13話で最終回と聞いてびっくりした。
「続きは劇場で」か。
それにしてもだ、シーズンの切り方がおかしくないか? 何でひとつの会戦の途中で切ったんだろう? 終盤のやっつけ具合を見ても、尺を見誤ったとしか思えない。
序盤を見たときは、「思ったより悪くないかな」と思っていた。
【ネタバレ感想】「銀河英雄伝説-Die Neue These-」を三話まで見たので感想を語りたい。
キャラデについては色々と言いたことはあるが(後で言う)、始まってみたら思ったより違和感がなかった。
原作ファンや旧アニメ版ファンとは違う層を取り込みたいなら、キャラは一新したほうがいいと思う。
ただ最初は「これはこれでいいかもしれない」と思ったが、見続けていくうちにどんどんイマイチだなあと思うようになった。
原作の部分はただなぞっているだけで、そこに特に必要もないし、キャラにふさわしいとも思えない自分たちのやりたいことをくっつけている。
すでにある程度固まっているキャラの背景を理解したうえで、脚本を描いたり演出を考えているようには見えなかった。
例えば民間人を飢えさせて、同盟の備蓄を限界まで吐き出させる、という手法に不満を持っているキルヒアイスにラインハルトが声をかけるシーン。(12話)
このシーンは、ラインハルトとキルヒアイスの考えが後々対立することを暗示するシーンだ。これがヴェスターラントにつながり、キルヒアイスの死につながる。
このシーンで重要なのは、「これからもどんどんこういうことが出てくるけれど、キルヒアイスに自分の心情を分かって欲しい。いや、キルヒアイスは、やりたくてやっているわけじゃないという俺の心は全部分かって、その行動も受け入れるべきだ」というラインハルトの甘えだと思う。
このラインハルトの甘えのせいで、キルヒアイスは命を落とすからだ。
ところがアニメでは、このシーンのラインハルトとキルヒアイスの距離感が完全に上司と部下だ。「勝つためだ、キルヒアイス」が、「分かってよ」という感じよりも「当然だろ?」というニュアンスに聞こえる。
他と比べるのは悪いと思うんだけれど、一応載せておくと道原版はこう。
(引用元:「銀河英雄伝説」 道原かつみ/田中芳樹 徳間書店)
13話のポプランと整備士の争いも、なぜ変えたのかがよく分からない。「機体に代わりはいないが人の命は代わりがある」云々のセリフが、現代ではマズイと思ったのか?
あのシーンは、そういう心無いセリフが出てくるくらい同盟が追い詰められている、そして戦争というのはここまで殺伐とした空気になるのだ、ということを表すシーンだと思う。
不眠不休で整備をしていたら殺伐として当然だし、そのミスで自分が危機に陥り、仲間も二人死んでいれば、言い訳も耳に入らないくらい熱くなるのもわかる。
そういうポプランをコーネフが声をかけることで、二人の性格、関係も描いていると思うのだ。
命にかかわるミスを連発するくらい不眠不休飲まず食わずで働き疲弊している、という割には、整備士たちの声も見かけも雰囲気も疲れきっているように見えない。内容を変えるならば、描写をそれに合わせないと、スポーツの試合の勝ち負け程度の話をしているようにしか見えなくなってしまう。
大人の事情で改変せざる得ないのであれば、そういうところも気を配って欲しい。
都合の悪い部分や自分たちが変えたい部分だけを場当たり的に変えているので、物語の他の部分とのつながりが不自然になる、ということがこのアニメではしょっちゅうだ。
帝国とフェザーンの力関係どころか、フェザーンが何なのかもよくわからない。
アムリッツァの配置図も見せないので、艦船内でキャラがそれぞれの状況を説明するだけだ。
ただあらすじをなぞって、原作にある台詞をキャラに言わせているだけで、初見の人にも状況や相関図を分かりやすくしようという配慮が感じられない。
