うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

情熱大陸「漫画家 諌山創 進撃の巨人の最終コマが明らかに」の感想。

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2018年11月18日(日)情熱大陸「進撃の巨人の作者 諌山創」の感想です。

 

自分は割と明確に作者と作品は別物と考えているのけれど、作者が自ら表に出て語るのを見ると多少は作品との関連を考えてしまう。

 

情熱大陸を見て、「進撃の巨人」はまさにこの人から生まれるべくして生まれた作品なんだと思った。

自分の中では作品と作者がピタリと重なることは珍しい。(特に好きな作品は)

 

番組を見ている限りでは、諌山創は感情の波をほとんど表さない人のように見えた。

仕事の徹夜あけ、仕事をしているとき、家族といるとき、仕事の関係者といるとき、自分の作品を語るとき、好きな物について話すとき。不機嫌さを抑えられないという風にも見えないし、過剰に愛想を振りまく感じでもない。夢中になっているという感じでもないし、たまらなく嫌という風にも見えない。

ゲームをやっているときは楽しそうとか、家族といるときは若干居心地が悪そう、というのは何となく感じるけれど、それでもほとんど感情のふり幅のようなものを感じない。

余り自分を表に出さない人なんだな、というのが率直な感想だ。ものすごくはしゃいだり、激怒するところが想像がつかない。

 

「進撃の巨人」は、一見すると、本当にこの人が描いたのかと思う。

何故なら「進撃の巨人」は、自分にとってはすさまじく強烈な信念と情熱に満ちた物語だからだ。

恐らく自分が感じていることをほとんど表では表さずに、すべて内部に封じ込めており、その封じ込められた内的世界が「進撃の巨人」なのだろうと思った。

番組の最後で、故郷の山に閉ざされた風景が「進撃の巨人」の世界に重なっていると語っている。

そしてもうひとつ感じたのが、両親との関係性だ。

「こんな表現、こんな言葉、こんな発想を本人がしているというのが我々の世界からしたら見えないじゃないですか」

という言葉に代表される、お父さんの話を聞いて、恐らく息子の世界観(創作)を理解するのは難しいのではないか、と感じた。年代的なものもあるし、性格的、経験的なものもあるだろう。

このお父さんからなぜこういう息子が生まれたのか、というのは個人的にはものすごく不思議だが、お父さんも作者にとっては壁のひとつだったのかもしれない。お互いに違う世界観がぶつかり合うというよりは、理解し合うとっかかりすらない壁、というイメージだ。

親子だからといって理解し合えない部分があることは往々にしてあるし、子供の作品や才能、世界観が理解できないとしても、それは親が一方的に悪いわけではないと思う。

自由を求めるグリシャと、安定を願って体制に逆らわず、既存の歴史を受け入れるグリシャの父親の関係を思い出した。「お前の父親は賢かった」というクルーガーの言葉を通して、グリシャの父親の価値観も否定しない公平さも「進撃の巨人」の好きなところだ。

 

お父さんの存在が諌山創にとって、自分の世界の内圧を高めるためのひとつの要素になっていたのだとしたら、そのことも「進撃の巨人」を生み出してくれた大きな要素なのだ、と読者としては感謝しなければならないかもしれない。

あれほど爆発的な力を持つ作品が生まれたのは、こういう幾重にも内圧を高める要素があったからか、と番組を見て納得した。

 

アニメのアテレコをやっていた13卷のエレンとヒストリアの会話のシーン。このシーンは大好きだ。

「他はどうか知らねえけど、オレは以前のお前が結構苦手だった」

「いつも無理して顔を作っている感じがして…不自然で、正直気持ち悪かったよ」

「けど、今のお前はなんかいいよな」

「別にお前は普通だよ。ただバカ正直な普通のヤツだ」

(引用元:「進撃の巨人」13卷 諌山創 講談社)

 

「相手のことを思いやるいい子は素晴らしい」という「いいこと風の価値観」に沿わなければ価値がないと思い込んでいたヒストリアに、「自分のことしか考えられないなんて普通だし、そういう普通のお前のほうがオレはいい」とエレンが伝える。

「不自然で気持ち悪い」は一見するとかなり手厳しい言葉だが、自分が思ったことを正直に率直に伝えるエレンの良さが出ている。またそういうエレンだからこそ、「ヒストリアは無理して不自然だ」と気づいていた。

自分が「気持ち悪くて理解できない」と考えていた人間でも、分かり合えることがある、という「進撃の巨人」の主要な部分にもつながるシーンだと思う。

 

作者がアドバイスしたテイク2で「相手のことを思いやれず、自分のことだけを考えてしまうのは普通のことだし、そういう自然さのほうが好き」というエレンの言葉が、アドバイスを受け入れすぎて不自然になってしまうという何とも言えない結果になってしまった。

それもまた、人との相互作用の面白いところかもしれない。思ったことやニュアンスを正確に伝えるのは難しい。

 

「進撃の巨人」の最終回の最後の一コマも考え始めているようだ。

今のところは、エレン(だと思う)が子供を抱きしめて「お前は自由だ」と言っているシーンのようだ。

終わってしまうのは寂しい。

でもそれ以上に、仲間が何十人と倒れ、色々な人間が犠牲になり、世界に脅威を与えてでも追い求め続けた「自由」はどんなものなのか。今からそれを見るのが楽しみで仕方がない。