うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

地下鉄サリン事件を実行したエリート医師の恐るべき純粋さ 林郁夫「オウムと私」感想

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地下鉄サリン事件の実行犯の中で、ただ一人、極刑を免れた林郁夫が自らの生い立ちとオウムに入信した経緯、出家したあとのオウムでの日々をつづった本。

 

林郁夫は医者の父親と薬剤師の母親の間に生まれ、慶應義塾中等部、高等部を経て慶應大学の医学部に進み医者になる。専門は心臓血管外科で、将来を嘱望されていた文句なしの超エリートだ。

 

オウムには高学歴の人が多いけれど、林郁夫のように社会人としてのキャリアも積んでいる人はそれほど多くはない。

「生まれつき環境にも能力にも恵まれて、トントン拍子でエリート街道を歩んで華々しいキャリアを積んできた。周りの人たちから信頼され敬意を払われ、お金もあり、家庭も持って、将来はバラ色。もうこれ以上望むものなどなさそうな人がなぜオウムに??」

その疑問の答えを知りたくて、この本を手にとった。

 

林がオウムに入信したきっかけは、医者としてガン患者などと接するうちに、「いくら力を尽くしても、救えない命がある医師の仕事に疑問を持つようになり、宗教に興味を持った」と思っていた。

本書を読むとそうではなく、高校生のときから「宇宙論の本に親しみ、存在とは何か、無常観について考えていた」ようだ。

臨床医として患者さんの死に接しているうちに、「自分は死について何もわかっていない」という思いを持ち、そこから高校生のころから持ち続けている「人生のテーマ」(!)について改めて考えるようになる。

 

私は、このような、現代の科学が避けていたり、あるいはただ考えていても解けないような問題を解決してくれる法則があるはずだ、それを追求したいという、高校以来の「人生のテーマ」をあらためて強く意識するようになりました。

(引用元:「オウムと私」 林郁夫 文春文庫 P31 )

林は仏教に興味を持ち、桐山靖雄が創設した阿含宗の信徒になる。

 

読む前は「オウム入信につながる序章程度」にしか考えてなかった阿含宗の修行時代が、読んでいて一番面白かった。

阿含宗がどういうもので、仏教のどの部分をどう解釈して立ち上げたのか、それについて林郁夫がどう考えていたのかということが、すさまじい熱量で書かれている。

読んでいて頭が痛くなる仏教用語の羅列のような文章が延々と続くので読むのが大変だったが、それでもその熱意に引きずられ、引き込まれてしまう。

「全身全霊をかける」というのはこういうことか、と感心すると同時に、そののめり込みかたが怖く見える。

 

本筋であるオウムに入信した経緯、オウムでの日々の描写はかなり退屈だった。

なぜ、こんなに面白くないのか。

林郁夫は、周囲の人々に対する興味がまったくないからだ。

 

この本には、林の病院の同僚やら麻原をはじめオウムの人々も出てくる。しかし本書の中では、これらの人々には個性がほとんどない。

病院で世話になった医師や指導教授に対して尊敬の念を口にしたり、家族の身を案じたり、麻原への印象を語ったりもしている。

しかし、林自身が彼らをどう思っているか、彼らはどういう人間なのか、自分と彼らはどういう関係だったのかということは、ほとんど語られない。

麻原でさえ「グルとして適格かどうか」という観点以外の「人間、麻原」については、まったく語られていない。

林はオウムの中では同じ医師の中川と最も関わりが深かったらしく、本書でも中川の名前が頻繁に出てくる。しかしその人物像が、頭のなかにまったく思い浮かばない。「中川」という名前の物体に過ぎない、と言われても納得してしまいそうだ。

 

「誰がどうした」という事実に対して「このときはこう思っていた」という感想や自分の内面の葛藤については語られているものの、他人に対する関心はほとんど見られない。

オウムの中では個人と個人の関係は「煩悩」なので考えないようにしていた、そういう感情を消そうとしていたというのはあるだろう。

このことについては林本人も「麻原に人格があるとは考えていなかった」と語っている。この思考停止が事件の遠因としてあった、ということも認めている。

 

しかしこの本を読んでいると、オウムの内部が思考停止するような構造になっていた、ということとは別に、林は元々他人に興味がない人なんだろうなという印象を受けた。

570ページにも及ぶこの本の中で、林が共犯であるオウムの仲間について人柄を言及したのは、井上嘉浩は年齢などの世俗の価値観も考慮するので話しやすかった、ということと、林泰男がサリンの袋を人より多く引き受けたのを見て、人柄ができていると感じたこと、地下鉄サリン事件以後に一緒に逃亡していた松本剛の人柄に触れたくらいだ。

 

華々しいキャリアや称賛、現世的な富や成功にも興味がなかったのだろう。

この本にはそういった類のことが一切、書かれていない。

林は昭和53年から56年まで、デトロイトの病院に留学しているのだが、この間のことはわずか5行ほどで終わっている。

しかもその5行に書かれていることが、「サンフランシスコ在住の人に、阿含宗の千座行のやり方を教えにいった。デトロイトからかなり距離があるが、仏教を広められる!という喜びから往復していた」ということだけだ。

