点に立った場合、あの世界から抜け出す方法は現在の明里を殺すくらいしか思いつかないからだ。
もしくは貴樹にとってはかりそめの世界である、現実世界を破壊するとか。
そういう展開を、例えば明里の婚約者に視点を固定して物語を見た場合、なぜ自分の婚約者が中学生のときから、音信すら途絶えていた初恋の男に殺されなければならないのか、訳がわからないと思う。その因果を解明する情報がほとんどないからだ。
貴樹は狂っている、くらいしか解釈のしようがない。
実際、「多崎つくる」では、原因がわからないから「シロは元々神経を病んでいた」という原因に全てを押し付け、つくるとクロはそれで納得してしまっている。
シロを殺したのは誰なのか、ということも
「神経を病んだシロを、色々なものが追いつめた。自分もその1人だった。だからある意味、自分がシロを殺したと言えるのかも」
という訳のわからない理屈で、整合性をつけている。
こんな無茶苦茶な理屈を考え出すくらい「意味がわからない」ということは、人にとって耐えがたいなのだ。
シロは自分の身に起こったことを認めることができず、「本当に駄目になってしまう」ギリギリの淵で「つくるに襲われた」と嘘をついた。
つくるから見れば、余りにひどい理不尽な仕打ちだが、シロの側から見れば他にどうしようもないほど悪霊に追いつめられていた。
「秒速5センチメートル」の貴樹とシロを重ねると、「秒速5センチメートル」は悪霊に取りつかれた人間が追いつめられる過程の話にも見える。
「秒速5センチメートル」が、さらに怖いのは因果のアンバランスさだ。
なぜ、初恋の女の子に会いに行き、「この先も大丈夫だと思う。絶対」と言われたことが、第三話につながってしまうのか?
「この先も大丈夫だと思う。絶対」という言葉は、物語においては普通は先々の展開の予言になる。
「まったく大丈夫ではなかった」第三話の原因がわからない。
貴樹は明里に会いに行く旅を途中で引き返すべきだった。
もしくは、手紙をなくすべきではなかった。
自分が見た限りでは、それくらいしか原因が思いつかない。
しかし物語内では、明里と貴樹の初恋はとても美しいものとして描写されている。普通は、それが恐ろしいものであれば、恐ろしいものとして暗示されている。
「秒速5センチメートル」では、豪徳寺から岩舟の旅路で、それがどれだけ危険で恐ろしく、踏み入れてはいけない旅かはきちんと描かれているでしょう、と見る向きもあるかもしれないが、他の物語のように「岩舟にはいかないほうがいい」「どんなことがあっても、手紙は失ってはいけないよ」と言われるなど、もう少し分かりやすいヒントが欲しい。
「そんなことでまさか」と思うことで、恐ろしいものにとりつかれてそこから抜け出すことができなくなる。
お地蔵さんを蹴っ飛ばしたわけでもないし、誰かをバカにしたわけでもない。
初恋の女の子に、4時間かけて頑張って会いに行った美しい思い出が、なぜ第三話のような荒廃した孤独な世界に閉じ込められる原因になってしまうのか。
自分が「秒速5センチメートル」が怖いと思ったのは、その理不尽さと不可解さだ。
自分に理解できない巨大で複雑な因果に巻き込まれて、ある日いきなり這い上がれない深い落とし穴に落ちるようなことがありうるのは、現実だけであって欲しい。
因果が見えない物語を楽しみつつ、余りに怖いとついそう思ってしまう。
*1:最初に読んだときは、「何だか意味のわからん話だな」と思った。ネットである人の考察を読んで腰が抜けるくらい驚いた。この記事は、その解釈を前提にして書いている。謎解きの出題編部分だ、と気づかなかった…。