この記事では乃木坂太郎「幽麗塔」の犯人「死番虫」の正体を明かしています。未読のかたは犯人を知らない状態で、本編を読まれることをおススメします。
「幽麗塔」を読んで、「物語の構造上ありえない人間を犯人と思い込んでしまった自分の反省」プラスそこから考えた、ウザめな物語論を語りたい。
二人の後ろにさりげなく映りこんでいる紗都子、山科、原田がいい。
主要登場人物が少ないから、犯人は事実上、丸部、陣羽笛、山科の三択だ。
かなり早い段階から、山科が犯人だろうと思っていた。鉄雄と天野が逃亡中のときも連絡を取っていたので、二人の動向もわかっていた。不変木の周辺の状況も探りやすい。
ただ山科が犯人だと考えると、テスラに捕まったときのエピソードが非常にひっかかる。
(引用元:「幽麗塔」2卷 乃木坂太郎 小学館)
「殺人は人を永久に変えてしまう」
これは「幽麗塔」全編に貫かれている主要なテーマのひとつだ。
「人を殺す」とはどういうことなのか、結果的に義母を殺害してしまった鉄雄はこの点にずっとこだわり続けている。
鉄雄だけではなく「死番虫」も、「自分を殺人者に変えたのはお前だ」「お前を理解できるのは俺だけだ」と鉄雄に言うなど、「殺人者であることは、他の人間とは異なる存在になり、永久に孤独になることだ」ということを繰り返し語っている。
「殺人は人を永久に変える」というのは、「幽麗塔」という物語の中では絶対的な法則だ、ということを語っているのが「テスラ初登場」のエピソードだ。(最後の最後でこの法則を乗り越えるのが、「幽麗塔」の重要なテーマのひとつでもある。)
このエピソードでは、「殺人者である鉄雄」と「殺人をしたことがない天野、山科」を対比し、さらには「殺人者である鉄雄」と「どんな人間の命も大切にするがゆえに、命を数字でのみ考えるテスラ」も対比している。
(引用元:「幽麗塔」2卷 乃木坂太郎 小学館)
二重に「人命に対する価値観」「殺人をするとはどういうことなのか」を語ることで、殺人という重みを背負うことはどういうことなのかを描いている。
このテーマは、「殺人者の絶対的な孤独」「殺人はどう償われるべきか」という全編に渡って語られるのテーマの土台となる。
この全編に渡るテーマの土台となるエピソードで、「殺人者鉄雄」との対比になっている山科が、「実は殺人者である」ことはありえない。
「殺人者鉄雄」と「殺人をしていない山科」に違いがあるから「殺人は永久に人を変えてしまう」というテーマが成り立つ。このエピソードの時点で山科が殺人者であれば、この法則は成り立たないことになってしまう。
物語の構造を考えると、このエピソードが丸々無駄になる……どころか、物語の土台をひっくり返してしまう。
物語の他の要素で例えれば、「男としての天野が『アキラ』(鉄雄ではなく)を女と認識して襲う」くらいありえない。物語で描いてきたものを、丸々ぶち壊すような展開になってしまう。
ここはかなり引っかかっていたのに、それ以上深く考えずに「山科だろう」と思い込んでしまった。陣羽笛が文に襲われたときに、「おおっ、やっぱり」と思ったし。(恥)
あの叙述トリック?にはやられた。
陣羽笛はまったくノーマークだった。「往年のカミソリ」にはちょっと引っかかったんだけど(言い訳)
ちょっと考えればわかるのに、こだわっているようで詰めは適当、というのは自分の悪い癖だ。
この「殺人者はどう裁かれ、どう罪を償うべきか」というテーマの落としどころにも感動した。
「僕には君の苦しみを知らない人たちに、君を裁く資格があるとは思えない」
「わからないこそ、君を公正に裁ける世界を創らなきゃいけないんだ」
「償うのは、その後だろ!」
「アキラは虐待されていたんだから仕方ない」
その辺りで結論は落ち着くのかなと思っていたので、こう来たか!という感動が半端なかった。
もうひとつの重要なテーマである「マイノリティが自分を偽ることなく暮らせる世界を創る」とも綺麗に組み合わさっている。
社会的なテーマと本格ミステリーはものすごく食い合わせが悪く、この二つを両立して語るのはかなり難しい。結局、どちらかに比重が偏るケースがほとんどだと思っているが、「幽麗塔」はバランスよくまとまっている。
すごい。
ということも含めた感想も、今度熱く語りたい。