うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

庵野秀明監督「シン・ゴジラ」を見たので、良かったところと気になったところを語りたい。

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庵野秀明監督の「シン・ゴジラ」がAmazonプライムビデオで視聴できるようになったので、見てみた。

個人的に良かったなと思ったところと、気になったところを語りたい。

*本記事は「シン・ゴジラ」のネタバレ感想を語っています。未視聴の方はご注意ください。

 

気になったところ

映画自体はとても面白かった。

気になったのは、作品の論調が「日本はすごい」という全体主義的なものに感じてしまったところだ。

「ゴジラに対処する」方法を現実にあてはめてると、政治家や自衛隊を出さざるえない。現役の政治家や石破元防衛大臣が、緊急時の対応をリアルだと言ったり自衛隊の出動要件にもこだわっているところに注目していることを見ても、実際にそうとう取材して協力を仰いでいると思う。

こういう事態が起きたときに、一人一人がどう動くか、どこまで犠牲が払えるか、「全体のために時に個は犠牲にせざる得ない」ということを描くことをもリアリティを追求するためには仕方ない。

仕方ないんだけれど、それが戦時体制に重なって見えてしまい、思想的には危うい綱渡りに見えてしまう。(踏切を渡る人を見つけて攻撃を中止するシーンを入れたりなど、バランスはとっていると思うのだが。)

思想的にどうこうではなく、便宜的にこういう方向性になったのだろうとは思うけれど、そこはすごく気になった。

協力してくれた組織の顔を立てつつ、「国のために個人が犠牲になる」ということを声高に唱えることを避けつつ、しかも緊急時のリアリティも追求するとなると、この辺りがギリギリのバランスなのかもしれない。

作品全体を見て自分がそう感じたという話なので(そんなことはまったく感じなかった人もいるだろうし)この話はここで終わりにする。

 

良かったところ

「気になったところ」を除けば、本当に面白い映画だった。最初から最後まで、ほとんど一秒も退屈している暇がない。

ゴジラの変形や破壊劇が面白い、という人もいれば、軍備や自衛隊による攻撃の仕方に注目する人もいるだろう。はぐれ者の異能集団が国を救う、という展開にカタルシスを覚える人もいれば、パニック映画として楽しむ人もいるかもしれない。

とにかくどんな角度からでも楽しめるので、どの角度から物語を見て楽しむか、という贅沢すぎる悩みを抱えるうちに二時間があっという間に過ぎる。

 

自分が「シン・ゴジラ」で一番すごいな、と思ったことは、この映画がたったひとつの目的に向かって全エネルギーを集約させている点だ。

「シン・ゴジラ」は、恐らく観客にこの映画の状況を「体感させるために」作られている。

ストーリーもキャラも、すべて枝葉に過ぎないのではないかと自分は考えている。

 

ストーリーはコアは無茶苦茶単純だ。「ゴジラをどう倒すか」これだけだ。

キャラも観客がすぐに覚えられるように、名前と分かりやすい特徴をひとつ(多くても二つ三つくらい)備え付けられているだけだ。プライベートなど物語にいらない情報は、ばっさり切り捨てられている。

キャラは、彼らが味わっている恐怖や焦慮や驚きや苦悩、絶望などの感覚を観客に伝えるためのアイコンにすぎない。だから観客がその立場に成り代われるように、基本的に単純な造形にしてある。

 

 今の日本に住んでいて、東京が壊滅状態に陥り、自分たちは避難しなければならない。どころか、東京が他国から核攻撃を受けるかもしれない。

そんなことを絵空事として想像することはできても、「体感すること」は不可能だ。

「シン・ゴジラ」の面白さは、このあり得ない荒唐無稽な絶望的な状況を、映画=他人事としてではなく、まさに現在日本に住んでいる自分が遭遇しうること、そしてそれに遭遇したときに自分がどんな気持ちになるのか、ということを味合わせてくれる点にある。

ゴジラに破壊される東京及びその近郊の情景は細部までリアルだ。というよりは、リアルそのものだ。

大田区、北品川駅、稲村ケ崎、武蔵小杉、多摩川、銀座、丸の内、見慣れた光景がいとも簡単に破壊され、押しつぶされ、燃え上がるさまには映画を見ているとは思えない恐怖を感じる。

 

2時間すべてを、この状況を観客がまざまざと味わえるようにつぎこんでいる。

「ゴジラは神か」と言っても、それを文明批判に結び付けたりもしない。余計な恋愛ドラマも人間ドラマも心理的葛藤もない。死んでいく人々に、感情移入をするようなドラマも設けない。

ゴジラは意思のようなものはまったく見せず、人間にほとんど反応することもなく、ただひたすら前に進むだけだ。ゴジラがどのようにして生まれたのかは分かっても、それが人類全体にとってどういう意味を持つのかが語られることも、考えられることもない。

そういう内的ドラマは、この映画を見て、観客一人一人が自分の心の中で作り上げるものだからだ。

ゴジラという恐ろしい、人間には意味が分からない生物が、ある日突然、自分の住んでいる町に現れたら、自分はどうするのだろうか?

総理の立場だったら、決断できるか?

矢口の立場だったら、あの状況でも最後まで心折れずに戦えるか?

自衛隊にいたら、ゴジラに立ち向かえるか?

一般市民だったら、すぐに逃げられるだろうか?

矢口の最後の演説を聞いて、自分は危険も顧みずに作戦に参加できるだろうか?

 

「シン・ゴジラ」はこのあり得ない状況を情緒に訴えるのではなく、爪の先一つ分もおろそかにしないリアリティを積み上げることによって、「納得させる」のではなく「体感させる」。

そして観客にそれぞれの立場を体感させ、その体感した一人一人の立場が一致団結してゴジラに対処することが恐ろしくもやりがいのあることだからこそ、「シン・ゴジラ」はこんなにも面白い映画なのだと思う。

 

最終的には凍結されたゴジラと共存していくしかない、という結末もよかった。

東京への核攻撃を防いだ代わりに、ゴジラの脅威を抱えて生きなければならない方法を自分たちの意思で選択した。その決断の都合のいい部分だけをとることはできない。自分たちの選んだことのツケはきちんと支払いながら生きていく。

映画なんだから、都合の悪い部分、後味が悪いことは残さず、万事綺麗に片付いてめでたしめでたし、とはならない。

映画が終わった後も、ゴジラが残ったまま日本は続いていく。白黒つけられない現実を、最後まで観客の心にわだかまりとして残したところが良かった。

シン・ゴジラ

シン・ゴジラ