「聖闘士星矢」のスピンオフ「ロストキャンバス外伝」の8卷から16卷までの感想。
1卷から7卷までの感想はコチラ。
- 8卷「乙女座アスミタ編」
- 9卷「牡牛座ハスガード編」
- 10卷「射手座シジフォス編」
- 11卷「双子座デフテロス編」&12卷「双子座アスプロス編」
- 13卷14卷「牡羊座シオン編」
- 15卷16卷「祭壇座ハクレイ&蟹座セージ編」
- まとめ
8卷「乙女座アスミタ編」
アスミタも色々と悩んで葛藤していたんだなあ。
「ロストキャンバス」だと共感しすぎて堕天してしまう人が多かったけれど、(アローン、イティア、クレスト)そういう人たちに対してのひとつの答えになっているところもいい。
ただアタバクが小物すぎて、この卷だけを見ると対立軸としては今ひとつだった。
本編ではひたすら達観しているだけで悟りにしか興味がなさそうに見えたアスミタが、人の苦しみを感じ取り、そのことに共感していた、意外と人間臭いところがあるところが分かったのが一番の収穫。
余り接点がなかった輝火が出てきたことにはびっくりした。
輝火の持つ個人的テーマは、輝火クラスのキャラを描写するにはちょっと弱いんだよね。だから常に盛り上がらないような気がする。
9卷「牡牛座ハスガード編」
テネオもセリンサも立派になって…。ハスガードも喜んでいるだろう。
端役であるセリンサの背景も書き込んでいるのがいい。「ロストキャンバス」は本当にキャラを大事にしている。
前半はあくまで「メインキャラの外伝として面白く、短編としてまとまっている」という感じだったけれど、この辺りから、段々過去と未来と現在の時間軸の行き来が激しくなって、外伝がその巻だけにはとどまらない深みが出てきたような気がする。外伝独自の世界観が出てきた。
この卷でアスプロスとシジフォスがハスガードについて話しているけれど、次のシジフォス編でこの三人がいわゆる同期だった、ということが明かされている。
この卷でアスプロスは本編のアスプロスに近い性格で、ハスガードにも冷たく、シジフォスとも距離がある感じなんだけれど、次の卷を見ると昔は同じように見えてそうでもない部分もあるとか、人間関係の微細な変化がよく表れている。
欲を言えば、最初から外伝全体のつながりみたいなものが考えられていると良かった。
10卷「射手座シジフォス編」
単体で見るとシジフォスの英雄である兄イリアスと自分の違いへの苦悩や、コンプレックス、不吉な運命への恐れとそれでも射手座の黄金聖闘士としての道を選ぶことでそれらを乗り越えることへの決意がうまく描かれている。
ただアスプロスとデフテロスの問題と重なっているので、なぜシジフォスは乗り越えられたのに……という気持ちになる。
ハクレイとセージもそうなんだけれど、同じ問題を抱えていたり、もしくは同じような状態でいながらそういう問題を抱えずに済んだことを、他の人たちへの導きに活かせなかったのか? ということが不思議だ。
イティアとクレストの闇落ちにしても似た部分があるから、聖闘士が陥りやすい問題ってあるのだと思う。
ここまで何回も似たようなことを繰り返されると、個人の心の強さとかそういう問題ではなく、アスプロスが指摘していたように「聖域の構造的な欠陥」みたいなものがあるんじゃないかと思う。
その教訓を生かせていないというか、「聖闘士になるにあたっての心構え」とかカウンセリング(?)にもう少し力を入れたほうがいいのでは。
シジフォスのアスプロスに対するツッコミが面白かった。
「グイグイ来る子だな」「相変わらずキツイなあ」
こういう黄金同士の人間関係が見える絡みがもっと見たかった。
11卷「双子座デフテロス編」&12卷「双子座アスプロス編」
アスプロスとデフテロスに関しては、一記事書いたので余り書くことがない。
うーん、ただ「ハクレイ&セージ編」を読んでも、なぜアスプロスが教皇候補に上がったのかとか、セージの教皇としての手腕に疑問が増えていくばかりだ。
イティアが考えていたのが教皇の理想像なのだとしたら、どう考えても向いていないと思うのだが。ハスガード編でも、ハスガードに冷たかったし。
