うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話 各エピソード別の感想

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聖闘士星矢「ロストキャンバス 冥王神話」全25卷を通しで読んだ。

 

話を断片的にしか覚えておらずほとんど初読だったこともあり、滅茶苦茶面白かった。25卷があっと言う間だった。

キャラが死んでいくことが前提の物語なので、各エピソードにメインキャラの生きざまと死にざまが詰まっている。

これだけの数の登場人物のキャラを立てて生かしきり、なおかつ一本筋の物語としてもまとまっていて面白い。かなり驚異的な漫画だと思う。

エピソードごとに主要キャラを取り上げ、そのキャラが背負う葛藤をテーマとして語る、という作りになっているので、感想をエピソードごとに語りたい。

 

 

 

各エピソードごとの感想

「魚座アルバフィカVS天貴星グリフォンのミーノス」(第17話~第23話)

黄金聖闘士の一人目であるアルバフィカのエピソードから、それぞれのキャラに焦点を当てていくという方式が始まる。このエピソードでは、この後も何回か出てくる「まずは格下の敵を倒し、主要キャラの人物像や設定を説明。そのキャラの引っかかりをボスキャラとの闘いで昇華」というオーソドックスな作りが取られている。

 

エピソードとしては若干平凡かなと思うけれど、少し間違えるとギャグにさえ見えかねない美しい容姿や薔薇の攻撃がうまく生かされている。一人一人のキャラについてやっていくのであれば、これくらい作れれば安心して見ていられる、という出来。

話自体はありがちだけれど、アルバフィカというキャラが非常に魅力的。容姿の美しさから想像される孤独でクールなキャラかと思いきや、それは人を近づけないためで、実は熱くて激情的な性格で容姿のことをああだこうだ言われるのを屈辱的に思っている。

こういう魅力的なキャラですら1エピソードでどんどん死んでいく、という部分もモデルケースとして示されている。

まだ序盤のせいか敵であるミーノスのキャラは、それほど立っていない。味方ですら短い話数でどんどん死んでいくのだから敵もキャラ立てろ、というのは贅沢か、と思いきや、後のエピソードでは敵もキャラとしてどんどん面白くなっていく。

 

「乙女座のアスミタVS天馬座のテンマ」(第24話~34話)

 読んだはずなのに、頭からすっかり抜けていたアスミタのエピソード。アテナの聖闘士でありながら仏教徒という、無茶苦茶な設定をこういう形で落とし込んでくる上手さに脱帽。

最後にテンマに「ああ、君、想像より幼い顔をしているな」というシーンのアスミタの顔が、年相応の雰囲気になるところがいい。

観念の世界から脱して現実の世界を見るようになり、やっと本来の自分に立ち返った、ということが表されている。こういう1シーン、ひとつのセリフや表情でそのエピソードのテーマを綺麗に収束されるのが上手いところ。

 

 
「牡牛座のハスガードVS天暴星ベヌウの輝火」(第35話~第41話)
「牡牛座のハスガードVS地陰星デュラハンのキューブ・地察星バッドのウィンパー」(第49話~51話)

アルバフィカの逆パターンで、先に格上とやって傷ついたところを格下と相撃ちになるパターン。

ハスガードは冥王神話には珍しく、個人的な問題や葛藤は抱えていない「大人なキャラ」なので、狂言回し的に使われている。(アスミタに献杯をすることで、アスミタと他の黄金の関係性に区切りをつけたり、イリアスのキャラを印象づけるために訪問する役割をになったり)このエピソードも輝火のキャラ立て、後々の輝火と童虎との因縁の伏線的な意味合いが大きい。

ハスガードのように裏表なく積極的に人に関わる人がいないと、物語も現実も上手く回らないということがよくわかる。こういう人が「真に大きくて強い人」で、冥王軍のほうはハスガードと対極にいるようなキャラが多いというところも面白い。

輝火のことも「邪悪じゃない」とかそんなに甘やかさなくていいと思うが。

 

 

「蟹座のマニゴルドVS天究星ナスのベロニカ」(第56話~63話)
「蟹座のマニゴルド・教皇セージVS死の神タナトス」(第64話~69話)

初読のときはマニゴルドが死んだショックが大きすぎて、後の巻は惰性で読んでいた。

改めて読み直して、マニゴルドが出ていたのは冥王神話のごくごく一部だったんだなあとビックリする。15話くらいしか出ていないのに、あんなに鮮烈な印象を残せるのか。冥王神話のすごいところは、ほとんどすべてのキャラが短い出番で強い印象を残すところだが。