デトロイトで出会った人のことも、その街並みや暮らしぶりも一切、書かれていない。

このころ結婚したが、妻には「仏教のこと、阿含宗のこと、桐山師のことばかりを話していた」らしい。 

とにかく一刻も早く、何が何でも解脱したい。その思いが紙面から溢れんばかりにほとばしっている。

 

林郁夫という人は、世俗のことにはほとんど(というより、恐らくまったく)興味がない。

彼が興味を持っているのは、「解脱して矛盾に満ちた世界に生きる人を救いたい」という思いと「医師としての矜持と倫理」この二つだけだ。

「自分が救うべき人々への情熱」「人類愛」は大量に持っているが、「個人としての他人」にはまったく興味がなさそうだ。

 

自分が読んで理解した限りでは、解脱するためにはその方法を心得ている師に導いてもらわなければならない。そうでなければ我流になってしまう、という考えが元々仏教のベースにある。

「自分を解脱に導いてくれる師は、絶対的な存在である」という発想が、オウムに入信する前から林の中にあった。

 

阿含宗では解脱に至る覚醒のために、千座行を日々欠かさずにやることになっていた。林は十年ほどこれを続けていたが、「覚醒に至る体感」が得られず、非常に焦っていた。

そのうえ「千座行は必ずしも毎日やらなくていい」と方針が変わってしまい、かなり失望した。

「解脱どころか、その端緒にさえつけない」と悩んでいたときに、グルが弟子に直接エネルギーを与えるオウムのシャクティーパッドを知る。オウムの、ステージが明確なシステマティックな修行法を知って、これならば自分も解脱ができるかもしれないと考えた。

 

自分から見ると、阿含宗もどうなのかなという目を捨てきれないけれど、「確かなものがない」「信徒が試行錯誤する」という点に関しては、むしろ健全さの証のように思える。

でも林は十年も試行錯誤して疲れ切っていた。最初は「怪しい」「阿含宗をベースにしているけれど、体系だった思想とは思えない」と思っていたオウムに結局は入信する。

 

本書を読むと、林郁夫はその経歴や医師としての業績に恥じない、非常に明晰な頭脳を持っていると思う。

その時の状況や自分の心の動き、なぜそういうことが起こったのかという分析が非常に的確だ。

ところがその頭脳を使う局面がかなり限定されており、それ以外の場合は信じられないくらい無邪気で言われたことをそのまま受け取る。

 

地下鉄サリン事件を実行する直前まで、坂本弁護士一家殺害事件も松本サリン事件もオウムがやったと疑ってさえいなかった、ということもそのうちのひとつだ。むしろ「坂本弁護士一家失踪事件にオウムは関係ない。オウムはそんな怪しい集団ではない」ということを世間に知ってもらうために、出家したという。

オウムは毒ガス攻撃を受けている、という麻原の話もそのまま信じていた。

また麻原の命令を断ったときに、ほとんどの人間がすぐに嫌味だと気づく麻原の言葉に対して「自分の気持ちをわかってくれた」と解釈するなど、オウムという特殊な環境にいたことを差し引いても、余りにも素直だ。

他の側近たち、例えば井上嘉浩が「麻原にVXをかけてやりたかった」と語っていたこととの落差が大きい。

よく言えば無邪気で純粋、悪くいえば間抜けにさえ見えてしまう。

 

林は、麻原の言動を思い返して考えると、「自分に不信感を抱いていたのだろう」と語っている。

林が麻原を真剣に尊師と仰ぎ、麻原の言うことを一から十まで信じていたため、麻原も本来の自分の目的や考えを言うことが出来なかったのだろう。

 

類いまれな明晰な頭脳に、滑稽にさえ見えねない一途で莫大な熱量の情熱と感情を持ち合わせて生まれてしまった人。

これほど感受性が鋭くなければ、社会で富と名声を得て満足しただろうし、これほど頭がよくなければ、特に限界など感じず、いつまでも同じ場所で可能性を信じながら修行していただろう。

希少な才能を持ち合わせていたのに、自分も含めて誰のためにもならなかった、それを泥団子のように丸めて他人に投げつけて、色々な人を傷つけるだけで終わってしまった。そんな虚しさを感じてしまう。

 

この本に書いてあることが、林郁夫のすべてだとは思わない。妻に暴力をふるっていた、という話などは触れられていない。

ただ、ここに書いてあることは本当のことだと自分は思う。

本書の最後に語られている、自分が犯した罪への悔恨は凄絶なものだ。

地下鉄サリン事件の被害者や遺族の気持ちが和らいだのも、遺族のかたたちの心の強さもさることながら、林の懺悔の言葉が心からのものだと信じられたからだと思う。

 

なぜ麻原のまやかしに、もう少し早く気づかなかったのか、と思う。

誰かの命を奪うのではなく、たくさんの命を救ったり、安らかな死を迎えさせる道も選べたのに。

ただそう思う一方で、自分が今立っている場所が正しい場所かどうか、自分が信じているものが正しいものかどうかは、どんな人でも分からないのかもしれない。

そんな虚しさを感じた。

 

こちらも再読したいのだけれど、値段が高騰している。再販していないのかな。