シーズン1は面白かったけれど…。
海外ドラマ「カーニバル」のシーズン2を見終えた。
謎をばら撒く段階、人間関係を説明するために不穏な雰囲気を漂わせながら淡々とカーニバルの一座の日常を描いていたシーズン1は、なかなか面白かった。
1930年代の砂嵐が巻き起こるアメリカで、こんな一座が本当にいたんだろう、そう思わせるリアリティがある。
愛憎が絡み合う、複雑で綺麗ごとばかりではない人間関係も登場人物たちも魅力的だ。
物語の主筋「ベンVSジャスティン」がそれほど面白くない。
シーズン2では、正体を徐々に露わにしだしたジャスティンと、自分の運命を自覚し能力を開花させたベンとの本格的な戦いが始まる。
ところが本筋であるはずのこの二人の戦いが、余り面白くない。
「面白くない」は言い過ぎかもしれない。これを単体で見ているのならば、たぶんそれなりに楽しめる。
いかんせんカーニバル内の人間関係や、ジャスティンの日常生活の不穏さや人々を騙す過程のほうがずっと面白いのだ。
オーナー、スカダ―、ベン、ジャスティンの因縁よりも、リビーの家の借金問題や母と娘の確執、ソフィー、リビー、ジョーンズの三角関係、ジャスティンとノーマン、アイリスの微妙な関係の中での駆け引きのほうがずっと面白い。
ジャスティンがオーナーの息子で、ソフィーがジャスティンの娘という真実には確かに驚いた。
しかしこれもその事実がただ提示されただけで、既存の人間関係に何か影響を与えるわけでもなく、展開にも特に影響を与えないので、ただ驚いただけで終わってしまった。
つまらなくはないけれど、日常シーンと本筋である「ベンとジャスティンの正義と悪魔の戦い」という構図が上手く混じり合っていない。
ここまで丁寧に描いてきた、複雑で綺麗ごとだけではないカーニバル内の人間関係が、最終話近くなって綺麗にまとまってしまうのは、ご都合主義に見えてしまう。
「最終回近くで、みんないきなりいい人になる」のはドラマの定番とはいえ、このドラマは社会から弾かれたひとクセもふたクセもある登場人物が魅力的なのに。ライラでなくとも「あれが正義ってわけ?」と言いたくなる。
おまけにベンVSジャスティンの最終決戦は、予定から一ミリ外れず、意外性もない予定調和的なものだった。
こんなに特に何もなく片がつくのであれば、今まで色々と試行錯誤してやってきたのは何だったのだろう……という肩透かしのような終わらせ方だった。
ソフィーの最後の行動は衝撃的なものだったので、もしかしたらシーズン2の「ジャスティンVSベン」は序章に過ぎず、シーズン3からが本番だったのかもしれない。もしくは「ソフィーVSベン」という構図が考えられていたのかもしれない。
「ソフィーVSベン」という構図は面白いので、そういう予定だったのにシーズン2で打ち切られてしまったのだとしたら残念だ。
登場人物の心境の変化についていけない。
もうひとつ、「カーニバル」は人間関係の機微や、登場人物の細かい心情のニュアンスが非常に分かりにくかった。そのせいか、その人物の言動が唐突に感じることが多い。
これは「ゲーム・オブ・スローンズ」などの別の海外ドラマでも多少感じていて、原作「氷と炎の歌」の感想記事で少し触れた。(スターク家にいたとき、シオンがジョン・スノウをどう思っていたのか、など)
「カーニバル」は、カーニバル内とジャスティン周囲に人間関係が集約されているからか、余計に分かりにくく感じた。
例えばシーズン1で、リビーがソフィーに芋虫をつけた酒を飲ませるシーン。
最初は嫌がらせで飲ませているのかと思った。
リビーはソフィーと仲良くするふりをして内心では見下したりハメようとしているから、アポロニアはリビーを嫌っているのかなと思っていたが、後でリビーが自分もその酒を飲んでいたのでどうも違うようだ。
リビーがソフィーをどう思っていたか、ということは最後まで分からなかった。
「リビーがソフィーをどう思っていたか」によって、「ジョーンズとリタ・スーの関係をソフィーに黙っていたこと」をどう考えるかが変わる。
リビーがソフィーのことを本当に友達だと思っており、疑似恋愛もしていたとしたら、「自分の母親と友達の恋人が関係を持っていることを言えない気持ち」は分かる。