マニゴルドの恰好良さもさることながら、セージとの師弟愛、「人間の命なんて塵みたいなもの」と思って絶望していた幼い日の自分をどう乗り越えるか、どう乗り越えたのかというテーマを死の神との戦いで語るというモチーフの使い方の巧さなど見どころが多い。同じ双子で前聖戦からの因縁があるタナトスとセージの戦いも絡められていて、よくこんなに綺麗にまとめられると感心する。

このあとハクレイがヒュプノスを倒すことで、前聖戦からの「仲良し双子対決」が決着する。この後に絵面を反転させて「仲の悪い双子対決」が出てくる。

「仲良し双子」の中でハクレイ・セージVSタナトス・ヒュプノスの因縁を描きつつ、外枠ではハクレイ・セージの関係を反転させてアスプロス・デフテロスの「仲悪い双子」の関係を描くとか色々とすごい。

 

 

「山羊座のエルシド・天馬座のテンマVS夢の四神」(第70話~87話)

エルシドもハスガードと同じで、さほど葛藤がないキャラなうえに、ハスガードと違い自分から人に絡むキャラでもないので、割を食ってしまった感がある。

 

「人にもう少し頼れ」みたいなのが出てきたけれど、テーマとしてそれほど深く掘られておらず余り印象が強くない。物語としてはシジフォスの罪悪感と天馬の葛藤の話がメインで、正直こちらのほうが話としては面白い。

戦うところが恰好いいからまあいいか。外伝で人物像がしっかり描かれているのかも。

 

 

「ブルーグラード編」(第101話~113話)

個人的には一番もったいないと思った話。

カルディアというキャラの鮮烈さ、ラダマンティスとの対比と、デジェルの個人的な因縁の物語がつぶし合ってしまった感がある。

デジェルとセルフィナ、ユニティ姉弟の関わりの描写が薄すぎて(外伝で補足しているのかな)デジェルがセルフィナと一緒に眠りにつくことを選んでも、イマイチ感動できない。そもそもユニティとセルフィナ、デジェルの関係は、天馬とサーシャ、アローンの関係を浅く踏襲しているだけだ。物語の主要テーマをそのまま小さく繰り返すというのは筋が悪いと思う。

あくまで「個人として命を使いきる」カルディアと「公的存在意義しか持たない」ラダマンティスとの対比は、エピソード自体は面白かった。ただ二人の因縁が単純に「死ぬ間際のひと目惚れ」みたいな感じなのがもったいない。

ラダマンティスが「公的存在意義しか持たない」というのは、後のパンドラとの関係につながっていく。パンドラのドジっ娘ぶりといい、この二人は最初からこんな感じだったんだ、というところも読み返すと味わい深い。

この二人の関係と比べても、デジェルとユニティ、セルフィナの関係の唐突感が際立ってしまう。何故かメインであるデジェル関連が余計に見えてしまうアンバランスなエピソード。

最後、ユニティが生き残るのは、アスプロス・デスフロス編の原型に見えるので、これがあってあの神エピソードができた、と思えばいいのか。

 

 

「船編」(第114話~132話)

バランスが悪かったブルーグラード編が嘘のように、無茶苦茶上手い群像劇に仕上がっている。

 

天才ゆえに余り人の(凡人の)気持ちが分からない、脈々と受け継がれる物の意味がまだよく分かっていないレグルスに、ユンカースたちが道具を使い船を修繕することで、自分が死んだあとも何百年と受け継がれるものや歴史の意味を教える。

この話が上手いなあと思うのは、レグルスと対峙するバイオレートがユンカースたちのような凡人側の人間であるところだ。

天賦の才であらゆる技を吸収し、敵を超えてしまうレグルスに、バイオレートは「地を這う者の気持ちなんて分からないだろう。地を這う自分を舞わせてくれるのがアイアコスだ」と語る。

若き天才であるレグルスが、味方であるユンカースたちだけではなく敵であるバイオレートからも、「自分が分からないこと」を戦いを通して教えてもらう。

 