セージにはセージ独自の考えがあったのかもしれないけれど、どちらにしろその考えも裏切られたわけだしな。
セージは意外と他人の心の闇みたいなものが見えにくいタイプなのかもしれない……けれど、それならそういうことを描いて欲しかったなあ。
13卷14卷「牡羊座シオン編」
カイロスは好きだけれど、本編であれだけ綺麗にまとまったのにまた出てくるのか、というのは疑問だった。
テンマとも和解?っぽい感じで描かれていたので、物語の流れ的にはちょっとよろしくないんじゃないのと思う。落としどころとしては上手かった気けれど、若干使い回し感が否めない。
ただ出てきたキャラが、シオン、マニゴルド、カイロスと全員好きなキャラなんで、細かいことはおいておいて楽しく読めた。
マニゴルドは他の外伝には出てこないのか~~とやきもきしていたので、出てきてよかった。若干系統が似ているマニゴルドとカイロスの絡みはどういう感じかな。見てみたかったのだけれど絡まなかった、残念。
アヴニール、世界が滅ぶ未来の世界線からやってきたのか。もうすぐ終わりなのに、どんどん話が壮大になるな。
15卷16卷「祭壇座ハクレイ&蟹座セージ編」
最後の最後で「このネタを二巻で終わらせてしまうのか?」というネタがきた。
教皇の闇落ちは本家の「聖闘士星矢」でもあったし、教皇候補だったアスプロスも闇落ちしているので、「教皇という立場は、闇落ちしやすい何かがあるのではないか」と思う。
ましてやイティアと同期だったクレストも、人間に失望してアテネのやり方に疑問を抱いているのだから。
カイロスの言い方を借りれば「イティアみたいなタイプの人生が狂うのが一番面白い」
ああいう強くて真っすぐで本当に他人の心を慮れるからこそ落ちる闇、というのは「正義を敢行する側」にとってはひとつの課題だと思う。教皇や黄金聖闘士が最も気をつけなければならない闇落ちパターンだと思うんだ。
自分たちが尊敬していて、トップと仰いでいた人がそういう闇に陥ったときに、その人から指導を受け、その人と志を同じくして、同じ道を歩んでいる自分たちがどう考えどう解決するか、というのは後の人に残しておかなければならないモデルケースだと思う。
そういうモデルケースを「闇の歴史」とか言って葬って残しておかないから、 同じ人が現れる……と思ったから、まあルゴニスとイリアスに話したんだろうけれどさ。
単純に「正しさ闇落ちVS闇落ち前の正しさ」は面白い構図なので、長編でやって欲しかった。
まとめ
「終わった」という感じがなく、自分の中ではこれから始まりではないか、という思いが強い。
外伝は途中から「正史のキャラのスピンオフ」から「過去、現在、未来に続く、壮大な聖戦史の一端」に主旨が変わっている。
「ロストキャンバス」は端役の一人、キャラのひと言、何気ない行動すら物語の他のどこかに紐づいているので、その紐を発見するとどこまでも引っ張りたくなる。
イティアの過去の話も見たいし、アヴニールの時代の聖戦も見たいし、カイロスが言うシナリオの切り替えポイントも見たいし、それぞれの世界線も見たい。
「ハクレイ・セージ編」の蠍座のザフィリが、なぜ聖域を裏切ってポセイドンを復活させようとしたのかも、ザフィリ個人の問題というより聖域の問題があるんじゃないかと思う。
一人一人のエピソードというミクロの集積体から帰納して、マクロの全体図を創っていくという構造の物語が大好きなので(YU-NOやうみねこみたいな感じ)ここまできたら聖戦史や聖域史をぜんぶ語って欲しい、という思いが強い。
本当にこれで終わりなのか、寂しいな。
「ロストキャンバス」全体を貫く、「人は悠久の時の流れの一瞬を生きる小さな粒子に過ぎない」「でもその粒子が次の世代に色々なものを伝えることで、未来が作られていく」という考え方がとても好きだ。
そのことを体現したような物語だった。
またどの世代の話でもいいから、長編を読みたい。
個人的にはイティアやザフィリを主人公にした、聖域や教皇職の闇話が希望。少年誌だと内面描写よりも戦闘がメインになりそうだから、できれば青年誌で読みたい。