文章では説明できることを映像でどう見せるか、考えるのは大変だと思うけど、それをどこまでできるかが映像化の腕の見せどころだと思う。
キャラが多いし、多少の省略やわかりやすさ重視の変更は仕方がないと思う。
ただその一方で、必要があるのか分からないオリジナル要素が多いのも疑問を感じる。
ジェシカが一度、ラップのプロポーズを断って教師になったり、政治家になる前にヤンのところに相談に行ったり、ジェシカに対するこの入れ込みようは何なんだろう。
ローゼンリッターを訪れたときのフレデリカの立ち回りといい、女性の自立を描きたいのか。
自分も銀英伝は、女性政治家や軍人の比率が少ないのは時代的に不自然だと思う。女性の登場人物は、男性の前に出ないような保守的なキャラが多いのも残念だ。
でも「銀河英雄伝説」はすでにそういう物語として完成しているので、無理にその不自然さを改善しようとしなくてもいいと思う。
少ない尺を消費して、どこにつながるわけでもない女性キャラの自立を描いても仕方ないだろう。そういう話じゃないし。
むしろ道原かつみ版のように、女体化のほうがまだいいかもしれない。
キャラデの話ももう色々な人が色々なことを言っていると思うけれど、これだけは言いたい。
トリューニヒトとビュコックのキャラデに納得がいかない。
旧版のほうが良かったというのではなく、この二人の設定を知っていたらこんな外見にするかな、という思いが強い。
トリューニヒトは独身で華やかな外見で女性人気があることが武器のひとつなのに、どう見ても善良なマイホームパパのようにしか見えない。
ビュコックは一兵士から艦隊司令官にまでたたき上げで上り詰めている。そういう傍流の偏屈さやある種の粗野さのようなものが一切感じられない。
文章と違ってそういう背景をいちいち説明するわけにはいかないからこそ、パッと見でその人物がどういう人なのか、どういう経歴でどんな人生を歩んできたのか分かるような外見にすることが大切なんじゃないかな。
オーベルシュタインはもっとキモいほうがいい……というより、非人間的な不気味さを出すためにああいう外見設定にしたんだと思う。
13話に出てきたオイゲンにも、だいぶやられた。
「これだけは」と言いつつ、言い出すとキリがないな。
色々な事情が絡むのは仕方がないし、省略や改変も仕方ない。
改変もキャラデも、既存のものとは別の「このキャラにはこういう要素もあるからこうしよう」という独自の解釈があるものならば、好き嫌いはあっても楽しめたと思う。
部下に「自分達には女っけなくて、あぶれて寂しいですね」と言われたときに、思わずエヴァのことを思い浮かべて話すミッターマイヤーや、恋人に「あなたの心が欲しい」と言われたときに「それはない。幼いころ作り損ねた」と返すロイエンタールを描いた道原かつみ版は良かった。
原作のキャラを掘り下げて、原作では見られなかった面や解釈が見られる。それがアニメ化、漫画化、スピンオフの醍醐味だと思う。
ただ原作の映像化ならば、原作を読むか旧アニメを見ればいいと思ってしまう。
「銀河英雄伝説-Die Neue These-」を見ていて一番残念だった点は、「これを作ったスタッフは銀英伝が特に好きじゃないのかな」と感じたことだ。
公式にファンと書いてあったけれど、アニメを見た限りでは残念ながらそうは思えなかった。
ファンならこんな中途半端なところで、シーズンを切らないだろう。宣伝目的にしても余りにも訳わからなさすぎて、逆効果に思えるし……何なんだろう。
もしかしたらシーズン2以降は、原作への愛が感じられつつ、新しいものも見られる作品になるかもしれない。
ネットで放映されるのを気長に待とうと思う。
これをきっかけに道原かつみ版を読み返した。
ベーネミュンデ侯爵夫人のエピソードは、原作よりも好きだ。
旧アニメはチラ見しかしていない。Amazonで放映して欲しい~。
(追記)「ニコニコ動画」の公式でやっていると教えてもらいました。ありがとうございます!