リビーの家は性的にかなりオープンだけど、それでも母親の浮気を友達に話すのは嫌だろうし、ましてやその相手が友達の恋人だったら告げ口みたいになる、と考えてもおかしくない。悪意がないリビーに対して、あの仕打ちはソフィーのほうに若干想像力がないと思える。
リビーがソフィーに見下すために近づいた、と考えると、アポロニアがソフィーにしつこく忠告するのも分かる。ジョーンズと母親の関係を黙っていたことも悪意からと考えられる。すると、ソフィーの仕返しに対して納得がいくし、共感もする。
アポロニアがソフィーをどう思っていたか、考える手がかりにもなる。
またその後、リビーと結婚するジョーンズに対しても、「見る目がないただの女好き」なのか「真剣に人を愛する人間なのか」というところで評価が分かれる。
シーズン2の最後でリビーがジョーンズにソフィーについて言いたいことがありそうだったシーンは、ソフィーとの仲たがいが気にかかっているのかと思った。ジョーンズとソフィーの仲を気にしていると言い出したときは、「そっちかよ」と思わず突っ込んでしまった。
リビーがソフィーに本当に友情を感じていたならば「ソフィーとの仲を気にするのではないか」と思うので、気にしないということはやはりソフィーとは適当に付き合っていただけなのか。
その割にはリビーはシーズン2で「いい娘化」しているので、訳が分からない。
ジャスティン側では、ジャスティンがノーマンやアイリスについてどう思っているのか、アイリスがノーマンやジャスティンについてどう思っているのかがさっぱり分からなかった。
ジャスティンがノーマンのことを引き取ったのは、てっきり嫌がらせをしたり、殺すためかと思った。ところが日常ではそういう様子はないので、自分の行く道を見せつけるためなのか、義理の親子としての愛情が多少残っているからなのか判断できない。
最終的には嫌がらせをしていたので前者かなと思うけれど、その割には最初のうちは普通にアイリスに面倒を見させていたし。
もっと分からないのは、アイリスはいつジャスティンに対して反抗を決意したのかだ。
「ジャスティンが悪魔になるところを見た」というエリナーを説得できてホッとしていたのに、エリナーが「それをジャスティンに話す」と言ったとたん、殺したのは何故なのかがよく分からない。
ジャスティンに自分が反旗を翻そうとしていることを悟らせないためか。そのために人一人殺すのも、本末転倒な気がするが。
ノーマンに「今は我慢の時。二人で力を合わせてあいつを倒そう」に言ったことがアイリスの真意のようだが、とするとシーズン1で、教会設立のために放火殺人までしたのは何だったんだ、どこで「ジャスティンのためならば何でもする狂信者」から「悪魔であるジャスティンを何とか倒さなけばと思っている」に心境が切り替わったのか、まったくわからなかった。
「カーニバル」は「ここでこういうことになるなら、あの時のあれは何だったんだ」ということがかなりある。
ベンのソフィーへの恋心や、サムスンがオーナーに友情を感じていたなど、人物とその日常を詳細に描いているのに、肝心なことは「こうでしたけれど何か?」のような感じなので、感情移入するしない以前に設定についていくことができない。
言葉のニュアンスが読み取れていないからなのかなとも思うが、他のドラマや映画ではそこまでは感じないので、やはりこのドラマの問題ではないかと思う。
シーズン3からが本番だったのかもしれない。
決してつまらなくはないけれど、様々な設定や説明を丁寧に積み上げてきた割には尻すぼみに終わってしまった、というのが正直な印象だ。
シーズン2の終わりかたを見ると、ソフィーが自分の力に目覚めて、これからが本番だったのかもしれない。
もう10年以上前のドラマなので続編を望むのは難しいと思うけれど、できればシーズン3も見てみたかった。
Carnivale: Complete First Season [DVD] [Import]
- 出版社/メーカー: Hbo Home Video
- 発売日: 2004/12/07
- メディア: DVD
- この商品を含むブログを見る
シーズン1に出てきていた双子の女の子はどこにいったのだろう。他の一座に移ったのか。