次のシジフォスVSアイアコスでは船対船という状況にすることで、シジフォスとアイアコスのリーダーとしての器を対比している。

今までずっと罪悪感で押しつぶされていたシジフォスが立ち直った姿を見せ、どうして皆が彼をリーダーだと認めるのかという説明にもなっている。

最後は「隷属こそ絆」と言っていたアイアコスが、バイオレートとの関係は違うものだったと認めて元の自分(水鏡)に立ち返るなど至れり尽くせりな終わり方。

冥王軍側はお互いの関係性の中で支え合って生きているのに、頑なにそれを認めない人が多いのだが、何なんだろう。悪……弱さの一形態としてたまにいるのはいいのだけれど、余りに多いと「心が繊細な人たちの集まり」に見えてしまう。

だからハーデスなりアローンに惹かれるのか。(納得)

 

 

 「射手座のシジフォスVS天獣星スフィンクスのファラオ」(第138話~141話)

シジフォスの葛藤と生き方の終結の話。アテナエクスクラメーション、懐かしい。

個人的にはサーシャへの恋心はなくても良かったんじゃないかと思う。そこまで追い詰めなくても、という感じがするし、シジフォス、ロリ……いや何でもない。

 

 

「天秤座の童虎VS天魔星アルラウネのクイーン・天牢星ミノタウルスのゴードン」(第145話~148話)
「天秤座の童虎VS天捷星バジリスクのシルフィード」(第149話~150話)

今までずっと寝ていた童虎の復活の回。

 

シルフィードの話は似たような問題を持つ輝火との因縁の伏線にもなっている。なので、輝火との戦いはもうひと捻り欲しかった。

後の展開を考えると、シルフィードはここで童虎に倒されて幸せだった。バレンタインが不憫でならない。ラダマンティスとシルフィード、バレンタインの関係ももう少し掘り下げて欲しかった。

 

 

「双子座デフテロスVSアスプロス」(第151話~159話)
「双子座アスプロスVS天魁星メフィストメレスの杳馬」(第205話~211話)

個人的には、LCで最もよくできたエピソードだと思う。

 

一番いいと思ったのは、生き残ったのがアスプロスである点。

デフテロスが生き残る、アスプロスが改心して二人とも生き残るだったら、この半分もいいとは思わなかった。

デフテロス側の問題は解決した、二人は一人の人間の善と悪を表している、そしてそれは反転もする、自分の弱い二番目の半身はデフテロスではなくカイロス(に惑わされた自分自身)であるという示唆や、話の流れを考えるとアスプロスが生き残るしかないのだけれど、それでも主人公である天馬と因縁があるデフテロスのほうが死ぬという展開は思いきったなあと思う。

髪の色が変化して、自分は一番目でも二番目でも影でも光でもない、その全てを持つ「我」=アスプロス+デフテロスとして、「邪悪な二番目カイロス」と戦うという展開もいい。

本編の中でも語られている通り、双子の対立が自我の葛藤の戯画になっており、その葛藤を二人で一人としてカイロスと戦うことで乗り越えている。

これ一本で話が描けるんじゃないか、と思えるくらい秀逸なエピソード。

 

後のシオンのエピソードとの関連もあるけれど、黄金たちは自他共に人の内面の基準が厳しすぎ、それがアスプロスを狂わせてしまったように見える。

アスミタが指摘したように、デフテロスの「自分は二番目でアスプロスは立派」という思いがアスプロスに「立派な一番でいなくてはいけない」という重圧をかけていた。アスミタは「デフテロスの罪」と言っていたけれど、デフテロスの立場なら無理はないと思う。「罪」は酷だろう。そういう厳しさが人を追い詰めるのでは。

兄弟であれだけ差をつけておいて、不遜になるなとか卑屈になるなとか、それは無理だろう。

聖域の構造的な問題だと思うよ、と思ったらこれは外伝でアスプロスが「教皇になって変える」と言っていた。それに対してもデフテロスに「本当にそういう構造が変わっていいのか」と指摘させる入念さ。

どこまでも追い詰めるな~。黄金になるには、ここまで内面も詰めなければならないだのだろうか。

サーシャが言うように、やったことはともかく、アスプロスの心の動きは普通だと思うんだよ。それが内心で思うことすら許されない、と思い詰めて、行動にまで振りきれてしまった。こういう「普通さ」が、立派すぎる黄金たちの中でアスプロスしか持たないいいところだと思う。

杳馬がアスプロスをずっと「お兄ちゃん」と読んでいるのもいい。アスプロスの神経を逆撫ですることだけが目的に見えて、杳馬の兄クロノスに対するこだわりの強さがわかる。

細かいところまで「双子の関係=自我の葛藤」というテーマに回収されるようにできている。

 

アスプロス(とデフテロスの関係)について書きました。

www.saiusaruzzz.com

  

 

「牡羊座のシオンVS天英星バルロンのルネ」(第167話~173話)

テーマは船編でやった「過去から引き継がれた歴史と思い」の繰り返しで、エピソードとしては若干平凡な印象。

 

シオンが聖衣を修復するときに、過去の戦士たちの人生も読みとって楽しんでしまうことが罪として語られるけれど、それぐらい良くないかと思ってしまう。

アスプロスのときもそうだが、黄金たちは内面の基準がものすごく厳しい。

黄金聖戦士になるにはそれくらいの厳しさが必要、と言われても、それでいながら「人間であること」は奨励しているから、矛盾していないかと思う。カルディアみたいな人もいるし、内面はそこまで厳しくなくともいいと思うよ。

内面の基準が厳しいから「ちょっとでも悪いことを考える」→「俺はダメな奴」→「闇落ち」のパターンが多いのでは。

人間なら、内心でダメなことを考えていてもいいと思うんだよね。外に出さなければ。

そういう点はカイロス戦のあとのアスプロスに対するサーシャの言葉で、回収されたことになっているのかな。聖域全体の考え方を変えて欲しいところだが。

聖衣の過去を読み取るときのシオンの表情を見ると、性的興奮のように見える。性的なこととまったく無縁なように見える聖域でこういうことをやっている、後に教皇になるシオンでさえこういう面があった、というのがいい。それもあって人間だと思う。

シオンはレグルスの死を「年が若いお前には生きていて欲しかった」と泣いたり、すごく人間臭く描かれていて好き。

 

 

「天秤座の童虎VS天暴星ベヌウの耀火」(第174話~179話)

初期から続いていた童虎と耀火の因縁の決着のエピソード。

長く引っ張ったわりには、出来はイマイチに感じた。一番微妙だったのは耀火の背景が、かなり平凡な点。

シルフィードとアスプロスの背景の使い回しに近く、もう一捻り欲しかった。

耀火は物語の立ち位置でも、ハーデスではなくアローンに心酔している、冥王軍から距離をとり単独で動いていると特異な存在だったのに、この決着は残念。

ハスガードといい童虎といい、兄貴キャラは耀火に甘いな。

 

 

「天馬座のテンマVS無星オウルのパルティータ」(第188話~第192話)

この辺りは、話の流れが若干わかりづらかった。

 

パルティータは、「神殺し」の力を手に入れたい杳馬の策に乗るふりをして、冥闘士を装っていた。その策に乗る過程で、テンマを守りつつ聖衣を神聖衣に目覚めさせたかった、けれど神聖衣を甦らせることが杳馬の真の目的だった、ということでいいのかな。

テンマに対しては愛しているからこそガチで戦っていた感じだけれど、パンドラに対してはガチ殴りで最後の言葉もなしか。パンドラがつくづく不憫…。

パルティータと杳馬の利用しあっているけれど、関係が続くうちにそれだけでもなくなっていくが、表層としては利用しあいで終わるという展開がいい。

白黒はっきりつくもんじゃないよな。

この二人の直接の絡みが見たかった。

 

 

「獅子座のレグルスVS天猛星ワイバーンのラダマンティス」(第193話~201話)

無印につながる話だからシオンと童虎以外の黄金が全滅するのは分かっているのだけれど、十代のレグルスが死ぬのは辛い。

 

そういう中で、「死」の描写を大自然すべてに溶け込むという風にしたのはよかった。「死が終わり」ではなく、他のもの、後の世代に受け継がれていく、というLC全体のテーマもなぞっている。

イリアスがシジフォスの兄という獅子座と射手座の兄弟設定は、無印を読んでいる人には嬉しい小ネタ。

 

 

「調教編」(第180話~183話)
「アローンVS天猛星ワイバーンのラダマンティス」(第202話~204話)

ハーデスに乗っ取られていたと思っていたアローンが実はアローン自身だった、という展開は面白い。

 

面白いのに、なぜ印象が薄いのか、余り切迫感を感じないのかというと、サーシャを見ていると「サーシャ(人間)人格」と「アテネ(神)人格」が分離していないからだ。

サーシャにおいてはこの二つの人格は共存できる……というより融合しているのに、なぜアローンとハーデスだけは「別人格」という前提なのだろう、というのがよく分からない。

テンマサイドはアローンの人格に少しでもハーデスが混じっていても騒ぐし、冥王軍サイド(というよりパンドラ)は、ハーデスの人格に少しでもアローンが混じっていても騒ぐけれど、じゃあサーシャのケースはどう考えているんだ、ということがよく分からない。

「アテネとサーシャ」という共存しているモデルケースがある以上、アローンがアローンかハーデスかが、なぜ問題になるのか。それが問題になるなら、サーシャがサーシャかアテネかも問題になるのでは? と思うのだが、そこは誰も触れないので、「ハーデスなのかアローンなのか問題」に共感ができない。

おまけに動機は違くとも、やっていることはだいたい同じなので、正直「中身がどっちかが、そんなに問題なのか」と思ってしまう。

そこにこだわっているラダマンティス、パンドラ、輝火も本当に違いが分かっているのか? という疑問すらわく。

 

この辺りは「サーシャにおいては問題にならないが、なぜアローンがアローンかハーデスなのかが問題になるのか」「アローンとハーデスの違いは何か」ということをもっと明確にしたほうが良かったと思う。

 

ラダマンティスとパンドラは、最後の最後で「まさかの両思い」という驚きがすごかった。「私を見てくれていなくても、側にいてくれればよかった」という心境で、あの調教ごっこをやっていたのか。バレンタイン……冥界で泣いているんじゃないか…。

この二人の関係の硬直ぶりは面白いので、別枠で話したい。

 

書きました。

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元々、パンドラは頑張れば頑張るほどそれが裏目に出て怒られるドジっ子いたいけキャラの要素が強かったが、そもそもの設定もそうだったことには驚いた。おまけにツンデレだし、サーシャよりもずっとヒロイン要素が強い面白いキャラだ。

ツンデレドジっ子パンドラと公的言語しか話せない男ラダマンティスが、最後の最後とはいえ思いが通じあったのは奇跡だ。

こういう人の訳のわからなさとか、弱さとかダメさ加減が集約された、「でもそれも含めて人間だから」と思える関係がなぜか敵サイドで描かれているのも変則的で面白い。

 

 

「天馬座テンマVSアローン」(第212話~218話)
「天馬座テンマ・サーシャ・アローンVS冥王ハーデス」(第222話~最終話)

 「ロストキャンバス」は敵味方問わず、非常に魅力的で面白いキャラが多いので、相対的に典型的な主役の設定しか持たない三人には余り興味が持てなかった。アローンはハーデスに成りすまして自分の願望を追求する、など若干面白かったんだけれど、もう少しハーデスとの違いが明確になればもっと良かった。

 

最後が三人でハーデスと戦うという展開になるとは。

「ロストキャンバス」は一見オーソドックスな作りの少年漫画に見えて、常にこちらの予想を裏切ってくる。「これだけ死んでいるんだから、アローンも死んで、その思いを胸にテンマとアテナでハーデスに立ち向かうのだろう」と思いきや、アローンが生き残って三人で戦う。

何故かというと、初期のころから繰り返し「また三人で逢おう」と言っているから。こういう物語の中で繰り返し描かれたメッセージやテーマ、キャラの心理などは何等かの形で必ず回収されるところがこの物語の好きなところだ。

 

 

「まとめ」

「ロストキャンバス」は物語の作り方がとにかく上手い。長く続く物語でも、その芯がぶれず、物語の部品となる各エピソードもメインの物語にピタリとはまるようになっている。

各エピソードは若干出来に差があっても、「それがあってこの物語が続いている」と思えるように作られている。志半ばで死んでしまった仲間たちのことをも、事あるごとに思い出として語られたり、仲間の生きてきた道のりの一部になっていることが感じられる。

「ロストキャンバス」で繰り返し語られる「自分が死んでも歴史は続いてく」という主要テーマにすべてのエピソードが集約されており、その作りはタイトルの通り大きなキャンバスの一枚の絵のように見える。

一回読んでいるしいいか、と思わずに読み直して良かった。

「聖闘士星矢のスピンオフ」という枠組みを大幅に超えた、名作だと思う。